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『ブリュンヒルドの心葬』  作者: 水澄
第3章『氷雪の暁』(終)
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其ノ十九『雪影を掴むがごとく』①

 十二月二十一日。

 深月・斎賀――警察関係者四名を殺害後、厳重な監視下にあったはずの拘留所から脱獄。

 そして、事件の"最重要参考人"と見なされていた『蛍・櫻井』――()()


 ルーナ警察署本部は、双方二名を同時に()()()()せよ、と発令した。

 大事件の黒幕である深月とは唯一の身内であり、同時に標的として庇護対象とも言えた蛍。

 しかし、義妹の蛍は自ら義兄の深月と一緒に遠くへ逃げたのではないか。

 蛍と深月の「()()()()()」が署内で流布した。


 「指名手配だと? ふざけている」


 蛍を信頼している浜本や後輩の神楽、一部の刑事官も命令の趣旨には異議を唱えた。

 何故なら、警察側は蛍が深月に攫われた可能性を最初から排除し、疑いかかっているのだ。

 失踪した二人を探すことには変わりないが、「救出」か「指名手配」では意味合いはまったく異なる。

 とはいえ、E・C事件前から既に蛍へ向けられていた疑惑を鑑みれば、あながち見当違いとは断定できない。

 現に蛍は、深月の後を追うような時期(タイミング)で行方をくらました。

 双方が互いの逃亡へ一切関与()()()()()証拠もない。

 まさに、"やっていない事"は決して分からない――悪魔の証明だ。


 「浜本刑事官。俺、ほんとに納得いかないっすよ」


 早速、「指名手配犯捜索」の出動を始める神楽は、浜本の病室で愚痴を零す。

 駄々をこねる子どもさながら唇を尖らせる神楽に、浜本は呆れた表情で溜息を吐きながらも付き合っていた。


 「お前の気持ちはよく分かる。俺も正直な所、署の見立と方針には反対だ。しかし……」


 櫻井刑事官は、「氷の戦女神」と謳われる冷凛とした佇まいに社会正義を貫く氷炎の心。

 才気溢れる能力を駆使して、ルーナシティと一般市民の安寧を守ってきた清廉潔白な姿勢。

 蛍の潔白を信じる仲間は口には出せないが、黙って消えてしまった蛍を案じている。

 神楽達も蛍を"犯罪者扱い"しなければならない現状へ自然と憂鬱に沈んでいた。


 「分かっています。自分の立場は(わきま)えているつもりです。"命令"、ですからね」


 神楽の言う通り"命令"である以上、指名手配を受けた蛍を発見次第、仲間は厳しい対応を取らざるを得ない。

 雪氷のように滑らかな美しき両腕へ手錠をかける。

 抵抗の意思を確認できれば、銃口を突き付けないといけない。


 「この怪我さえなければ……今も俺が総班長(リーダー)であれば、何か変わっていたのかもしれない……悪いな」


 浜本は負傷と療養に暫し時間を要するため、深月・斎賀を逮捕する目的の協働捜査班の指揮者から既に外された。

 不運と言うべきか、浜本に代わる総班長として新任されたのは、「寺田警察官」という難のある人物だ。

 寺田は"手っ取り早い被疑者"とそれらしい証拠確保のために強硬手段も厭わぬずさんさが目立つ。

 しかも、蛍を疫病神呼ばわりした小川刑事官とも懇意の仲らしい。

 詰まる所、寺田刑事官の強引で断定的な任務方針を前に、蛍を"犯罪者扱い"せずに擁護する刑事官の立場は厳しい。

 浜本の抜けた緊急会議において、早速寺田は小川達警察官と無念に散った仲間への"弔い合戦"だ、と部下達を鼓舞した。

 深月と蛍を目の敵にする勢いで、多数の部下班員が二人の「共謀説」を断定的に支持している現状に、浜本や神楽も焦燥と危機感を覚えた。


 「浜本刑事官は何も悪くありません。名誉の負傷ってやつでしょう。どうか自分を責めないでください。新しい班長も小川と同じくらい嫌いっすけど」


 後輩の神楽以上に強い不満、否、責任という重圧と無力感に最も潰れてもおかしくないのは、浜本元・班長リーダーだ。

 普段からおどけた態度の神楽だが、察しの鋭さから浜本の重圧と葛藤を理解している。

 浜本の決死の機転と行動力は、人質の仲間を救出し、主犯格のフェンリルとE(アーストワイル)C(チルドレン)の逮捕へ繋がった、と高く評価された。

 反面、国立十三夜美術館は警察の注意と総力を集約するための囮作戦に嵌まった()()()()も指摘された。

 結果的には多くの警察官負傷を出したという大きな代償を伴った。

 さらに、一度逮捕した首謀者・深月の脱獄を許した本部の失態も起きた。

 故に浜本の失態部分と療養入院の必要性は、今後の協働捜査班の指揮とその資格の"失墜"、だと見なす者達もいる。

 小川や寺田のように、私利私欲で出世と足の引っ張り合いに躍起な者達は、浜本離脱の件を「いい気味」だと嗤ってすらいる。

 とはいえ、厚顔無恥な彼らの一挙一動を気にしてもキリはない。

 組織内の腐蝕や綻びによる任務支障を無視できるわけではないが、今の浜本の気にすべき事柄はもっと()()()()


