表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『ブリュンヒルドの心葬』  作者: 水澄
第2章『黒い蝶と雪の月』
44/77

幕間『氷人形の天真爛漫』

 冷静沈着(クール)で何を考えているのか分からない。

 まるで、精巧に造られた氷人形のような女。


 『はじめまして。今日から、ルーナシティ警察署・刑事部門の"文月班"に配属された「蛍・櫻井」です。どうもよろしくお願い致します。()()()()


 それが、蛍に初めて会った時に抱いた第一印象だった。


 蛍は警察官就任からたった二年で、刑事部門へ配属された優秀な新米として署内では有名だった。

 刑事部門では、一年から二年単位で必要に応じて各班の人員再編成をする。

 大抵は就任から短くても三年から数年程度の熟練警察官が、年齢や能力、実績等を総合的に鑑みて選ばれる。

 蛍が刑事部門に配属されて一年経ってから、初めて俺は蛍と同じ班の仲間として任務を共にする機会を得た。

 しかし最初の俺は、蛍の優秀さを耳にした頃から無意識に張り合っていたのかもしれない。

 当時の俺は"女"という生き物への苦手意識を強く抱いていたのも、密かな対抗心へ拍車をかけていた。

 今思えば、他人の噂や己の先入観で、彼女という人間を押し測ろうとした自分が恥ずかしい。


 『よろしく。櫻井刑事官』


 "氷の戦女神"らしい凛とした美貌と強靱さ、頭脳で、署内の浮ついた男どもにも絶賛(チヤホヤ)されていた。

 同性や後輩にも憧れの存在としてもてはやされても、周りの視線や評判を鼻にもかけない冷凛とした態度。

 女でありながら短期間で功績を認められ、刑事部門の有望者(エース)として抜擢された後も、その評判に恥じない実績を重ねた。

 しかし、今だから素直に認められるが、最初は蛍のことを()()()()()()()のだ。


 『櫻井刑事官! 独断行動は慎めと言っただろう!』


 何より気に喰わなかったのは、班会議で練った計画外の"独断行動"だった。

 当初の蛍の非協調性に無感情で慇懃無礼な言動に、当時は班長だった俺は毎度頭を悩ませた。

 しかし、蛍の非の打ち所のない優れた機転と行動力によって、結果的には最小限の被害と危険(リスク)で、犯人摘発と事件の解決は成功した。

 計画と予測以上に良好な結果は実績となって、部内でも蛍の多少の無茶は大目に見てもらえた。

 中には、蛍のおかげで仲間も被害者も怪我や事故一つなく無事で済んだ、と称賛の声すらあった。

 一方、蛍へ羨望や忌避を抱く者達も俺自身も、彼女の独善的な言動を好ましく思わなかった。

 俺は班長として、任務後の度に蛍の独断行動を諌める役割を担っていた。


 『分かりました。以後、()()致します』


 当の蛍は、俺の説教に一応肯きながらも結局、条件反射のごとき言動を改善する事はなかった。

 氷さながら己の領域へ立ち入らせない頑なの雰囲気、と静かなる反抗的態度。

 当時の俺の苛立ちは、募るばかりだった。


 『おいおい、そーイライラすんなって、()()()()よぉ。まーた、櫻井がやらかしたんだって? ま、結果オーライな気もするけどよ』


 親友兼同僚の黒沢にすら、笑いとからかいのネタにされたくらいだ。

