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『ブリュンヒルドの心葬』  作者: 水澄
第2章『黒い蝶と雪の月』
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『悲劇なる道化の宴』②

 今の所、処理班が早朝に発見した爆発物以外には特に異常や不審人物もなく、時間だけが平穏に過ぎ去る。

 ルーナ警察の厳重な監視警備が杞憂に終わるのではないか。

 一瞬そんな錯覚に襲われるほどに平和な静寂に、光の胸は安堵と焦燥の入り混じった複雑なざわめきに引っ掻き回される。

 早朝から館内巡回へ数時間以上も参加し、さすがに疲労は溜まっていた。

 光は館前の喫煙所にて、愛用の電子煙草を焚いた。

 爆破襲撃待ち、という緊迫した状況下のせいか、喫煙所でも気安く会話をする者は一人もいなかった。

 しかし、光にとっても今は誰かと談笑する気にもなれないため都合は良かった。

 ビターココアテイストの香る紫煙を、渇いた唇から力一杯吸い込む。

 甘くほろ苦い紫煙は、肺から血管を介して脳神経細胞を目指す。

 脳内の隅々まで行き渡った頃には、疲労と焦燥で麻痺しかけていた心は冴えていく。

 宙に昇る紫煙を静かに見つめる光の口元は、自然と(ほころ)ぶ。

 理由は、単なる煙草のもたらすニコチンの効能だけではない。


 こんな甘ったるい煙草は本来なら吸わないが……()()()の言う通り、これも悪くないかもしれない。


 ココア系の甘い風味(テイスト)の電子煙草は、同じく喫煙者の親友・黒沢から勧められたもの。

 同時に、その甘さを好む()()の、氷を熔かす春日向みたいな声を思い出す。


 『光のその煙草……甘くて良い香りは好きだけれど……ほどほどに、ね?』


 光の健康を気遣う蛍は、彼の喫煙量の多さをしばしば注意する。

 まるで、父親の不摂生を諌める気立の良い娘だ。

 しかし、光が甘い煙草を吸う時に限り、蛍は少女みたいに柔らかな微笑みを咲かせる。

 普段は砕けることのない氷さながら冷静沈着な蛍。

 しかし、実際の内面は純真で心優しく、甘いものに目がない普通の女の子らしさも秘めている。

 最近、あの氷雪解けみたいに無垢な笑顔を最後に見たのは、果たして何時頃だったのか。


 『いってらっしゃい。現場では気をつけてね。今夜は光の好きなご飯作って待っているから』


 E・C事件の騒動とその対応へ追われるようになって以来、光と蛍は互いに多忙の身だ。

 二人の日課として定着していた、遅めの夕飯も食後のお茶と小さな語らいも、なくなってから随分久しい。

 残業もある光の方は、日付が変わる寸前の深夜に帰宅するようになった。

 深夜の自宅での蛍は、大抵先に就寝しているか、氷さながら(こお)り張った眼差しで事件資料を読み漁っているか、だ。


 『私達は()()()()()()、のかしら』


 最近は、蛍とまともに()()()()()()()()せいだろうか。

 光の皮膚と神経記憶へ深く刻まれた、"蛍の存在と温もり"を思い出す。

 途端、不意に湧き上がる蛍への恋しさを、彼女の好む甘い紫煙で紛らすようになった。

 しかし、今朝、蛍と交わした小さな会話を想起すると、同時に焦燥と苛立ちに引き絞られる。


 『突然、どうしたんだ? 蛍』


 早朝から現場へ駆り出す光を、蛍が玄関で見送った際。

 冷凛な蛍らしからぬ、儚げな声で絞り出された台詞の意味を、光は一瞬掴み損ねた。

 不安に駆られた光は、極力穏やかな眼差しと声で蛍と目線を合わせて真意を問いかけた。

 途端、蛍は後ろめたさを秘めた少女みたいに視線を俯かせた。


 『まさか。()()()俺に言っていたことだが、今も気にしているのか』

 『それは……』


 躊躇らしき間を呟いてから直ぐ、一向に口を開かなくなった蛍から薄々察した。

 蛍ですら、今までにない"不安と恐怖"を、その柔く儚げな肩にたくさん背負っているのだ。

 たとえ、蛍が才気溢れる優秀な警察官であっても、彼女だって"一人の人間であり女性"なのだ。

 光としては、幾ばくでも蛍を安心させたかった。

 小さな少女を励ます手付きで、彼女の華奢な頭を撫で上げた。


 『あまり心配するな。蛍の理論も、浜本刑事官の推理も当たっていると思う』


 昨夜、総会を終えてから暫く後になって、蛍は釈然としない表情でふと零した。

 "《《物事》》が上手く運び過ぎている気がする"、と。

 蛍は「猟奇事件の怪文章とE・Cの爆破予告手紙との繋がり」という自身の見立て、そこに基づいて浜本の推理で導けた爆破場所で、本当に()()()()()、と。

 そして、恐らく今夏の事件でも裏で糸を引いていると思しき"義兄(あの男)"の足取り。

 それらへの不安や懸念を意識した言葉だ、と最初はそう解釈した。

 蛍の小さな頭を撫でながら穏やかに微笑む光に、彼女も微笑む返す。

 しかし、蛍の胸中を占める不安は()()()()()()()()事が直ぐ後に思い知らされた。


 『あのね、ふと思ったの……レギン……三浦の犯した罪も、他者を傷つけたE・Cの罪も……いかなる理由があっても、決して許すべきじゃない……ただ……』


 酷薄に凍える大地を労わる夕陽を見つめる、どこか切なげな眼差しも。

 薄紅の花びらみたいな唇を綻ばせてから、また直ぐに固く結んだ事も、その証拠だった。


 『蛍……? 一体』


 何が言いたいんだ――?

 蛍の述べようとする「ただ」の先の想い(言葉)とは。

 光の率直な疑問の声は、彼自身でも分からない内に言葉へ紡げなかった。

 玄関口で儚げに佇む華奢な蛍を上から観察する。

 どことなく、親に叱られるのではと怯える子どもさながら、蛍が随分と小さく見えた。

 それでも光が根気よく待っている、と数秒も過ぎた後。

 躊躇を振り切ったように澄んだ眼差しで、蛍はようやく意を決して答えた。


 『……本当に、()()()()()()()()()()って』


 やはり普段の蛍らしからず、曖昧で要領を得ない物言いに、光は戸惑いながら瞠目(どうもく)してしまう。


 『急に変なことを言ってごめんなさい……でも、最初に逮捕されたE・Cの洋子・渡辺も……佐々木所長を手にかけた後でレギンに殺された二郎・石井も結局皆、"傷つけられた加害者(被害者)"だった』


