⑨
凛が分かりやすく震えた。
蕩けそうな顔で笑った。
その顔を見ていたら、ちょっと泣きそうになった。
凛の後ろから日の光が俺の目に刺さったからだと思う。たぶん。
凛の指先が伸びてきた。
「悠希! 凛! おはよ!」
「はよー!」
「おはよ」
橋田が凛に飛びついてきた。
後ろから、西尾も濱もゆっくり歩いて来た。
凛の指先が俺に触れることはなかった。
「おはよ。昨日ごめん」
「そーゆー日もあるって! 今日は暴れろよ?」
「うん。もう、大丈夫。昨日動画見まくったし。イメージ完璧」
「俺もやるぞー!」
俺は橋田と話しながら、バスの方に歩き出した。
後ろは三人でなんか話しながら、俺らの後ろを付いてきた。
一年と合流すると、集合時間までなんでもない話を橋田とじっくり語った。
バスに乗り込んで、窓側に詰めて座った。
当たり前のように凛が通路側に座った。
膝が触れた。
尻を浮かして、窓側に限界まで詰めて、足まで閉じた。
バスのエンジン音だけが車内に流れていて、誰一人として口を開かなかった。
前に一年がつぎつぎ乗り込んできて、人数確認後に出発となった。
バスが揺れ始めた。
揺れる度にやっぱり太ももが触れた。
窓枠に肘をついて、外を眺めていた。
白い学校の塀が流れていく。
揃えのジャージ姿でリュックを背負った女子が3人固まって歩いていた。
なにが楽しいのか、爆笑してた。
その後ろに同じクラスの本城もスマホを眺めながら一人寂しく歩いていた。
俺は小さくため息をついた。
さっきのことが頭に離れなくて、凛の方は向けなかった。
あの時、凛を絶対崩したらいけないと思った。
チームのため。そう。チームのため。
凛が崩れたら俺も一緒に崩れそうな気がした。
まぶたを下して、見慣れた景色を消した。
肘のすぐ下を掴まれていた。
それが煩わしくて、腕を引いたけど離れなかった。
薄く目を開けると、バスはまだ高速道路を走っていた。
隣を白い軽自動車が並ぶように走っていた。
車内はシーンとしていて、寝息しか聞こえない。
自分の腕を見下ろすと、見慣れた手が俺を掴んでいた。
その腕の先を見ると、大口を開けて、目を閉じていた。
鼻を摘まんでやった。
ふがっ!て鼻を鳴らして、跳ね起きた。
中途半端に開いた目が俺に向いた。
「悠希?」
「腕」
「あー……」
鼻声だった。
逆の手で目を押さえて、一度閉じた口がまた大きく開いてあくびをしていた。
手も目蓋も下ろされて、腕は捕まえたままだった。
後ろの席からいびきが聞こえてきた。
「凛」
俺は肩をゆすった。
払われた。
じっと顔を見たけど、ピクリとも動かなかった。
しばらくすると、寝息まで聞こえてきた。
首を左右に伸ばすように倒して、ぱきっと音を鳴らした。
窓に頭を押し付けると、ヒヤリとして、バスの振動が直に伝わってきた。
腕のことから意識を逸らすには、ちょうどよかった。
ぎゅって音がしそうなほど強く目蓋を下ろした。
次に目覚めたのは、腕を引かれたから。
今度は俺の身体が跳ねた。
ぼやける視界で、横を見ると、俺の腕を掴んでいた手が先に滑って、手を握られた。
手を見た後に、顔を見ると、口角が上がっていた。
「もう着く」
「……」
それはいいが、なんだこの手は。
そう言いたかったけど、シンとした車内では言えなかった。
目で訴えたけど、握りこまれた。
握られた手を凛と俺の太ももの間に落とした。
挙句に、その状態で通路挟んで向こうに座っていた西尾の腕を掴んで揺らしていた。
「起きろー。」なんて言いながら。
その前にこの手を離して欲しい。もう遅いけど。
長い指で握りこまれていて、簡単には外れなさそうだった。
もうなんか面倒になってきて、着くまで窓の外を見た。
でも、意識は手にあった。
バスが校門をくぐった。
車内の空気は、やるぞ!っていう静かな緊張感が漂ってきた。
その中でも凛の体温が、心地よくて握り返した。
昨日の失敗は、今日取り返せる。やれる。そう思えた。
午前中、案の定メンバーには呼ばれなかった。
凛の背中を見ながら、隣のコートにルーティーンの右足から入った。
ここですごい違和感に襲われた。
いつもここに立っていたのに、ここじゃないと頭の片隅に浮かび上がった。
じゃ、どこ?
