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『ブリュンヒルドの心葬』  作者: 水澄
第2章『黒い蝶と雪の月』
33/77

『黒き炎の蚕食』③


 「"かつての子ども達"、か。言われてみれば、全身黒装束で分かり辛いが、体格や物理的な暴力を手段に用いている」

 「恐らく、二十代から壮年の若者が大半を占めている、と考えられます」


 かつての子ども達――その名称に秘めた意味は、E・Cに属する若者が今も引きずっている、子ども時代の"遺恨"を示唆しているのか。もしくは。


 「お二人には同感です。さらにE・Cは熱狂的な理念をかかげ、強固な結束力と使命感に従って犯罪を冒している。もはや、狂信者(カルト)と呼んでも過言ではありません」


 いずれにせよ、E・Cは社会と大人への復讐のために、"救済と制裁"を熱狂的に謳う"暴力犯罪"を冒している。

 構成員個人の悲憤を訴えるだけでなく、仲間を呼び寄せて組織ぐるみで、この社会そのものを否定しようとしている意図は窺える。

 まさに、カルトに等しき信仰と執念を以て。


 「ふん。要するに"若気の至り"ってやつだろう」

 「はい?」

 「最近の若者は、甘ったれた根性を持つ奴ばかりだからな」


 E・Cの名称の意味から、唐突に"最近の若者批判'へ論点をすり替えた小川に、光も神楽も首を傾げた。

 特に、未だ二十代から三十代の若い警察官達の胸には、小川への激しい反感と呆れが灯ったことに、当人は気付きすらせずに。


 「こっちはちょっと何か言っただけで、直ぐにパワハラだのうつ病だの、相手のせいにして言い訳ばかり」

 「"俺達の時代"では、そんなもんは一切通用しなかったが、今も俺みたいに現役で続いているんだからな」


 今では時代がすっかり変わってしまったのだ。

 となれば、若者を中心に現代人は、"心"も変化せざるを得ない。

 しかし小川は、今も過去の風潮と栄光にしがみつき、激動の現代社会を生きる若者を否定するばかり。


 「だいたい、だ。櫻井君も藤堂君、浜本()といい。この怪文章に纏わる事件を担当したのは、君達だろう? この緊急事態へ至るまでに何故、怪文章の謎一つ解けていない? ルーナ警察の刑事官が情けないぞ!」


