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『ブリュンヒルドの心葬』  作者: 水澄
第2章『黒い蝶と雪の月』
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『幸福はあまりにも甘く残酷で』③

 「――そこまでだ」

 「……!?」


 突如、銃のように怜悧(れいり)で機械的な声は、絶望に凍てついた夜の空間を裂いた。

 愉悦に浸っていた双眸を驚愕に見開いた深月、と息を呑むB・B。


 「か――っ」


 二人は同時に苦し気な呻き声を吐いた。

 海老のように身体を反った二人のは数秒のみ痙攣(けいれん)した後。

 糸が切れた人形のようにパタリッと倒れた。


 な、何が、起きたの――?


 深月に背抱(はいほう)されていた蛍も状況を呑み込めないまま、深月と並ぶように倒れた。

 人形さながら微動だにしなくなった深月とB・Bは、意識を失っていた。

 崩れた体を起こす力すら湧かず、呆然と伏せている蛍の前に現れたのは、"二つの人影"。


 「どうやら間に合ったようだ。お前が、櫻井刑事官だな?」

 「……! はい、そうです……あなた方は一体」


 無機質な感染防護服を彷彿させる黒の全身服(スーツ)

 顔全体までを覆う光沢の防護フィルム。

 夜闇に融け込む色を纏った彼らの姿は、E・Cとは別の意味で異様に映った。

 頑健そうなガタイの一人は、薬品じみた匂いを放つ"狙撃銃(ライフル)"を抱えている。

 蛍へ歩み寄って来たもう一人も、物騒な光沢を放つ機関銃を手にしている。

 両者の表情はもちろん、感情すら読み難い雰囲気だ。

 素顔を隠匿する黒い光沢の覆面のせいではなく、冷静沈着な機械人形さながら粛然とした存在感によるものと思う。


「俺の名は、『(かがり)・草野』だ。フルムーン区警察所にある『()()()()()()()()』だ」


 蛍に湧いた印象を裏付けるように、声をかけてきた一人は怜悧な声で答えた――。


 *


 両腕の内側から、業火を燃やす生き物が(うごめ)いているような疼痛。

 残存する体力も気力もジワジワと食い破られていくような激しい倦怠感。

 しかし、唯一自分だけに巡ってきた、"千載一遇の好機"を決して逃してはならない――。


 午後六時十二分・十三夜美術館内にて。

 両手足を拘束され、囚われの身にあったはずの()()()()()は、館内の「中央管理室」にいた。

 監視映像の画面真下に、薄型の操作盤(キーボード)が設置された机上台。

 その真下で無造作に詰まれた()()()()()()に隠れている浜本は、もう一つの"邪悪な気配"をやり過ごそうとしている。


 「どこへ行った!? あの生意気な()()()()が! 人が手心を加えてやったら、図に乗りやがって!」


 ()()()()()の可憐な少女らしい面影はすっかり失せていた。

 狂犬さながら物騒な怒声は、薄い壁をしきりに叩きつけるよう。

 壁越しにも伝わるフェンリルの豹変ぶりに、大人の浜本ですら戦慄を覚えた。

 今から、わずか数分ほど前の時間。


 『E・Cを率いるスノームーン様――"()()お兄ちゃん"はね、本当に優しいの』

 『そうか。深月・斎賀は、君の父親になるのか?』


 浜本はフェンリルへ親身に耳を傾けながら、彼女の隙と反撃の好機を窺う算段だった。


 『うん! でも、深月お兄ちゃんがフェンリルの"お父さん"になってくれるには、"お母さん"が必要だって。それはね』


 何故、フェンリルはこれほどまでに深月を無邪気に慕い、我が父親として切望するのか。しかも。


 『お兄ちゃんにとって誰よりも大好きな人……蛍お姉ちゃんだよ』

 『そうなのか』


 蛍・櫻井刑事官は、あの深月・斎賀の"大好きな人"とは、どういうことなのか。

 彼女がフェンリルの"お母さん"になる事――それでは、まるで、深月・斎賀と――。

 当然、浜本にとって何もかも理解に苦しむ話だが、柔和な態度を装い続ける。

 一方、フェンリルの話に共感的な相槌と肯定を示す浜本に、すっかり彼女は気を良くしていた。

 フェンリルがすっかり饒舌(じょうぜつ)になっている頃合いに、浜本は()()()()の"賭け"に出ようとした。



 『なあ、フェンリル。君の話を()()()()()()ちゃんと聞きたい。だが、顔を上げるのに疲れてきたから、どうすればいいかな』


 浜本は話の腰を折らない絶妙な時期に、穏やかな口調で申し出た。

 すると、フェンリルは数秒ほど逡巡してから「いいよ、助けてあげる」、と素直に承諾した。


