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『ブリュンヒルドの心葬』  作者: 水澄
第3章『氷雪の暁』(終)
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『薄氷の下に葬ったもの』②

 「まさか、櫻井がそんなことをしようとしているとは、正直信じ難い。だが、もしお前の仮説が正しければ、櫻井と深月・斎賀の目的は恐らく、この場所だ――」


 ルーナ警察病院の病室にいる浜本と神楽は、事件の捜査資料を手に議論を交わす中、蛍と深月の居所を特定する手かがりを掴んだ。

 厳重な監視警備下におかれているルーナシティから脱出可能な唯一の手段がフロストムーン区に存在することを、神楽は仄めかす。

 神楽の言葉に、浜本は一瞬怪訝そうに眉をひそめたが、直ぐにその意味を理解した。


 「海上商業の盛んな雪花町、隣区のヴィジームーン区の境界付近にある氷月町、そして遊覧船の隠れ絶景スポットと謳われる雹炎町……どちらかに、二人が」

 「確かに、盛況している港海岸のある町という共通点が、この三つの町にはありますね。そしたら、浜本先輩。このことを早速、永谷部長にも報告しましょう!」


 早速、自分達の掴んだ手がかりを刑事部門に報告しよう、と神楽は逸る思いで急かす。

 一方浜本は、神妙な面持ちを崩さないまま、冷静かつ苦々しい様子で返事をした。


 「いや、神楽……非常に心苦しいが、今それは難しいだろう」

 「何故ですか? 事態は一刻を争うんですよ? 我々が手をこまねいている間に二人は……」

 「俺も、櫻井刑事官を探し出したいのは山々だ。だが、二人の逃亡先を指定し、そこへ捜査に赴かせるためには、フロストムーン区の地理資料だけでは決定打に欠ける。その上、警察に無断で勝手な行動を取れば、俺達までもが命令違反……最悪、政府組織の捜査方針に逆らった国家反逆罪にまで発展しかねないぞ」


 やむを得ない療養の身にある浜本が、今も現場の司令塔である総長であれば、また状況は打開できたのかもしれない。

 そもそも、政府組織の権限で出された署本部の『警察官出動停止命令』さえなければ。

 ルーナ警察は、浜本達の掴んだ数少ない手がかりをもとに、現地区の警察官とも連携しながら、蛍の身の安全を確保し、尚且つ深月を捕縛できたのかもれない。

 しかし如何せん、ルーナシティ警察の中枢であるクレセントムーン区警察署本部は、凶悪殺人犯の深月を易々と逃がし、署内でも死者を出した責任問題も追及されている。

 署本部の権威と立場が危うい中、政府組織へ打診するのも非常に厳しいのが現状である。


 「そんな……! ようやく手がかりが掴めたというのに、ただ俺達はここで指をくわえて待っていろというんですかっ」


 悔しそうに肩を落として悪態を吐く神楽に、浜本もさすがに沈黙する他なかった。

 いくらここで不満を吐き散らし、己の非力さを怒り嘆いても、今の浜本達が蛍のためにできることは皆無だ。

 深月・斎賀の捕縛任務の全指揮権と実行を、政府組織直轄の秘密警察組織へ引き継がせる決定、そして共犯と思しき蛍への発砲許可が下った際……自暴自棄となっていた光が見せた表情は、今も浜本の目に焼き付いて離れない。


