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『ブリュンヒルドの心葬』  作者: 水澄
第2章『黒い蝶と雪の月』
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『長き夜を凍てし雪月』②

 シグルズとブリュンヒルドの悲恋――身を焦がす愛と憎しみを織り成す神話の顛末(てんまつ)を、光はネットで調べた。


 ブリュンヒルド、死ぬはずだった戦士へ勝利の運命を授けた罪で、神罰として人間の女の身へ堕ちた。

 英雄シグルズは、炎の茨に独り囚われていたブリュンヒルドを救った。

 二人は炎のように美しくも儚い恋に落ちる。

 しかし、指輪の"呪い"と卑劣な人間達の"策謀"によって、二人は引き離され、想いを違えてしまった。

 最期にブリュンヒルドはシグルズと共に、"業火の愛憎"でその身を燃え滅ぼした――。

 ブリュンヒルドとシグルズの悲しき愛憎の炎とやるせない結末。


 幻想(ファンタジー)の世界観に疎い俺の胸にすら、後味の悪さとは異なる苦い感情を植え付けた。

 とはいえ、ブリュンヒルドとシグルズの物語からは、蛍と深月との関連性や過去の手がかりすら見出せなかった。

 ブリュンヒルドとシグルズの悲恋を、蛍と深月は自分達とどう重ねて"共鳴"していたのか。

 神の罰や不幸を呼ぶ呪いの類は、現実世界には当然存在しない。

 ましてや蛍と深月は、血の繋がりがないとはいえ、義理の兄妹に過ぎない。

 強引な推理で考えると、数年前に何らかの理由で失踪した深月へ、蛍は"裏切られた"ような悲しみを覚えたのかもしれない。

 さらに気がかりなのは、深月の失踪した日と重ねて起きた『()()()()()()()』だ。

 果たして、蛍と深月の間に何が起こったのか。

 いずれにせよ、ルーナシティを脅かす諸悪の根源である深月・斎賀本人から真相を吐かせれば、全て解明するはずだ。


 「(蛍……)」


 それでも光の心からは、最近目にしていなかった蛍の少女らしい笑顔――同時に、写真の中で微笑む眉目秀麗な白い男の顔が、何とも形容しがたい感情と共に頭から離れないのだ。


 孤高に咲く氷花のように冷凛(れいりん)な蛍は普段の姿。

 ただし、愛おしさに切ない色を帯びた表情の蛍は、義兄との思い出の本を胸に抱いていた。


 そんな彼女の普段にない姿はどこか寂しげで、俺の胸を熱く締め付けた。


 蛍は自分を置いていった義兄を今も想い焦がれている。


 どれほど帰りたくても叶わない思い出に焦がれる、少女のごとき健気な心で。

 言葉を交わしたことすらない深月に対し、俺は怒りの炎の棘が心に刺さるような痛みを覚えた。

 深月・斎賀に対して、俺が異様に抱いていた炎のように苛烈な感情の正体。

 それは、大切な恋人の心を弄び、本当は氷のように固いようで繊細な彼女の優しさを踏みにじる邪悪さへの怒りか。

 あるいは、親友の弓弦・黒沢を今も誘拐している黒幕だからか。

 そのうえ、俺と蛍の後輩である香坂を惨殺し、望月の精神を崩壊させた。

 最も許し難いのは、己の目的のために、他者を惨い方法で殺し、一般市民を巻き込み、傷ついた人間を巧みに利用し、復讐に手を染める道へ(そそのか)した深月自身の"罪深さ"。

