其ノ八『殺戮の御遣い』①
ふざけるなよ、貴様らめが……!
この俺が……お前らごときに……!
何故……"こんな事"になった?
"とある男"は、生まれた瞬間から絶え間なく虐げられ、嗤われ、爪弾きにされてきた。
男は己を忌み虐げてきた"社会"へ復讐したかった。
永きに渡り、社会への憤怒と憎悪を鬱積させるしかなかった男の人生へ"転機は訪れた。
『今君がここにいる理由は、社会規範を破ったからだ、という。だが、僕は"おかしい"と思う。君だって、そう思わないかい?』
とある協力者との予期せぬ出逢いによって。
『君はここに収容されて、不当な扱いを受けている。誰も君の"物語"へ耳を傾けようとしない。なのに、今まで君を虐げ嘲笑ってきた者達は、今も外で悠々自適に生きている。君だけは、こんな目に遭っている間に』
男と接触を図った「協力者」の言い放つ台詞に、男の胸には虫唾の走る感覚と苛立ちが湧いた。
貴様のような如何にも裕福と教養に恵まれた、小綺麗な選良様に言われても説得力あるか、と。
『これが、不公平、理不尽と呼ばずして何という?』
普段の男であれば、相手を完膚無きまで殴り潰し、澄まし顔を歪ませたいと思っただろう。
しかし、どういうわけか、今回の相手に対する男の破壊衝動は不思議と湧いてこなかった。
後に「協力者」となった男を殴らなかった理由は――今思えば、表向きはこちらを優しく立てていながら、腹の底に男への軽蔑や恐怖、支配欲を隠して説教してきた他の『|心理療法士《セラピスト』達とは違うモノを感じたからだ。
男が肌で感じ取ってきた世界の理不尽さ、胸に燻らせてきた憎悪と憤怒を見透かし、なぞるように語った。
『君だからこそ、世界と人の闇も不条理もその身に浴び続けた君には、その資格があると思っている』
協力者の態度は叱咤でも憐憫でもなく、ただ"ありのまま"の分析に基づく男への理解と共感だった。
世界と人を見透かし、時に罰する神の御使いさながらの独特な雰囲気と語りへ、男はいつの間にか魅せられた。
『君さえよければだが……私と一緒に「ここ」を出る気はないかい? 私には、君の力――その強靭な筋力と炎のような"怒り"が必要なんだ』
長年、男を収容していた施設から出られる話に、最初は半信半疑だった。
しかし、協力者の『或る計画』へ手を貸すことを条件に男は契約を交わし、自由の身となった。
かくして男は『レギン』という新たな名前と共に、社会へ復讐する機会と手段を手に入れた。
おかげで、己を嘲笑ってきた社会と人間どもへ一矢報いることは叶った。
さらに協力者は、レギンの能力と怒りを遺憾なく解放できる機会の他、"自由に生きる"ための拠点や資源も惜しみなく保障してくれた。
しかし、協力者との出逢いは、男にとって最も満たされた生と自由の全うを手に入れる――と同時に、男にとって"屈辱的な最期"への警鐘への布石だったのかもしれない。
『レギン。また、君に頼みたいことがあるけどいいかい? これは計画第二段階の開幕に重要な仕事となる。詳細を話す前に、紹介しよう。彼は――』
十月中旬のとある深夜。
協力者が連れてきたのは、モヤシの方が健康的に見えるくらいやせ細った貧弱な男だった。
二郎・石井――そう名乗った男は、やつれた顔を悲嘆と涙で無様に濡らしながら戯言を呟いていた。
偽善面の屑どもへ復讐してやりたい――、と。
こうしている今も、奴らに虐げられている哀れな子ども達を救うために。
石井にとって最愛の妹を殺した仇を討つために、と。
『石井君。君は、自身の愛する者だけでなく、心に傷を負った愛護すべき子ども達も救おうとする"真の善人"だ』
真なる善の世界と人の正義も、悪によって踏み躙られてきた悲嘆を見透す眼差しで、協力者は語りかける。
『故に、偽善の仮面で周囲を欺き、無垢な子ども達を食い物にする悪へ"真の制裁"を下す資格は君にある。君の怒りも、憎しみも、哀しみも、全て正しい――』
慈愛に満ちた理解と共感を得た石井は、福音を賜った信者さながら感無量にむせび泣いていた。
二人のやり取りを傍観していたレギンには、石井の事情も悲しみも、正直どうでもよかった。
どうせこの男も俺とよく似て、協力者の甘言に釣られた魂胆なのだろう。
だが、俺は自分のやりたい様に偽善者の屑どもを嬲り、弄び、殺り尽くせれたらいい。
案の定、石井は俺に嬲られた苦痛に悶え、虫の息へ達していた妹の仇へトドメを刺して殺害してから怖気づいたらしい。
エクリプス区の隠し地下にある俺達の『拠点』から逃亡した。
多くを知り過ぎた石井が逮捕されるのも、芋づる式で俺達の犯行と拠点を嗅ぎつけられるのも時間の問題だった。
協力者に頼まれるまでもなく、レギンは中途半端な腰抜けの屑に過ぎなかった石井も躊躇なく始末した。
『レギン、やはり君を選んで"正解"だった。僕等の『計画』を成就させるためには――君のように己の意志を最後まで貫く強靭な人間が欠けてはならない』
まったくもってその通りだ。
俺は虫唾の走る偽善な屑どもとも、石井のように半端な馬鹿どもとも違う。
『僕等にとって、もはや脅威でしかない石井君を処分してくれたことに感謝する』
協力者ですら、石井は"用済み"と悟り、石井を切り捨てた俺の判断と行動を評価した。
『ささやかな褒美といっては何だが……前回"お預け"させてしまった上等な獲物を君へ明け渡す算段を整えるよ』
そして今――レギンは協力者に準備させた"最高の舞台"で、"最高の獲物"を狩り、嬲り尽くす愉悦に胸を躍らせていた。
しかし、血の滾るような期待、決定的な勝利に酔いしれていた矢先――レギンは"予測外の事態"に翻弄される羽目となった。
「これで、終わりにする――!!」
一体どういう事だ?
