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『ブリュンヒルドの心葬』  作者: 水澄
第3章『氷雪の暁』(終)
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其ノ二十『氷雪回帰』①

 十二月二十一日、午後五時頃。

 瞳に映る全てが無垢な白雪へ染まったフロストムーン区内の丘陵地(きゅうりょうち)にて。

 薄い冬闇へ融け込むように佇む一軒のコテージ(賃貸別荘)室内には、一組の男女が身を潜めている。

 赤褐色の煉瓦暖炉で揺らめく炎は、毛布一枚で身を寄せ合う二人を温めていく。

 (オレンジ)色の炎に照らされる互いの表情は、心なしか安堵にほころんで映った。

 先程まで、険しい雪道を無我夢中で駆け抜けていた二人の体は凍え切っていた。

 二人を温かくしているものは果たして、じんわりと伝わる暖炉のぬくもりだけのおかげか。

 ふと、冷え切った相手のぬくもりを求めた男の腕は、女の肩をさりげなく抱き寄せた。


 「蛍。寒いだろう」

 「大丈夫よ。それに、あまりくっつかれると、逆に冷たくて寒いわ」


 柔らかに微笑む深月とは対照的に、蛍は氷さながら冷ややかな声色で抵抗を示す。

 深月の肩を押して距離を取ろうとするが、普段のような力強さに欠ける。

 実際、深月を睨み上げる蛍の表情は、困った子どもさながら温かな切なさに滲んでいる。


 「もっと触れ合う方が、お互い直ぐに温まると思うが」


 本当に嫌であれば、深月を殴るなり蹴るなり全力で拒否することは可能だが、今の蛍はそうしない。

 その理由を薄々と知ったうえで、深月は蛍を抱く力を決して緩めなかった。

 指名手配犯としてルーナ警察に追われている深月と蛍は、特別列車からの途中下車を既に済ましていた。

 険しく凍える雪道を踏み越え、フロストムーン区の丘陵地で忽然と佇む無人コテージへ咄嗟(とっさ)に身を隠した。

 深月曰く、このコテージは既に持ち主に放棄されて一年以上経つ廃家らしい。

 しかし、淡い紅葉(メープル)色に艶めく台所に置いてある電気湯沸かし器(ポット)でから淹れた紅茶や、暖炉を灯すのに欠かせない燐寸(マッチ)(まき)から、干し肉までといい。

 人間が一晩明かすのに必要十分なものは、不自然なほど揃っている。

 雪道に迷うことなく妙に慣れた足取りでコテージへ到着したのも、暖を取って一晩明かせる調度品から一連の行動も、全て深月の仕込みらしい。

 室内も埃っぽさはなく、むしろ清潔なまでに掃除は行き届き、人の痕跡と生活の香りも残っている。この廃家の拠点も、恐らく深月が予め秘密裏に確保したに違いない、と推測できた。