 しかも、今度は蛍達、第一期協働捜査班、とその担当責任者の浜本への当て付けなのは明白な、非難まで零す始末。

 自分のことはすっかり棚に上げる小川に、さすがの部下ですら密かに白けた表情を浮かべていた。

 しかし今は、小川のくだらない持論と苦言に付き合う暇は誰にもない。

 一刻を争う事態だ、と認識している蛍達は直ぐに論題を元に戻した。


 「そこで、二つの爆破予告の手紙、と三つの怪文章から、()()()()()()()()()みてはどうかと」


 もはや万事休す、と推理が暗礁に乗り上げた矢先の蛍からの提案に、皆は大きく頷いた。


 「二つと三つを繋ぎ合わせる? ……! まさか」


 浜本はハッとした表情で閃いたらしい。

 手紙と怪文章を照らし合わせてみた。

 蛍と光、たった今疑問に思ったが、先程から厚かましく壇上へ乗り上げた小川も横から文章を覗き込む。

 何かしら確信を得た浜本は、目線を文章から隣の部下へ移して行動を仰いだ。


 「至急、区役所の『()()()』へ回線を繋げてくれ」

 「? は、はい」

 「――何か分かったのですね? 浜本刑事官」


 クレセントムーン区役所の『地域課』へ。

 浜本の依頼は、ルーナシティの中央・クレセントムーン区、と周辺区にある公共施設を、"歴史"の分類(カテゴリー)で検索する事。

 地域課の仕事は、主に地域の観光案内から、事件や捜索に有益な地域情報の提供まで幅広い。

 さらに、ルーナシティの地理的特徴や、歴史に造詣の深い専門家も所属する。

 以前の『エクリプス区潜入作戦』が円滑に進んだのも、地域課からの情報提供による協力あってこそだった。

 早速、浜本達の報告と要請を聞いた地域課の担当者は、地域の情報基盤(データベース)へ、「歴史・芸術」の分類をかけて検索した。

 数秒足らずで検出された公共施設の情報は、担当者の遠隔操作によって警察署へ送信された。

 複数件の美術・博物館等の文化的施設の内、唯一浜本と蛍が反応したのは一件の最大規模の――。


 「……! 『国立十三夜美術館』……E・Cは、この場所で爆破を起こすつもりだ」


 『国立十三夜美術館』――浜本が確信を込めて指定したのは、クレセントムーン区の隣、ギバスムーン区にある最も有名な場所。

 ルーナシティの創設以来、百年もの歴史を誇る最古の美術館。

 十三夜美術館の公式サイトを閲覧してみる。

 郷愁漂う枯れ茶(セピア)色や白黒(モノクロ)の古びた写真、と背景は印象的だ。

 サイトには、施設の概要から展示会の新着情報等が掲載されている。

 十三夜美術館は、古典派芸術から見つめる人間の歴史、生と死の哲学の世界を、現代に至るまで人々へ伝えてきた由緒正しき文化的財産だ。


 「この古臭い美術館に、一体何があるというんだ」


 小川の辛辣な評価に、蛍ですら一瞬眉を顰めた。

 世間では"現代アート"としての流行や、娯楽的(エンタメ)要素を取り入れた展示法が続出する中、伝統色を維持する十三夜美術館は衰退を辿っているらしい。

 高齢世代からの根強い人気と支援金によって、生き残っているとはいえ。


 「お……これって、()()()()()ではありませんか? ほら、最新イベントの広告」

 「! これは……期間限定の啓発(キャンペーン)ですね」


 サイトのトップに表示された最新公告を目にした神楽、と蛍の瞳に閃きが灯った。

 二人が目に留めた広告の大きな見出しに、さすがの小川もハッと気付いたらしい表情で凝視する。


 『人間は何のために生きるのか?~存在と生の哲学を、芸術で表現するフェア~』


 所謂、"人間哲学フェア"の主要な芸術展示物の項目に並ぶ、三つの白黒画像と文字が注目すべき点だ。

 厳粛な顔立ちに苦悩や悲哀、喜楽の三つが並ぶ智性の結晶。

 まさに、サルトルとニーチェ、キルケゴール三名の肖像画が掲載されている。

 しかも、期間限定キャンペーン開催の最終日、と爆破予告の日付は同じ「()()()()()()」だ。

 単なる偶然の一致、として片付けられない。

 脳を引き絞っていた警察官達も、正解に近い答えを映す投影画面を、期待の眼差しで凝視する。

 二つの事件の関連性を全否定してきた小川も、さすがに限界を悟ったらしく、ついに苦言も反論も噤んだ。


 「さすがですよ! 浜本刑事官! とっさの発想で場所を割り出せるなんて」

 「そんなことはないさ」


 神楽の無邪気な称賛を、浜本は謙虚に反論するが、満更でもない表情だ。

 しかし、眼鏡越しに浮かべている珍しい微笑みは、浜本が自身の能力を自負しているからではない。


 「地域課の担当者が早い仕事を為してくれたおかげだ。それに、櫻井刑事官の"繋ぎ合わせる"、という発想が大きなキッカケだった」

 「恐縮です。ですが、浜本刑事官は、日頃から区役所等の公的機関や民間、一般市民との支援と関わりに努めているのを存じています」


 地域課の担当者、と部下・蛍の洞察力と発想力を褒める浜本の謙虚さと鋭い指摘に、周りは改めて敬意を覚えた。

 ルーナ警察での長い経歴(キャリア)、と高い経験値を持つ浜本。

 故に、ルーナシティの全貌精通し、広い人脈も人望も築き上げてきた彼の"リーダーの素質"を、蛍も尊敬している。

 哲学に詳しい蛍自身も、文章に必然的な意味はあると確信していたが、そこで区役所に連絡して施設を割り出す発想までには至らなかった。

 唯一の希望が灯った状況、と神楽の無邪気な賞賛のおかげか、張り詰めていた会議室の空気も和んだ気がした。


 「それにしても、今は古典文学や哲学へ関心を抱く人は減ったのか……」


 一方、十三夜美術館のサイトに、現在進行形(リアルタイム)で掲載されている「来場者数」を眺めていた光は、ふと切なそうに呟いた。

 最近、当美術館を訪れる客は、ここわずか複数人、日によっては〇人と表示されている。

 多数の他人のことすら(おもんばか)る光に、蛍は「彼らしい」と内心穏やかに苦笑した。


 「哲学といえば……櫻井先輩は、この美術館の啓発広告を知ってました?」

 「え? いいえ、私も知らなかったわ」

 「そうなんですか? 猟奇殺人事件の時もそうでしたが……先輩は怪文章を読んで一発で哲学者の名前も当てて、説明も流暢でした。だから、てっきり蛍さんは古典の哲学・文学とか好きなのかなーって」