 今の蛍は何を言いたいのか――淡雪さながら、瞬く間に消えてしまいそうな声で紡がれた"意味と悲哀"こそ、光は痛いほど共感できる。

 とはいえ。


『らしくもないな、蛍。まさか、奴らに……()()()()しているのか?』


 蛍は新人時代から今も、基本は冷徹で合理的な判断と行動を欠かさない敏腕刑事官。

 そんな蛍が珍しく、加害者へまさに憐憫に近い感情を覚えている事に、光は純粋に驚いていた。

 ただ、光の指摘な問いかけに蛍は否定か否認か、曖昧に首を横振りしてから言葉を続けた。


 『今回のE・C事件も、彼らにそうさせた動機も…… 単にE・Cを()()()()()()()()()()()問題だって……果たして、そう言いきれるのかしら』

 『それは……』

 『光も本当は、何かが変だって思っているのでしょう? あなたは……どんな相手にも思いやりも怒ることもできる、優しい人だから』


 光や蛍に限らず、厳しくも根は仲間思いだったり、と優しさもある浜本刑事官や、他の刑事官達ですらそうだ。

 今回の痛ましい事件にも、主犯のE・Cの存在に対して、何とも言えない"違和感"を覚えている。

 何故なら、洋子・渡辺の逮捕を契機に、痛ましい暴行・傷害事件を起こすE・Cの"動機"、対象が個人から"無差別"へ拡大した理由も判明してきた。

 その元凶であり同時に"歪み"へ、警察(自分達)のずさんな対応も、無意識レベルで一枚噛んでいた時日。

 一部の警察官の間には、"罪の意識"に近い不穏な暗雲が立ち込めていた。


 『(警察(俺たち)は一体、今まで何を見てきてた? 俺は、何をたくさん見過ごしてきてしまった――っ?)』


 暗澹たる想いが混沌と渦巻く光の脳裏を過るのは、E・Cの関係者と被害者への捜査結果。

 一妃・大河内は、同級生の洋子・渡辺から全てを奪った悪妃(あっき)そのもの。

 きっと、渡辺以外にも潜在的な被害者は多く存在する、と想定しながら調査へ臨んだ。

 唯一小川刑事官は、一妃の親があの有名で力ある地方議員であることを知り、面倒事を避けたがっていた。

 それでも、小川の反対を押し切った浜本と光主導で実施した「家宅捜索」の結果、()()()()が見つかった。


 『おいおい。今時のお嬢様も秘密があるようだが……"隠し事"とか、可愛いレベルではないな』


 薔薇を貴重とした中世欧風(ヨーロピアン)の自室の本棚裏には、歪んだ収集品(コレクション)――一妃が今まで犯してきた数多の罪と悪事の証拠が隠されていた。

 内、渡辺をズタボロに裂き抉った"悪夢"の始終動画を保存した記録媒体機器も発見された。

 一妃の隠蔽してきた罪の立証は、E・C事件収束後、検察へ委ねられる決定が下った。


 他方、大河内と渡辺の中学校担当教員を務めていた久一郎・吉田について。

 吉田の教員としての素行に際立った問題もなく、生徒からの評判は可も不可もなく"ごく普通"だった。

 ただし、渡辺が供述していた通り、吉田が悪気無く突きつけた無神経な台詞への恨みから、E・Cの"復讐"に巻き込まれたのだろう。

 良かれと正しいと思った言葉かけも、相手の心の傷をさらに抉る凶器となりえる――"二次被害"とい、うものだ。

 大河内と渡辺、そして吉田の三者と同様、被害者と加害者の関係性が複雑に絡み合っている特徴は、第二事件においても確認できた。


 『まさか―― 和馬(かずま)高田(たかだ)までもが、"被害者"だというのか』


 第二E・C事件――ルーナ地下鉄電車内にて、哲郎・喜田はE・Cから暴行を受け、()()()()()()()()()()()()()()