以前、一度は手中に捕えたが、運悪く邪魔が入ったせいで狩り損ねた"女鹿"。
氷像さながら冷凛と澄んだ美貌は、今も瞼の下で鮮明に思い出せる。
氷のように硬くも儚げなあの肢体を、今度こそ斬り裂いてやりたい。
恐怖と激痛の絶叫から咲き乱れる薔薇色の血潮と臓物。
澄まし顔からほとばしる真紅は、白雪色の瑞々しい肌にきっと映えるはず。
上等な獲物である"女刑事官"が己の下へ再配達される瞬間を嬉々と迎える予定だった。しかし。
何故、あの女鹿は一向に姿を見せない?
何故、俺は今――俺を馬鹿にし、こけにしてきた社会のイヌども――偽善面に真っ黒な中身を隠して正義を振りかざす警察風情に、この俺が苦戦を強いられている?
午後五時五十五分頃――エクリプス区地下隠し通路の赤い広間。
殺人鬼レギンを足止めしていた光と須和は、秋元が呼びかけた増援の刑事官との合流を果たした。
増援も加わった連携攻撃によって、レギンの身動きを封じる事にも成功した。しかし。
「なん、で――」
わずか数秒にも満たない瞬間。
光達の瞳に映り込んだ衝撃的な結末に、彼らは瞬きを忘れて絶句していた。
唯一人、動揺を呟く光を除いて。
小笠原大臣の惨殺、石井による佐々木所長の殺害ほう助、そして共犯者の石井すら手にかけた残虐非道な殺人鬼――レギン本人も愕然と立ち尽くしていた。
一体、何が起きている?
何故、刑事官どもはそんな瞳で俺をガン見してやがる?
久しぶり、とも生まれて初めてとも呼べる凄まじい疼き。
焼け爛れるような激痛は、胸の奥から喉へと奔流し、尋常ならぬ窒息感に疼痛を生んだ。
脳髄にまで駆け巡ってきた疼痛によって、徐々に朧げになってきた頭の中で現実を振り返る。
何故、俺の"左胸"は赤黒い泥水に濡れ汚れている――!?
憐憫にも値しない血に酔った残忍な殺人鬼へ突如襲った窮地を遡ること数分――。
光達の正義も意義も失笑したレギンは、肉切り包丁で獰猛に襲いかかってきた。
事実、肉体的な強靭さと耐久性を誇るレギン、と彼自身の凄まじい殺気に圧倒された。
しかし、須和の変則的な銃発砲による巧妙な攪乱や、レギンの斬撃を全て回避した光の絶妙な敏捷性を前に手も足も出なかったらしい。
血に飢えた衝動性を調節しきれない分、動きは単調で読まれやすい弱点と隙を突かれたのだ。
トドメに、現場へ駆け付けた増援の放った銃弾雨で、レギンの両膝は容赦なく貫かれた。
両膝に駆け巡る激痛に耐えかねたレギンは、弱体化された猛熊さながら浅瀬へ膝を崩した。
レギンが弱った隙に、刑事官一同は拳銃を向けた姿勢で彼を制圧した。
「レギン――偽名だろうが、便宜上今はそう呼ばせてもらう」
拳銃を構えてレギンを包囲する刑事官一同から、唯一前へ出てきたのは、協働捜査班の長・浜本刑事官。
伊達眼鏡越しの理知的な瞳には、こちらを忌々しげに睨み上げるレギンが冷然と映る。
「お前には三件の殺人事件に関する嫌疑がある。加えて、刑事官への殺人未遂及び公務執行妨害等に基づき、お前を現行犯で逮捕する」
「っ……て、めぇ、ら……っ」
「お前の素性も含む詳しい話は、署で聞かせてもらう」
数多の罪状に基づくレギンの現行犯逮捕の旨を淡々と述べた浜本。
一方、レギンは追い詰められた猛獣さながら凄まじい殺気と睥睨で威嚇する。
レギンは両膝を巡る突き刺さる激痛を堪えて、浅瀬の底に着いた左手へ力を込めた。
右手に握る自慢の肉切り包丁は浅瀬に沈めたまま。
憤怒に燃え滾る瞳の焦点が浜本から、自分を追い詰めた元凶たる光と須和、秋元へ移った瞬間。
「おめぇらわあぁ……! まとめて、ぶっころ……す――っ!」
「! 危ない……!!」
レギンにとっては、汚泥を舐めるよりも屈辱的な敗北を意味する降参も屈服も断じて許さない。
汚血と激痛にまみれても、生も獲物も貪欲に呑み込んでやる。
それこそ、獰猛な捕食者であり、殺戮の復讐者でもあるレギンなりの矜持だ。
レギンは、凶器を持つ右手を大きく振りかぶりると、猛り狂った雄叫びを吐いた。
憤慨した様子で食いかかってきたレギンに、刑事官一同は慌てて引き金を構えて後退した。
しかし、刺し違えてでも一矢報いるつもりか、数回威嚇発砲してもレギンの勢いは止まらない。
しかし、振りかざしたレギンの牙も、幾人の血を啜ってきた刃も、誰一人にも届かなかった。
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