 『蛍――……』


 ただ一度だけ、消え入りそうな声で呟いた後、氷像さながら凍りついた光の顔に波及していった、激しい動揺と……絶望――。

 医療寝台の上で深くうなだれている浜本は、思わず鮮血が滲み出るほどに己の唇を噛んだ。

 一方神楽も同じ心境にあるのか、自分の腰かけていた丸椅子を白い壁に向かって蹴飛ばしてから舌打ちした。


 ふざけるな――何が“正義”だ。


 何が、高度ICT(情報通信技術)による監視警備と効率的通信による安全装置(セキュリティ)機能、とそれが体現する“完全無欠の平和”だ。


 どれほど優れた機械技術にも完璧は存在せず、所詮まやかしではないか。

 むしろ、壊れてしまえば鉄の張りぼて(ガラクタ)か、むしろ()()()のようではないか。


 否、何よりもガラクタ(無能)なのは……俺達、人間だ。


 俺達が知らぬ間に日頃から依存し切っている高度なICTや機械が、現にこうして機能停止してしまえば、手も足も出ない。

 逃亡犯を逮捕する足となる警察車を自力で運転することすらできない、警察としても無能な存在だ。

 万策尽きた、と行き場のない焦燥と苛立ちを燃やし、己の無力さをひたすら呪う浜本と神楽の間を、絶望の空気が呑み込んだ矢先――。


 「……はい。神楽ですが」


 突如、神楽の警察端末から鳴り響いた受信音によって、絶望の沈黙は崩された。

 神楽は、苛立ちのあまり力加減を損なってしまいそうな握力で警察端末を浜本から奪い返した。


 「一体何……はぁ!? 何だって、そんな」


 露骨に不機嫌そうな声色で通信に応じた神楽に対し、通信相手は恐怖を精一杯堪えた調子で要件を述べてきたようだ。

 相手の必死な報告を耳にした途端、自暴自棄と苛立ちから一転し、神楽は素っ頓狂な声を壮大に漏らした。


 「おい、一体何があったんだ? 神楽」

 「どうしたも、こうしたも、ありませんよ! あの人が……!」


 神楽の異変に気付いた浜本も、慌てて状況の説明を求めた。すると、神楽は大きな動揺と焦り、しかしそれ以上に強い呆れと苛立ちを燃やした声で簡潔に告げた。


 「()()()()()()()()()()()()って――!」


 *


 十二月二十三日、午前四時半頃。

 生命の眠る冬闇と静寂に覆われた雹炎町のとある無人の港にて。

 蛍と深月は、片手に握った小さなランタン(油灯)、と遠くで静かに旋回する灯台の光線を頼りに、薄暗い雪道を慎重に駆けていく。

 油灯に照り輝く淡雪は、二人を祝福するように美しく闇宙を舞う。

 寒色の外套や絹糸帽、長靴等の防寒着を全身に纏っているとはいえ、冬夜を満たす絶凍の大気はかなり堪える。

 指先から心臓まで凍てつきそうな極寒と静寂の闇を無言で突き抜けると、やがて二人は埠頭(ふとう)へ辿り着いた。

 雪化粧の施された地面を一度踏みしめてから、二人の足が止まった。


 「さあ、ようやく着いたよ、蛍。見てごらん、あそこから僕達は新たに旅立つ」

 「……あの海を渡った、遥か先へ?」


 深月の指さす埠頭の真横には、一隻の小型船舶(クルーザー)がそよいでいる。

 長く過酷な氷海原(ひょううなばら)への出航のために整備されたクルーザーこそは、蛍の予想と的中した現実を象徴する。


 「そうだよ。ここではない。もう誰にも邪魔されない、()()()()()()()へ――」


 ああ、やっぱり義兄さんは、“このため”にわざわざ。

 ルーナシティ最北の地を遥々訪れた深月義兄さんは、私達の生まれ育った場所――胸が張り裂けそうなほどおぞましく、けれど美しく甘い思い出の眠る故郷(ルーナシティ)を、未練ごと捨て去るつもりだ。

 蛍は心の何処かで既に気付いていた。

 暫くの間は雪闇の静寂と郷愁へ融け込んでいた蛍の瞳は、ついに動揺に見開いた。

 しかし、薄氷のような瞳が目の先で揺らめくクルーザーを映したのも束の間。

 代わりに、クルーザーとは正反対の方向――丁度、己の真後ろを迷いもなく振り返った。


 「――そろそろ、出てきてはいかがですか?」


 淡雪に光る冬闇の静寂に、氷のように澄んだ声が冷凛と響いた。


 「……――」

 「そこにいるのでしょう? ()()


