幕間『赤い靴の娼女』
"私"は、赤い靴を無理矢理履かせられた少女。
国家としてすら認識されていない、遥か遠くの貧しい小国で私は生まれた、と思う。
でも、本物の"お父さんとお母さん"を、私は知らない。
どれが、お父さんとお母さんだったのか、顔も声もすっかり忘れてしまった。
『――は……もう――ダメ――……』
『まあいい……すれば……いい――……』
辛うじて思い出せるのは、真っ赤なヘドロ塗れで、鼻孔をつんざく硝煙の嫌な臭いがする暗い場所だけ。
物心ついた頃には、私よりも大きくて大柄で、いやらしい目付きと汚らしい口を歪ませる人達の"奴隷"として生かされていた。
住む場所も食事も、"ご主人様"も、日や月単位で常にコロコロと入れ替わった。
私のご主人様は色々だった。
私と私のような女子どものいる薄汚い工場にそぐわない、煌びやかな服装のおじさんやおばさん。
宮廷さながら豪華な屋敷から訪れた政治家や軍人。
時折、甘ったるくて濃い香水と生々しい臭気の入り混じる薄汚いと納屋で、派手な格好の女性もしくは、豚よりも肥え太ったおじさんもいた。
『よしよし、いい子だねぇ。***。僕は君の"ご主人様"だ。ほら僕のことを"お父さん"、と呼んでみなさい』
最初に会ったご主人様の希望がきっかけだった。
私はご主人様のことを皆、"お父さん"、もしくは"お母さん"と呼ぶようになった。
ご主人様が変わる度、私が無邪気にそう呼ぶと、最初は戸惑うご主人様も多かった。
しかし、お父さん・お母さんと好きに呼ばせれば、ご機嫌になった私は従順になると分かったご主人様は快諾した。
『***――お前に"新しい仕事"と訓練だ――』
私は花の十六歳を迎えた頃。
時折、男性のご主人様達へ披露してきた歌と舞踏は好評となり、国家直属の劇団にスカウトされた。
私と同年代の女の子と一緒に多彩な芸事に加え、高度な"諜報技術"を叩きこまれた。
そして、国の偉い人達に対して、私達はサーカスの見世物のように、舞踏や演劇を披露する日々が続いた。
臭くて汚くて怖くて寒くて熱い、暗くて貧しい場所で働いていた頃とは一転。
豪華絢爛な化粧部屋と四人分の寝室、余り物とはいえ一生ありつけるはずもなかった高級なお食事に、私も他の女の子達も浮かれた。でも。
『立ちなさい――***――あなたの両の足は、まだくっついている――』
両足は毎日毎時間毎分毎秒、痛くて痛くて痛くて痛かった。
いくら激痛で泣き叫んでも、爪先が言う事を聞いてくれなくても、芸事指導の先生は決して許さなかった。
足の動きが少しでも鈍ければ、鞭で体中を叩かれる。
鞭の痛みでよろめいたら、また余計に痛くされる。
一歩でも集団に出遅れたら、連帯責任として、女の子達は全員鞭打ちの罰。
罰を招いた女の子は、他の女の子の玩具として、手酷いいじめを受ける。
焼けたぼろ枝さながらやせ細った足。
重度のうっ血で赤黒く染まった爪先は――童話の"赤い靴"を連想させた。
両足を切り落とさなければならなかった少女も、悲惨ではあったと思う。
けれど私は、どれほど脚が痛くても、踊ることをやめたくても、決して許されない。
私を痛めつける両足を、いっそのこと切り落としてしまいたいと希う"自由"すら、私にはないのだから。
『大変よ!***。革命家が城に押し入って来た! 私達まで殺されるわよ!』
幸いか否、当時二十五歳を過ぎていた私へ自由のキッカケは起きた。
革命家による『国家叛逆事件』だった。
"国側の人間"と認識された私は、革命家達に殺されそうになりながら何とか逃げ切った。
逃亡の道中、多くの仲間や先生、"お父さんとお母さん"達は、革命家の銃や暴力を前に命を落とした。
私は命からがら海外逃亡用の船に乗れた。
かくして、名も誇りもない国家の崩壊した島から脱国した。
されど、暴虐的な荒波と嵐に見舞われ、こちらでも仲間が次々と海の藻屑へ消えた。
正確な時間は把握していないが、気の遠くなるほど長く感じる過酷な船旅だった。
残り少ない仲間と船員と共にようやく辿り着いた亡命先こそ、極東の安寧地と謳われる――。
『――ここが、日昇国』