 黒沢と同期で警察に勤めるようになり、暫くしてから悟った事はある。

 警察署の内外には相手の属性を問わず、独善的で卑劣な人間がどこにでも存在し、嫌になるほど顔を合わせた。

 蛍の場合、氷のような冷徹さと身勝手な態度を除けば、署内で評判の美貌や高い能力、何より本人に悪気は欠片もない点は、尚更始末 が悪かった。

 周囲の年上で経歴(キャリア)の長い先輩にも引けを取らない、この氷柱みたいな女の後輩と上手くやっていける気はしない。

 "前向きな熱血漢"、と良くも悪くも称される光は、らしくもなく悲観的になっていた。

 しかし、蛍に抱いていた俺の認識が大きく変化するキッカケは、唐突な巡り合わせだった。


 『(誰だ? こんな時間に……俺も人の事は言えないが……)』


 或る深夜の刑事部事務所にて。

 蛍と他班員で協働していたのとは別件の始末書を作成に、俺は一人居残っていた。

 俺は不機嫌の頂点(ピーク)にあった。

 新人時代に散々味わった残業と激務の憂鬱さと疲労感は寒気と共に蘇ってきたからだ。

 休憩の一服を取るべく、自分の(デスク)から離れた瞬間に気付いた。

 無人であるはずの深夜の事務所に揺らめく、もう一つの小さな灯りに。


 『(まさか……あいつ。こんな夜遅くまで?)』


 事務所の最奥の机に座り、人形さながら直立姿勢でパソコンを打っている人物は、蛍・櫻井だった。昼間もあれだけ働いても尚、残業までしているとは。

 しかし、光にとって最も衝撃的だったのは、蛍が深夜残業までこなす仕事熱心ぶりでも、残業後も平然と昼間に動ける体力と要領の良さでもない。


 『櫻井の頬は……光って、否、濡れて……まさか……()()櫻井が……)』


 泣いているのか――?


 感情の灯らない氷人形みたいな"あの蛍"は、()を流していた。

 口元を苦しそうに手で覆って、漏れそうな嗚咽を堪えながら。

 普段は冷徹無比で周りを寄せ付けない女の初めて見せた、哀しみに澄んだ瞳。

 こちらは見ているだけで、胸が切なく締め付けられた。

 一方、清廉な小川のように伝う涙、普段決して見られない濡れた瞳の美しさ。

 不謹慎ながらも、俺は暫し魅入ってしまった。

 一方、蛍は双瞳から零れた涙を布巾(ハンカチ)でさっと拭った。

 途端、瞳を濡らしていた哀しみは消え失せ、代わりに"炎"を灯していた。


 何故、あいつは泣いていたんだ――? 


 今思えば、普段から無機質な氷人形らしい蛍だが、時折鬼気迫る表情を浮かべて仕事に没頭しているようにも見えた。

 まるで、己をとことん追い詰める事によって、"何か"――"涙の理由"を心の中から振り払うように。


 『(蛍・櫻井刑事官……いつも何を考えている……? ()()()が、本当のお前なんだ……?)』


 蛍の意外な一面を垣間見て以来、俺は彼女の存在のことが気になって仕方なかった。

 いくら優秀で器用なあいつでも、このまま働きすぎれば、ぶっ倒れるんじゃないか。

 いずれ、蛍の心身が摩耗しないか気が気でなかった俺は、蛍と同じ時間帯を見計らって、残業で事務所に居座るようになった。

 集中力が途切れるから余所へ行ってくれ、と拒絶可能性も案じた。

 しかし、それは俺や周囲の偏見が生んだ杞憂に終わった。

 

