其ノ十四『氷爆の罠を潜り抜けて』①
十二月十二日・午後二時五十二分。
国立十三夜美術館にてE・Cの予告通り、謎の小規模"爆発"は発生した。
打ち上げ花火を彷彿させる律動的な爆音は、民衆の鼓膜を貫いた瞬間。
秋の陽光に照る『十三夜美術館』は、雪崩色の煙幕と独特の匂いを醸す冷気に呑み込まれた。
冬に凍てついた秋のように異様な光景に、館外の警察官も遠くの民衆も騒然と息を呑んだ。
「藤堂先輩! 浜本刑事官、と小川刑事官達は未だ中に……!」
周囲の安全確保や現状把握へ奔走する警察官と機動隊一同に、現場の空気はさらに冷たく張り詰めてきた。
「ああ、分かっている。だが、何なら途中で通信が切れた。それから何度試しても繋がらない! 一体、どうなっている……?」
神楽刑事官は館内に取り残された上司達を案じ、光は浜本との通信が急に途絶えたことに、さらなる危機感と焦燥を募らせる。
爆発現場に取り残された機動隊、と警察官三分の二程を"人質"に、犯罪集団E・Cは"立てこもり"を始めた――.
ただし、館内の人質の安否も、E・Cの武装の有無等も未知のまま。
警察にとっての"最悪な事態"は、外の機動隊と警察署の司令部を通じて館外の警察官にも伝わった。
今も機動隊は館内への強行突破を試みているが、あらゆる出入口と窓は鋼鉄の防犯シャッターに固く閉ざされていて叶わない。
今回の美術館の防犯シャッターと防犯監視カメラの操作は、辻村館長と彼を護衛する警察官二人へ委ねられている。
しかし、中央管理室にいるはずの館長達とも音信不通は続いている。
こうなれば、適切な状況把握も対処準備もないまま強引に突入するのも、一つの高い危険だ。
「こちら霜月班! 今すぐ応答を……!?」
さらに、手詰まりとなった館外の機動隊と警察官を混乱へ陥れたのは――。
「一体、どうなっている!? 何故、警察端末機は繋がらない!?」
「駄目です! こちらも、あちらの通信機も通信エラー発生中! 電波も受信できておりません!」
ルーナ警察と関係機関の者達の連絡手段たる警察端末を含むあらゆる通信機器無線は、一斉機能停止した。
爆発の起きる前後は、光と浜本は互いの端末で正常に通信できていた……途中までは。
明らかに異常な通信障害は、二人の通話が途中で強制終了された時点で起きたと思われる。
「至急、ルーナ警察署本部の技術部門へ連絡するんだ」
「ですから、どうやって! 警察端末が起動しないと通信すらできませんよ!」
「く……っ! 誰か! 通信可能な機器を所持している者はいないのか!? この際、個人の携帯端末でも何でもいい!」
E・Cによる爆発騒動に加えて、多人数の人質付きの立て篭もり。
一刻を争う緊急事態において、警察にとっては命綱である通信手段が一切断たれてしまった。
となれば、人質の安全な救出、と主犯達の逮捕を見越した突入作戦も、その計画に必要な情報を入手するのは不可能。
もはや、現場の統制はは瓦解したも同然だ。
混乱の渦巻く現場にて、適切かつ迅速な判断と行動力、各部隊のまとめ役の統率力は、事件の結末と人命を左右する事になる。
「あの、これを使ってみてください」
一方、光は同じく通信障害を受けている自分の警察端末とは別の、私用の"携帯電話"を取り出した。
光沢の森緑色の鋼に覆われた、折り畳み式の機器は、旧時代の遺物・ガラパゴス携帯だ。
今時ガラケーを使う人間は滅多におらず、不正アクセスを図ってくるのは余程暇なクラッカーくらいだ、と想定していたのだ。
「生安部の番号には繋がりましたので。そのままで大丈夫です」
「! そうか! 感謝する。藤堂刑事官」
光は『生活安全部門』の番号を打ち込んでから、機動隊を率いる長へ手渡した。
署の各部門事務所は、基本的に警察端末とそこに登録された番号しか通信を受け付けない。
ただし、警察への"総合相談窓口"である生活安全部門に限り、警察関係者だけでなく、一般市民からの連絡も受け付ける。
多少回りくどいが、生安部との連絡を介して事件現場、と署本部の情報共有と作戦を試みる。
幸い、今は未だ一般市民とメディアからの問い合わせは殺到していそうな状況でも、光の携帯電話は直ぐに繋がった。
警察署のE・C対策本部へ繋がると、機動隊長は現場への増援や通信障害復旧等の要請をする。
生安部を介して本部への伝言を済ませた機動隊長は、光へ丁寧に礼を述べた。
「っ……(頼む……どうか、繋がってくれ……! 数秒だけでもいいから……っ)」
森緑色の携帯電話を返却された直後、光は彼にとって"大切な人"へ即座に連絡を入れた。
