⑮
凛に催促されるようにグラスを振られて、氷がカランと鳴った。
俺は拘束が取れて、グラスを受け取った。
グラスは、掌の体温を奪うような冷たさだった。
「温かいうちに食おーぜー」
相変わらず、凛は謎過ぎる笑みを浮かべたまま。
ちらつく闇を感じて、ちょっと怖い。
グラスを置いて、濡れた手をズボンの乾いたところで拭いた。
手を合わせると、凛もパチンと音を立てて合わせた。
「「いただきます」」
俺は一番にお茶碗を左手に持った。
真っ白なご飯は大好物で、凛の家のごはんは、たぶんイイトコの米でうまい。
粘りが違う。何杯でも食べられる。
湯気が顔を掠めると、ごはんの香りが鼻腔を抜けた。
箸で掬える限界ギリギリの量を掬って、口で迎えに行った。
「うまっ!」
噛む前から、もう既にうまい。
むしろ、歯がいらない。
次の一口が待ちきれない。
「噛めよ」
「だっふぇ、うふぁいし」
「飲み込んでから喋れ」
ごはんから目が離せない。
無視して、次の一口をかき込んだ。
凛に言われたから、ちょっとだけ噛むことを意識して飲み込んだ。
「ほんと米好きだよな」
「お前んちの米がな」
「もう婿に来いよ」
「ごふっ……!」
「きったねー」
ごはんが変なことに入って、吐き出しそうになった。
慌てて、お茶で流し込んだ。
凛は、まあまぁでかいとんかつを口に押し込んでいた。
頬が膨らんで、しゃくしゃくと衣を噛む音が静かに響いた。
「ばーちゃんも喜ぶし」
「知ってんの?!」
凛は取り皿にキャベツを盛り始めた。
「普通に」
「……言ったのか?」
「言った」
「なんて?」
「気になる?」
気になるような、気にならないような。
知ったところで、どうにかなるわけではないけど。
凛は手作りっぽいドレッシングをたっぷりキャベツにかけていた。
ちなみにこのドレッシングもうまい。和風の玉ねぎみたいな感じで。
俺は茶碗と箸を置いた。
「凛はさ、なんで俺のこと、好きになった……?」
「……なんでだろ?」
「疑問で返すな」
「わからん。気がついたらって感じ」
「それってさ、友達とかじゃなくて?」
凛が音を立てて、箸を置いた。
ガシャっていう高い音に、俺は身体をビクつかせた。
グラスを乱暴に掴んで、零れそうなくらいお茶が跳ねてた。
口に付けると、お茶が一気に吸い込まれていく。
氷だけになって、やっと卓上に置かれた。
「友達とちゅーしたいなんて思わない」
凛が箸を取ったけど、明らかに震えていた。
自分の口を縫い付けたくなった。
「いつから?」
「あ゛?」
思いっきり睨みつけられた。
もう、ここまで来たら全部聞くつもりだ。
「だから、いつから?」
「……たぶん去年の夏合宿」
去年の夏合宿……
なんかあったけ?