 『ありがとう。君は優しいな、フェンリル』

 『えへへー』


 フェンリルにそっと抱き起こしてもらった浜本だが、手足は縛られたまま。

 とはいえ、フェンリルと"正座"で対面する姿勢に変えてもらったおかげで、大分動きやすくなる。

 浜本が感謝と共にフェンリルを褒めると、彼女は向日葵(ひまわり)のような笑顔をにぱぁっと咲かせた。

 しかし、これ以上呑気に話を聴く時間は直ぐに終えてやる。


 『深月お兄ちゃんだけが、フェンリルのことを分かってくれたの』

 『フェンリルをずっと虐めてきた、"偽物のママ()"と"嘘吐きなパパ()"は、深月お兄ちゃんがやっつけてくれたの』

 『だから、お兄ちゃんこそ、()()()お父さんなの』


 浜本の算段も露知らず、フェンリルは夢中で語り続ける。


 『だから、()()()の蛍お姉ちゃんを助けるのも、お兄ちゃん……だから、お兄ちゃんの"願い"を叶える手伝いをするの!』

 『そうか。フェンリルは親想いのいい娘だな。君のお父さんになる深月は、お母さんになる彼女を、どうやって救出するんだ?』

 『それは……E・Cの仲間が、今頃蛍お姉ちゃんを()()()()()()()()と思う』

 『深月お兄ちゃんはね、蛍お姉ちゃんをずぅっと待っているの。二人しか分からない"思い出の場所"でね』


 懐かしき約束の場所で、深月と蛍は感動の再会を果たす。

 手を繋ぎ合う二人の胸へ、娘のフェンリルが無邪気に飛び込む。


 『蛍お姉ちゃんも、喜んでくれるよねぇ、うふふふっ』


 温かな仲睦まじい家族団欒の未来を想像したのか。

 うっとりと(とろ)けた表情のフェンリルは、期待に肥大する胸に手を添えて笑う。


 『(あれが――)』


 浜本の視界には、臙脂色(えんじいろ)絨毯(じゅうたん)で愛らしく膝立ちしているフェンリル。

 フェンリルの太股の真横には、警察から奪い取り、クラッキングの毒種を()いた警察端末機器(ポータブル・ポリス)が一つ。

 外套(マント)から覗く幼気(いたい)けな腰には、樹脂製らしき銃と陶器製刃(セラミックナイフ)が下げられている。

 どうりで、凶器探知機は反応を示さなかったわけだ。

 浜本は一人で内心納得する中、相槌にも集中しつつ、縛られたままの手を慎重に動かしていく。

 指先をあと一、二度揺らせば、フェンリルを欺きながら密かに進めていた"作業"は完遂する。

 一方、浜本からしても妄想じみた夢を語るフェンリルは、背後に控える一階での惨劇へ目を向ける。

 クルリッと愛らしい矮躯を(ひるがえ)した瞬間――。


 『ぅ――っ!?』


 突き飛ばされた勢いで、黄金の手すりへ後頭部を強打したのはフェンリル。

 薔薇の蕾みたいな唇から呻き声を漏らしたフェンリルは、気を失ったのかグッタリと倒れた。

 浜本は背広の懐に潜ませていた裁縫セットの"ミニバサミ"で、慎重に縄を切った。

 解放された足が絨毯を蹴った音に気付き、無防備に振り返ったフェンリルへ、強烈な体当たりを喰らわせたのだ。


 『まさか、()()に感謝する時が来るとはな……』


 以前、浜本は自身の誕生日祝いに、黒沢から携帯用の裁縫セットを贈られた。

 愉しげな口調で「これがあれば()()()()でも恥かかずに済むっすよ」、とほつれたズボンの(すそ)を指差された。

 まさか、()()から受けた"屈辱"を機に、日頃から持つようになった裁縫セットのハサミがこんな形で役立つとは思わなかった。

 黒沢には間接的に助けられたようで多少癪ではあるが。

 浜本は、フェンリルの所持する警察端末と物騒な武器を押収した。

 一階で復讐劇に興じているE・C達に勘づかれる前に、浜本は二階の通路を忍び足で進んだ。


 『(影の首謀者である深月・斎賀は、本来の標的である櫻井刑事官を、恐らく別の場所で待ち構えていることが、フェンリルの発言から推測し得る……)』


 英国ホテル風のカフェテリアの奥にある厨房を、束の間の隠れ(みの)にした。

 初冬とはいえ異様に冷え渡る厨房の床には、埃色(ほこりいろ)の靴痕や冷凍庫から雪崩(なだ)れた"ドライアイス"が散乱している。

 潔癖で神経質な浜本にとって、床へ膝をつくのは正直抵抗がある。

 それでも今は、フェンリルとの会話を"手がかり"に推測し得る事柄を整理する。

 それから、一刻も早く本部へ情報を伝えるのが火急の務めだ。


 『(だとすれば、美術館の爆破と立て篭りの目的は、俺達警察をおびき寄せる事。そして、警備が手薄になった所で櫻井を奴のもとへおびき出す……美術館(ここ)にいる俺達は単なる()なのか……?)』


