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『ブリュンヒルドの心葬』  作者: 水澄
第1章『猟奇殺人事件追跡編』
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『殺戮の御遣い』②

 「――ぁ……?」


 代わりに、レギンの背後の斜め上から前触れもなく飛んだ一弾の鉛玉は彼の左胸――心臓へ確実に貫通していた。

 硬い筋肉に覆われた左の背中と胸ら渇いた唇を濡らすのはゴプリッと溢れた赤黒い血。

 死に向かって刻々と静まる鼓動、泥に沈んでいくような鈍痛に、指先から爪先は抗いようのない脱力感へ陥る。


 まさか、撃たれたのか……この、俺が。

 一体、警察の誰が……!?

 それが分かり次第、この手でぶっ殺してやる!


 己の心臓を撃ち抜いた忌むべき存在をレギンは血走った眼球を回して探す。

 しかし、薄れゆく視界にも鮮明に映るのはレギンを愕然と凝視する腑抜けた面子のみ。

 しかも、誰の拳銃からも真新しい硝煙は昇っていない。

 つまり、レギンを撃ったのは光達でも予期せぬ増援でもなく――。


 「あなたの役割は、ここで"お終い"。ふふふふふっ」


 動揺を隠せないレギンと光達の疑問に答えたのは――血腥い赤の空間にはまったく不相応な魅惑の幼声(おさなごえ)

 鼓膜へ絡みつく蜂蜜さながら甘ったるくも毒気を孕んでいるような。

 光達とレギンの視線は甘い幼声の在り処を躍起になって探し回る。

 すると、レギンの丁度背後斜め上空を駆ける赤褐色の合金(アルミ)斜路(スロープ)

 少し前に後輩達が駆けた斜路の頂に小柄な少女が佇んでいる。

 童話の赤ずきんを彷彿させる真紅の外套で顔から全身を被っている。

 目深に被った真紅の頭巾からは、桃の薄皮さながら愛らしい唇に無邪気な微笑みが覗いている。

 幼い矮躯と無邪気な声色から、年端もいかない少女である、と推定できる。

 しかし乳白(ミルク)色の小さな手には、少女にそぐわない重々しく無機質な拳銃が握られている。

 鈍く光る銃口からは焦げ臭い硝煙も昇っている。


 まさか、あんな幼い子どもが、あの獰猛な殺人鬼を一瞬で撃ち抜いた?


 愕然と言葉を失う光達は、謎の少女とレギンのやり取りを交互に見守ることしかできなかった。


 「どう……いう、こと……だ……っ。貴様あぁ……!」

 「分からないかなあ? あなたは見限られたの。もう、()()()()()って」

 「……何、だと……?」


 無邪気な少女の零した冷酷無比な"戦力外通告"。

 明らかに相手を嘲笑う物言いに、脂汗を滲ませたレギンの顔は絶望の憤怒に、若干の"怯え"に歪んだ。


 「ごめんねぇ? でも、あなたが悪いのよ? ()()()()()の大事なだいじーな"宝物"で勝手に遊んで壊そうとした、お行儀の悪いあなたが。あ、お兄ちゃんから伝言あるよ!えっとねぇ」


 虚勢を張る眼差しに垣間見た感情を見逃さなかった少女の唇は、一層おかしそうに口角を吊り上げた。


 「では……『ご苦労様、レギン。君を嗤った者達が嗜んできたのと同じ、"暴虐の快楽"に堕落した獣へ。そんな君に相応しい"終わり方"を贈る。気に入ってくれると嬉しい』……だってさ! ふふふふふっ」

