其ノ十三『悲劇なる道化の宴』①
十二月八日・深夜一時頃。
ルーナ警察病院の不法侵入並びに、一妃・大河内被害者への殺人未遂で、不審者は警察に取り押さえられた。
現行犯逮捕されたのは、「洋子・渡辺(旧姓)」・二十一歳女性だ。
犯行時に纏っていた黒い揚羽蝶の装束から、渡辺がE・Cの一員なのは一目瞭然だった。
渡辺の身柄拘束後、署での事情聴取を実施。
光達は、渡辺の精神衛生を配慮したうえで、心理療法士も同席させた。
聴取を経て、大河内がE・Cから被害に遭った背景、彼女へ尋常ならぬ憎悪を燃やす渡辺の動機も判明した。
洋子・渡辺は、加害者であると同時に"被害者"でもあった。
E・Cの構成員である渡辺の足取りを掴めたのは、大河内の母校・公立月島中学校への聴取がキッカケだった。
中学時代の大河内と同級生だった者達の内、渡辺が在籍していた記録を発見。
大河内の身辺から人間関係、評判等を過去から遡った結果。
『あの人、綺麗で頭も良くて先生の評判もすごかった。でも、気に入らない人はとことん虐めて、貶める所は怖かったです』
才色兼備で品行方正の"優等生妃"、と謳われていた大河内の本性と実態も判明した。
『しかも、実家は大金持ちで、両親も教育委員会とかの主権を握っている? くらいの敏腕ルーナシティ議員だとか』
『だから、大河内に逆らえるのは誰もいなかったですね。実質、教員やPTAすら、彼女なら何をやってもお咎め無しでした』
ルーナシティ議員のご令嬢として、一妃は両親と共に富と権力を手に、自由自儘《に振る舞っていた。
一妃は、己の威厳と地位を脅かす者や自分に従わない者全てを、あらゆる手段を用いて排除してきた。
一妃と同じ学校の生徒は当然、教育委員会や市町内会ですら、大河内一家の顔色を窺ってきた。
一妃の本性を知る者達は、羨望や畏怖、反感を抱き、彼女の密かな悪事にも目を瞑ってきた。
「そうよ。全て、警察の言う通り。私はあの女を殺したいほど怒り、恨み、憎み尽くしてきたのよ! 何故なら――」
大河内へ心の奥底から恨みを抱く同級生の内、唯一浮上したのは、洋子・渡辺であった。
当時、渡辺は他区から月島中学校へ転校してきた。
表向きは人当たりの良い統率力に輝く一妃と出逢った渡辺は、憧れる"友達"として慕うようになった。
本性を露も知らないまま、常に行動を共にしたがる渡辺へ、一妃も最初は友好的に接していた。
ただし、従順な部下か飼い犬を可愛がる感覚で、だが。
「あの日、あの女は私へ言ったのよ……目障りだって……お前みたいな薄汚い泥棒の雌猫は死ねばいいって……あんなセンスの悪いみすぼらしいドレス、誰も着たいなんて思わない、て……っ!!」
二人の危うい均衡を崩したのは、ルーナシティ恒例の『全国芸術大会』だった。
毎年通り、一妃の出展した五つの芸術部門の内、唯一服飾部門で一位を勝ち取ったのは、渡辺の製作したドレスだった。
ファッションデザイナーになる夢を持つ渡辺の優勝に対して、優勝制覇を逃した一妃も祝福を述べた。
一妃は、互いの優勝祝いの宴会を開くために、渡辺を自宅へ招いた。
しかし、憧れの友からの祝福は、"悪夢への招待"だった事に、渡辺は夢にも思わず。
「あの日、一妃の家に誘われて行ったら……彼女に金で雇われていた学校の男達がいたわ…… っ」
大河内の豪邸へ招待された渡辺は、一妃の金と魅力に釣られた同じ学校の男達から"性的暴行"を受けた。
当時の渡辺は、声にならない悲鳴を漏らしながら、男達に身も心も辱められた。
「十二月三日の夜、私が……E・Cがあの女にした事と同じ目に遭ったの……っ……はぁ、はぁ……っ!」
しかも、陵辱の悪夢の一部始終を、一妃は淡々と眼差し且つ嬉々とした調子で撮影したのだ。
「あの日も一妃は……男に嬲られている私を嗤っていたわ……蛙の死骸を見るような……冷めた眼差しで……っ」
悪夢の夜の後日、洋子・渡辺は一日中自宅にひきこもるようになった。
しかし、洋子を苛む悪夢は、唯一の安息領域であるはずの自宅にいても尚、終わる事を許さなかった。
突然、不登校になった洋子の事情と心境を知らなかった両親は、"単なる怠けと甘え"だと思い、彼女を一方的に叱咤激励した。
