其ノ二十一『薄氷の下に葬ったもの』①
十二月二十二日、午前十時頃のルーナ警察病院にて。
「それで、聞いてくださいよ。あのクソちび上司は……」
「神楽刑事官」
療養入院中の浜本刑事官、突如捜索打ち切りを命じられて渋々戻ってきた神楽刑事官の二人は、互いの疑問点や不満事を共有していた。
神楽に至っては、厚かましくも見舞い品の焼き菓子を勝手に開封しながら、新長の寺田刑事官や現場での愚痴をぶつくさと零す。
一方浜本は、神楽の無礼な態度をさりげなく諌めつつも、珍しく適当に相槌を打って愚痴に付き合っていた。
「それはそうと、さっきから警察端末で何を見ているんですか?浜本先輩」
神楽は、愚痴を存分に吐いて気が済んだか否か。
浜本の医療寝台の真上に投映された警察端末の画面へ興味を示した。
相変わらず軽口の絶えない奴だ。
浜本は、神楽の自由闊達で時に不躾な態度へ内心苦言する。
しかし、今回ばかりは神楽の仕事スイッチが入るまで、根気よく耳を傾けた甲斐がある、浜本は頷きながら本題へ入る。
「お前から借りた警察端末の資料、と情報分析部へ依頼した“ある事件”の記録だ」
途端、鬼の首を取ったような笑みを浮かべた神楽。
「……へえ、お言葉ですがぁ、浜本先輩って案外おせっかい「何だ?」
「……申し訳ありませんでした」
浜本は伊達眼鏡越しに神楽を睥睨すると、ピシャリッと間髪入れずに諌めた。
にしても、何故ここで突如敬語になるのか。
どことなく聞き捨てならない単語を耳にした気はしたが、話が進まないため浜本はあえて流した。
「特に深い意味はない。ただ、入院生活で手持ち分沙汰だからな。それだけだ」
理知的な音色はそのまま、浜本は事もなげに答える。
しかし、警察端末に表示された電子資料の内容、鍵となる人物名の羅列は、今の浜本の心境を暗示しているに等しい。
神楽は浜本に悟られないように、やれやれと肩を竦めた。
浜本という人間は、感情や思い込みで突っ走る言動を好まず、規律や論理を重んじる堅物な性格だ。
それ故か、上司としての浜本へ反感を抱く同僚は、老若男女問わず少なくはない。
しかし裏を返せば、誰にも分け隔てなく毅然と接しする浜本は、地位や肩書きで相手を見下したり、媚びを売ったりすることをしない。
光とはまた異なる性質の真面目で誠実な人間とも言える。
神楽の警察端末に映っているのは、“指名手配中の深月と蛍”に関する近況報告書。
浜本は、警察署本部と政府組織からの不合理な命令に大人しく従っていながらも、結局内心では蛍を未だに仲間だと信じて安否を気にかけているのは分かっている。
本来は神楽にとって、浜本も苦手な部類に入るのだが、不思議と憎めなかった。
一方、そんな神楽の心境も露知らず、浜本は己の所感を淡々と告げた。
「お前の資料へ一通り目を通させてもらったが、一つだけ気になった点がある」
焼き菓子を頬張って含み笑いを隠す神楽へ、浜本は立体映像画面を注視するよう目配せした。
神楽の双眸に写り込んだのは、蛍と深月の目撃情報を含む『特別列車ウィンタームーン号爆破事件』の報告書。
報告責任者の所属先の欄には、『凶悪犯罪対策部隊』と記載されている。
報告書によると、以下の通りだ。
一般市民に扮して当列車に乗車していた指名手配犯二名の捕縛を試みた際、両者共に明確な“抵抗”の意思を示した事。
特別列車を停止させた爆発らしき物体の正体は、二人が隠し持っていた煙玉であり、列車自体の損傷や他の乗客への被害はない。
煙幕に反応した安全装置の起動によって列車が急停止した隙に、二人は共に下車して現在も逃亡中。
二人は列車が停止した地点から近辺へ逃走したという線に基づき、対策部隊は二人を引き続き捜索中――という内容で報告書は締めくくられている。
浜本に促された報告書の内容は、神楽自身も一応確認済みである。