『もしもし、光? 現場は、大丈夫なの?』
携帯電話の通信音から数秒足らずで応答したのは、自宅待機中の蛍だった。
「俺は平気だ。だが、今は緊急事態だ。ネットでも、速報は流れていたか?」
冷静な耀きに澄んだ声を耳にした途端。
緊張に凍て張った光の胸は、不思議と安らいでいく。
しかし、光の問いかけを理解した途端、蛍は慌てた声で答えた。
『あ……ごめんなさい、まだよ。調べものを続けていて』
「そうなのか」
『ええ……十三夜美術館、館内の警察を人質に立て篭もり……っ? しかも、爆発まで起きたの?』
恐らく、蛍は独自で継続している資料調査へ没頭するあまり、光から連絡を受けるまで異変に気付いていなかった。
光からの定期連絡にて、館内の不審物は既に爆発物処理班に片付けられたのを知っていた蛍も、爆発が起きた事実に動揺していた。
「しかも、爆発直後に浜本刑事官と繋がれたはずの通信も途中で切れた。何やらE・Cは、俺達の監視や探知機器の眼すらすり抜ける"特殊な爆発物"を使った可能性が高い」
光の推測を耳にした蛍は、電話越しに数秒ほど逡巡に沈黙した後。
『……! もしかしたら、最初に処理班が発見した爆弾は、ただの"囮"に過ぎなかったのかも……』
ルーナ警察の総動員令に基づく綿密な作戦計画に厳重な監視警備、浜本の的確な推理。
それらを以てしても、今回の爆発とクラッキング、立て篭もりを防げなかった要因、E・Cの狙いを蛍は察した。
「! つまり、"爆弾は既に回収したからもう安全。後はE・Cの登場を待って逮捕すればいい"……俺達はまんまと油断を突かれたようだ……っ」
蛍の澄んだ声が奏でた"囮"という単語から、光もE・Cの"本当の罠"を瞬時に理解した。
爆破予告を寄越したE・Cは、処理班を欺くために、あえて発見されやすい場所に"本物らしき爆弾"を設置した。
しかし、実際に爆発を起こした非可燃性らしき爆弾を隠すための囮に過ぎなかった。
E・Cの方が一枚上手だったらしい。
すっかり思惑に嵌まって油断していた己の弱さ。
一歩間違えば、未知の危地と化した館内に自分が囚われていた可能性。
さらに今、自分の代わりに浜本や部下達が危険に晒されているが、こちらは手も足も出せない現状。光はE・Cの卑劣さ以上に、己への不甲斐なさと無力感に怒りを覚えた。
思わず、携帯電話を握る光の手は力がこもって小さく震える。
「落ち着いて、光。現場にいない私が言えた口ではないけれど、あなたは悪くない わ」
「ああ、すまない、蛍。ただ……"気になる点"はある」
「謎の白い煙……本もの爆弾の正体の事?」
「いや、それもあるが……もう一つ、重要な事だ」
実際に起爆した爆発物と白煙の正体も気になるが、光にとってもう一つ腑に落ちない事がある。
それは、E・Cの立て篭もり犯が如何なる方法で警察の誰にも気付かれずに館内へ潜入したのか。
しかも、警察相手を人質に牽制できるほどの武装をした状態で検査を掻い潜り、本物の爆弾を仕掛けたのか。
そのうえ、爆破と同時に"難攻不落"の防犯シャッターを下ろす事ができたというのは、E・Cが中央管理室にいるはずの辻村館長と警察官達をも制圧した事を意味すだとすれば、立て篭もり犯のE・Cは一体何人いるのか、監視カメラの眼を欺きながらもいつ頃から管理室を乗っ取っていたのか、謎だらけだ。
「つまり……館内の爆破立て篭もり犯は、まるで"透明人間"みたいな芸当で警察を欺いたのね。しかも、警察の人力を大幅に削ぐ事にも成功した」
非科学ではあるが、実際蛍の喩えた通りの不可解な現象は起きている。
さらに、最後に蛍の何気なく口にした指摘も的を得ている。
総動員令に基づき、ルーナシティ中央の警察全員は、十三夜美術館でのE・Cテロ攻撃対策へ集結した。
しかし、大半以上は館内で人質として囚われてしまった。
現場だけでなく署本部内も人手不足と緊急対応に追われている。
つまり、たった一つの事件対応へ、三分の二以上ものルーナ警察本部の人員を割いたのは仇となった。
まるで「総動員令」すら利用した、敵の薄ら寒い意図すら感じられる――。
ここまで警察を翻弄し、誘導したかのような手口。
厳重な安全装置、とそれを信じて活用する人間を嘲笑うように欺く高度な技術と能力。
レギンが主犯とされている『連続猟奇殺人事件』の時と酷似する寒気に光は口を噤んだ。
今、光の胸にはまた別の"何か"が引っかかっているのだが、具体的に思い出せない。
ふと沈思黙考を始めた光に、蛍は電話越しに案じる声をかけようとした矢先――。
ピルルルルル……!