 深月への義憤に燃え、罪深き奴を怒り憎む理由には心当たりが多すぎるくらいだ。

 しかし、己をここまで激しく怒り燻らせている"本当の感情"を、光は()()に辿り着いて初めて悟ってしまった。


 「(今になって振り返れば理解る。俺はずっと――深月・斎賀に()()していたのかもしれない)」


 俺の知らない蛍の過去、幼き日の彼女が抱えてきた傷を、その深く抉る部分まで知り尽くしている義兄の深月。

 たとえ、犯罪者へ堕ちても尚、唯一無二の家族として蛍に深く想われている。

 何より、蛍にとって誰よりも大きな存在で、俺ですら決して越えられない壁でもある。

 しかし、俺が深月・斎賀を個人的にも、家族としても決して許さないだろう。

 蛍の"深淵"に誰よりも近い場所に在り続けながらも、彼女の心を平気で踏み躙る奴を。

 たとえ、蛍にとって大切な"家族"であっても。

 幼き日の蛍を救った"恩人"であっても。

 蛍を決して渡すわけにはいかない。


 『光は……真夏の青空の"太陽"みたいに、()()()()()……』


 蛍に初めて惹かれ、彼女をこの腕で初めて抱きしめた時、俺は自分の胸に誓ったのだ。

 不屈の氷さながら気高くて美しい、けれど本当は誰よりも儚くて、温もりの必要な女。

 蛍だけは、俺の手で必ずに守り抜く。

 氷の鎧に閉ざされた蛍の(かなしみ)を拭ってやるのも、自分だ。

 凍える冬に降り注ぐ陽光に咲く、花のようなぬくもりも。

 白雪に微笑む無邪気な少女のような笑顔も。

 これから、己の手でずっと咲かせ続けたい、幸せにしたい。

 俺は蛍のことが好きだ――否、唯一人の女として、彼女を心から()()()()()


 「何とか着いたぜ、『国立満月図書館』――」


 だからこそ、俺は蛍を守りたくて、この場所へ一人で訪れた。

 蛍にも他の誰かに気取られる前に。

 蛍から笑顔を奪う"悲嘆と空虚"の元凶である憎き男を倒す。

 奴の繰り広げるふざけた惨劇の幕を下ろさせるために。

 神楽刑事官の何気ない台詞を手がかりに、光はE・Cの()()()()を推測できた。

 十三夜美術館の事件は、俺達警察をおびき寄せ、人力を一箇所へ集めるための"(おとり)"ではないか。

 在り処の知れぬ黒幕・深月が、わざわざ、復讐に焚きつけられた若者を集めて犯罪組織E・Cを結成した理由は?