「これの、どこが気になったというのですか」
怪訝そうな表情の神楽は率直に問う。
すると、浜本は勤務時にも見せる至極真剣な眼差しで、神楽の顔と画面の資料を射抜きながら口を開いた。
「逃走中の二人が乗っていたのは、旧時代式の性能で動く特別列車・ウィンタームーン号だ。神楽刑事官。もし、お前があの二人の立場になったとすれば、この列車でどこへ逃げるのが最適だと考える?」
「はあ? 何でそんな「いいから答えろ」
「えっと……そりゃ、とにかく遠くへ逃げますよ。警察本部のあるクレセントムーン区から、なるべく離れた所へ。追手から少しでも離れるために」
「その通りだ。第二ICT化都市として発展したルーナシティに残存する稀少な旧時代型の性能と歴史を誇る気動列車――ウィンタームーン号の終点は、ルーナシティ最北の極寒地・フロストムーン区であることは、知っているか?」
浜本は神妙な面持ちのまま、画面に表示したウィンタームーン号の線路図、とそれを重ねたルーナシティ全域地図の最北地点を指さす。
浜本にしてはもったいぶった物言いに、神楽はますます首を傾げながら率直な意見を述べていく。
「そりゃ、名前だけは知ってますけど。何しろ、フロストムーン区はめちゃ寒すぎて、一般性能のAI機械は瞬く間に凍るって」
「ああ。だが問題は、ここからだ。フロストムーン区は、確かに警察官と人口、高度な技術が密集する中枢都市部クレセントムーン区から最も遠く離れた地だ。それ故に、最新の機械技術は当然、住民の意識においても、あの区の防犯体制は非常に脆弱だ。つまり、逃走中の指名手配犯が姿をくらますには、最も好都合で最適な場所だ」
「なるほどね。とは言っても、あの巨大な政府組織に目を付けられているあの二人にとって、どこへ逃げても結局同じじゃないですか?」
「確かに、な。特別列車に乗る駅の改札ゲートで通したIDカードは恐らく偽装、もしくは他人から盗んだものを不正利用したのだろうが……警察と政府組織には、二人の顔も身元も筒抜けである以上、二人がいつまでも逃げ隠れできるとは到底思えない」
「はは、確かにその通り……! いや……案外、あるのかもしれません、浜本先輩」
逃走中の蛍と深月の行き先に関する憶測を、浜本が神楽と共に整理していく。
共同作業の過程の最中、今度は神楽へ天啓という閃きが下りたようだ。
最初は気怠げな態度を覗かせていた神楽の口から出た意外な返事に、浜本は神楽に問い迫った。
神楽は数秒ほど逡巡してから、おずおずと自身の想像を言葉にした。
「ちょっと非現実的かもしれませんが……いっそのこと、ルーナシティから脱出さえすれば逃げ切れる――俺が二人ならそう思うんじゃないですかね」
完全無欠の監視警備都市・ルーナシティの領域の外へ出る――神楽の口から出た奇想天外な発想に、案の定浜本は唖然と目を見開く。
「ルーナシティから出るだと? ルーナシティ内の区域間、他所のシティを隔てる 『境界』には、より厳重で高度な監視警備機能が搭載された門が設置されている。不審な二人組が許可証もなく通過すれば、即座に身柄を拘束されてしまうだろう」
「いえ、浜本先輩……俺達の読み通り、もしも二人がフロストムーン区を目指しているのならば、ルーナシティからの脱出に最適な道具があるじゃないですか。しかも、海の上にごろごろと大量に。かつ、誰かが使っていても、そんなに不審がられないものが」
「! まさか、二人は」
焼けたバターと蜂蜜の残滓が甘く香る神楽の指先が示すのは、フロストムーン区の海沿いを描いた地図。
神楽の指と言葉の意味を理解した瞬間、浜本は確信に双眸を振戦させた。
蛍と深月は海沿いの最北地・フロストムーン区を目指していると仮定した場合――共に逃亡した二人の目的、その達成に必要不可欠なものは何かを悟った。