えーっと……しんどかった記憶しかない。
出来上がってないひょろい身体で、ついていくのが精一杯だった。
凛の後ろにある、本棚を見上げた。
上段から、びっちりバレー雑誌がずらりと並んでいた。
ふと思い出した。そういえば凛と……
確か3日目の夜。
全体ミーティングが終わった後、1年で集まっていた。
人数が少ないだけに、一人当たりの仕事量が多くて意見を出し合った。
段取りを丁寧に確認して、終わらせた。
「明日も頑張ろうな!」
橋田の一言で一斉に椅子から立ち上がった。
部屋に戻る途中、俺が最後尾で歩いてて、前を歩いていた凛が一人だけ逸れた。
トイレかなって思って背中を見つめていたら、通り過ぎた。
他のヤツはもうだいぶ先まで行ってて、誰も気が付いてない。
なぜだか気になって、背中を追いかけた。
長い廊下を進んで、玄関から外に出た。
むわっと温度の高い、夜風が襲ってきた。
凛はアプローチの階段に腰を下ろしていた。
俺は横に並んだ。
固いコンクリートさえ、焼けてて熱かった。
凛は遠くを見たままだった。
「どした?」
「……なんでもない」
二人とも声を出し過ぎていて、掠れていた。
「きつい?」
「きつい」
「俺も。中学と全然違う」
驚いたような顔が俺に向いた。
「なんも考えてないと思ってた」
「ひどっ。確かにあんま考えてないかもだけど」
ちょっとでも元気づけたくて、喉の奥が痛むけど、明るい声で笑った。
「俺はバレーできるだけで、幸せだから」
心からそう思った。
憧れの高校でバレーができる喜び。
身体はきついけど、まだまだいけるような気がしていた。
「……お気楽なヤツ」
「もちろん、入ったからにはメンバー入りたいし、結果残したいって思ってる!」
「当たり前だろ。ソレ」
もう日は落ちているのに、まだセミが叫ぶように鳴いていた。
「悩んでるなら、吐けよ。聞くから。」
「……」
「言いづらい? 俺から言おうか?」
「……お前ないだろ?」
「失礼な!」
「アホらしっ。止めた。」
「なんだとー!」
俺は凛の両肩を掴んで揺らした。
ジトっとしてTシャツの上からでも、汗ばんでいるのが分かった。
「止めろよ!」
「吐けー!」
「強い強い! ゴリラ!」
「ひどっ」
手をパッと放して、立ち上がった。
尻を払った。
「俺じゃなくても、誰かには吐けよ」
「わかってる」
「そっか。じゃあな、先帰ってる」
凛を残して戻った。
俺が戻ってしばらくして、凜がなにごとも無かったように帰ってきた。
みんなにバレないように、ほっと息をついた。
凛が辞めるかもって思ってしまったことも、そっと胸に仕舞った。
目線を上げると凛はキャベツを食べきっていて、トンカツにソースをかけていた。
「……なにもなかったよな?」
「食わないの?」
「食うけど……夜話したやつ?」
ソースがトンカツの上にドバっとかかって、皿の上がソースだらけになっていた。
珍しい。凛がそんなミスするなんて……
ちょっとかわいそうになった。
「……ソースとろうか?」
「うん。 むしろ食って」
「嫌だよ」
差し出された皿を受け取った。
自分の皿の上にトンカツを持って、凛の皿からソースを垂らした。
マシにはなったと思うけど、トンカツがソースで真っ黒になっていた。
「覚えてるじゃん」
「まぁ、うん。でも、ほんとになんもしてないよな?」
「そうだな。でも、気付いてくれたのが嬉しかった……のかな?」
「疑問形かよ」
「まぁまぁ。その時から、なんか視界によく入ってくるなって感じだったんだけど」
「それが、どうなって……?」
「さぁ?」
トンカツを戻すと、凛が真っ黒なトンカツを真っ白なコメの上に乗せて、かき込んでいた。
絶対うまいヤツ。いや、違う違う。そこを詳しく。
じゃないと、答えの出し方がわからん。
じっと見たけど、俺と視線が合わない。
諦めて、多めにソースのかかったトンカツを齧った。
ちょっと冷めてるけど、うまい。
米を口に詰め込んだ。最高。無限ループだ!
「……キャベツ食えよ」
「おかんか」
「おかんじゃねぇよ」
友達だよな。まだ。
ギリギリラインはまだ超えていない……はず。
茶碗を傾けて残り少ない米粒を箸で集めていたら、凛にキャベツを皿に盛られた。
しかも、山盛り。
「ちょ、止めろよ!」
「毎回世話が焼ける」
「あんま好きじゃないの知ってるだろ?」
昔から、葉物野菜が苦手だった。
青虫になったような気分になるから。
食べれないことはないけど、できたら避けたい。
トング一掴み分追加されて、鼻にシワを寄せた。
戻せないし、ドレッシングをこれでもか!ってくらいかけた。
「もっと乗せてやろうか?」
「……丁重にお断りする」
「残念」
ぞぞって、背筋が震えた。
目がまっすぐで、本気にしか見えなかった。
そこからはご飯だけを見て、食べた。
凛に嫌がらせの様にキャベツを盛られたけど、ちゃんと食べた。
お前が食えよ!
そのせいでいつもは米をおかわりするけど、お腹がいっぱいになってできなかった。