学校の主担任は、家庭訪問した際に「悩みがあれば打ち明けてほしい。できる限り、先生も力になるから」、と洋子を励ました。
洋子は、勇気を振り絞り、優しく差し伸べられたその手を取った。しかし。
『渡辺さん……嘘はいけませんよ。ここの学生が強制性交だとか、冗談にしては質が悪いです』
しかし、洋子の勇気も希望も直ぐその場で脆く砕かれた。
あの夜の悪夢を言葉にする事すら、喉管から胃壁を掻き乱されるような吐気と苦痛に耐えた。
噴き出すような恐怖に歯を食いしばりながら、懸命に真実を打ち明けた、にも関わらず。
『しかも、大河内さんに嫉妬するのも分かりますが、嘘で他人を貶めるなんて。あなたの人間性を疑いますね』
主犯に一妃・大河内の名前を出した瞬間、主担任は掌を返して洋子を嘲笑と共に叱責した。
洋子の覚めぬ悪夢も、大河内の悪事を"虚偽"だ、と失笑した担任教員こそは――久一郎・吉田であり、E・C第二暴行事件の被害者だ。
さらに、吉田は家庭訪問の後、洋子・渡辺は「大河内を妬んで虚偽の噂を流し、彼女貶めようとした最低な同級生」だ、と吹聴し回った。
一妃に逆らえる者も、一妃の罪を裁ける者は、大人ですら誰一人とて存在しなかった――。
学校でも家庭でも、安息と居場所を失った洋子は一度、浴槽に漬かったまま手首を切る"自死"を為した。
幸い、母親による早期発見によって、当時の洋子は一命を取り留めた。
それでも、自殺未遂を大事にしたくなかった両親は、学校側の勧めもあって洋子を退学させた。
すっかり精神を病んだ洋子を連れた渡辺一家は、ハーフムーン区から遠く離れた区へ引っ越した。
ちなみに、引っ越し直後に洋子の両親は離婚した。
「もう、いつでも終わりにしていいと思った……ただ、もう、死のうとするのもめんどくさくなって……気付けば、十年も経っていた……」
かくして、洋子・渡辺は、ファッションデザイナーを夢見る心を壊され、普通の女の子として真っ当に生きる権利も奪われた。
それから十年間、鬱々と呼吸をしながら眠り醒めるのみを繰り返す日々を過ごした。
やがて、虚無と絶望の人生へ終止符を打とうとした矢先。
洋子のパソコンに届いたのは、一通の"福音"だった。
『聖なる"復讐と制裁"を以てして、あなたの人生を壊した"社会悪"を、同胞と共に退治しませんか――』
洋子の人生を滅茶苦茶に壊した憎き女へ、正当な裁きを下す力を与えてくれた"黒き希望の翅"――。
自分と同じく、"かつて子どもであった"社会的弱者故に、他者に傷つけられ、社会に裏切られた者達の集まり。
互いの"声なき痛み"を分かち合い、"復讐と制裁"を以って共に不条理な社会へ臨む組織『E・C』からの招待状。
「あの女に全てを奪われて、ただ塵のように生きて死ぬしかなかった私を、E・Cは―― あの御方は、掬い上げてくれました!あの御方だけが、私のことを理解しくれた! 親ですら聞いてくれなかった私の言葉も、痛みと苦しみも、絶望も、全て信じてくれたっ!!」
ルーナ警察署内での聴取の最中。洋子・渡辺は、空虚だった双眸から突如涙を流し、心酔しきった異様な様子を見せた。
洋子が一妃・大河内を憎み襲った動機から、彼女の壮絶な過去、そしてE・C、と謎の"あの御方"を賛美する崇拝ぶりに、光達は固唾を呑んだ。
「待て……あの御方とは、一体何者だ?」
「そいつが、E・Cの連中を使って街中で危険と混乱を起こしている首謀者なのか?」
「だとしたら、そいつは今どこに……」
「あなた達、先程から不敬ですよ! あの御方を悪くを言う事は私も仲間も、許しませんよ!!」
洋子の心酔する人物を追求した途端、光達へ敵意を剥き出しに喚く。
「あの御方は私だけでなく……かつて無力な子どもだったせいで、傷だらけになった私達のもとへ舞い降りた救世主様です。私ごときが、あの御方の名前を……ましてや、あなた方警察へ気安く唱える言葉は侮辱に当たります」
先程の憔悴した弱気さから豹変した洋子に、取り調べの警察官は固唾を呑む。
「だが、本当のことを言わなければ、後の裁判で不利になるぞ」
「とても辛かったお気持ちは、分かりました。ですが、渡辺さん自身のためにもどうか……」
唯一、心理療法士と光は極力真摯な声色で根良く語りかけてみる。しかし。