 作戦開始直前、小川達は喜田を襲ったE・Cの内、洋子・渡辺と同じような"主犯格"を探していた。

 事件当日、駅改札口のカード読取機に記録された乗客情報、と駅内と車内の防犯監視カメラの記録を調べた。

 調査の結果、喜田と同じ時間帯に乗車した"一人の男子高校生"の存在は浮上した。


 『"彼"です。事件当時、喜田と同じ車両へ乗り込んで以降、()()()()になっています』


 和馬・高田――私立新月高校の二年生として在籍中。

 しかし、一年程前の秋に突然不登校になった留年生らしい。

 最近までは、ひきこもりで昼夜逆転の生活を続けていた。

 しかし母親曰く、事件当日に無断外泊して以降、帰宅していないとのこと。

 改札口の監視カメラを見るに、和馬は制服を着ていたが、彼は本当に学校へ行こうとしていたのかは定かではない。

 事件当日の和馬の不自然な行動と失踪。

 "クラッキング"を解除した後に確認できた、事件現場の監視カメラに映っていた和馬と喜田の姿。

 事件発生直前、二人が何かしらのやり取りを交わしている様子を怪しんだ浜本は、喜田の家宅捜索を推し進めた。


 『馬鹿な……何かの間違いではないのか? 今はネット犯罪の時代だ。喜田氏を()めたE・Cどもの罠の可能性は!?』


 確固たる"証拠"を目の当たりにしても尚、小川は信じたくないと否認する。

 家宅捜査の結果、警察病院で保護中の喜田は、退院終了後の"()()()()()"を命じられた。

 しかも、E・C爆破予告事件の収束後は、検察の決定次第で"逮捕と裁判"に処される。


 『何を言いますか、この()()の山こそ、一目瞭然でしょう』


 肥えた喉を鳴らして忌々しげに喚く小川へ、浜本は容赦ない冷徹さで現実を突き付ける。

 何故、被害者であるはずの喜田まで、"犯罪者"と見なされてしまったのか――。

 我々は知ってしまったからだ。

 喜田には大臣としての顔とはまた別の、"おぞましい本性と実態"があることに。


 『これは、哲郎・喜田が被害者であると同時に、()()()である揺るがぬ証拠になります』


 浜本の意見に同意する光も、小川へ遠慮なく言葉を呈する。

 言葉遣いこそ丁寧だが、氷柱の眼差しで小川を叱咤するさ浜本と光に便乗してか。

 気まずそうに俯いていた部下達も、納得に大きく頷いていた。

 喜田の自宅と事務室にあったPC記録媒体に保存されていたのは、和馬・高田を含む"十代前後の男子"ばかりの画像記録。

 パズルピースさながら膨大な数を並べた画像は、まさに常軌を逸した――所謂(いわゆる)、"未成年《《ポルノ》》"だった。


 『何てことを……っ』

 『ひどい……っ』


 痛ましい光景に、光達は思わず不快感と憐憫に表情を曇らせた。

 ポルノの餌食となった未成年男子は、ほぼ全裸か衣服を乱され、屈辱的な体位を強要されている。

 彼ら未成熟な肉体は、皮膚から()()()()に至るまで、肥えた毛虫のようにおぞましい指や()()()によって侵蝕されている。

 未だ無垢で多感な男子の"音なき苦痛と悲鳴"は、静止画越しであっても見る側へ生々しく訴えてくる。


 『うぅ……っ……喜田の(ケダモノ)クズ野郎めぇ……()()()()()何が愉しいんだ……クソ……っ』


 身の毛もよだつ画像の海から、和馬・高田に該当する記録の抽出を、浜本と光は何とか試みる。

 他方で二人の背後には、吐気と嫌悪感を露骨に零す小川がいた。

 偏屈な小川にとっては、同性愛、ましてや男同士での志向は理解不能で気色悪く映るらしい。