答えを出す前に、前を向いた。
結果を出さないと、本当の場所にいけないって直感した。
ならば、やることは一つ。
ボールを睨みつけた。
練習試合の終盤。
急に監督に呼ばれた。
強い視線に、たじろぐことはなかった。
むしろ燃え上がって、両こぶしを握った。
「お前、行けるか?」
「はい!」
即答した。
得点板は23-23で、リリーフサーバーの指名だった。
経験じゃない。流れを変える一本が欲しい。
言葉はなかったけど、俺のするべきことは瞬時に理解できた。
立ち位置に立って、コートに立つ背中を見た。
西尾と先輩と一年と辿って、最後に凛。
鼓動が耳元で鳴った。
ボールにみんなの念を込めて、天井に高くトスを上げた。
何千回、何万回と練習したから、当然の様に身体が動いた。
ただ、いつもより身体に羽が生えたように軽かった。
ボールにインパクトして、「いけ!」って気持ちがボールに乗った。
思い通りの軌道に乗って、ボールが手元でぐっと伸びた。
ボールは受け止めきれずに、リベロの腕に当たってコート外に落ちていった。
ボールが跳ねる音が大きく聞こえた。
叫んで、全身に鳥肌が立った。背中をあほみたいに叩かれまくった。
痛みよりも次のサーブで頭がいっぱいになってきた。
「悠希!」
最後にひときわ強く凛に背中を打たれた。
痛みが熱に変わって、胸がすっと落ち着いた。
当たり前のことをやるだけ。俺で決める。
その気持ちを乗せて、打ったサーブは鈍く重い音を響かせた。
コートの中でみんなとハイタッチして、また最後は凛だった。
手を合わせた後に、右手だけ握り込んだ。
凛が驚いた顔になって、俺は口が弧を描いた。
顔を見たら満足して、さっと手を離した。
短い時間だったけど、俺の場所はここって確信した。
帰り際。
「中野ー!監督呼んでる。」
「はい!」
俺?!なんかしたっけ!?
突如降ってきたキャプテンの声に目が飛び出そうだった。
反射で返事は辛うじてできた。危ない。よかった。
一日の事を振り返ったけど、全然悪くはなかったはず。
それは胸を張って言えるのに、昨日の事か……と食いしばった。
キャプテンの背中を追いかけて、体育館の外に出た。
そこにはうちの監督とコーチだけじゃなくて、翔進の監督とコーチもいた。
「中野、遅いぞ!」
「すみません!」
監督は手招きしながら、顔は笑っていた。
嫌な予感がして、背筋が伸びた。
背中で組んだ手に力が籠もった。
「お前、一発芸できるか?」
「はい!」
……は?
勢いで答えてしまった。
なにも浮かばないけど、なんかはしないといけない。
しかも、監督コーチ陣を満足させられるような、なにかを。
キャプテンの顔を横目で見たが、目が死んでいた。
あ、撃沈したんだと理解できた。
俺の人生の中で間違いなく一番頭に負荷をかけた。
はじき出した結果が……
もう、なるようになれ!根性だった。
肺を限界まで膨らませて、下っ腹に力を込めた。
そうして俺は、大声で校歌を歌った。
一音を出すともう元には戻れない。
監督たちが腹を抱えて爆笑しはじめて、詰まりそうになったが最後まで歌い切った。
声が波に乗るように滑らかに出て、案外、気持ちがよかった。
監督が俺に親指を立てた。
「合格!」
「ありがとうございます!」
身体を折りながら、なにが?って頭に浮かんだ。
すぐに思考を追い出した。
アスファルトの切り目につま先がピタリと合っていた。
偶然のシンクロがやりきった達成感も加わって、ちょっとだけ嬉しかった。
「帰るか?」
「はい!」
体育館に戻る監督の背を追った。
隣で歩くキャプテンに背中を叩かれた。
「中野、抜けたな。」
「ありがとうございます!」
キャプテンは、満足そうに頷いた。
この人も本当になんでもできる人で、中学の選抜で一緒になって、性格まで神だった。
実はキャプテンと一緒にバレーがしたいと思って、うちを選んだ。
メンバーになるってことは、一緒にコートに立てる。
緩みそうになる頬を引き締めながら、頭を下げた。
凍り付きそうな視線が送られていることに気づかずに。