 「……! ふ、ふざける……なぁ……! 貴様らぁ……! ぶっころ――っ」

 「でも、安心して。これからは"私達"が代わりに、あなたの怒りも憎しみも満たしてあげるから。だから、()()()()()()はもう、休んでいて?」


 愛らしい唇の奏でる無邪気で残酷な幼声と、伴奏するように再び鳴り響く銃声。

 無慈悲な二発の発砲は、暴虐の殺人鬼の息根を完全に止めた。

 警察の知る限りでは、石井を含む三人もの人間を惨殺したレギン。

 残虐極まりない猟奇殺人鬼であり、事件の真犯人であるはずの男はたった今目の前で殺された。

 しかも、年端もいかない可憐な少女の銃弾によって。

 推測するに、仲間であった相手を何発も躊躇なく撃ち殺し、それでも無邪気な笑みをクスクスと零す少女。

 まるで、可憐で妖しい「殺戮の御遣い」を彷彿させる少女も、レギンとはまた異質な戦慄を与えた。

 "神"に見限られた殺人鬼の断末魔を目の当たりした光達は、呼吸と瞬きすら忘れて愕然と立ち尽す最中。


 「ねえねえ、刑事官さん。もしもーし?」


 一方、謎の少女は底知れぬ毒を孕んだ甘い幼声で光達の鼓膜をくすぐった。

 目前の愛らしくも危険な少女の意識が自分達へ向けられていると気付いた。

 途端、光達は甘く絡みつくような悪寒に戦慄しながらも、努めて平静に少女を仰いだ。


 「!……貴様は、一体何者だ……? そこを動くな!」

 「ふふふふふっ。そんなに()()()()()()。私の名前は、()()()()()