 E・Cによる凶悪な傷害沙汰から始まり、爆破に立て篭もり、公衆破壊行為等。

 やたら派手な大規模事件を起こすことで、ルーナ警察署の人員を大幅に割かせた。

 さらに、三大区と警察のコンピューターを乗っ取り、安全装置と通信機能を陥落させた。


 恐らく――()()()()()()()()()()事だ。


 警察の監視警備も手薄の中、孤立した蛍を黒幕(深月)のもとへ誘うために。

 深月の真の狙いを考え導いた瞬間、蛍の顔が思い浮かぶと同時に胸騒ぎに襲われた。

 しかも、光の不安は的中したとばかりの時期(タイミング)で、蛍とも連絡が一切通じなくなった。

 蛍へ危険が迫っていると察した光は、蛍のいるはずの自宅マンションへ急いで戻った。


 「っ……頼むから、俺より先に着いているなよ……蛍……っ」


 案の定、蛍の姿は見当たらず、部屋中は強盗が押し入ったように荒らされていた。

 光は蛍の行方と安否を確かめるべく、あらゆる痕跡を調べた。

 破壊された番犬機械人形の残骸や粉々の携帯電話、散らばった資料の紙片等の内、ノートPCに残された"検索履歴"と"手書きのメモ"は決定打となった。

 蛍は『国立満月図書館』――あの男の待つ場所へ、唯一人で向かったのだ、と容易に推測できた。

 ならば、光が蛍よりも先に深月の隠れ場所へ辿り着き、己の手で決着をつければいい、と覚悟を燃やした。


 「(それにしても……《《後悔》》の象徴でもあった"旧時代の運転免許と技術"が、未来(いま)になってここで役に立つとはな……)」


 手始めに光は、運転停止中の電車と懸垂式軌道電車(モノレール)に替わる交通手段に、電動自転車(モーターバイク)を用いた。

 大地に群がる黒い揚羽蝶さながら、街中で暴れていたE・Cと応戦した際に奪い取ったものだ。

 街中で徘徊するE・Cを欺くために、光はE・Cの漆黒の装束も奪いら奴らに(ふん)して移動した。

 さらに、公務車両のみが使用を許される街外の交通道路を駆け回った。

 おかげで、空が夜闇に呑まれる前に、誰の妨害も受けずに早く目的地へ到着できた。

 現代では人間の操作なしで稼働する自動車、もしくは公共交通機関が主流だ。

 今の自動車には、予め登録された運転手のIDカードが鍵代わりだ。

 持ち主以外の人間が乗車すると、"防犯機能"が自動的に作動する仕組みだが、旧時代の車にはそのような防犯機能は搭載されていない。

 ちなみに、光が旧時代の自動車を運転できる理由は、学生時代に親友と一緒に「自動車運転免許」を獲得したからだ。

 しかし、直後のルーナシティICT化によって、操作いらずの自動運転車が一般化されてしまい、多数の民間人は地下鉄電車か軌道電車で移動するのが主流となった。

 せっかくの訓練受講料に試験合格、獲得した運転技術と努力は水の泡となった。

 親友の黒沢と一緒に悔い嘆いたのは記憶に新しい。


 「(だが、今となっては黒沢(あいつ)の車と運転(ドライブ)好きには感謝だな……)」


 あらゆる行為には、きっと()()()()()()()()()()()のだ、と信じる事ができる。


 "何の意味があるか"は、自分がどう解釈し、何に活かしていけるのか、きっと自分次第なのだ。

 午後五時半頃――光は休館日と立てられた満月図書館へ侵入し、蛍の"手書きメモ"を手がかりに、多目的広間の暗証番号も解読できた。

 光にとっては、胸糞の悪くなる三つの猟奇殺人事件の怪文章は、単なる悪ふざけではなかったらしい。

 それにしても、一見複雑難解そうな謎の解答は、"頭数字"とか小学生も思いつきそうなくらい単純明快な内容だぜ。

 散々頭を絞られた警察への嘲笑をも感じさせる解答への感想を、胸の内で皮肉たっぷりに吐き捨てた。


 「――おや、おかしいな。君は確か……」


 透明な硝子天井から降り注ぐ朧月に輝く、夜の多目的広間。

 広間の舞台壇上から、首を傾げてこちらを窺う人影――まさに()()()の存在を初めて視認できた。


 この男が、蛍の――!


 長き夜の闇と幻惑的な月光に融けむ白い男の名を、光は思いの丈を燃やして呼んだ。


 「答えろ。お前が、()()()()か――?」


 銀雪色に輝く髪に、お揃いの驚くほど白い肌。

 孤高の冬月を彷彿させる、冷え澄んだ気高き美。

 白百合のように咲いた優美な微笑み。

 虚ろな灰色の融けた青の冬空みたいな瞳。

 奥には"深淵"を知る者らしき智性を揺らめかせて。

 しかし、眩い月光と深い夜闇に霞むどころか、むしろ吹雪のように優美でありながら、皮膚を突き刺すような冷たき威圧感までも感じる。

 たった一眼合わせるだけで、光は瞬時に悟ってしまった。


 この男は、ぞっとするほどに美しく、あまりにも()()だ――。

 冷たく淀んだ土に()みた"狂気と死の香り"を、清らかな白雪で覆い隠したような――。


 目前の男の凍りつくほど危険な気配を感じ取った光は、感情の赴くままに名を叫んだ己の軽率さを一瞬悔いた。

 しかし蛍の顔を思い出せば、同時に深月に対して一瞬でも(ひる)んだ己の弱さを恥じた。

 己の恐怖心を義憤の炎で灼き消さんとばかりに、光は深月を強気に睨み返す。


 「そういう君は、光・藤堂刑事官で、間違いないかい?」


 一方、冬の静謐を捕らえたような眼差しで光を観察していた深月は、柔らかく微笑んだ。

 光の強がりを見透かしたように。

 氷像さながら沈黙していた深月がようやく口を開いた。


 「お前、何故俺の名前を」

 「君のことはよく知っているとも、藤堂刑事官。君が、蛍の()()なんだよね?」

 「そんなことまで知っているとはな」


 初雪のように柔らかで、じんわりと冷たい音色に美しく澄んだ声だ。


 「君の事なら、全て調べがついている。蛍との関係も、君が先に辿り着いた事も、僕には"興味深い()()"と呼べるかな。()()()()からも、たくさん話を聞かせてもらったよ」