日昇国には、多様な文化・宗教が存在し、外国人に比較的寛容な国民に溢れていた。
先進的な医療技術や機械電脳科学技術、と優れた機能装置も充実していた。
まさに、人伝に聞いた通りの"理想的な平和国家"だった。
『よかったわ、***。この国なら、やっと私達は"幸せ"に生きられるのよ――』
日昇国なら、私達にとって夢物語でしかなかった"自由と幸福"の権利は保障される。
苦楽を共に生き残った仲間と私のは、期待に胸を膨らませていた。
けれど、"現実"はそう甘くない――。
日昇国の北東海域付近の小島に設置された『拘置所』で、痛いほど思い知らされた。
『やかましい! 自分の国にすら居場所のない貴様ら外人をも受け入れてやったんだ!』
『こうして生きていられるのも、俺達のおかげだ。感謝とそれなりの返礼は当然だろう!』
日昇国本土でまともに生活できる外国人は、ごく限られた者のみだった。
和人と国際婚を結んだ者。
国際専門職免許の所持者、もしくは出稼ぎの者。
正式な難民認定を受理された者。
私達の場合、"認定待ち"の難民で大量に溢れた拘置所での、過酷で密な集団生活を強いられた。
衣食住といった、生存に最低限の物資供給だけでも有難かっただろう。
しかし、最も私達を苦しめたのは、拘置所にいる人間同士の"暴力"や仲間の"死"であった。
故郷での凄惨な体験、と過酷な船旅で目の当たりにした大量の死と心の傷は尾を引いているらしい。
拘置所に辿り着いた時点で、発狂する者や人格変貌する者、自殺者は後を絶たなかった。
しかも、私事や個人空間の皆無な家畜さながらの集団生活も強いられた。
極度の緊張とストレスは、人間の神経過敏や攻撃性を顕在化させる。
しかも、鬱憤を暴力や肉欲で発散したがる本能に突き動かされた者にとって、私達のような女子どもは、格好の"餌食"となった。
『よお、お嬢ちゃん。俺達、"お父さん"の娘になってくれねえか?』
『こんな可愛い子なら、俺達は大歓迎だよ。ささ、おいで。"お父さん"だよ。』
しかし、このままでは薄汚い偽のお父さん達の玩具にされる。
かつてない危機感に駆られた私は、奴らをハサミで切り裂いてやった。
私の仲間を犯して死へ追い込んだ奴らの腐った血潮が、頸動脈から噴き出した瞬間は今も忘れない。
故郷で受けた訓練が、まさか平和なはずの日昇国で活かされるとは。
拘置所を難なく脱走できた私は、物資運搬船へ忍び込むことで"本土上陸"を為した。
ただし、家畜小屋のような拘置所とは違い、食糧や寝床は自分で確保するしかなかった。
しかも、警察に見つかれば"不法滞在者"の私は、即拘置所戻りか最悪、本国への"強制送還"だ。
それだけは、絶対に耐えられない。
私のような"寄る辺なき人間"は、拘置所か崩壊国家、裏社会といった――"闇の世界"でしか生きられないの?
じゃあ、私は一体。
『何のために、生きているの――?』
日昇国における『福祉権利保障』の恩恵を賜るのは、現地の和人と滞在を許された外国人のみ。
ならば、私は――。
『<人間は"何故生まれてきたか"を知らなければならないために、この世へ生まれてきたのです>――宮沢賢治は学生にそう答えた』
エクリプス区の地下街で生き倒れていた私を拾ってくれたのは、深月お兄ちゃん。
私へ「フェンリル」という名前を授けてくれた、本物のお父さん。
『フェンリル――僕には君が必要なんだ』
温かくて優しい手を差し伸べると共に、私自身を必要としてくれたのも。
甘く透き通る飴玉みたいに綺麗な声で、温かい言葉を与え、名前を呼んでくれたのも、全て。
深月お兄ちゃんが初めてだった。
『今までよく頑張ったね、フェンリル。深月君がいれば、もう大丈夫だから――』
深月お兄ちゃんの紹介してくれた"闇医者"も、私に尽くしてくれた。
母国での過酷な環境が原因で両脚のほとんどは壊死しかけていた私へ、"機械義足"を移植してくれた。
『フェンリル、がんばるよ』
深月お兄ちゃんに救われた後、私は『計画』への協力に尽力した。
初めて抱いた"私だけの夢"、と深月お兄ちゃんの"願い"を共に成就させるために。