 光も浜本も理解しているわけではないが、世の中には色々な人間や"愛し方"は存在すると認識している。

 自分達より長生きしているクセに、その現実を分かっていない男の無神経さに思う所はあるが、今は目を瞑るしかない。


 『あったぞ……!』


 寿司詰めの満員電車に揺らされている和馬・高田の画像を発見した。

 和馬は車内の手すりへ汗を滲ませるくらい握り絞め、苦悶に青褪めた表情で歯を震え合わせている。

 PCの画面拡大機能で観察してみる。

 すると、和馬の制服のシャツ、と深緑と紺碧のタータンチェックのズボンの中をまさぐっている醜く膨れ上がった手が見えた。

 早速、浜本は画像記録を分析部へ送信し、画像解析による"遺伝子情報"の照合を要請した。

 日昇国では、ルーナシティを含む発展都市内に住民登録している人間の遺伝子情報を政府と警察が管理している。

 新たな防犯機能の試験、と犯罪抑止効果の研究が目的だ。


 『決定的だな……藤堂刑事官』

 『はい、浜本刑事官……今から俺の部下と検察官一人を向かわせます』


 結果、画像に写った毛虫指の遺伝子情報は、九十九パーセントの高率で哲郎・喜田のものと一致した。

 かくして、喜田には未成年ポルノの所持ならびに未成年性犯罪防止法違反で逮捕され、法の裁きを受ける未来を約束された。


 *


 蛍の呟いた「私達は正しいのか」が真に問いかけていた意味を、薄々悟った光は表情を曇らせた。


 「蛍――まさか、E・Cの思想に共感して……」

 「ちがう。でも、ただ……」


 蛍は誤解を恐れて真っ先に否定した。

 しかし、蛍にしては珍しく言葉を濁して気まずそうに俯く様子から、完全否定できていないようにも窺えた。

 一妃・大河内に続き、哲郎・喜田が密かに犯していた罪も、犯罪ではないが相手の心へ癒えない傷を新たに刻んだ久一郎・吉田の対応も。

 たとえ、彼らが()()()被害者であっても、正義感の強い光ですら許し難い行為だった。

 もしも、今すぐ過去へ戻れるならば、今すぐ被害者(加害者)殴りたい(助けたい)――そんな不合理な願望を一瞬でも胸に灯した。

 復讐を成したE・C構成員の洋子・渡辺と和馬・高田の受けた不条理な仕打ち、と深い心の傷を知った蛍も胸を痛めたのだろう。


 「蛍――お前の気持ちは、俺にも痛いくらい分かる。だが……」


 E・Cの罪深き所業は、じわじわと燃え広がる毒のような悪意、とそれ以上に社会(我々)への悲憤に満ちている。

 E・Cの謳う"救済と制裁"とは、子ども時代に葬られた"声なき叫び"を掬い上げ、"心の傷"を復讐"によって癒すというもの。

 E・Cは理念を見れば、彼ら自身だけでなく、()()()()()()()()()()()()()()の惨状を訴え、"救済と社会変革"へと繋げられるはずだった。

 たとえ、法律に()らない手段であったとしても、大河内や喜田のような()()()()()()への摘発と制裁にも貢献できた。


 『これだとまるで、どちらの方が"被害者"なんでしょうね?』


 神楽刑事官の率直で、まさに言い当て妙な一言に、周りは氷柱で胸を貫かれたような表情になった。

 普段は飄々とした神楽を主に諌める浜本ですら、核心を突かれた様子で凍りついていた。

 皮肉にも、隠蔽されてきた大河内達の罪はE・C事件を機に白日の下に晒された。

 ここ数日間、洋子や和馬以外の被害者からも、警察への訴えは殺到するようになった。

 E・C本人達、と彼らへ新たに加担する者、ネットで応援の声を上げる者は、被害者と擁護者だからこそ。しかし。