 「おい、いつまでも呆けている? ()()()()()


 神楽に車椅子を押された浜本は、光の病室を訪れていた。

 今日で包帯から解放された光の顔面や口元には、淡い赤紫色の痣が残浮している。

 しかし、浜本達の目を引いたのは、治りかけの傷跡よりも昼明かりに晒された暗い表情と眼差しだ。


 「……浜本刑事官……何か、用ですか」


 己の瞳に映る全てへ失望し、一切興味の失せた虚ろな雰囲気。

 入院以来、順調に回復中の身体に反して憔悴しきった光の状態を、浜本も神楽も案じている。


 「藤堂……いつからお前は、そんな"腑抜け者"になった? 櫻井刑事官の件は、お前の耳にも既に入り済みだろう?」


 浜本の口から真っ先に零れたのは、冷静な叱咤激励だった。

 "こんな状態"の()()については、神楽の伝言や噂を通じて浜本の耳にも入っていた。

 最も信頼を寄せていた親友・黒沢刑事官の"洗脳による裏切り"。

 櫻井刑事官が深月へ見せた"迷い"とその理由に関する邪推。

 親しい二人の件は、光の精神へ大きな打撃を与えたのは無理もない。しかし。


 「お前は、本当にこのままでいいのか?」


 浜本の瞳に映る光こそ、"不屈の正義"を燃やす善き部下・後輩警察官だ。

 今回の件に限らず、今までも幾多の失態や反省、唇を噛むほどの悔しさや落ち込みを味わいながらも乗り越えてきた。

 あらゆる無念も失態も、収穫も、次への成功に活かして、より多数を救うために。

 しかし、今目の前の光には彼らしい不撓不屈の警察官としての姿は見る影もない。


 「知ってますよ。蛍が、()()()と一緒に逃げた事も」

 「貴様! 本気でそう考えているのか! 櫻井が俺達を裏切って、深月・斎賀と"逃亡"したなんて」


 蛍に関する現状と"疑惑"の件を報告しても、光は冷淡な反応で目を合わせようともしない。

 以前なら、勤務中も構わず蛍を常に気にかけていた光の言動からは信じられない。

 光の変貌ぶりには、浜本と神楽も戸惑いを隠せない。

 蛍と光、そして深月・斎賀三名の間に"何があったのか"。

 そこらの複雑な経緯や事情までは詳しく知らされていない。

 ただ、失踪騒動前に病室の外で偶然耳にしてしまった蛍と光の(いさか)いの内容から、浜本達は薄々察した。

 恋人関係にあった蛍と光の間には、修復し難い"亀裂"が生じた事。

 二人の決裂へ繋がった原因は、彼女の義理の兄でもある深月だという事くらいだ。


 「本当の理由は何にしても、蛍は黙って一人で消えた。あの男を追いかけて……それだけは揺るぎない事実。なら……答えは明白だろ」

 「しっかりするんだ……! 藤堂刑事官! 貴様は、それでも櫻井が最も信頼する相棒(パートナー)か!」

 「そ、そうっす。こんなの藤堂先輩らしくないっすよ」


 神楽から見た光は、普段からぶっきらぼうで寡黙だが、正義感の強く面倒見の良い先輩。

 浜本曰く、光は正義感故に融通が利かない所に幾度も眉をひそめたが、真面目で仕事熱心だとも聞かされた。

 勤務上、部下も上司も分け隔てなく合理的で厳しい意見を突きつける浜本ですら高く評価される先輩。

 神楽はそんな誠実で頼りになる光を素直に尊敬し、自然と懐いていた。

 だからこそ、誰よりも光を信頼してきた浜本達仲間の瞳には、今の悄然(しょうぜん)とした光はあまりに痛々しく、ただ黙認できなかった。


 「それに櫻井先輩は、あなたにとって大切な恋人でもあるのでは……」

 「浜本刑事官と神楽に、俺の気持ちが分かるんですかっ!?」


 今まで無気力に沈んでいた光の方が突如、浜本を上回る剣幕で声を荒げた。

 虚ろな雰囲気で漫然と過ごしていた光の口からほとばしった激情に、浜本達は息を呑んだ。

 二人の戸惑いの視線が堪えるのか、光は再び俯きながら言葉を続けた。


 「あの時、俺は思い知らされたんだよ。蛍の俺への想いも、共に過ごしてきた時間も、全ては、蛍の()だった……」

 「何を言っているんだ、藤堂」


 激情に燃える瞳に灯るのは、"裏切られた"悲哀や、己に対する"無力感"だ。

 光は蛍へ複雑な想い抱く一方で、深月を後一歩手前で逮捕し損ねたうえに、蛍を守り切れなかった悔恨もあるのだろう。


 「俺は所詮(しょせん)、蛍があの男を忘れるために偶々傍にいた"代わりの男"に過ぎなかった」

 「貴様、櫻井がそんな女だと本気で思っているのか!?」