蛍は、深月の後を追って警察から背を向けた裏切り者として、政府組織いわば国家そのものに敵視される存在となった。
蛍の置かれた状況、二人の狙いは、浜本達の想像以上により深刻で重大だった。
全てを理解した途端、浜本達の背中にじわりと滲み溢れる冷や汗に溶けて、焦りと寒気が二人の心を侵蝕し始めた。
*
「ごちそうさま。とても、美味しかったよ」
十二月二十二日、午後十二時ニ十分時頃、フロストムーン区・雹炎町にて。
清浄な青灰色に染まった冬海の港から、ほんの少し離れた山の麓にある住宅街。
雪色の一軒家の立ち並ぶ一角に、蛍と深月は身を隠していた。
「冷凍パイシートに材料を入れて焼いただけよ」
朝吹雪が止んだ頃合いを図って山荘を後にした二人。
小さな区内に残遺する古びた駅に停まった旧時代式の電車で約二時間かけて、ようやく雹炎町に到着した。
今日の隠れ拠点として利用しているこの家も、どうやら深月が金持ちから予め買い取った別荘らしい。
人の住む気配を醸し出すわけにはいかないため、室内の灯の代わりに窓の死角に置いた蝋燭の火を光源にしていた。
厚手の布かけの隙間から差し込む淡い日差し、と蝋燭の炎のみに照らされた薄闇の食卓で昼食を済ませた所だ。
「いや、君の作るパイと食材の味付けは、昔から本当に美味しいよ。数年ぶりに食べられたことが、何よりも嬉しい」
昼間に不相応な部屋の薄暗さを除けば、本当に何もかもが懐かしい――蛍は表情には出さずに感傷に浸った。
外で舞い降る雪と同化した白い質素な隠れ家の中を観察している内に、蛍はあること気付いた。
この隠れ家の内装から構造、家具の種類と位置までもが――全てではないが、フルムーン区にある二人の実家の内装を、そのまま再現しているようだった。
緊迫した状況下にも関わらず、この隠れ家で蛍の昔馴染みの手料理を食し、昔と同じ穏やかな微笑みを咲かせながら、緩やかな会話を交わす深月。
懐かしくて、昔は当たり前だった光景に、蛍は過去を白昼夢で眺めているような錯覚に陥りそうだ。
特別列車でさりげなく語られた、幼き日の懐かしい“夢”。
山荘の暖炉前で共に穏やかな微睡みに憩った雪夜。
実家と酷似した二人ぼっちの空間で過ごす静謐で平穏な一時。
まるで、これまでの事件は、全て悪い夢に過ぎなかった、と囁かれているようで。
もしかすると、深月兄さんはただ純粋に、二人の思い出と未踏の地を味わう楽しみを共有するためだけに、私をここまで連れてきたのでは。
自嘲したくなるほど滑稽な発想に苦笑が零れそうになる。
「ねえ、深月兄さん。ここを出た後、今度はどこへ行くの?」
「そうだな……ここを出るのは、準備が整い次第……明日の早朝頃になるかな」
「そう……やっぱり、今度は私達にとっても、未知でより過酷な長旅となるのね?」
しかし、そんなささやかで当たり前の幸せすら今となってはもはや、罪深き自分達には決して許されない。
「――その口ぶりでは、どうやら蛍は薄々気付いているようだね」
「……ええ。何故なら、雹炎町へ案内された瞬間から、もしかしたらって思ったの」
現在地である雹炎町は、フロストムーン区の海沿いに位置する有名な開港町の一つ。
高級住宅と別荘の並ぶ山の麓を下って、やや離れた先に位置する港海岸では、旧時代式の漁業と貿易がこの区域の伝統として盛んだ。
外国の漁師や貿易派遣員等を乗せた船の出入りや商業取引も頻繁に交わされる。
さらに真冬に入ると、雹炎町の海の一部が氷結することでも有名である。
年末から年明け辺りの時期には、白雪と水晶さながらの“氷原”が海面を覆い尽くす現象も稀に生じるのだとか。
冬の暁に彩られた氷海の幻想的な美しさは、自然型世界遺産にも登録された観光名所として、外国人客に絶大の人気を誇る。
古き文明と謳われる豊かな冬の自然を氷結保存させた麗しき田舎、というのがフロストムーン区の謳い文句らしい。