 こんな状況でなければ、聞き惚れるはずの声が紡いだ聞き捨てならない台詞に、光の背中に冷たい汗は伝う。


 「どういう意味だ。まさか……答えろ、深月・斎賀! 黒沢は今どこにいやがる!? 返答次第では、ただじゃ済まないぞ!」

 「安心しなよ。黒沢()には、別の場所で休んでもらっているだけさ」


 深月の台詞が嘘偽りでなければ、親友の黒沢は幸い生きている。

 できれば、今すぐにでも黒沢の居所を問い出して一刻も早く救出したい。

 しかし、親友が"人質"同然に囚われている以上、光は不利な立場にある事に変わりない。

 闇雲に突っ込むのは未だ避けるべきだ。


 「それより、本来ならこの場所へ来るのは……僕の問いをこの世で唯一人理解できる蛍しかいない……そう思っていた」

 「ああ、そうかい」

 「だが君は一体、どうやってここへ辿り着いたのか。是非聞いてみたいな」


 今は深月との対話によって、奴を封じる方法の手がかりを掴み、実行するまでの時間稼ぎは必要だ。


 「それとも、蛍に教えてもらったのかい?」

 「お生憎様だが、"小学生"でも思いつきそうなくだらないナゾナゾの答えはあっさり解けたぜ。蛍の残した"手がかり"のおかげでな」


 理路整然とした冷たい思考、と義憤の炎をほとばしらせたい感情。

 相反する心が脳内で燃え凍える中、光は己の感情と推理を答えた。

 一方、露骨な皮肉をぶつけられても尚、深月は静謐の冬景色のように微笑み佇むのみ。

 むしろ、素直に感心しているとばかりに口元へ優雅に指を当て、好奇心の煌めく眼差しすら向けてきた。


 「なるほど。僕の想像を超えて、蛍は中々に利口な男を見つけたわけだ。さすが、蛍が()()()()は"心を許した男"なだけあるね」

 「お前の評価はどうでもいい。それよりも質問に答えろ。一体、何の"目的"があって、あんなふざけた事件を起こしている? こんな回りくどい謎で、蛍を(おび)き寄せてまで」


 深月の口から蛍の名前が出た瞬間、光は一切の嘘や誤魔化しを許さない厳しい口調で詰問する。

 この男が蛍を馴れ馴れしく呼ぶだけで、胸に燻り続けた怒りは炎となって己も相手も灼いてしまいそうになる。

 蛍への真っ直ぐな愛情と正義の炎で恐怖心を吹き飛ばし、目の前の凶悪犯へ吠える。

 勇猛果敢な光の態度にも、深月はまたも感心した様子で微笑む。

 しかし、深月の柔らかな物腰は、逆に光を見下しているようで、無性に気に食わない。


 「何の目的のために、か……」


 一方、光の苛立ちや焦燥も見透かしてから否か。

 光の睨みにも詰問にも動じていない様子で、深月は悠然とした足取りで歩み寄る。

 距離を縮めてきた深月に、光は反射的に拳銃を懐から取り出し、焦点を合わせる。

 しかし、拳銃を目前にしても尚、深月は歩みを一向に止めない。

 むしろ三日月の線を描く唇を、ますます愉しそうに吊り上げながら語り続ける。


 「僕の崇高なる"目的"は、一言では答えられないくらい複雑難解だ。けれど、強いて言うのならば……」


 冬空色の瞳には、己の生命への危機感も恐怖すら浮かんでいない。

 ただひたすら、光という人間を澄んだ色で映し出す。

 見たところは丸腰で歩み寄る深月の静謐さに、光は気付けば数歩ほど後退していた。

 銃口を向けている光のほうが圧倒的に優位であるはずだというのに。

 虚勢を張る小動物のように睥睨(へいげい)する光を、深月は微笑ましそうにすら見つめる。

 そして、光の一つの疑問へようやく答えた。


 「もう一度、()()()()()()()()()だ――」



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