 「そうですよ、藤堂先輩! 俺は深月・斎賀のことなんか知りません。でも僕から見ても、先輩二人は公私共に息の合った相棒でしたよ!?」


 光の渇いた唇から突いて出た衝撃の台詞に、浜本と神楽は内心愕然しながらも真っ先に反論した。


 「あの櫻井先輩も藤堂先輩と話す時だけは、あんな柔らかく笑うんだなぁって。彼女は藤堂先輩を心から信頼していて好きなんだって。"空気を読まない神楽(ぼく)にも伝わってきました!」

 「なのに、貴様が櫻井の想いを否定するなっ」

 「もう黙ってくださいよ……!!」


 浜本達の説得に対して、光は辟易した声色で一蹴した。

 光の気迫に圧された二人は思わず黙って息を呑んだ。

 声を荒げる事にすら息を切らした光は数秒の沈黙を経て、今度は静かに無念を吐露した。


 「ずっと蛍は彼女自身にも"嘘"をついていたんだ……蛍の本当の願いも、本当は誰を好きなのかも……結局俺は、何一つ分かっていなかった。だから()()()、蛍は"あの男"の腕の中で泣いて……"迷い"を見せた」


 虚無の彼方で漂流していた光の心は、完膚なきに打ちのめされていた。

 よりによって最も親しい友は、憎き敵へ心酔し、自分を殺そうとしていたという"最悪の裏切り"。

 初めて本気で愛して、守りたいと誓った恋人の本音が証明した"心の裏切り"。

 光自身にとって守りたかった大切な者達とは、そもそも()()()()()()()()()のではないか。

 圧倒的な敗北感と己の無力感も含めた残酷な現実は、光の心を惨めの底へ突き落とす。

 もはや、心身共に砕かれてしまった心には仲間の激励も、恋人と親友との思い出も何一つ響かない。


 「藤堂。我々に無断で行方をくらました櫻井の真意は、本人に直接確かめるまでは分からないだろう? 凶悪脱獄犯の身内であり、標的として最重要人物の櫻井は署内でも厳しい立場に置かれていた。なら、せめて、俺達だけでも櫻井を信じなくてどうする?」

 「そうですよ! 浜本先輩の言う通りです。きっと僕らにも何か出来る事は……」

 「あるわけないだろう。今の俺も浜本刑事官も、この体では何ができますか? 現場の神楽刑事官も"命令"となれば、否が応でも()()の身柄を捕縛しなければならない」


 冷静かつ的確な物言いに蛍への気遣いを込めた浜本と神楽の台詞すら、光は(もっと)もな言葉で一蹴した。

 光の言う通り、蛍のために自分達のできることは本当に何一つ残っていないのか。

 浜本と神楽までもが、己の無力感に唇を噛み、光と共に諦めの境地へ引き摺り込まれそうになった瞬間。


 「光・藤堂さん。()()()()の方がお見えになっています」


 時空間の凍結したように沈鬱な病室へ、一人の看護師は丁寧な声かけと共に入室した。

 担当看護師の予期せぬ知らせに、光だけでなく浜本と神楽も、戸惑いの表情を浮かべる。


 「面会? すみませんが今は……」

 「本部からの要請です」


 鬱屈とした心の中、当然光は他の誰かと顔を合わせる気になれなかった。

 しかし見舞いの警察官から畏まった口調で告げられた用件に、病室内の空気は引き締まった。

 ルーナ警察署本部の要請となれば、入院中でも光には拒否権はない。

 浜本の目配せを合図に光は内心渋々重い腰を上げた。


 一体、誰が……何のようで俺を呼び出した?


 光は有無を言う暇もなく、担当看護師と警察官の二名に付き添われて本部行きの廊下を歩かされる。

 本部が入院中の光へわざわざ招集をかけるのは、余程の重要な件もしくは重要人物と話す必要があるかだ。

 もしかしたら、容態の回復してきた光へ本格的な事情聴取をするつもりなのだろうか。

 光もまた蛍に次いで深月・斎賀と直接顔と拳を合わせた数少ない警察官。

 さらに蛍とは恋人として親密関係にあった光から彼女の詳細情報を聞き出すのは、失踪した時期(タイミング)を思えば合点が付く。

 ただし、生憎ながら面会理由はともかく、相手にはまったく心当たりがない。

 自分を待ち受ける未知の不安と緊張から、背中には懐かしさすら感じる冷たい汗に身震いした。

 実の所、光が現時点で把握している全ては、既に明かし尽くしたはずだというのに。

 不安や憂鬱、苛立ちばかり募るとはいえ、ここ暫くは虚無だった光の目付きに火の粉が灯る。

 酷凍(こくとう)の冬影から抜け切れない瞳の映そうとする未来は、さらなる絶望か、それとも――。


 *


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