⑦
学校にいち早く帰ってきた俺と担任は、第一グランドに立っていた。
前のクラスがいて、俺らのクラスのヤツらはちらほら歩いて帰って来ていた。
他のクラスは既に解散してるようだった。
涙目で学校に到着して5分。
担任の横から凛が並んだ途端、逃げた。
「なにこれ?」
「いいじゃん。俺頑張ったから」
「あー、頑張った。頑張った」
凛の背後から抱き着いて、体重を思いっきりかけた。
嫌がるどころか、無抵抗。
汗の香りの後に、制汗剤のスースーする香りが微かにした。
頭も足ももう限界に近かった。
よく無事に帰ってこられたな、俺。
凛が俺の頭をポンポンと優しく叩いた。
「やめて、ソレ泣いちゃう」
「なんだそれ!」
凛が笑った。
その振動が腕に伝わる。
しばらくして、最後の一人と副担任が戻ると、担任が点呼した。
「家に帰るまで遠足です! 明日は小テスト忘れないように。 解散!」
「さよーならー」って、気の抜けた挨拶でみんな動き出した。
凛も動きだしたから、俺は凛から離れて、体育館に向かってゆっくり歩きだした。
全員疲労の色を隠しきれていなかった。
口が一文字になって、大体が焦点の合わない目でどこかを見ていた。
「疲れた……」
「俺も。帰り地獄だった」
「なんで?」
「楽しくなかったから」
「女子に囲まれた?」
「ん-」
なぜか胸がモヤついた。
凛が女子に囲まれるなんて、いつものことだし。
大体、無反応だし。
「他のヤツんとこ行ったらよかったじゃん。本城とかさ」
「悠希いないと、他のヤツともしゃべれない」
「そんなことないだろ」
「……あるんだよ」
本城はテニス部で、席が俺の隣だ。
授業で当てられたら起こしてくれるし、こっそり教えてくれる。
凛が休みの時はノート貸してくれたし、めっちゃ良いヤツだ。
話しかけたら、全然普通に愛想よくしてくれると思うけど。
そういえば、凛から話しかけてるとこ見たことあんまりないなと隣を見た。
前を見据えたまま、みんなと同じような顔をしていた。
「仲良くすればよくね? せっかく1年一緒なのに」
「俺は悠希がいれば、それでいいから。つか、めんどい」
「ダメだろ……よくそれでチームプレーできるな……」
「個人競技の方が性に合ってるって思う。剣道とか陸上とか。親がバレーしてたから、続けてるけど」
「そんなことないだろ。普通に」
「そうかな?」
「そうだろ」
体育館が大きくなっていく。格子戸の奥で1年がポールを立ててた。
真っ赤に日焼けしてるヤツがいて、ちょっと心配になった。
「今は、続けてよかったと思ってるけど」
「そうか?」
「一緒にコートに立てるかもしれないじゃん」
「いや、立つし!」
咄嗟に手の甲で凛の胸を叩いた。
結構重めの音がして、凛が短く「うっ」って言った。
凛はすでに1年の秋からメンバーに入っていた。
だから、ちょっと力が入ってしまったのかもしれない。
「ごめん!」
「強すぎだろ」
「ごめんごめん」
「加減って言葉をお母さんのお腹に忘れてきたもんな?しょうがない」
「え、普通に悪口」
「ははは」
ついに体育館に着いてしまった。
練習が始まってしまう。
身体重いけど、やるしかない。拳を握った。
「でもさ、実際一緒に立った方が調子いいんだよね」
「初耳」
「なんだろ、かっこいいとこ見せないと、的な」
「絶対ちげーだろ!」
「バレたか」
少しだけ隙間の空いた格子戸を子供のように笑った凛が手を掛けた。
こっちに目が向いた。
「さっきのは冗談にしても、動くのは本当」
「そんなもん……?」
「よく見えるし。隣じゃん。絶対」
凛が格子戸を開けて、体育館に入った。
一年の幾重にも重なった大声が反響した。
それって信頼してくれてるってことじゃ……?
ぽかぽかとしたものが胸に沸いた。
ちょっと待てよ、まさか、信頼と好きを……?
