七百九十三話 無事を祈る
気絶してしまったベティさんを復活させてなんとかおかゆを食べさせ、ようやく仕事の話をしたところ、ベティさんをギャン泣きさせてしまった。その泣き声を聞いてマーサさんが乱入してくるし、場は混沌に包まれてしまった。
「う、うん、そうだね、辛かったね。あんたは頑張ったよベティ」
縋りついてくるベティさんを抱きしめ、よしよししながら慰め続けるマーサさん。
痩せても迷宮通いや運動で体幹が鍛えられたのか、ベティさんに縋られてもビクともしていないのが凄い。
ただ、そんな凄いマーサさんの表情には疲れがにじんでいる。
よっぽど悲しかったのか、既に三十分くらいベティさんは泣き続けている。マーサさんが辛抱強く慰めたのでようやく落ち着いてきた感じだ。
最初は怖かったがマーサさんが乱入してくれて助かったな。
俺とトルクさんだけだったら、たぶんベティさんは気絶するまで泣き続けていた気がする。
「うぅ、マーサしゃんしゅき……」
おいおい、ベティさん、泣き過ぎて幼児返りしていないか?
マーサさんが更に困惑を深めている。
「私も好きさ。ほら、そろそろシャキッとしな。あんたならもう頑張れるだろ? 良い子だからね」
「……うん、ベティ、がんばりゅ」
「よし、見守ってやりたいところだけど、私も仕事があるからね。まあ、何かあったらまた呼びな」
ベティさんが立ち直ったところで、マーサさんが離脱を選択。疲れた顔で部屋を出て……。
「あんたたち、覚えておきなよ」
俺達とすれ違う瞬間、マーサさんがドスの利いた声で呟いて部屋から出ていく。
先程までベティさんを慰めていた声とはあまりにも違い、俺とトルクさんは思わず恐怖で震えてしまった。
俺はお客さんの立場なのでまだマシだが、トルクさんは本気でヤバいと思っているのか、チワワのように震えている。
少し前まで劇画調のワイルドなおっさんだったのに、雰囲気の落差が酷い。
「ト、トルクさん、頑張ってください」
「お、おまっ、この状況で俺に任せるなんて鬼か!」
「トルクさんが交渉する約束でしたよね? それに、ここで上手に交渉をまとめないともっと酷いことになりますよ。頑張ってください」
俺は最悪、明日にでも迷宮都市を離れて王都に向かう。そうなったらメルに妖精の花蜜酒をご馳走するのが後回しになるので、できれば頑張ってほしい。
「ち、畜生……ベ、ベティ、俺はな、別にお前に苦労を掛けたい訳ではなくてな? そうだ、今日のドラゴン料理は気合を入れて作るし、今度、宿に来たら沢山サービスするぞ。美味いもん食い放題だ」
トルクさんが買収を選択した。なんとしても機嫌よく帰ってもらおうと必死だ。でも、その選択でベティさんがまたモチモチしだしたら責任とれるのかな?
「グスッ……食べ放題ですか?」
半泣きながら食べ放題という言葉は聞き逃さないベティさん。尽きない食への渇望を感じる。
「そうだ、食べ放題だ」
「……一回だけですか?」
「一回、いや、二回……三回だ。次から三回食べ放題だ」
一回で終わらせたかったようだが、ベティさんの涙に負けて回数を増やすトルクさん。俺も二回分の食べ放題料金くらいは負担することにしよう。
そのくらいしないとトルクさんはともかくマーサさんが怖い。ベティさんの食べ放題となると、本当に沢山食べそうだもんな。
「…………分かりました。話を聞きますぅ」
「おう、助かる」
すごく悩んだ後、ベティさんが話を聞く体勢を整えた。泣き過ぎて顔が凄いことになっているが……話が終わってからヴィータに治療を頼むか。
***
「分かりました。ギルドマスターと相談します」
トルクさんの優しい優しい、壊れ物を扱うような相談により、どうにかベティさんが頷いた。
「おう、よろしく頼む。今晩の料理は期待してくれ。あ、仕事に戻らなくてもいいなら、夜までこの部屋を使っていいぞ」
何度かベティさんがジンワリと目に涙を浮かべることがあったが、泣くことはなく話が終わった。
これでベティさんが窓口となり、各種ギルドと協力して香辛料の効能を調べてくれるだろう。
正直大変だった。面倒が嫌だからベティさんに話を通そうとしたのだが、普通に商業ギルドでお願いしたほうが楽だった気がする。まあ、これ以降は俺が手を煩わされることはないはずなので結果オーライということにしておこう。
「……トルクさんとの打ち合わせが夜までかかったことにします」
堂々とサボりを宣言するベティさん。まあ、元々体調は悪かったし、泣いて体力を消耗しているから休むのもしょうがないだろう。
「分かった。じゃあ夜までゆっくり休んでくれ」
「ベティさんありがとうございました」
俺とトルクさんは今更だがベティさんを労わって部屋を出る。ヴィータは部屋に残ってくれたので、しっかり治療を終わらせてくれるだろう。
「はぁ、大変だったぜ」
「お疲れ様でした。ベティさんの食べ放題の二回分は俺が費用を持ちますので、後で請求してください」
「ん? 俺が払うつもりだったが……正直助かる。なあ、裕太、マーサの機嫌が直るような物を持ってないか? 俺が買えそうな範囲で頼む」
やはりベティさんの食べ放題は個人負担だったようだ。そしてマーサさんの機嫌を直す物か……。
「マーサさんって何か趣味とかあるんですか?」
痩せて若返り外見は可愛らしくなったことだし、アクセサリーや服などが無難かとも思ったが、俺が持っているのって最高級品とか魔道具とか国宝レベルだ。
