七百九十二話 だって黙ってろって言われたんだもん
マーサさんのダイエット効果に違和感を覚え、トルクさんと色々と考察した結果、迷宮産の香辛料が怪しいと結論が出た。自分達では手に負えないので、商業ギルドに丸投げしようとベティさんを呼び出すと、ベティさんはまるで幽鬼のような姿に。俺は彼女を説得し、無事に生き残ることはできるのだろうか?
「あ、あんまり興奮したら駄目だよ。裕太、支えてあげて」
俺がベティさんの説得を諦めかけたその時、ヴィータが声を上げると同時にベティさんがふらりと姿勢を崩した。
ヴィータの指示に反射で行動できたおかげで、ベティさんが倒れるのを回避し支えることができた。軽い。
「体調がよくないところに極度の興奮が加わって意識を失ったんだよ。安心して、命の危機に陥るような症状じゃない」
俺がヴィータに目を向けると、ベティさんが倒れた原因と状況を説明してくれた。
命の危機がないのは安心材料だけど、興奮したくらいで意識を失うまで自分を追い込んでいたのか。
そこまでドラゴンのお肉を食べたかったのかとベティさんの食い意地に驚くとともに、極上すぎる餌をぶら下げてしまったことに責任を感じてしまう。
ドラゴンのお肉三種盛りではなく一種類くらいにしておくべきだったか。
後悔しながらベティさんをお姫様抱っこして応接室から出る。人生初のお姫様抱っこがベティさんになるのは予想外だったな。
「何があった!」
応接室を出ると、トルクさんが驚いた様子で聞いてくる。トルクさんが逃げなければそんな質問をしなくても良かったんだけどね。
「トルクさん、なぜ逃げたのですか?」
「に、逃げたとは心外だな。俺はお茶を用意していただけだ」
……トルクさんの手元を見ると、確かにお茶が乗ったトレーを持っている。お茶を用意するのであれば、声を掛けて行けばいいのでは? という疑問が残るが、物証を示されては問い詰めることが難しい。
「トルクが用意したお茶、だいぶ冷めているわね」
……お茶を用意しつつ、戻ってくるタイミングを見計らっていたということか。だが、甘かったな、そんな欺瞞、シルフィの手にかかれば丸っとお見通しなのだよ。
「そのお茶、だいぶ冷めているようですが?」
とある女性探偵? 気分でトルクさんを追求する。
「あ、ああ、きょ、今日も暑いから、少し冷めた方が良いと思ってな。そんなことよりも、ベティはどうしたんだ?」
むむ、追及できないこともない言い訳だが、ベティさんを引き合いに出されては追及できない。
「少し興奮し過ぎて気絶してしまったようです。休める場所を用意してもらえますか?」
「あ、ああ、それは構わないが、医者は呼ばなくていいのか?」
「そちらは問題ないようです」
「そうか、まあ、とりあえずこっちだ。あと、マーサに面倒を見させるか。その状態のベティを裕太がどうこうするとは思わないが、一応女が面倒を見た方が良いだろう」
ああ、俺の周囲にはシルフィやヴィータが居るから抜けていたけど、精霊が見えないトルクさんからすると、確かにフォローすべき問題に思えるだろう。
幽鬼のようなベティさんを襲うと思われなかったくらいに信用があったことを喜ぶべきかな?
トルクさんが空き部屋を用意してくれたので、そのベッドにベティさんを寝かせる。
トルクさんは心配そうに見ているが、現在ヴィータが治療中なので特に問題はないだろう。
「ほら、あんたたち、女性の寝姿をいつまでもまじまじ見ているんじゃないよ」
トルクさんに呼ばれてやってきたマーサさんが、俺達を叱り飛ばす。そうか、ベティさんは幽鬼ではなく女性だったな。
それは構わないのだが、外見が華奢で可愛らしくなってしまったマーサさんに、肝っ玉女将スタイルで叱られると違和感が酷い。
「ほら、やることがないならあんたはタオルを持ってきな。水で適度に湿らせるのを忘れるんじゃないよ」
ん? 別に風邪を引いたわけじゃないんだし、額を冷やす必要はないのでは?