 「あまり調子に乗ると、(はた)くから」


 暖炉の前で腰掛け、同じ毛布一枚で蛍とくるまっている深月に対して、彼女の双眸に氷の鋭さは再度灯る。

 ほぼゼロの距離をさらに縮めようとする深月へ、蛍は握り拳と睨みで牽制しようとする。

 不運か否か、一枚しかなかった毛布を二人で共用する羽目になったのも、蛍には精一杯の妥協案だ。


 「勇ましいな。僕を殴るなんて、昔の君なら到底考えられない」

 「ガサツになったって、言いたいの?」


 しかし都合の良い口実を述べ、悪巧みの子どもさながら無邪気な微笑みに、蛍は面映ゆさと同時に腹立たしさを覚えた。


 「いいや。勇ましい君も魅力的で、僕は好きだよ」

 「……ところで、そろそろ質問に答えてくれるの?」


 蛍が強気な態度に出ても尚、深月は微塵も臆さない。

 むしろ、蛍を微笑ましそうな眼差しで温和に見つめてくる。

 一方、不意打ちで紡がれたさりげない「好き」という言葉に、その瞬間に深月の瞳で灯る熱情。

 それらは、今の蛍にとっては言葉にするのも憚られるほどに、温かで甘い色相を孕んでいた。

 あの夜以来、揺らぎやすくなっている蛍の心とその深淵へ、深月は隙あれば手を伸ばそうとする。

 その度蛍は、内奥で燻る感情の灼炎、火傷さながらチリチリとした痛みといった煩わしい感情を鎮めようとした。

 その一手段として、蛍は重要な本題へ逸らそうとした。


 「僕に答えられることなら……何かな?」

 「あなたは、一体、()()()()()()()()――? 『政府機関』は、何を企んでいるの?」


 心の灼炎と疼きが和らいでいく中、それとは別の緊迫感と不安が再燃する。

 一方深月は、ただ張り付けたような微笑みと共に、冬の静寂に融け込むような沈黙に伏せる。

 蛍の漠然とした問いへの答えに困窮しているのか。もしくは。


 「深月兄さん、あなたが……日京の政府組織……そこに直属する謎の部隊の"標的"となっている理由に、心当たりはあるの?」


 沈黙と共に質問をやり過ごす方法を逡巡しているのか否か。

 目前の深月の思考を読み取るのは蛍ですら容易ではない。

 埒が明かない、と踏んだ蛍は遂に核心へ触れる明確な問いを突きつけた。


 「さすが蛍だ。あの急迫した状況下で、()()の姿と行動をしっかり観察し、仮説立てることができたわけか」


 深月は確信に満ちた含み笑いを浮かべていた。


 「彼らの装いは、明らかに一般乗客とかけ離れていたけれど……何より、恐ろしいほどにあの迅速な動きも戦闘能力も……私の知るルーナ警察の人間とは明らかに違った」


 昼明かりを塗り潰すような闇色の全身防護服(スーツ)

 黒く光る不吉な鉄の塊。

 予期せず、車両を襲った激しい揺れと白い爆煙……()()は、恐らく。

 白昼の特別列車内で遭遇した出来事の光景は、蛍の脳裏で蘇る。


 *


 フロストムーン区を目指す鉄道の中間地点となる駅にて。

 特別列車が一旦停止してから、再出発した直後の午後十二時三十一分頃。

 二人ぼっちの静寂の車両へ突如乗り込んできたのは、明らかに怪しい装いの二人組だった。

 車両に侵入した二人を、深月と蛍は窓硝子越しに一瞥した瞬間、蛍のみは息を呑んだ。

 感染防護服を彷彿させる全身漆黒の服装に、顔全体を覆い隠す黒いフィルム。

 異様な服装と雰囲気を纏った彼らは、巡回乗務員や警察官と明らかに一線を画していた。

 不審な二人を窓硝子越しに観察していた蛍は、警戒心を抱かずにはいられなかった。

 一方、隣の深月からの目配せ、とそれの意味する指示を瞬時に察した蛍はとりあえず動かなかった。彼らは何者であれ、(さび)れた車両にいる自分達こそ、例の指名手配犯だとは一見では気付かないはずだ。

 それこそ、高性能の生体認証機に読み取り(スキャン)されない限り。

 しかし、一般客を装って他愛ない会話を交わす深月と蛍の座席へ、怪しい二人組は確実に歩み寄っていた。

 二人組が座席の真後ろ辺りまで接近した所で、蛍と深月はごく自然な時期(タイミング)で振り返ろうとした、瞬間。


 「え――」


 突如、肩を強く抱き寄せられた蛍の上肢は、座席下の床へ伏せる勢いで急降下した。

 予期せず襲ってきた衝撃と圧力に、蛍は双眸を愕然と見開く。

 蛍の全身を痺れさせるのは、急上昇した血液の熱感と心臓の音色、座席の頭上から漂う異臭、深月の力強いぬくもりと懐かしい香り、そして――。


 「……僕達に、何か御用ですか」

 「我々と一緒に来てもらおう――深月・斎賀。蛍・櫻井刑事官も一緒に、だ」

 「……!!」


 変装は筒抜けだと嘲笑うばかりに、二人組は深月と蛍を冷徹に名指した。

 さらに有無を言わさない口調で、二人へ同行を要求してきた。

 何故、()()がこんなところに。

 しかも、何故自分達の変装は見破られたのか。

 深月が蛍を庇うように片腕で強く抱き寄せながら対峙しているのは――二メートル程離れた所で、不気味に佇む二人組。

 決して有無を言わさぬ冷徹無比な声色から感じ取れるのは、幽静(ゆうせい)とした威圧感と明確な敵意。

 何よりも蛍を内心当惑させたのは、どこかで見覚えのある彼らの装い、と無慈悲に光る黒い鉄塊。

 一人の手には、座席から漂うのと同じ異臭を漂わせる一丁の拳銃(ハンドガン)