 今も大三区での安全装置(セキュリティ)と通信機能(システム)は、障害されているが……俺達警察と、唯一自由に通信できたフェンリルの機器を操作すれば、何か分かるかもしれない。

 まんまと囮にされたらしい浜本達を冷嘲するような空寒さが、脊髄から喉を駆けるのを感じる中。

 浜本はフェンリルの通信機器を操作する。


 『……! これは……だからか』


 一体どのような仕組みでクラッキングを冒しているのか詳細は不明のままだ。

 しかし、()()()()()()()()()()()()()()()()()()は、通信も電波受信も正常に機能している。

 さらに最新の通信履歴を検索すると、「エスエヌ」という使用者(ユーザー)名――恐らくスノームーンの略であり、同時に深月・斎賀を暗示する名前は浮上した。

 エスエヌの通信番号(コード)から発信源を探ると、真っ先に表示されたのは――。


 「(フルムーン区の『国立満月図書館』……奴の本当の居所は、ここだというのか)」


 今事件の首謀者スノームーンこと深月・斎賀の現在地を特定できた。

 フルムーン区自体は小さな田舎町だが、ルーナシティ"最古の歴史"と蔵書数を誇る『国立満月図書館』で有名な名所だ。

 逸る思いの浜本は、警察署本部の通信コードを一か八かで端末機へ入力する。


 「(よし……! 繋がったぞ!)」


 耳朶へ鳴り響いた通信音に、浜本の胸に希望と安堵は灯る。

 刑事部の永谷部長と繋がった浜本は、館内の状況や主犯達の正体について報告。

 そして、首謀者である指名手配犯の深月・斎賀の国立満月美術館(現在地)へ、当地区の警察を向かわせるよう至急応援を要請した。


 これで、ようやく、この事件は決着がつくはずだ――。


 緊急連絡を無事済ませた浜本は、深い溜息を吐いて脱力した。

 緊迫感で失念していた両腕の火傷に苛まれながらも、憂いの面持ちで思案する。

 "人類の歴史を最も尊ぶ場所"として、十三夜美術館を選んだのは、紛れもなく浜本の推理。

 しかし、己の「正解という名の間違い」は、結果的に深月達E・Cの策略に嵌まり、仲間とルーナシティ中枢区域を危険へ晒したといっていい。

 筆舌に尽くし難い後悔と己の不甲斐なさに、浜本は血が滲むほど唇を噛んだ。


 しかし、いつまでも悔恨と無力感に打ちひしがれている余地すら許されない。


 今度は館内で今も拷問を受けている仲間の救出に、フェンリル達E・Cを止める事が己の急務だ。外で待機している機動隊の突入を妨げている防犯機能を解除する必要がある。

 そうするべく、浜本は「中央管理室」を目指そうとした矢先。


 「みぃーつけた――」


 予告なく乱暴にこじ開けられた厨房の扉。

 甘い猛毒の蜜を孕んだような声は、浜本の背筋を冷たく撫でた。


 「こんなところで、"かくれんぼ"していたんだぁ?」


 無邪気な笑顔はそのままに、愛らしい緑柱石(エメラルド)の瞳には明確な殺意と憤怒が燃えている。


 「悪い子にはぁ、"お仕置き"を、しなくちゃ! ねぇ!?」


 しかも可憐な右手には、厨房の棚から拝借したと思しき"中華包丁"が重々しく光る。

 自分はこの少女に、間違いなく殺される――。

 生命危機を察知した浜本は、自分の真横にある厨房棚を咄嗟にこじ開けた。

 中から無造作に取り出した小麦粉を、フェンリルへ勢いよくぶちまけた。

 白い粉煙で視界を奪い、茶袋に残存した小麦粉の重量が華奢な体を押し退けた隙に、浜本は脱兎のごとく逃げた。


 「ゲホッ! ぐっ、待てぇ!!」


 しかし、殺意と執念で暴れ回るフェンリルの凶器は浜本の足首を何度か掠った。

 喫茶処(カフェテリア)を急いで駆け抜けた浜本は、猛毒の蜜を焚いたような罵声と気配を背後から感じる。

 臙脂色の絨毯へポタポタと零れ落ちる血の匂い。

 後ろを振り返れない恐怖にも眩暈を覚えた。


 かくして、浜本は目的地の「中央管理室」へ駆けこみ――現在に至る。

 中央管理室にいるはずの館長と警察官の姿は跡形もなかった。

 恐らく、彼らはE・Cに中央管理室を乗っ取られ、別の場所で拘束されているのかもしれない。