あ、冷やすのではなく、汗なんかを拭いてあげるんですね。
「裕太、そろそろ目を覚ますから、準備してあげて。消化に悪い物は駄目だよ」
ベティさんの方に視線を向けず、マーサさんの指示に従い雑用を熟していると、ヴィータから指示が出た。
もうすぐ目覚めるのか。ヴィータが焦っている様子もないし、大丈夫そうだな。
マーサさんに断りを入れてベッドサイドにテーブルを移動し、おかゆと魚フレークを並べる。
本来であればおかゆだけの方が良いのだろうが、魚フレークで興味をひかないとベティさんが納得しなさそうなのでしょうがない。
やっぱり寝起きにドラゴンのお肉は消化に悪いよね。
「……ん……ここは? ……ドラゴン肉!」
ベティさんが目を覚まし、寝起きで頭が働かない様子だったのだが、俺の顔を見た瞬間跳ね起きた。俺は裕太であってドラゴン肉ではない。
「ベティさん、まずはこれを食べてください」
「……美味しそうですけど、私が食べたいのはドラゴンのお肉です。裕太さん、約束を破るのですか?」
恨めしそうな顔で見ないでください。以前のベティさんであれば可愛らしかったかもしれないが、今のベティさんでは本物の幽鬼にしか見えない。
でも、大丈夫。ベティさんが寝ている間に説得方法はしっかり考えておいた。
「ベティさん。俺は約束を破りません。ドラゴンのお肉は今夜提供します。今、この食べ物を勧めているのは、体調を整えるためです。最高の体調で最高のお肉を味わうのがドラゴンに対する礼儀ではありませんか?」
「でも……」
納得していない様子のベティさんに、続けて事前に少し胃に食べ物を入れていないと量が食べられないとか色々と情報を伝える。
でも、なかなか納得した様子を見せないベティさん。これは理屈じゃない感じだな。
仲間の制止を振り切り、ドラゴンのお肉を目標に狂気の努力を続け、そしてそのドラゴンのお肉が目の前にある。それなのに今更寄り道をしなければならないのか? そんなベティさんの心情が伝わってくる。
分からないでもない。既に口がドラゴンのお肉になっているんだよね。
「グダグダ言ってんじゃないよ! 倒れてなに言ってんだい、さっさと食いな! でないと無理矢理口に詰め込むよ!」
「ひゃう! 食べまひゅ!」
マーサさんの一喝で蓮華を取るベティさん。俺の説得はマーサさんの一喝に及ばないんだな。地味に悲しい。
「あ、おいひい。なんだか凄く優しい味ですぅ……」
おかゆを一啜りすると、ベティさんが涙ぐんだ。おかゆで感動って、どれだけ食事を切り詰めていたのだろう?
これはあれだな、商業ギルド主体のダイエットプログラムの作成は確実に失敗に終わっているな。そしてその原因は俺がベティさんの前にドラゴンのお肉というニンジンをぶら下げたからだろう。
商業ギルドとしてはベティさんを実験体にして、お金持ちにも対応できるプログラムを作るつもりだったのに、修行僧もビックリな荒行をぶちかましたのだから、参考資料にすらならないと思う。
……商業ギルドにもお詫びが必要だな。
「ベティさん、横にある魚のフレークを載せるのも美味しいですよ」
まあ、商業ギルドは後回しにして、今はベティさんのフォローに集中しよう。
「これですか? あふ、おいしいですぅ」
魚フレークはベティさんの口に合ったようだ。俺的にはおかゆに昆布の佃煮なんかも好きなのだが、この世界の人に海藻が消化できるか疑問だったので止めておいた。
「裕太さん、お代わりをお願いします」
え? あれほど抵抗しておいてお代わりするの?