格子戸の前で足が止まったまま体育館に踏み込めなかった。
冊子の隙間に小さな消しゴムが挟まっていて、なんか俺みたいだなって思った。
屈んで、爪でカリカリと掘り出そうとしたけどダメだった。
結局諦めて、ピリついた空気を全身に浴びて体育館に一歩踏み込んだ。
今日の練習は……消えたいと思うほどひどかった。
途中で気が付いてしまった。
ボールの感じが、こう、手に馴染まないというか、とりあえず変だった。
一回そう思ったら、ハマった。
修正しようと、考えれば考えるほど、おかしくなっていった。
「中野、来い!」
「はい!」
腕を組んでじっと見ていた監督がパイプ椅子から立っていた。
地獄のコールだ。
鼻を真っ赤に日焼けした監督は、本当に鬼の様で縮み上がった。
そこからは、「なにを考えてる?!」から始まって、怒鳴られまくった記憶しかない。
すぐにコーチが飛んできて、こってり絞られて、魂を抜かれた。
ずっと走らされた。ボールに触らせてくれない。
魂が戻ったのは、体育館の外に出て冷たい春風が頬を撫でた時だった。
凛が俺の肘を掴んでいて、アスリートの3人も俺の側にいた。
鼻の奥が痛んで、じわりと涙の膜が張ってきたのが分かった。
「ごめん……」
「いいって。今日監督機嫌悪かったし」
「そうそう! 気にすんなって!」
「おかしいよな、悠希のクラス走ってないじゃん」
「ちょ! 西やんそれはないわー」
「……」
西尾の言う通り。胸に特大の槍が刺さった。
足が止まりかけるが、無言の凛に引きずられた。
「まさか……このまま、スランプとか……?」
「濱! 縁起でもないこと言うな!」
「ごめんっ!」
この時期にスランプとか致命的過ぎる。
メンバーにはもうちょっとってとこなのに。
自分的には。
今日はいろいろありすぎて、考えすぎたというかパンクしただけ。
思い込ませるように、頭の中で念仏のように言い聞かせた。
他の学年は10人前後いるのに、俺ら2年は、極端に人数が少ない。
そのせいで連帯感というか、絆が強くて。
それがいいと思ってたけど、今は一刻も早く一人にして欲しかった。
俺の靴はちゃんと前に一歩一歩出ていた。
ほんとに俺の足かなってくらい、ふわふわしてた。
「今日は、ゆっくり休め。また明日な!」
「大丈夫だって! 悠希だし!」
「そうそう!」
「……」
西尾、濱、橋田が順に俺の肩を叩いて、俺たちと別れて寮の方に走っていった。
ありがとうくらい言えたらよかったのに、喉の奥が焼けるように熱い。
俺と凛だけになって、校門の方にとぼとぼ歩いて行く。
レンガ畳の柄に合わせて足を出した。
あ、外した。
「俺のせい?」
「え?」
鼻声だった。
そうだと言えば、そう。でも、そうじゃない。
「手、強く握ったから? 昼間のこと、気にしてる?」
早口で飛んできた質問は右から左で、返事に困った。
なんか返さないと、思えば思うほどに真っ白になって、ピクリとも口が動かなかった。
「……言わなきゃよかった」
「それは違う!」
地に足が着いていない感覚はまだあったけど、それだけは間違いなかった。
凛の想いを少しでも信頼なんて疑った罰だ。
考えるなんて言っときながら。
「ブレた俺が悪い。ごめん」
「謝るのは、俺だろ」
「違う。俺の問題だから」
それだけは譲りたくなかった。
切り離して完全に集中しきれなかったのは自分のせい。
今年度入って一番かもしれないってくらい、ボロカスに怒られた。
悔しい。凛をこうした自分はもっと許せない。
遂に涙が落ちていって、足元のタイルの色を変えた。
「ごめん……凛、ごめん……」
それだけしか言えなかった。
練習中は、体育館の刺すような空気が足を拘束するようだった。
集中力を高めるどころか、焦るばかりで……
校舎の影が伸びてて、全身を包み込まれた。
長い長い息が漏れた。
「悠希」
いつもより低い声だった。
顔を上げると、肘を思いっきり引かれた。
胸と胸がぶつかって、背中が軋むほど、抱きしめられた。
冷え切ってしまった胸に、凛の規則正しい鼓動がじわじわ伝わってきた。
そのリズムは心地よかった。
「凛?」
無言のまま、また締め上げられて、身体の横にぶら下がった手首が反れた。
凛の鼓動を聞いてたら、だんだん手首が身体に沿っていった。
汗の香りがして、俺から香っているかもって、身体を捩った。
それでも、背中は軋んだままだった。
「明日からは普通にするから……今だけ」
今だけでいいのか?
言葉にしかけて、飲み込んだ。
凛の声が一番俺の胸を抉った。
一つになった影をただじっと見つめた。