 今の浜本にとっての最優先課題は、決してフェンリルに見つからないこと。

 今、怒り心頭のフェンリルに再び捕われる事は、"死"を意味する。しかし、廊下から扉越しに響くフェンリルの罵声と気配は、むしろ段々とこちらへ近付いている。


 「どーこーにー♪ いーるーのーかーなー?」


 小悪魔の癇癪(かんしゃく)を彷彿させる怒り様から一転。

 今度は、かくれんぼを無邪気に愉しむ幼子のような声でまくしたてる。

 ペタペタッと愛らしい足音を奏でながら、廊下を闊歩するフェンリルに、浜本は懸命に息を殺す。

 遂に中央管理室の扉前まで迫ったフェンリルの足音は止まらず……やがて、遠ざかっていった。


 行ってくれた……のか?


 どうにかフェンリルをやり過ごせた浜本は、段ボールに隔たれた机上台の下から這い出た。

 破裂寸前の動悸と荒い呼吸も鎮まらない中、管理室のコンピューターを手早く起動させた。

 幸いか否か、安全鍵番号(セキュリティコード)すら設定されていないコンピューターは、美術館を掌握していない浜本にも容易に操作できた。

 液晶画面に浮かぶ、閉館・防犯状態(モード)の項目の内、「全解除」を選択。

 受理された情報の「読み込み中(ローディング)」が表示されてから一、二分後。

 「読み込み中」の数字が百パーセントに達すると、「解除完了」の文字は映った。

 途端、壁一面に張り巡らされた複数の監視映像に、正面玄関(エントランス)から廊下の窓、裏口に至るシャッターの上がっていく様子が映った。


 無事に、やり遂げた。


 後は外の機動隊さえ突入すれば、E・Cの取り押さえと人質の保護は達成される。

 後は、異変を察知したフェンリルに再び悪用されないために、浜本は管理室のコンピューターを施錠状態に設定した。


 これで、当面は大丈夫だろう。


 今頃、一階で激闘を繰り広げている仲間の加勢へ向かうため、浜本は急いで踵を返した。


 「みィーーつけたあぁ!」


 あまりにも予測外の最悪な時期(タイミング)での神出。

 音も気配もなく背後から、猛毒に濡れた甘くも不吉な声は耳を貫いた。

 息を呑んだ浜本が気配を察知したと同時に、彼の肉と骨の一部は既に叩き切られていた。


 「ぐっあぁあぁあ……っ!」


 フェンリルに飲まされたローズヒップティーよりも、濃く鮮やかな血潮は激痛と共に放熱した。


 *


 『凶悪犯罪対策班』――?

 篝・草野と名乗った見知らぬ警察官を、蛍は(いぶか)しげに見上げた。(おごそ)かな部名からして、ルーナ警察本部もしくは政府機関の人間を匂わせた。

 しかし、蛍ですら耳にした覚えのない部隊に、彼女は疑念を向けずにはいられない。

 言葉を選ばなければ、蛍と深月の生まれ育ったフルムーン区は、矮小な"田舎町"の部類だ。

 フルムーン区の小さな警察所に、中央都市へ集中しがちな凶悪犯罪を取り締まる部隊が設置されていた?

 しかも、ルーナ警察の中枢であるクレセントムーン区本部を差し置いて?

 蛍の怪訝(けげん)そうな眼差しに気付いたのか、草野は懐から警察端末機器を手慣れた様子で取り出した。

 そして、片手の指先で器用に操作してから、宙に照射された立体映像(ホログラム)画面の「警察証」を見せた。

 警察端末自体も、警察の身分証そのものだ。

 さらに『篝・草野警察官・フルムーン区警察所秘密部隊・凶悪犯罪対策部門』の身分詳細(プロフィール)の画面を確認すれば、間違いない。

 しかも"秘密部隊"は、警察署内ですら表向きでは存在を隠匿されている。


 「助かりました……けれど、どうやって突き止めたのですか。指名手配犯の深月・斎賀は、図書館にいると」


 ようやく腑に落ちた蛍は、草野達へ向けていた警戒心を解いた。


 「我々は、ルーナ警察署本部の正丈・永谷刑事部長からの通報と支援要請を受けて、ここへ駆けつけたに過ぎない」

 「永谷部長が……? なら、三区の安全装置と通信機能の障害……それに、十三夜美術館の立て篭り事件は今、どうなって」


 本部での指揮を()り行っているはずの永谷部長が、蛍を巧妙におびき寄せたこの満月図書館、とそこにいる深月とB・Bの策略に気付いた?