……まあ、問題ないのならいいけど。ヴィータを見ると苦笑いしながら頷いた。構わないようなのでお代わりを提供するか。
***
「さて、今晩はドラゴンのお肉を提供しますが、その前に少し仕事の話をさせてください」
あれから四度もお代わりを繰り返し、ようやく落ち着いたベティさんに説明を始める。
「ゆ、裕太さん、まだ私に仕事を押し付けるつもりなのですか? 私、受付なんですよ?」
え? ベティさんって受付だったっけ?
……いかん、食べ物に関連している姿しか思いだせない。まあ、でも、色々と頑張って働いてくれているし、ベティさんに任せると結構安心なんだよね。ダイエット以外。
「今晩トルクさんに料理してもらうドラゴンのお肉、たっぷり用意して既に渡しています」
トルクさんはすでに気合十分で直ぐに厨房に向かおうとしたのだが、ベティさんとの交渉はトルクさんに任せる約束だったので、なんとか引き止めることに成功した。
トルクさん、なんだか劇画みたいな表情になっているし、約束していなかったらたぶん引き止めるのは無理だったな。
「うぅ、それは御褒美のはずですぅ」
「ええ、お引き受けいただけなくても、ドラゴンのお肉は提供します。まあ、トルクさんの話を聞いてください」
なんかドラゴンのお肉を人質に取った感じになってしまったが、約束は守るつもりだ。ただ、この方が話が早く済むんじゃないかな? と考えたのも確かだ。
俺も大概ベティさんを利用しまくっているな。
目的のドラゴンのお肉を食べたらおそらくリバウンドするだろうが、ヴィータに小まめに診察してもらえば大丈夫だろう。
でも、それだけだと流石に可哀想だ。
ベティさんに働いてもらうのは確定だが、追加で何か考えることにしよう。
「ううぅー、酷いですー。私はごんな゛にぐろうじたのにー、ぞんなに簡単に痩せる方法があっだなんてー」
トルクさんの話を聞いたベティさんが泣き始めた。気持ちは分かる。
「い、いや、まだ確定じゃないんだぞ。最近分かって検証が必要だという話になっただけでな」
「でも、マーサさんだって凄く痩せているじゃないですかー。ずるいですぅー」
「そのマーサのダイエットで分かったことなんだ。ベティに内緒にしていた訳じゃないんだぞ」
なんか大惨事になっている。
「ベティの泣き声が聞こえたよ! あんたたち、なにしたんだい!」
ベティさんがおかゆをお代わりしている間に仕事に戻っていたマーサさんが再び登場。ベティさんの泣き声のせいか既にお怒り状態だ。
「マ、マーサ、違うんだ」
「ふえぇぇん、マーサさんぁぁん、裕太さんとトルクさんが酷いんですぅー」
止めて、俺達そんなに酷いことはしていないはずだ。だからその人を殺しかねない眼光は止めてください。
「まあ、あれだけ疲弊していた女の子に仕事の話をするのはどうかと思うよ」
「そうね、タイミングが少し悪かったわね」
のんきに会話をしているシルフィとヴィータ、凄く他人事だ。助けは期待できない。
「あ、あのマーサさん」
「裕太はちょっと黙ってな! 事情はベティから聞くよ!」
「あ、はい」
怖いよマーサさん。
「そ、そうだったのかい。うん、あれだね、それは悲しかっただろうね」
マーサさんが物凄く気まずそうにベティさんを慰めている。それも当然だろう、マーサさんが無理なく健康に痩せたことに対する愚痴や嫉妬が切っ掛けなんだから、当人としてはどう反応したらいいのか分からないはずだ。
マーサさんが助けを求める目で俺達を見てくる。そっと視線を逸らす俺達。
だって、マーサさんが黙ってろって言ったんだもん。
7/14日本日、コミックス版『精霊達の楽園と理想の異世界生活』の第85話が公開されました。
ワルキューレ登場で裕太も活躍と楽しい内容になっておりますので、お楽しみいただけましたら幸いです。
読んでいただきありがとうございます。