「極寒の地と謳われるフロストムーン区には、クレセントムーン区等の中枢区域で使用される高度なAI機械や監視警備機器の類が、まさかここまでほとんど導入されていないとは思わなかった」
「そうだね。日昇国の予算と財源、技術者不足の影響を鑑みれば、人口の最も密集する中枢区とその周辺ですら、ICT化都市計画が中途半端に進んだまま停滞するのも頷ける。ましてや、最北の田舎町であるフロストムーン区には、高度な監視警備機能はほぼ搭載されていない。旧時代に使用された寒冷地仕様の防犯映像機が、せいぜい関の山」
一般の防犯映像機すら即座に凍らせる極寒地である故に、フロストムーン区も高額な寒冷地仕様のわずかな監視警備機器、住民の個人情報を登録した公共機関の改札口とIDカード登録による把握が関の山だ。
超監視警備都市に幽閉された逃亡犯にとって、これほど都合の良い地区は他にないだろう。
「情けないことに、寒冷地仕様は設備や費用も高くつくから、設置数もわずかなのね」
「ああ。この地区は、高度なAI機器の合金体を数分で凍らせ、機能停止させるほどの凄まじい冷気に満ちている。極寒環境への耐久性にも優れ、尚且つ高度で精密な性能を維持できる機械や監視警備機能は、今の日昇国の技術では実現しきれていないそうだ」
「ええ。だからこそ、深月兄さんはフロストムーン区にある雹炎町を、『終着点』として選んだのね?」
二人にとって最初で最後の地となるフロストムーン区の歴史と成り立ちについて語り合う中、蛍は一つの仮説が確信へと変わった事に気付いた。
一つの確信的な答えを得た蛍の表情の機微に気付いた深月は、悠然とした微笑みを湛えたまま指摘した。
「もしかして、哀しいのかい……? 蛍」
「いいえ。ただその……名残惜しい、っていう気持ちに近いのかしら」
たった今自分は、そんなに哀しそうな表情を浮かべていたのだろうか。
この地を訪れてから深月に指摘されるまでは自覚していなかった、“未練”という名の寂しさを実感し、蛍は胸がちくりと痛んだ。
「当然、だろうね。ルーナシティもこの国も、一応君にとっては生まれ育った大切な故郷なのだからね。僕も、名残惜しくないと言えば嘘になる。特にフルムーン区のあの家は、昔蛍と共に過ごした大切な思い出から、僕の空虚な心を豊かに導いてくれた者達の人生と物語を遺した本に満ちているのだから」
一方、自分達がこれから為そうとする罪、そのためにかなぐり捨てていくもの。
至極穏やかな微笑みを唇に描きながら、消え入りそうな声で呟く深月。
双眸を静かに閉じている深月の表情に、蛍は兄も自分と同じ名残惜しさを少しは感じているのだろうか、と感慨深かった。
安らかな微笑みを咲かせながらも静かに瞳を閉じたままの義兄に、蛍の胸はどことなく切ない悲哀で疼いた。
罪の烙印を押されても尚、微笑みを絶やさない孤独な聖人さながらの姿だ。
「深月兄さん。一つだけ、お願いしてもいいかしら?」
「君が望むことは、何でも」
行動を再び共にしてから初めて浮かべた、蛍の寂しそうな少女らしい表情。
そして、幼き日のようにささやかで初々しい頼みごとに、深月は懐かしさに彩られた炎が胸に灯るのを感じた。
他方、二人がこれから歩もうとする未来への不安を振り払うように、数年越しの最後となるのかもしれない願いごとを、蛍は意を決して告げた。
瞬間、蛍の唇から零れた意外な頼み事に、深月は軽く目を見開き、それから慈愛に満ちた微笑みを柔らかく咲かせた。
今まで肌身離さず持ち歩いていた宝物を胸に抱いたままの蛍が、深月に優しく手を引かれて向かったのは――泣きたくなるほどの懐かしさを再現した“とある部屋”であった。
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