 「詳しい話は、また後だ。見た所、お前とそこにいる藤堂刑事官は無事みたいだからな」


 もう一つ腑に落ちない疑問に首を傾げる蛍だが、草野とその相方は今度こそ返答を後回しにした。


 「現行犯は、深月・斎賀と藤堂刑事官の横にいるあの男の"二名"で間違いないな?」


 草野の事務的な問いかけに、蛍はただ静かに頷いた。

 草野が相方に指示を仰いだ瞬間、恐らく非常口の外で待ち構えていたフルムーン区の警察官数人と救助隊は一斉に駆けつけた。

 草野と相方は、気絶している深月とB・Bの二人の両手足へ手錠をかけた。

 床を錯綜(さくそう)する警察部隊の跡音、手錠の冷鋭(れいえい)な感触にすら、二人は眉一つ微動させなかった。


 「二人に、一体()()撃ったんですか」


 二人の深い昏倒の秘密には、恐らく草野の相方の担ぐ異様な狙撃銃にあると思われた。


 「相棒の松原が撃ったのは、"麻酔針弾(しんだん)"だ」


 格闘技に優れた蛍と光ですら手間取った深月とB・B。

 手強かった二人を糸も容易く昏倒させる麻酔針の威力。

 無抵抗の二人の隙を確実に突いて拘束した手際の良さといい、蛍は草野達部隊へ驚嘆を覚えた。

 麻酔針弾、という聞き慣れない単語に反応した蛍に気を利かせたのか、草野は解説をしてきた。


 「一般の医療針よりも太く頑丈な造りだ。ただ、開発から導入を始めて以来、実際に使ったのは()()()()()()だ」


 蛍の知る限り、動物はともかく人間を麻酔針の類で()()()()()()()()()のは、麻酔科医すら非常に難しく、高度な技術を求められる。

 しかし相方の松原は、深月達に勘繰らないあの遠距離から標的を確実に狙い撃った。

 理由は、松原が医療と狙撃の技術に卓越しているからか。

 あるいは、凶悪犯罪対策部門を所轄する政府機関は、署本部にすら"未公開の研究と実用試験"を進めているのか。


 「個人差はあるが、()()()……長くて()()()は目を覚まさない者もいる」


 ともあれ、深月によって戦意喪失し、現状の全てを未だ把握しきれていない蛍が理解できたのは少しだけ。

 社会的被害者だった復讐の悪蝶E・Cの構成員達。

 そして、スノームーンを名乗った首謀者の深月・斎賀、と幹部格のB・Bを逮捕できた。

 万が一に備えてか、草野と同部隊の警官は、深月とB・Bの身体を担架の拘束帯でキツく巻き付けていた。

 傍らには、救助隊によって縄と布を解いてもらっている光の存在も視界に入る。


 「っ……光……! 無事で――」


 蛍は、抜け殻のように力の入らない両の手足を踏ん張った。

 安静にした方がいい、と草野に呼び止められるのも厭わない。

 蛍は重い体を引きずる足取りで、光のもとへ駆け寄った。

 光の命が間一髪救われたことにすっかり安堵していた蛍だが、彼自身へ触れる三歩手前で静止した。


 「何でだ……よりによって、どうして」

 「光……? どうし――」


 どうしたの?

 なんて、自分が訊ける立場でないという考えすら吹き飛ぶくらい光の動揺とその《《理由》》に、蛍自身も動揺した。

 一方、光は口を噤んだまま立ち尽くす蛍から目を離さないまま、動揺を疑問の台詞で絞り出した。


 「どうして、()()がここにいるんだよ――!?」


 深月に散々(なぶ)られた身体を抱えながら、蛍を見上げる光の揺れる瞳。

 憐れみや失望、義憤と叱責に至る負の感情が錯綜していた。

 捨てられた幼子さながら力強くも哀しい声も、まさに"精神の慟哭"に等しかった。

 果たして、蛍に向かって奏でた想いは、()()向けたものだったのか。

 蛍か、それとも。


 「―― ()()、刑事官……」


 光の隣にて、E・Cの漆黒の覆面を剥ぎ取られた()()()()だったのか。





 ***続く***


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