余っているからトルクさん達になら提供するのもやぶさかではないのだが、常識で考えると無いだろう。
「最近の趣味はダイエットだな。あと、迷宮か?」
ダイエットはもう関わりたくない。なら迷宮の装備だが、俺が持っている装備関係も結局アクセサリーとかと同レベルだから無理だろう。
難しい。トルクさんなら珍しい食材か調理道具を渡しておけば済むから簡単なんだけどな。
若返り草……いや、若さ関係はデリケートだし、これも高価な部類だから駄目だろう。
あ、良い物があった。
「トルクさん、これをどうぞ。お金は要りません。試供品みたいなものですからね」
「ん? 綺麗なビンだな。なにかの薬か?」
「いえ、ちょっと特別な花の蜜です。甘くておいしいのでマーサさんも喜んでくれるはずですよ」
これも高価なものだが、個人栽培みたいなものだし、若返り草と違って世に出回っていないから、俺が伝えなければ高価な物とは認識しないだろう。
「甘い蜜か……」
「あれ? 駄目でしたか?」
トルクさんの顔が曇ったので驚いてしまう。
「いや、裕太が用意した物は信頼しているのだが、ダイエット中の女に甘い物をプレゼントするのって喧嘩売っていることにならないか?」
「確かにそうですね」
盲点だった。禁煙中の人に煙草をプレゼントするようなものだよね。
「あ、でも、ベティさんにご褒美があったんですから、マーサさんにもご褒美があってしかるべきだろう、みたいな感じで渡したらどうですか? この蜜はかなり美味しいので十分な御褒美になるはずです。たぶん」
「……なるほど、それならいけるか?」
トルクさんは半信半疑の様子。俺も半信半疑なので大丈夫だとは断言できない。物は良い物なのだけど、理屈が通用しない時もあるからな。マジで。
それでも味を見てくれさえすれば、なんとかなるはず。妖精の花蜜はそれくらいのポテンシャルを秘めている。
「無理矢理とか強く言うのは駄目です。あくまでも自然な感じでいけば……たぶん?」
「……そうだな、夜にでも、いや、それじゃあ料理に集中できねえ。今から行ってくる」
俺から小瓶を受け取ったトルクさんが、足早に去っていった。返事の前に小声で無理矢理なんて怖くてできねえよと、小声でつぶやいていたのは聞かなかったことにしてあげよう。武士の情けだ。
あと、ドラゴン肉の料理に集中したい気持ちは理解できるが、今失敗したらもっと酷いことになるのでは? そんな不安が拭えないのだが?
いやだぞ、ボコボコに顔を腫らしたトルクさんに料理を提供されるのは……。
***
帰ってきたベル達やジーナ達の話を聞いていると、あっという間に夜が来てしまった。
「へー、今日はドラゴンのお肉なんだ」
「……うん、色々とトルクさんが料理を作ってくれている……はず」
トルクさんの様子が気になりつつも、怖くて様子を見に行けなかった。だからジーナの質問にあやふやな返事をしてしまう。
さすがに騒ぎになっていたらシルフィが教えてくれるはずだから、大丈夫だよね?
「おにくー」「キュー」「どらごんはおいしい」「くぅ!」「ぬすみくうぜ!」「……」
この宿の食堂の個室で食事するときは盗み食いが定番なので、食堂に向かう時点でやる気満々なベル達。
彼女達の楽しみが成就することを強く願う。
そしてドラゴンのお肉と聞いてジーナだけでなくサラもマルコもキッカも楽しみにしている様子なので、本当にトルクさんの無事を祈る。
「あ、マーサさんだ。あの人も本当に痩せたよな。おふくろもかなり変わったけど、マーサさんはそれ以上だ」
「う、うん、そうだね、ビックリだよね」
なんでマーサさんはあんな場所で待機しているんだ? 近寄るのが怖いんだけど?
部屋に戻る訳にもいかず、覚悟を決めて歩を進める。
マーサさんの表情が見えた。笑顔だ。セーフ、なのか? 笑顔で怒るタイプも居るから断言できないが少し気が楽になる。
トルクさんをボコボコにしてスッキリした結果の笑顔じゃないよね?
「こ、今晩は、マーサさん。お昼はお世話になりました」
「ああ、裕太、今晩は。待っていたよ」
お待ちでしたか。
「どうかしましたか?」
「いや、うちの旦那が裕太から貰った蜜の味見をしたんだけど、凄く美味しくてね。お礼を言いたくて待っていたんだよ」
勝利。俺、勝利。
さすが妖精の花蜜。俺は女性に対する最高の賄賂を手に入れたのかもしれない。
「気に入っていただけで良かったです。あの蜜は自家生産なので、またお持ちしますね」
「いいのかい」
「無論です。マーサさんにはいつもお世話になっていますからね」
「そうかい、悪いけどあの美味しさには敵わないからね。楽しみにさせてもらうよ。でも、高いんじゃないのかい?」
不安そうなマーサさん。味の質を考えると高価だと思うのも無理はない。
「先ほども言いましたが自家生産なので値段はありませんよ。気にせずお受け取り下さい」
「分かったよ。代わりと言ってはなんだけど旦那にサービスするように言っとくよ」
ふふ、マーサさんの機嫌が取れるのであれば、多少の蜜の放出は許容範囲内だ。これで安心してドラゴンのお肉を楽しめる。
「裕太、良かったわね」
シルフィが悪戯っぽく笑いながら教えてくれる。シルフィ、マーサさんがご機嫌だって知っていたね?
でもまあ……本当に良かった。
読んでいただきありがとうございます。