 神楽の何気ない質問に、つい蛍の脈拍は自然と跳ね上がる。


 「まぁ、そうね……最近はまったく手を付けていないけれど」


 蛍は美術館と広告を知らず、昔のように古典を読むことすらなくなったのは、嘘ではないにも関わらず。

 事実、クレセントムーン区へ引っ越して警察に勤め始めて以降。

 自炊も読書の余裕すらないほど純粋に多忙で、休日返上出勤も当たり前のようにこなしていた。

 それでも、蛍にとっては哲学も文学も、彼女の過去と心の追憶を促す重要なモノ(ファクター)だ。


 「ふーん、そうなんですか。それで、可能性の高い場所に十三夜美術館を特定できましたが」

 「そうだな。さっそく、作戦は……」


 一方、怜悧な蛍の心のわずかな揺らぎに、神楽は気付くことなく次の話題へ移ろうとする。

 神楽の言葉を皮切りに、作戦計画の打ち合わせを本格的に始める浜本達の反応に、蛍も内心何となく安堵した。

 不意に脳裏を過ぎった"読まなくなった原因(本当の理由)"――懐かしき義兄の存在を頭から振り払うように、蛍は会議へ意識を集中させた。


 「(これで本当に……E・Cの逮捕に爆破回避、そして……()()()の足取りを掴めるのだろうか……)」


 E・Cからの爆破予告を記した、二人つの手紙。

 猟奇殺人事件で遺された、三つの哲学怪文章。

 地域課の検索した『十三夜美術館』の三哲学者の啓発展示会の広告。

 事件を未然に防ぐための重要な手がかり三点に基づき、会議は作戦計画の打ち合わせへ移行した。

 ルーナシティの平和と秩序、無辜の市民を守るために、ルーナ警察署の警察官を総動員して。

 最中、蛍だけでなく彼女をも意識している光も、どこか釈然としない気持ちだった。


 「(否、今度こそ掴まなければならない。ルーナシティを守るために……何よりも俺は――)」


 光は頭の片隅を過っては、振り払うことを繰り返す"不吉な予感"を抱いたまま会議に臨んだ。


 *


 ()()()とそっくりな夕陽――。禍々しい茜色を眺める度に、今も鮮明に蘇る。

 あの日、猛烈な眩暈(めまい)を伴う恐怖と嫌悪感、そして絶望も。

 あの日、五臓六腑を焼き籠手(ゴテ)で抉り弄ばれるような激痛と恥辱感も。

 嫌だ、やめて、と泣き叫ぶ私の外側から内側を、グチャグチャに掻き回していく――無数の手手手手手手。

 獣のほうが純粋で崇高な生き物だと思えるくらい、醜悪で汚らわしい奴らの顔顔顔顔顔顔。

 閉鎖的な薄闇で繰り広げられた惨劇にて。

 窓掛け(カーテン)の微かな隙間から覗く夕陽すら、醜くなった私を晒して嘲笑っていた。

 私の理想と憧憬たる()()()と出逢い――今となっては、反吐が出そうなほど憎たらしい、高慢な美笑も。

 あの頃の自分の喉を掻っ切りたくなるほど、愚かしい幻想を抱いて、あの女と"友達"になったことで――私の夢も人生も全て、ズタボロに()()()()

 朝に目覚めて夜に眠りに就く事も。

 日の当たる外の世界で、友達と無邪気に笑い合う事も。

 一生懸命に勉強や訓練へ励み、将来の夢に向かって輝くことも。

 誰かと恋に落ちて、愛し愛される悦びを感じる事も。

 いずれは結婚して、子どもを含めた幸せな家庭を築く事も。

 人として、"ごく普通で当たり前"の人生と幸福の権利すら、あの女は私から奪った。

 だから、あの女の罪と穢れを裁く権利は、私にだってあるはず。

 この世の全てに見放され、あいつの気まぐれで汚されたこの肉体ごと、己の存在を消してやろうとした矢先――。


 『()()()()、全て許そう――君の浴びた汚穢(おわい)も苦痛も――世界を悲憤のと憎悪の業火で焼き尽くす、君の罪と裁きを――』


 唯一人、私の"声なき叫び"に気付いてくれた―― ()()()()は、孤独の淵に囚われた私を掬い上げてくれた。

 さらに、"復讐"という名の裁きを行使する力も、悲憤と憎悪を分かち合える同胞も、あの御方は全てを与えてくださった。

 それなのに、ああ――。


 「()()()()()()()――どうか、罪深き私をお許しください」


 あなた様は、我々を慈しみながらも厳しく戒めてくれたというのに。


 決して、()()()()()()()()()()――。


 けれど、あの女を地獄の淵へ突き落としても尚、私の憎悪は鎮まる気配を見せない。

 むしろ、言いようのない高揚感の後は、臓腑の奥が燃え尽きたような虚無感に襲われる。

 そして暫く経てば、燃え(カス)から果てなき憎悪は火の不死鳥さながら再び蘇るのです。

 罪に穢れたあの女が"被害者"として、当然のように庇護され、周囲の憐れみに支えられて、生かされている。

 それだけで、どうしても我慢ならない。


 「どうして。何故あいつが、あいつだけが、()()()とは違うの――っ」


 あの時は、誰も味方なんていなかった。

 私の涙と言葉を信じてくれた人も。

 ボロ雑巾みたいに傷ついた私を、守ってくれる人も。

 友達どころか、先生も警察も、親ですら、誰一人も助けてはくれなかったのに――!