 『フェンリル』、と名乗った可憐な妖しい少女。

 光達の方が大人であるにも関わらず、一見年端もいかない少女に戦慄が止まらない。

 しかも、光達の本能的な"怯え"すら見透かしている口振りからも、少女は一般市民と一線を画す"暗い何か"を備えている。


 「安心して? 私がここに来たのは、レギンを"始末t'するため。あなた達を殺しにきたんじゃないから……()()、ね」


 無邪気な残酷さを孕んだ幼声で紡がれた不穏な台詞。

 甘い毒を塗った刃で皮膚をそっと撫でながら、"近い未来の死"を宣告しているようなおぞましさ。

 突如現れたフェンリルの正体は不明だが、彼女が"人殺し"を冒したのは確固たる事実。

 しかも、事件の真犯人と共にようやくこの手に掴みかけていた事件の"真相"も横やりに入ったフェンリルが掠め取った。


 「ふざけるな! 連続殺人犯のレギンを何故射殺した? 貴様も事件に関与しているのか? だったら、署まで連行させてもらうぞ! 子どもだからといって、手加減なしない」


 予期せぬ妨害によって、振り出しに戻ると共に混迷を極めた事件捜査の現状。

 先程から静かな怒りを燻らせていた浜本はフェンリルへまくしたてた。

 一方、浜本の矢継ぎ早の詰問へ真面目に答える気は無いらしいフェンルの眼差しも関心も別へ移っていた。


 「生憎だけど、私は今から帰るの。そんなことより、えーと、そこのあなた……確か、光・藤堂刑事官さん? だっけ?」

 「! お前、何故俺の名前を知っている?」


 フェンリルからの予期せぬ指名に、光も虚を衝かれた表情で声を上げた。

 甘えるように無邪気な眼差し、そこに孕んだ底知れぬ妖しさに、光は固唾を呑んで真っ直ぐ見つめ返す。

 一方、光自身の緊張も動揺も全て見透かしているらしいフェンリルは、クスクスと愉しげな笑みを漏らしていた。


 「あなたに伝言があるよ。蛍・櫻井刑事官さんを、()()()()()()()、とのことだよ」

 「蛍……だと!? 貴様! 蛍ははどこだ!? 今すぐ返せ!」


 フェンリルの伝言に含まれていた重要な名前に続き、「蛍を攫った」、と捉えられる台詞。

 光は我を忘れそうな怒りと焦燥に駆られてフェンリルを問い詰めた。

 結局は黒沢の二の舞いとなった緊急事態、蛍を守れなかった己の不甲斐なさを光は心底呪いたくなった。


 「今すぐは無理な相談だなぁ。"三日程度"で帰す、とか言ってた!」

 「ふざけるな! もしあいつに手を出せば、俺は貴様を……!」


 激昂する光とは対照的に、フェンリルは"お泊り会"に行っているだけだ、と言わんばかりの軽い調子で彼をなだめるのみ。


 「ふふふふふ、そんな怖い顔しないで? 大丈夫だよ。"蛍お姉ちゃん"だけは、絶対傷つけないよ。蛍お姉ちゃんは……"お兄ちゃん"と私とって、誰よりも()()()()だから」


 フェンリルの口から新たに零れた謎の存在に、光達の心はますます混乱の渦へ呑まれていく。

 幸い、フェンリルの言葉通りであれば、現時点では蛍自身へ危害は与えるつもりのない様子に胸を撫で下ろす。


 「あ、お兄ちゃんが心配するから、私もう帰るね。ばいばい、刑事官さん」

 「待て!」


 フェンリルは思い出したように手を打つと、何の感慨もない様子でクルリッと踵を返した。

 慌ててフェンリルを呼び止めた光は逃すまい、と威嚇射撃を数発放った。

 しかし、当のフェンリルは既に颯爽と闇へ消え去っていた。

 蜂蜜菓子のように甘くも毒を秘めたような幼声と笑顔を残して。


 「止めておけ、藤堂刑事官。これ以上の深追いは危険だ」


 浜本はフェンリルを追いかけようとした光の肩を素早く掴んで引き留めた。

 浜本の妥当な判断と指示に、光は苦渋の表情で従うしかなかった。


 「先ずは鑑識と増援を要請する。捜査規模が広くなったからな。彼らの到着次第、我々は一旦撤退する」


 殺人鬼を呆気なく殺害した不審な少女が消えた闇を、光は暫し唇を噛みながら睨み続けた。

 浜本の冷静な指示を聞いている内に、ようやく光は握り軋ませていた銃を懐へ納めた。


 「念のため、俺は櫻井刑事官との通信を再び試みて、所在確認をする。未だ戻らない望月刑事官と香坂刑事官の安否もだ」


 仲間と共に撤退と引継の準備をする中、光は頭の隅で逡巡していた。

 蛍を攫った、と思しき妖しき少女フェンリル。

 彼女の零した意味深な台詞と単語を思い返す内に、光の胸にわだかまっていく違和感は強まっていく。

 連続猟奇殺人事件の黒幕はレギンだと思ったし、亡き本人も己が実行犯だと認めた。

 ならば、何故レギンは殺されてしまったのか?

 あの少女が真の、もしくはまた別にこの事件の黒幕は存在するのか。

 フェンリルが"お兄ちゃん"、と呼び慕っていた人物こそが、今回の諸悪の根源であり、蛍を攫った張本人なのか。

 事件の中枢へ近付くにつれて、"真実"は自分達の指を掠めて霧散し、さますます混沌へ溶けていく――謎の深みへ(はま)っていくような薄気味悪さを覚え始めた。

 光に限らず、他の刑事官一同も暗澹たる不安で表情を曇らせた。

 直ぐに駆けつけた鑑識部と増援と共に、浜本は須和と秋元へ指示を仰ぐ。

 鼓動を永遠に止めた猟奇殺人犯の現場の状況説明から遺体の鑑識と回収、後処理を手伝う二人以外の刑事官は速やかに撤退していく。


 「(蛍……せめて、お前だけでも……どうか……)」


 今知らぬ間に自分の腕を再びすり抜けるように消えてしまった蛍の行方。

 呆れるほどに強がりで愛しい、唯一人の女の無事を祈る焦燥に光は胸を締め付けられるばかり。

 フェンリルの残した謎の台詞を信じることでしか、蛍の生存を示す希望は残されていない中で。





***次回へ続く***



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