 『夜遅くまで、お疲れ様です。藤堂刑事官』


 深夜の残業に光からあいさつをすると、相変わらず蛍は淡々と労いのあいさつを零すだけだった。

 それでも、表情や声色から拒絶的な態度は感じなかった事に安堵を覚えた。

 大丈夫だ、と確信を抱いた俺はある日、実行へ移した。

 女に振られてばかりの自分にしては、かなり踏み込んだ試みではあった。


 『あのー、だな。櫻井刑事官。よかったら、休憩がてらに一杯、どうだ?』


 或る残業の夜、俺は両手いっぱいに四つもの小さな飲料缶を抱えながら蛍へ声をかけた。

 自分でも間抜けに思える姿勢、遠慮がちな口調で話しかけてきた俺に、蛍も不思議そうに見上げていた。

 最初は俺の言葉を一瞬呑み込めなかったらしい。

 蛍は戸惑いの眼差しで沈黙していたため、俺の背中に緊張の汗が溢れた。

 蛍本人、迷惑がっていないだろうか。

 一抹の不安に駆られた俺は「あ、いや、お前さえ良ければでいいんだっ」、と強要ではない事を焦った口調で断りを入れた。すると。


 『いえ、お気遣いありがとうございます、藤堂先輩。私も丁度、温かいものが欲しくなったので。是非、ご一緒させてください』


 普段とは違い、幾分柔らかな口調で答えた蛍は身体の向きと指をパソコンから離した。

 予想外にも穏やかな雰囲気を醸して歩み寄ってきた蛍に、俺は間抜けにも一瞬呆けた。


 『いくつか買ってみたが、どれがいい?』


 事務所の休憩間へ蛍を招き、俺達は黒革のゆったりしたソファに向かい合わせで座った。

 今日は疲労で糖分を欲している俺様にホットココア、恐らく蛍が欲するかもしれないカフェイン分のブラックコーヒーと無糖紅茶、変わり種にコーンミルクポタージュを購入してみた。

 当然、蛍の好みを知らない俺は一応訊いてみた。


 『じゃあ、()()()をお願いします』


 何気ない口調で答えた蛍に、不覚にも俺は一瞬息を呑んだ。

 普段から冷静沈着(クール)な蛍が、眠気を飛ばす無糖のコーヒーや紅茶でもなく、"甘い癒し"のココアを選ぶとは。

 失礼で口には出せないが、光にととてはあまりにも意外だった。


 『……ココア、でいいのか?』

 『あ、えっと、もしかして、だめでしたか?』


 一方、明らかな戸惑いを隠せていない俺の表情に、蛍はまたしても珍しい表情を見せた。

 まるで、一人忘れ物をして恥ずかしがっているか、"ションボリ"と落ち込む子どもみたいに瞳を伏せている。


 『あ、いや! 全然、そんなことはない。ココア、だな?』


 何だか猛烈に申し訳さを覚えた俺は、慌ててココアを渡してやる。

 ココアの缶を受け取った蛍は、花びらみたいな唇を微かに(ほころ)ばせた。


 『ありがとうございます。その、すみません。す、()()()()()()

 『は……!?』

 『こ、ココアが』


 何だ、ココアのことか、驚かすなよ、たく。

 少女さながら恥じらいに耐えるような眼差しで零した蛍の予想外の一言に、俺の鼓動は一瞬跳ね上がった。

 しかし、己の早計と勘違い、紛らしい言動に、俺は内心呆れて脱力しかけた。

 何故、俺は蛍の言動へいちいち過剰反応を示すのか。

 しかも、どこか"落胆"に似た気持ちと共に動悸は中々治らない?


