『はじまり』
『はじまり』
十二月二十一日、午前五時半頃。朝と夜の境を彷徨う秋空の下。
或る地区の雑木林の朝闇に身を潜める一人の「男性」。
殺風景な雑木林で静かに咲く雪花と見間違えるような美しい白銀の髪が眩く。
消炭色の長外套の長い裾や、漆黒の長靴。
格調的な服装は、長身男性の細い線と競うような優雅さに映えた。
「――……」
冬を迎えようとする終秋の朝は、凍てつく大気に満ちている。
しかし、男性自身は寒さに堪えた素振りを見せない。
むしろ、清浄に冷え澄んだ空気に心地良さすら覚えながら、柔らかく微笑んでいる。
冷たい秋風の音色に白い息遣いにの奏でられる静寂の中――。
パキパキ、シャンシャンッ。
木枯らしを踏み越えていくもう一人の足音は響き渡る。
逸る感情を奏でる乾いた音色に、男性の笑みは薄っすらと深まった。
「君なら、必ずここへ来てくれると思ったよ」
樹々の間隙から息を切らして駆け馳せた存在を男性は視認する。
冬空色に澄んだ瞳に"慈愛"の陽を灯して。
一方、相手は余程急いで来たらしく、荒い呼吸を繰り返す。
艶やかな漆黒の髪も汗に濡れて、首筋と額にはりついている。
「……ずっと、ここで待っていたの?」
互いを暫し見つめてから、ようやく呼吸を落ち着かせた相手は言葉を紡いだ。
「いや……丁度ついさっき、この地点に辿り着いたばかりだよ」
「なら、私がもうすぐここに来ると、どうやって分かったの?」
親愛に満ちた男性の声色とは対照的に、相手女性は氷柱のように冷鋭な声と眼差しで問う。
「それは、僕と一緒に来てからの"お楽しみ"さ」
一方男性は、女性の冷淡な態度に臆すこともなく。
むしろ、あどけない眼差しで微笑みながらはぐらかした。
やはり掴み所のない笑みと台詞に、女性は不満を冷気と共に呑み込んだ。
「それで、これからどこへ行くの」
互いに交わすべき言葉は多い。
しかし、今は時間が一刻も惜しかった。
「まさに、今の君が想像している通りの場所さ」
男性は雑木林の道脇に停めていた黒曜色の自動二輪車の前に立った。
憂いに伏せた眼差しの女性は、男性のさりげない手招きに肩を竦める。
「やっぱり、間違いないのね。あの人が……一体、何故」
こちらへ差し伸べてきた手を取るのを躊躇して見せた女性は再び問う。
「そんな難しいことは、後で考えればいい。それよりも、今は……」
事情を察する者のみに通じる女性の質問へ、男性は曖昧な答えを返すのみ。
"知ってしまった真実"を平然と察している男性の反応に、女性の顔は動揺に曇る。
すると、女性の心に曇る苦悩も迷いも晴らしてやるとばかりに、男性は彼女に触れた。
外気で冷え切った女性の頬に添えられた白い手の感触に、女性はぴくりと震えた。
同じく外気に晒されていたはず手は、冬の日向さながらのぬくもりを与えてくれた。
不意に顔を上げると、そこには昔と変わらない柔和な微笑みが在る。
懐かしい微笑みとぬくもりに、やはり女性の胸は安堵に満たされる。
同時に締め付けられるような不安と痛みにも駆られながらも。
もう後戻りのできない道へ踏み出した事は、女性自身も承知していた。
「大丈夫だよ――僕達、二人だけならば」
不安げに揺れていた女性の瞳から迷いが消えた瞬間を確かめた男性は、満足そうに笑みを深める。
女性の頬から離れた白い手は、彼女の手をそっと繋いで歩み出す。
「さあ、一緒に行こうか、蛍――」
冬に命を燃やす徒花のように。
「……ええ、行きましょう……深月義兄さん――」
互いへの愛憎で互いの魂を灼き尽くした、ブリュンヒルドとシグルスの悲劇を反芻するように――。
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