 「それでも、俺達は警察として、E・Cの"残酷な行為"を許容してはならないんだ。たとえ、どんな理由があっても、()()()()()()()()()のと同じくらい」


 一方、光は唯一の確信を以って、E・Cの行いを彼らの理念ごと否定できる。

 何故なら大河内達の事件以降、E・Cの攻撃対象は、罪深き個人のみに留まらなくなったからだ。


 「ええ、分かっているわ。今のE・Cの復讐劇は、ついに無辜の一般市民にまで拡大している。爆破予告まで、過激な行為へ増長(エスカレート)しているわ。私はそれを許すつもりはない――」


 蛍を諭すような光の言葉かけに対して、蛍は了解した静かな微笑みで肯いた。

 蛍の的確な正論と冷凛とした眼差しから、光は自身の懸念は杞憂だったと判断した。


 「だからね、光も気付いているかもしれないけれど……E・Cの崇めているスノームーンは…… ()()()()()()だと思うの」

 「! どうしてそう思う?」


 意を決した眼差しの蛍の口からようやく耳にした"あの男"の名前。

 蛍の言う通り、光も薄らと考えていた可能性の一つだった。

 しかし、現時点では深月・斎賀がE・Cの首領(ボス)・スノームーンとして暗躍している"根拠"を掴めていない。

 冷静沈着な蛍の口からその根拠らしきものを聞くべく、光は真剣な眼差しで問いかけた。


 「以前…… 光にも話したことあったかな。私、『子どもを犯罪から守りたい』って"夢"があって、警察官になったこと」

 「ああ…… 忘れるものか」


 子どもを犯罪から守りたい――蛍はその一心で警察官になる夢を叶えた。

 ルーナシティの中枢にある警察署に勤め始めて以降も、刑事官の誇りと使命感を胸に犯罪と闘ってきた。

 そんな蛍だからこそ、E・C――"かつて子どもだった"彼らの痛みも動機も、(ないがし)ろに割り切れない葛藤も少なからずある。

 蛍の警察官になった理由を知る数少ない人間であり、正義感も思い遣りも深い光も、彼女の複雑な心境を理解できた。


 「子どもを守れる警察官を目指したい。いつも、深月義兄さんは私を応援してくれたの。もしかしたら、それで義兄さんは……」

 「つまり、蛍の夢に沿った目的のためにE・Cを結成したかもしれないって事なのか……?……あの……」


 深月・斎賀が――一体、何故。

 蛍の台詞から推測し得るスノームーンの正体に言及した際。

 何故だか光は、蛍にとっては今も敬愛なる義兄の名を声に奏でるのも憚れた。

 理由は光自身が痛いほど自覚できた。


 そもそも、あの男にとって義妹の蛍は()()()()

 血の繋がりは関係なく、共に過ごした兄であれば、妹の心情へ想像を馳せるくらいは容易なのでは。

 本当は蛍の事を、()()()()()()()()()

 あの男にとって、蛍と同じくらいの想いで義妹を大切に見なしているのか。

 それとも、レギンや石井と同じく、いずれ利用できるただの"駒"としてか。


 いずれにしろ、犯罪者として蛍へ仇なす存在となる男に対して、既に光は名前を耳にするだけで焦燥と憤りがさらに燻っていくのを感じる。

 下手すれば、胸に抑えた激情を火の粉のように蛍や周りへぶつけそうになるのを恐れている。


「とは言っても、あくまで可能性の話よ。もしそうだとしても、警察である私とは正反対の方法で、あなたの言う通り許容はできない。ただ」


 刹那の沈黙に伏した光の真意を察してか否か。

 蛍は改めて少女のような弱々しい表情で(まぶた)を伏せると口を開いた。


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