 『おいしいっ』


 光は口に付けたコーヒー缶に隠れた瞳越しに、隣の蛍を密かに観察する。

 俺の視線に気づかないままの蛍は、火傷に注意しながらココアを心底美味しそうに含ませていく。


 『あ、すみません、つい……このココア、美味しくて』


 しかし職業柄か、相手の些細な態度や表情の変化等に気付かない蛍ではなかった。

 蛍は、自分のような女に甘ったるいココアは不釣合いだ、と光に思われていないか気が気でないらしい。

 恥じらいの様子で頬を淡く染めて、いつになく潮らしい声色で話す蛍。

 初々しさすら感じる蛍のギャップに、不覚にも光の胸には熱い感触が灯る。


 『そ、そうか。いや、気に入ったならいい』

 『ありがとうございます、藤堂先輩』


 本当に()()だろ、そんな表情――。

 甘くてほろ苦いココアの風味と同じだ。


 蛍が俺へ初めて見せた、氷の仮面を取った少女みたいな微笑み――"天真爛漫"な素顔。


 氷壁のごとく冷凛な警察官として一目置かれる蛍の年相応な姿。

 あらゆるものを立ち入らせない、孤高で神聖な氷域へ差し込んだ、冬日向を垣間見たような温かな気持ち。

 ココアが好きであることを、恥ずかしそうに述べて。

 心から嬉しそうな笑顔で甘いぬくもりへ浸る蛍の無垢で可憐な表情。

 以前なら、冷たい氷人形みたいにしか映らなかった冷徹無感情な雰囲気に隠れた"悲しさ"。

 薄氷の瞳の奥に眠る"寂しさ"。

 そんな蛍の秘めた"陰り"へ薄々気付き始めたのも、この出来事がキッカケだった。

 恐らく蛍の本性は、俺の想像すらつかない過酷な事情と重圧を背負う、"ごく普通の女"なのではないか、と。


 『ここに来てから、お前のことがずっと気になっていた』


 蛍と少しだけ打ち解けた、と思えたこの夜以来。

 蛍への苦手意識や対抗心はすっかり失せていた。

 代わりに、蛍は常に己へ無理を強いて危険な目に遭わないか、いつしか放って置けない"後輩"となった。

 やがて、優秀で頼りになるが目の離せない後輩から、今度は俺にとって"守ってやりたい存在"へ変化ていった。

 しかし、俺自身は今まで交際してきた女達から「口下手で女心の分からない"冷たい男"」、と詰られてきた。

 当然、蛍への想いや彼女との接し方に困惑し、正直自信もなかった。


 『くだらねぇ。(お前)はお前のままでいいんだよ。櫻井は"今までの女"とは違う。俺からも保証するぜ』


 蛍への想いを募らせ煩うばかりの俺を見かねた黒沢は、強く背中を押してくれた。

 親友が便宜を図ってくれたこともあり、俺自身は玉砕覚悟で告白をした。


 『好きだ――どうか、俺と付き合ってほしい。』


 今まで俺に告白してくれた女達も、こんな気持ちだったのだろうか。

 心音の騒々しさを相手にも見透かされるのではないか。

 顔は恥ずかしいほど真っ赤に染まっていないか、心配なほど熱くて汗が流れる。

 これほど心臓と頭が破裂しそうなくらいの緊張に耐えながら、想いを言葉に紡いでくれたのだろうか。


 生まれて初めて自分から好きになった相手へ、初めて自分から告白することの勇気――その重みに比例する、けたましい鼓動と熱は一生忘れられないだろう。そして。


 『あ、あの。わ、私で、よろしければ。その……』


 緊張と恐怖は、歓喜となって沸々と湧いてくる熱き想いを――。


 『わ、私も。いつも仕事に真剣で、私を含む周りの人達を気遣ってくれる、優しい藤堂先輩が、す、好きです』


 決して都合の良い夢ではない。

 年相応の少女さながら頬を仄かに赤らめ、照れくさそうにはにかむ蛍の告白を。


 『これからも、よろしくお願いします、藤堂先輩』


 ぶっきらぼうで乙女心とやらを理解していない、と飽きられた生真面目な俺自身――そして、俺達二人の背中を押してくれた親友(黒沢)へ深く感謝した日は、他にないだろう。


 『光……俺のことは"光"、でかまわない』

 『……! なら、私のことも"蛍"と呼んでくれますか』


 かくして、俺と蛍は"恋人"となった。

 俺との交際をきっかけに、黒沢とも親睦を深めた影響もあってか。

 新米時代と比べて見違えるように丸くなっていった。

 今でも時折無茶へ走るが、俺や黒沢含む仲間との"チームワーク"を意識してくれるようになった。

 さらに、以前よりも後輩を率先して援護し、周囲に気遣いを見せるようになった。

 やがて『氷の戦()()』の異名には、冷凛孤高に事件(戦場)を駆けるだけではない、"もう一つの意味"も含まれるようになった。


 蛍の見違えるほどの変化は、彼女自身が俺や黒沢を含む"仲間"へ心を許してくれた証だと。

 俺も黒沢も、周りも密かに心温かに、あの冷凛な背中を見守っていた――。





 ***




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