 蛍の視線が一心に注ぐのは、彼女と深月の斜め後ろに立ち並ぶ紺色の巨大コンテナ。

 雪化粧を施されたコンテナの物陰に息を潜ませていた“ある人物”は、蛍の呼びかけに応じるように姿を現した。

 降り積もった雪を踏み越える柔らかな足音を奏でながら、こちらへ悠然と歩み寄る人物。

 残り二メートル程の距離まで近づいた所で、相手の素顔はランタンの淡い灯で薄らと捉えられた。


 「いつ頃から、気付いていました? ()()――」


 蛍にとっても馴染み深く若々しい顔立ちには、記憶に鮮明な鷹揚さも優しさも、不一切消えていた。


 「臨時の長期休暇を得たあなたが本部を出て、クレセントムーン区から離れた日の深夜、深月義兄さんによる脱獄殺人事件の記録を確認した時からです」

 「なるほど……さては、蛍君。私の経歴を見つけてしまったのですね?」

 「見ましたよ。()()()()()()兼、元陸軍所属……()()()()()()()――」


 蛍の目の前に現れたのは、ルーナ警察病院に所属する精神科医兼心理療法士(セラピスト)――内村先生だった。


 「まさか、それだけの情報で疑われるとは思いませんでしたよ」


 内村先生の纏っていた菩薩さながらの寛容な雰囲気(オーラ)も、前期高齢者には到底見えない若々しい顔貌も、鷹揚な微笑みも、既に消えていた。

 代わりに、凍てついた花のように柔らかくも、どこか底冷えする薄ら笑いが咲いている。

 目の前の先生が纏う雰囲気も、細められた瞳に凍る光の冷たさも、どことなく隣の義兄を彷彿させる。


 ()()()()()()()()――。

 穏やかに微笑んではいるが、内村先生の瞳は感情すらどこまでも凍りついた……まごうことなく、“人殺し”の瞳だ。

 蛍自身も例に漏れず、心に傷を抱える幾人もの患者を慰めてきた先生の慈悲深さも人格者的人間像も、たった今音を奏でて崩壊していく。

 深月と似た冷徹な微笑みで静謐に佇む先生を前に、蛍は内心気圧されながらも言葉を続けた。


 「厳重な監視下の独房に囚われた深月義兄さんを覚醒させたのは……あなたですね? 内村先生」

 「何故、そう思うのですか?」


 蛍の率直な推測に、内村先生は怪訝そうに首を傾げて見せる。

 しかし、相変わらず表情は氷のように冷え渡り、眉一つすら動かない。


 「十二月十九日、午前十一時半頃の義兄さんの定期診察記録。担当した警察医の欄には、内村先生の名前が記載されていました。先生が訪れるまでの間、義兄さんは麻酔針銃の効果で昏迷状態にあり、手足と全身を寝台に拘束された状態で横たわっていました。犯罪者を身体拘束する場合、エコノミー症候群等の血流障害の事故防止のために、警察医は定期的に拘束具を一度外し、血行回復マッサージも施します。診察とマッサージを装って、先生は密かに麻酔の解毒薬を深月義兄さんに打った……そうでしょう?」