「!? 通信……? 誰だ」
先程から通信エラー表示しか出ていなかった光の警察端末は、突如一件の通信を受信した。
しかも、光と同じく館外で右往左往している他の警察官の端末にも通信の電子音が一斉に鳴り響いている。
本来であれば、通信の回復は望ましい事だが、画面を凝視する光達の表情は曇っていた。
何故なら、端末から虚空へ投射された三次元画面に表示されたのは、"非登録番号"だったからだ。
『こんにちはぁ! ルーナ警察の紳士淑女さまぁ、うふふっ」
警察端末機からしきりに鳴り続けていた電子音は、呆然とする光達自身の操作を許す隙もなく止んだ。
同時に、端末は本来なら表示する前に"不正アクセス"として弾くはずの"非登録番号"を、使用者の許可なく強制受信した。
すっかり、操作権を奪われた光達警察を嘲笑うように端末から奏でられた"少女の声"を耳にした瞬間――光の脳内で朧げだった"何か"の輪郭は浮き彫りになった。
「この声……お前は、まさかあの時の……」
『我らE・Cの罠に見事嵌まってくださってぇ、誠にありがとうございましたぁー』
電話口の蛍にも聴こえる音量で響いたのは、無邪気な残酷さを孕んだあの幼声であった。
きゃらきゃらっとはしゃぐ甘い声は、一度聞けば決して忘れられない。
エクリプス区地下で遭遇した時と同様、甘い蜜に浸した毒針で頬を撫でられるような悪寒は蘇る。
光も自身の皮膚が自然と粟立つのを感じた。
警察端末の投射画面には番号のみで、少女の素顔は映されていないが、あどけない声色から十歳前後と推定できる。
しかし、厳重な監視警備を欺き、敏腕警察官すら瞬く間に無力化できるほどの爆弾製作やクラッキングの技術を以て、立て篭もりを成功させたE・Cの主犯が――よりによって"可憐な少女"だとは、一体誰が想像できたのか。
緊張感にも欠けた無邪気で幼い言動は、殊更光達へ薄ら寒さを覚えさせた。
『おかげでこの十三夜美術館とルーナ警察の人達は、我々の手に落ちました! おめでとうございまーす! きゃははははっ』
にわかに信じ難い現実を前に、他の警察官も強い動揺と困惑で固唾を呑んでいた。
数多の修羅場を潜って来たはずの機動隊長も、動揺に顔を強張らせて沈黙する。
一方、少女は愛らしい幼声のまま、光達にとって残酷な現実を無邪気に突き付けて嘲笑う。
「貴様は、今回の爆破と立て篭もりの主犯格か? ならば、我々の問いかけに答えよ? 貴様は仲間と一緒なのか? イエスなら、貴様達は、あのE・Cなのか」
それでも、機動隊長は警察端末の向こう側で自分達を嘲笑う少女へ、悠然と声をかけた。
ささいな言動から、現状の突破口へ繋がる情報を少しでも得るために。しかし。
『ねえねえ? あなたも、そこにるんでしょ? 光・藤堂刑事官?』
「――!?」
平静を装いながら第一声を奏でた機動隊長の果敢さを吐き捨てるかのごとく、少女は彼をまるっきり無視した。
代わりに、館外で立ち尽くす複数名以上の警察官から、光を的確に指名してきた事に、彼本人も動揺する。まるで。
「お前……何故俺の事を?」
『当然だよぉ。だって私、さっきからずぅっと見ていたもの。あなたが、館内を鼠のように一生懸命歩き巡っていた時から』
「見ていた……だと? ということは、お前が」
フェンリルだな――?