 あの女さえ殺せば――もう一度、最後に死の絶望へ突き堕とせば、何もかも浄化される。

 今も私を苛む、過去の苦痛も汚穢も。

 どうせ、あの日から私の肉体も精神も既に、絶望的なまでの真っ黒に汚れてしまっているのだから。


 「会いに来てあげたわよ――()()()()()


 忌むべき秋冬の夕陽は沈み、醜い私を覆い隠す深き夜の刻――。

 私は、静まり返った病院の廊下を忍び歩く。

 関係者以外の立入は禁止である、或る閉鎖病棟の奥の病室。

 扉の名札に浮かぶ憎き女の忌名を呼んだ私は、自然と唇を吊り上げた。

 しかし案の定、病室の扉には入室許可のID認証を求める安全装置があり、思わず舌打ちをする。

 焦ってはいけない、私には()()があるのだから。

 いざという時は、復讐と制裁に役立つから、と仲間が伝授してくれた"特別な技術"もある。

 IDカードも電脳ウィルスは所持していなければ、秘密裏に入手した"暗証番号"で、安全装置の解除を試みる。

 この病院へ潜入中の仲間に教えられた、関係者のみ知る暗証番号を入力する。

 途端、扉は私を歓迎するように、呆気なく開いた。

 病室へ入った後は、誰にも邪魔されないため即座に、内側から扉を施錠した。

 それから私は、この女を今度こそ"絶望の死"へと誘う"黒い死神装束"を身に纏う。


 「さあ、"制裁"の後は、今度こそ連れて行ってあげるわ――()()となったこの私が――あの日の"復讐"に――」


 病院の寝台で全身を布団で覆って眠る、芋虫みたいに滑稽な彼女の姿に、私の五臓六腑は憎悪と高揚に()べられる。

 懐に忍ばせていた唯一の凶器を手に、私は寝台へ近付いた。

 木製の刃物(ナイフ)だが、人の動脈を傷つけ、命を殺めるには十分な鋭利さがある。

 絶望の血と涙で顔を汚す女の末路を、想像して愉悦に浸る私は、芋虫のような布団を勢いよく剥いだ。


 「そこまでだ――」

 「ようやく、捕まえましたよ。一羽の"黒揚羽さん"」


 な――何故――っ!?

 絶望を再演する秋夜には在り得ない気配、と舞台を照らす灯りに、私は動揺を隠せなかった。

 一人は、強い正義の志に満ちた精悍な声の男。

 もう一人は、どこか相手を見下すように飄然とした声の男。

 しかも、布団から姿を現したのは、あの女とは似ても似つかない、黒い背広(スーツ)姿の女警察官。

 三人の警察官は、私へ一斉に銃を向けて牽制してくる。

 眩い蛍光灯に照らされた病室で、私は愕然と凍り付いていた。


 何故、ここに警察が。

 まさか、いつから勘付かれていた?


 あの女への復讐を成すべく、愉悦と達成感の絶頂に舞っていた心は、焦りと絶望で一気に叩き堕とされる。

 ドクドクッと、心臓も血管と皮膚を突き破りそうな勢いで暴れ狂う。

 凍える冷や汗は、滝雨のように溢れて肌を濡らす。

 それでも、幾ばくか残っている復讐への執念と憎悪は、辛うじて私を奮い立たせる。

 大丈夫だ。

 あの女に汚された私の肉体を守り、突き動かす"黒き羽"は未だ折れていない。

 降伏ではなく、復讐と自由を(こいねが)う反撃の気配に、三人が身構えたのも束の間。


 「洋子・渡辺――。一妃・大河内の、()()()()()()()()だな?」

 「なっ――!?」


 中学校以来、既に封印したはずの忌名(いみな)を、"正しさ"に澄んだ声は奏でた。

 途端、私を防衛していた黒き仮面と(はね)は、心の中で音を立てて崩れた。

 動揺に言葉を失った一瞬の隙に、私は警察によって呆気なく取り押さえられた。


 「不法侵入ならび傷害未遂の容疑で、お前を現行犯逮捕する!」


 まさに、網に絡め囚われた哀れな蝶のように。


 ああ、神様――。

 何故、私ばかりこんな目に遭うの。

 何故、社会とは、罪深く穢れたあの女みたいな人間ばかり味方するの。


 焔々(えんえん)とした復讐心は、力を奪われた肉体と共に、諦念の湖へ沈められていった――。





 ***続く***



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