 「なるほど。ですが、麻酔の影響で意識を失った患者を、しかも看守や医療PCのモニターを欺きながら覚醒させるというのは、さすがに凄腕の医師でも難しくありませんか?」

 「ええ、ほぼ不可能でしょうね……()()()()()であれば、ね。ですが、内村軍医大佐」


 蛍は、外套の懐に忍ばせていた一つの“黒い携帯端末”を取り出した。

 逃走中の連絡手段として深月から事前に渡された端末を起動させると、立体映像(ホログラム)が雪闇に照射される。

 立体映像に表示されたのは、薄茶色にくすんだ紙の記録資料の“写真記録”。

 現代では希少とされる紙媒体の資料画像に映っているのは、内村先生の古い経歴――。

 現在の警察署内の電子情報保管庫には既に記載されていない過去の記録。

 医療経歴と医療資格の欄には、元々麻酔外科の専門医療免許を持つ軍医として、戦場へ赴いていた頃の内村先生の華々しい功績が記載されている。


 「かつて、あなたは麻酔外科医の権威であり、高度な麻酔技術を駆使して『第三次世界大戦』の戦傷者を治療し、『()()()()()の研究開発」にも携わっていたそうですね?」


 第三次世界大戦を生き延びた麻酔外科医としての功績を証明する文字を、蛍が指さしで強調する。

 途端、氷のように動じなかった内村先生の双眸は、一瞬だが微かに震えた。

 それでも内村先生は、感情の読めない冷えた眼差しのまま、やはり淡々とした声色で答える。


 「昔の話です。知っての通り、今は大人しく引退して、一般精神科領域に勤めています。ここ三十年以上は、麻酔薬に触れてすらいません。それと蛍君。看守の目はともかく、さすがに医療PCを欺くことまでは、さすがに難しいかと。人間と違い、()()()()()()()()()()ので」

 「……その通りですね」

 「投獄されている犯罪者の意識が戻れば、脳波と心拍数の変化は自動的に医療PCの電子情報として表示されます。深月君の逃亡幇助容疑をかけられている三島警察医が共犯であれば、話は別かもしれませんが」

 「あぁ……すみません。もう一つだけ、伝え忘れていたことがありました、内村先生」

 「何でしょう」

 

 もったいぶった口調で話しながら、黒の携帯端末を操作する蛍に、内村先生は純粋な疑問を浮かべた。

 黒い端末から投映された画面へ新たに表示されたのは三十年前――第三次世界大戦の只中の日付を記した古い記録資料。

 資料の右上には、今よりも幾分あどけない顔立ちに軍服を纏った青年……若き日の内村先生の顔写真が載っている。

 紙媒体の記録が大半だった三十年以上前の資料は、ほぼ保存期限切れで既に廃棄されているものだ。

 しかし、第三次世界大戦の終末から直後に発展したICT革命――紙媒体資料の作成と保存、廃棄処分等に伴う負担を失くしていく動きは急速に進んだ。

 膨大な数の重要記録資料は、紙媒体から電子記録へ移行し、コンピューターによる高性能検索システムやAI等も発達した。

 内村先生の軍人時代の経歴と所属の項目を蛍が指さすと、彼女の隣で静かに佇んでいた深月の表情にすら波紋が生じた。


 「警察署のコンピューターシステムへの不正アクセス、変則型ウィルスによるサイバー攻撃。それによって、医療PCのデータ捏造……深月義兄さんとの関与を匂わせる偽のデータを三島警察医のPCへ移すことによる容疑の仕立て上げ……」

 「蛍……君は……」

 「それだけじゃない……猟奇殺人事件後、厳重な監視下に置かれた石井被疑者を逃がしたこと……エクリプス区での通信システムの異常……さらにはE・Cによる爆破立てこもり時刻に、三区の通信・監視警備・基盤《(インフラの)機能《(システム)》障害……これら正体不明の不測の危機へ我々を陥れたのは、全て()()()()()()ですね? 内村先生」

 「何を根拠に、そう考えるのです?」


 今度は冷然と斬り捨てるような声が、蛍の鼓膜を貫こうとする。

 それでも、内村先生の無感情な瞳には、怒りや焦りといった感情は未だ映っていない。深月とひどく重なる感情の冷めた――透明感を帯びた先生の眼差しに、蛍は底知れぬ不安を感じながらも、言葉を止めることはなかった。



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