「それなら本望です! 今まで、我々E・Cの"声なき叫び"へ目もくれなかった……ましてや、真に裁きを受けるべき罪人を世に放置し、真に救うべき者を傷つけてきた警察なんかに、尚更話すものか……!」
「私達自身も、かつての私達のように、今もどこかで苦しめられている子ども達も全て救うのよ――! 我々E・Cが――スノームーン様と共に!!」
崇拝と憤怒――荒ぶる狂信者の魂に憑かれたシーソーさながら、感情を激しく行き来する。
あまりの異様な状態に、光達だけでなく同伴の心理療法士すら隣で戦慄する。
結局、洋子本人から直接E・Cの拠点、と首謀者の名前を聞く事は叶わなかった。
埒が開かないと判断した光達は、洋子・渡辺の「家宅捜索」を実施した。
最近は一人暮らしをしていた洋子の自室にある、一台のノートパソコンを押収した。
パソコンに残った伝言箱やネット検索履歴等から、E・Cの尻尾を掴めそうだった。
PCと携帯端末の両機から確認できる伝言箱には、"例の招待メール"の他、最近までのやり取りのメールも記録にあった。
どのメールにも、差出人の蘭には『スノームーン』、と載っていた。
聴取室にて、洋子が最後に興奮した勢いで漏らした名前だ。
スノームーンこそは、洋子が"あの御方"と崇拝する存在らしい。
『我々だけは、あなたの言葉を信じます。あなたの痛みを理解したいです。あなたの全てを許します――』
『あなたを傷つけた罪深き者へ、"復讐"を――あなたを追放した社会へ"制裁"を下しましょう――あなたの"同胞"と共に――』
まったく、ふざけている。
いかにも、救世主ぶった胡散臭い甘言を紡いだ文章だ。
それでも、洋子のPCメールからは数多の収穫はあった。
メールの文章の末尾下に記載されたウェブサイト『スノープラネット』を見つけた。
早速、光達はスノームーンが運営者らしき謎のサイトを開いてみた。
「何――っ? 一体どうして、くそっ」
洋子のPC画面に表示された"サイトアクセス不可"に、光は苦々しい表情を浮かべた。
万が一、E・C構成員が逮捕されたとしても、自分達の足取りを掴まれないための未然防止対策。
恐らく、運営者は洋子のメールに記載されたサイトを、既に削除したのだろう。
また、アドレスを頻繁に変えては、黒蝶の仲間を繁殖し続けているのだろう。
「くっ……スノープラネットの"裏サイト"やらを見つけられたら、仲間を装っての情報収集も可能なはずだ……っ」
洋子と他のE・C構成員、親玉のスノームーンとのメールのやり取りの内容から、もう一つ判明した。
『スノープラネット』は、精神保健系の自助共同体サイトを装った、裏サイトの隠れ簔である事。
勧誘メールに記載されたアクセス手順に従えば、裏サイトへの入り口を発見できるとの事。しかし。
「悔しいが、あちら側のほうは遥か上手だったようだ。恐らく、裏サイトの入り口もアクセス手順も、一人一人によって変えているのだろう」
ようやく掴めると伸ばした手先を掠めた手がかりは、既に先の先を読んでいた敵に躱された。
やるせなさに唇を噛む光、と敵の思考を冷静に分析しながら眉を顰める浜本を前に、仲間も沈黙に伏す。
「(間違いない――スノームーン……"雪月"というハンドルネームの男は――)」
ただし、空虚の画面から双眼を離そうとしない光の胸には、ひたすら一つの"確信"が激しく燃えていた。
ハンドルネームからウェブサイト名、基調色まで「雪の白」を彷彿とさせる特徴。
どうしても、光の頭にはあの男が浮かんで離れない。
以前、蛍に見せてもらった古びた写真の中で柔らかく微笑む兄妹。
雪花のように儚げで、冬月のように神秘的な美貌に微笑みを浮かべた真っ白な青年の姿を――。
『僕は全てを許そう――君の怒りも、憎しみ、恨み、痛み、罪すら――』
絶望する者にとって、蜜のようにひどく甘美で、鱗粉毒のように危うい"救済"の言葉。
黙読していく最中、一度も耳にしたはずのない"あの男"の声が、光の脳内で冷たく響き渡る。
あの男にとって、E・Cの構成員も被害者も、きっと警察ですら、手のひらで踊らせて遊ぶ駒なんだ。
決して気のせいではなく――全て、あの男の仕業なんだろう――。
なあ、蛍――お前も、既に気付いていたんだな?