エクリプス区地下の秘密空間にて、光達警察に追い込まれていた殺人鬼レギンを銃殺した怪しき少女。
恐らくは、"あの男"の一味であり、裏で糸を引くあの男に代わって、E・Cを率いて表舞台を先導する主犯格。
「エクリプス区でのガキか……まさか、月花庭園で俺へ近付いて密かに"手紙"を仕込んだのも、お前か?」
『ピンポーン! 大正解。名前も覚えていてくれたんだね、嬉しいよっ』
案の定、月花庭園で被害に遭った一般市民を装って光へ接近してきた例の"白外套の女性"はフェンリルだった。
爆破予告の手紙も、間違いなく彼女の仕業だ。
直接逢った時は、目深の頭巾のせいか、フェンリルの素顔は未だ確認できていない。
地下で会ったフェンリルの幼い矮躯、と月花庭園で見せた若い女子大生らしい体型、さらに両者の声色すら、光の記憶には微妙な齟齬を感じられる。
恐らくだが、フェンリルには姿も声も別人に見せる高度な"変装術"でもが備わっているのか。
そう仮定すれば、フェンリルと仲間のE・Cが光達警察を巧妙に欺いて、館内へ侵入できたのも辻褄が合う。
警察官に紛れ込み、館内で罠を張り巡らしていたフェンリル達の気配すら感じ取れなかったのか。
己の不甲斐なさに、改めて光は歯ぎしりせずにはいられない。
『それより失礼だよ? 藤堂刑事官。女の子をガキ呼ばわりするなんて。女の子は皆、淑女なのだから!』
「そうかい。だが俺達大人は、お前らの戯れに付き合うほど暇じゃない。そんなことよりも、館内にいる人間は皆無事なのか?」
相手を愚弄する甘ったるい幼声で語るフェンリルに対し、光は義憤を露わにした強い語気で詰問する。
『むぅ、やっぱりつれないなぁ。安心してよ。みんな、生きてはいるよ? 今の所はね?』
一方、フェンリルは挑発に乗り気ではない光の態度が面白くなかったらしい。
通信越しでも分かり易いほどに、フェンリルはやや不貞腐れた声を愛らしく漏らす。
それから、存外素直に光の質問には淡々と答えた。
言葉通りであれば、浜本達の生存は守られている。
しかし、フェンリルの甘く無邪気な声にそぐわない、どこか冷ややかな口ぶりは、かえって光の不安を煽った。
"生きてはいる"
"今の所は"
フェンリルの何気ない台詞を深読みすれば、決して安心し切れる状況とは言えない。
つまり、命はともかく"精神と肉体"の安全まで保障されているとは限らない。
しかも相手は、仲間だったはずのレギンすら躊躇もなく切り捨てた少女の姿をした冷酷な"殺人鬼"だ。
フェンリルの機嫌と状況次第では、彼女とE・Cは人質の命をいつでも躊躇なく奪える。
そんな最悪な結末を防ぐために、今の光達ができることは先ず一つしかない。
「ならいい。とっと彼らを解放しろ。大人しく逮捕されろ。子どもの戯れにしては度を越している。後で、署にて猛省してもらうぞ」
館内に立て篭っているフェンリルとの対話と交渉を根気よく続け、そこから突破口を見つけ出すことだ。
幸いか否か、フェンリルは機動隊長を無視してわざわざ光へ声をかけてきた。
フェンリルは相手が光であれば、ある程度生意気な言動を許しながら、興味津々に対話ができるかもしれない。しかし。
『くすくすくす、あはははは……! やだぁ! だって、今日頑張ったら! やっと"私達"にご褒美が……私には、新しいお父さんとお母さんができるんだから!』
「は? お父さん、とお母さん……? お前、何言って……」
『くすくすくす。藤堂刑事官はわりと話を聞いてくれるから、お礼に教えてあげる。このお仕事が上手くいけば、スノームーン様……お兄ちゃんはね、もうすぐ私のお父さんになってくれるの。そして、お母さんは……蛍お姉ちゃんがなってくれるんだって』
「!? 何故、そこで蛍が出てくる……? 一体どういう意味だ? 答えろ! スノームーン……お前らE・Cを率いている存在は、深月・斎賀なのか!?」
フェンリルの口から零れた奇妙な台詞、と予期せぬ名前に、光の心に緊迫の炎が発火する。
フェンリルの意味深な"願望"とその真意。
E・Cの首領・スノームーンの存在。
そして蛍の名前が出た時点で、さらに確信へ近付いた深月・斎賀とE・Cとの関連性。
光は狼狽を隠せず、まくしたてるように詰問した。
『あ! もう、起きちゃったぁ? 私、今目覚めたお兄さん達、と子ども達で遊ばないといけないから、また後で連絡するねー』
「!? おい! ふざけるな! 貴様! 俺の質問に答えろ!」
『ごめんねぇ、これ以上は無理。一応私にも"お仕事"があるの! 私にできることは、遊びながら"その時"を待つだけ。それじゃ、またね藤堂刑事官――』
光の激昂にも動じず、フェンリルは詰問をあっさり跳ねのけると通信を切った。
フェンリルとの通信を再試行試したが、今度の警察端末はまた虚しくも操作に応じない。
通信エラーの表示と音声案内のみが、光達へ無慈悲に響いた。
通信を一方的に切られた後も、フェンリルの無邪気で甘い笑い声は、脳内でねっとりした残酷さに木霊する。
レギンを銃殺した時といい、年端も行かない少女は、何故こうも笑いながら人の命を弄べる?
それにE・Cの首領・スノームーンは、やはり間違いなく――。
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