そして今、E・Cの構成員を率いて、『十三夜美術館』にまんまと誘われた警察官を捕らえた。
間抜けで愚かで憎たらしい彼らを閉じ込め、虐め、足止めする重要な任務を、私達は果たさなければならない。
ルーナ警察本部の注意を私達へ引きつけて、"時間稼ぎ"をする。
その間に、深月お兄ちゃんは"未来の私のお母さん"である、蛍お姉ちゃんを迎えにいく。
『こんな僕では、許されないと分かっている。それでも』
『本当は蛍と、もう一度一緒に生きたい――』
『僕の"願い"は、唯その一つに尽きるんだ』
深月お兄ちゃんは、とても優しくて、本当は冷たくて怖い、けれど哀しい人。
私には、難しいことは分からないけれど。
きっと私と似て、誰かを真っ当に愛することのできない人間で。
されど、"唯一無二の存在"を求め焦がれている。
蛍お姉ちゃん、とあの甘く温かな日々を取り戻したい。
それが、深月お兄ちゃんの唯一の願い。
それが叶えば、深月お兄ちゃんは蛍お姉ちゃんと共に、フェンリルと"本物の家族"になる、と約束してくれた。
私は、そのためになら、何だってできる。
だから、私と深月お兄ちゃんの邪魔をする人は、誰であろうと許さない。
邪魔なあなた達は、みんな殺してやる。
生きるために。
幸せになるために。
ただ、それだけ。
なのに何故。
「――かっ、は――っ」
左胸から喉元近くで、毒のようにジワジワと巡る、灼けるような激痛。
私は全身の力が抜けていく感覚に襲われる。
人形のように微動しなくなった体に朧げな意識の中。
フェンリルは断片的ではあるけれど、自分の状況をある程度把握できた。
そっか、私は結局"失敗"しちゃったのか。
浜本刑事官の肩を斬りつけ、袋小路へ追い詰めた瞬間までは、上手くいっていたのに。
逃げ回っていた獲物を仕留めた油断が災いしたか。
あるいは、相手側の方が遥かに上手迅速だったのか。
浜本によって解除された防犯扉の出入口を素早く通り抜けてきたのは、外の機動隊。
いつの間にか背後に迫っていた機動隊員発砲を、フェンリルは受けてしまった。
後日、独房らしき場所にて医療器具に繋がれた状態で、フェンリルは昏迷状態にあった。
そして、深月の意識が戻った運命の夜、フェンリルは遂に。
「――お にぃ ちゃ 」
深月お兄ちゃんは、蛍お姉ちゃんにちゃんと会えたのかな?
二人はまた一緒になれたのかな?
だと、いいなあ。でも。
そこにフェンリルも一緒に入れなかったのは、少しだけ寂しいな。
湖の底から地上の光を眺めるような微睡みに沈む意識の中。
フェンリルが、ぼんやりと想いを巡らせていた所。
「フェンリル――」
医療機器付きの寝台に横たわっているフェンリルへ、暗い人影は落ちる。
この優しい呼び声は――もしかして、深月お兄ちゃん?
フェンリルを助けに来てくれたの?
「お前が"無国籍"であることは好都合だ。あの男と『計画』に関与したことが、お前の運の尽きだ――」
フェンリルを見下ろす人物の輪郭も、か細い声で零れる台詞も朧げでよく分からない。
それでも、フェンリルの胸に灯ったのは"希望"だった。
ああ、よかった。
フェンリルが失敗しちゃったから、怒っているんじゃないかって心配してた。
でも、やっぱり深月お兄ちゃんは、怖い人だけれど優しい。
フェンリルを許してくれる。
やっと、フェンリルのお父さん、家族になってくれる。
あれ、安心したからかな。
何だか、段々と眠たくなってきたな。
湖の底から見上げていた地上の光が、段々と遠ざかっていくような不思議な睡魔へ沈んでいく。
ふふっ。次に目覚めた時は、きっと目の前に二人がいて、私へ優しく微笑んでくれる。
早く、「深月お父さん」、「蛍お母さん」って呼びたいな。
そして――。
一瞬、左胸辺りを駆けたビリッと痺れるような衝撃の直後。
心臓を引き絞られたような感覚がした。
突如襲った謎の衝撃と激痛の正体を考える間もなかった。
フェンリルの意識は完全に暗転した。
「アイシ、テル」――って、抱き締め て もら――。
見果てぬ夢物語を虚ろな微笑みに咲かせて――。
***