 もう一人の肩に担がれているのは、またしても記憶に新しい異臭を放つ"狙撃銃(ライフルガン)"。

 しかし、蛍をさらに混乱させたのは。


 「断る、と言ったら?」


 蛍を腕から離さないように身構える深月の冷然たる眼差しと声。

 奇襲を仕掛けた謎の二人組を映す冬空色の双眸は、今までにないほど険しい色相に揺らめく。

 相手の正体を知らない限り決して浮かべることのない、静かなる侮蔑と憎悪が確かに燃えていた。


 「ならば仕方がない……貴様には()()()()()()()――」


 深月の返答は予想通りなのか、一人は冷酷無比にそう吐き捨てると同時に、二丁の拳銃を片手ずつに構えた。

 しかし、無慈悲に向けられた銃口の焦点は、明らかに()()()へ当てられていた。

 困惑と動揺に瞳を見開く蛍の鼓膜を痺れさせるは、どこか非現実的であまりにも不吉な調べ。

 二人組から放たれた銃弾を前に、何故か唇を吊り上げた深月は前方へ駆けた。

 蛍を庇うように一歩前へ踏み出した深月を止める間もなく――特別列車を激震させた不穏な爆破音、車両に充満していく真紅の煙幕は、蛍達の体を包み込んだ。


 *


 「私達を襲った奴らの格好には、見覚えがある。……あれは」

 「あの夜、僕とB・B……否、黒沢君を封じた奴らの仲間……そう言いたいんだね?蛍」


 『凶悪犯罪対策班』――。

 激動の夜に赴いた満月図書館で、窮地に陥っていた蛍と光を救ってくれた謎の警察部隊。

 恐らくは、日昇国の先進的技術研究の末に開発され、彼らによって試行されている「対人麻酔針弾」の仕込まれた重厚な狙撃銃。

 素性や性別すら判別させないためか、全身と顔を覆う防護服さながらの黒づくめの装い。

 満月図書館で遭遇した対策部隊、と深月と蛍を襲撃した奴らの特徴、それらはほぼ合致している。


 「満月図書館であなたを捕らえた警察官は"凶悪犯罪対策部隊"と名乗っていた。けれどそれは、恐らく表向きの名前。本業は恐らく、警察署本部にすら存在を認識されていない、政府直轄の()()()()ね」


 神妙な面持ちで蛍は彼らに関する仮説を述べる。

 相変わらず深月は、掴み所のない微笑みを咲かせながら、蛍の話へ静かに耳を傾けている。

 言葉を選ばないならば、フルムーン区は明らかに田舎町であり、犯罪率はほぼゼロに近しい。

 平和で人手を必要としない区域の警察に、本部にすら認識されていない暗躍部隊が設置されている。

 しかも、国家機密相当の先進的技術で武装していること自体にも、蛍も違和感を覚えた。


 「図書館で遭遇した()()警察官達、そして特別列車で襲ってきた彼らには共通する目的があった。それは、深月兄さん――あなたの捕縛」

 「――」

 「しかも、列車で襲ってきた奴らは、標的(あなた)を捕らえるために、傍にいた私へ躊躇もなく発砲しようとした」


 政府組織直属の謎の警察部隊の正体と目的を蛍は推測する。

 一方、やはり深月は沈黙を貫いたまま。

 代わりに、否定とも肯定とも思しき曖昧な微笑みを浮かべる。

 いつ、どこから、どのような返答は、その内彼から零れるのか。

 雪霧さながら掴み所のない静謐な気配に、蛍は固唾を呑む。

 それでも蛍は、言葉の糸を引っ張って思考を丁寧に紡ぎ合わせる。

 そうして、深月からの言葉を手繰り寄せようと試みる。


 「政府組織は、凶悪犯罪対策部隊を使ってあなたを捕らようと躍起となるのには、必ず"理由"がある」


 政府組織――日昇国の内閣総理大臣と国会議員、各専門分野の省庁を統べる大臣で構成されたトップの集まりたる国家の中枢組織。

 本拠地は、首都の日京に設けられている。

 政府組織は、中枢区域たるルーナシティの通信・機能障害と深月による重大犯罪を理由に、大掛かりな輸送機の派遣手続きをしてまで、彼の身柄を引き渡すよう命じてきた異例。

 ほぼ完璧な偽装工作と変装をしていた深月と蛍の居処を、ルーナ警察よりもいち早く掴み、正体まで見破った奴らの看破力。

 何よりも、深月の捕縛の障害となる蛍の命を躊躇なく奪おうとした冷徹さ。

 恐らく、奴らの標的たる深月にとっても鍵となる人物(キーパーソン)であると同時に国家機密漏洩の脅威なる存在を排除する目的が奴らにあってこそ。

 それは――。


 「ねぇ、深月兄さん。あなたは、この国を揺るがすような何か……大きな"国家機密"に関与しているのではなくて?」


 今まで隠匿されてきた核心を突く蛍の推理に、深月の唇は弧を描いた。

 悪戯を成功させた子どもさながらあどけない微笑みは、暗黙の肯定を示唆していた。

 緊迫の根が心臓を絡め侵すような感覚に襲われる中、蛍は瞳で深月を真っ直ぐ射抜く。

 柔和な笑みを描く、花びらのように淡く美しい唇から、今度こそ真実が紡がれると期待して。


 *


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