光は説明し難い確信を胸に、心の中で返されるはずのない同意を求めた。
「(深月・斎賀――お前は、必ず警察で――否、俺一人の手でも、捕まえてやる――そして、蛍は俺が守る――)」
協働捜査班の現場組から外され、今は事務所にすら不在の蛍へ――新たなる誓いと決意を灼いて。
*
十二月十二日。
『総動員令』に則った総会にて、浜本副部長主導の提案で計画立てた作戦は、ルーナ警察署長に正式受理された。
そして今日――E・Cが予告した爆弾を起こす現場となり得る『国立・十三夜美術館』での防犯作戦は、午前零時に始動した。
当美術館の内外には、ルーナ警察署中央から総動員された警察官が監視警備、並びに不審な人物や爆発物の捜索に努めている。
「本当に何もないんだな、この美術館は……」
小川刑事官は、内心暇を持て余しながらも面倒そうに館内を巡回していた。
ルーナシティICT安全装置導入以降に建設・改築された施設には通常、ID認証やAI型監視警報等の厳重な安全機能が搭載されている。
現在では、ICT安全装置搭載の建築施設が中央区域を主に八割をも占める。
しかし、久遠の歴史を"形として"遺し、伝統的な建物の景観と構造を保つためか。
十三夜美術館には、従来の安全対策を最低限あるのみで、改築すら施されていない。
「ま、まぁ、小川課長。ほら、この絵なんか中々可笑しな……いえ、興味深く。それに、扉も立派でしたし……」
「生憎、私は世界的最上級な施設の芸術にしか興味はないのだよ。このような、防犯性も成っていない貧相な場所なんか……」
ここの館員の耳へ入るのを恐れてか、小川の不躾な苦言へ彼の部下は言葉を呈する。
しかし実の所、小川自身には芸術への造詣も敬意も希薄故か。
この古びた小さな美術館にも展示された美術品は、世界で唯一無二の付加価値が高い事を知らない。
「こんなんで、今までよく泥棒に入られなかったな……」
「ま、まぁ、確かに……」
小川の歪な見栄張りと芸術への無知無理解はともかく、当美術館の脆弱な防犯性は問題だ。
亜麻色の百年ものの木の扉は、太陽紋様を掘り描いた青銅の取手を軽く回せば開く。
青錆すら歴史の煌めきを表す黄金に縁取られた長方柱型の窓。
繊細な造りの窓硝子は、石を投げ入れるだけでひとたまりもなく砕け散るだろう。
扉も窓も鍵を刺すか回すかだけで、誰でも施錠は可能だ。
美術館独自の防犯機能も、旧式の防犯金属隔壁に『中央管理室』から視認可能な低画質の白黒防犯監視カメラ等が慰め程度に設置されている。
普段、中央管理室の操作は経営管理責任者の『辻村館長』、と雇われた複数人の看守の長の二名が行う。
伝統的建築構造上、防犯機能の脆弱性を補うために、警察は金属探知機ゲートや棒を持参し、全ての出入口には警備役が張り付いている。
作戦開始から夜空は明け、現在午後二時三十四分。
警察官による監視と警備、捜索は続行中だが、幸い何も起きていない。
「! ありました! ここに爆弾らしき不審物が」
現場には「爆発物処理部隊」も派遣され、爆弾らしき不審物を発見次第即解除に取り組む予定だ。
光を含む手の空いた警察官も、"爆弾探し"を手伝いに館内を隈無く巡回していた。
同僚の発見した爆弾の隠し場所は、まさにサルトルとニーチェ、キルケゴール――例の三つの怪文章の引用元の哲学者の特集コーナーだった。
展示物の裏側に隠されていた三つの掌サイズ爆弾は、速やかに処理部隊が回収した。
後は、恐らく今日のいずれに爆破させるつもりであろう時刻に、姿を現す可能性の高いE・C構成員を待ち伏せするのみ。
ここまでは、総動員された警察の作戦も順調だった。
今回こそは惨事も被害者も生じる事なく、E・Cを逮捕して事件収束は円滑に進む、と多人数は前向きになり始めている最中。
「(深淵をのぞきこむ者は、深淵からものぞきこまれているのだ……か)」
ニーチェ専用の展示コーナーを巡回し始めた時。
光がふと目に留めたのは、真っ黒な夜色に塗り潰された一枚の絵画。
底無し湖を彷彿させる淀んだ暗色を、絶妙な色移相。
おどろおどろしい闇の中心部には、目玉にも見える青白い光が瞬くように描かれている。
黒と白の単調な色使い。
しかし、じっと見つめていると心まで吸い込まれそうな幻惑は、まさに"深淵"を表現するのに相応しい。
ただし、"深淵"に秘められた「意味と未知」を考えさせられるせいか、光の胸のざわめきは一向に鎮まらない。
「藤堂刑事官。根詰めるのもいいが……そろそろ交代の時間だ」
「あ……失礼致しました、浜本刑事官」
「あまり無理はするな。休憩に入れ」
浜本に肩を触れられて初めて、光は我に返った。
神経を凍て張らせてる光を気遣ってか。
さりげなく諭した浜本に従い、光は交代し、休憩を取るべく美術館の外の空気を吸いに出た。
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