⑭
分厚い雲が流れて、隙間から月が見え始めた頃、凛の家に着いた。
純日本家屋の古い家で、瓦屋根が葺いてある門をくぐれば別世界にトリップしたような気分になった。
引き戸を凜が後ろで音を立てて閉めた。
無事に帰れるかな。
格子の先が暗すぎて心配になった。
勉強しに来たんだから、大丈夫だと信じたい。
凛の手に引かれるがまま、飛び石を順に踏みしめた。
飛び石は平らだったけど、天然の凹凸があって溝が陰になっていた。
四つ目を踏んだ時に端の方を踏んでしまった。
スニーカーの底は引っかかるものがなくて、滑ってしまった。
「あ!」
身体が前に傾いて、逆足を踏み込んで玉砂利を鳴らした。
顔が凛の肩甲骨の間にはまった。
繋いでなかった手は凛の腰を掴んでいた。
そんなこと、ある? ギャグみたいに滑ったんだけど。
なんか言われる前に、滑った足を引き寄せて、腰から手を引いた。
思ったより凛が近かった。
飛ぶように一歩引いた。
「なに遊んでんの?」
「遊んでないし!」
「構ってほしかった?」
「違ぇし!」
意地悪そうな顔が俺に向けられていた。
さっきまで一言もしゃべらなかったのに、いじってこないで欲しい。
こっちは緊張してんだ。
それよりもどうにかしないと、凛の家族に恋人繋ぎを見られてしまう。
「手ぇ、放せよ」
「んー」
「そんでもって、早くいけよ」
凛の顔がぱぁっと明るくなった。
「そうだな! いこう」
ん?なんか勘違いしてないか?
だから、手ぇ離せって。
凛が玄関の引き戸を開けた。
「ただいまー」
「おじゃまします」
凛に続いて屈んで敷居を跨いだ。
俺が戸を閉めていると、凛のおばあちゃんが奥から出てきた。
即座に凛と肩が触れ合うくらい寄り添って、繋いだ手を俺の腰に隠した。
「悠希くん! いらっしゃい!」
「こんばんは。 お邪魔します」
凛のおばあちゃんは、ニコニコしてスリッパを出してくれた。
見られてないよな? な?
頬の筋肉が固くなっていったけど、顔に笑顔を張り付けた。
「いつもありがとね。 さ、上がって? お腹空いてる? 今日トンカツなんだけど、食べれる?」
「あぁ、はい」
「今日から来ると思って、たくさん作ったから! 後で凛に持って行ってもらうわね!」
おばあちゃんは、しゃべるだけしゃべって、奥に消えていった。
いつ来ても歓迎してくれる。
おばあちゃんって、なんだろ、凛とちょっと似てる。
血が繋がってるから当たり前なんだろうけど。
ちょっと強引というか……。見た目はお上品なおばあちゃんなんだけどな。
「ありがたい……」
「朝からいろいろ用意するって言ってたから。ばーちゃんも悠希のこと好きなんだよね」
え、今、もって言った?
改めて言われると、ちょっとハズイ。
目がばっちり合って、泳いだ。
手をぎゅっと握られて、飛び上がった。
「隠すことないから」
「おかしいだろ? コレ」
隠していた手を前に持ってきた。
俺の手は開いてるけど、凛の手はがっつり指が折れていた。
「友達なのに」
「友達……?」
「いっ……!」
指の骨がゴリっと鳴った。
痛いって。
肩に力が入った。
「ごめんごめん、聞き間違いした」
「絶対間違ってねぇし」
「……後でちゃんと聞くわ」
凛が靴を脱いで、家に上がったから、俺も隣に並べて上らせてもらった。
廊下を抜けて、2階の一番奥のドアを開けた。
見慣れた部屋のはずだけど、初めて来た時みたいに緊張した。
二人で部屋に入って、心臓が口から出そうになった。
仕掛けてくるか。
唇に力が入るんだけど。普通って思っても、普通ってどうやってたっけ?
部屋の中央にある丸い座卓前の定位置に立ったまま、凛の行動を凝視した。
リュックも下さず。
「飯持ってくるから、ゆっくりしてて」
「おう」
凛は壁にリュックをかけて、大きめの巾着を持ってあっさり出ていった。
俺を一瞥もせずに。
なんだ、俺がめっちゃ期待してたみたいになってないか?
急いでリュックを肩から下ろすと、背中がヒヤリとした。
上着も脱いで、リュックの上に乗せた。
座布団の上に胡坐をかいて座って、大きく息を吸うと、凛の家の匂いがした。
柑橘っぽい匂い。ちょっと息が詰まった。
リュックの奥底からしわくちゃになったテスト範囲を取り出して、手で伸ばした。
改めてじっくり見た。
世界史が2日目か。初日から英語と数学とか地獄すぎる。
床に手を突いて、天井を仰いだ。
この状態でテストの事なんて、考えられそうにない。
やるなら、一思いにしてほしい。
ドキドキしながら勉強なんて、絶対できない。
いつだ、いつだって考えたくない。
天井が低くて、迫って来ているように見えた。
そういえば、と思い出して、上着からスマホを取った。
本城からメッセージが来てて、開いた。
そうか、やばいヤツが増えて無理なのか。
俺の他にも仲間がいたって、ちょっとじわる。
俺が1人増えたところで、変わらんだろうと思ったけど、『ありがとう』だけ返した。
凛と勉強コースが決定してしまった。
どんどん追い込まれていく。
さっきの公園でのことも、まだ自分の行動が理解できてない。
ーー俺って凛のことが、好きなのか?
胸に聞いても答えは出なかった。
ただただもやもやするだけで。
友達だったのにって気持ちの方が強い。
暗くなったスマホ画面に自分の顔が映ってて、迷子になった子供のような顔になっていた。
急いでSNSを立ち上げて、流れてくる動画を眺めた。
興味のあるものしか表示されないはずなのに、全く刺さらなかった。
「悠希開けてー」
ドアの向こうから、凛の声が聞こえた。
スマホを机の上に伏せて、立ち上がった。
ドアを開けたら、食欲をそそるような油の甘い香りがガツンと俺の胃袋を刺激した。
山のように盛られたキャベツと、タワーの様に積み上がったとんかつが目に飛び込んできた。
俺が盆を受け取ると、凛は背を向けて階段を降りて行った。
俺は机の上に置いたままになってたテスト範囲を払って、真ん中にドンとトンカツとキャベツをそれぞれ置いた。
取り皿を俺の前と向いに置いくと、腹が鳴った。
つまみ食いしていいかな。
手も洗ってないのに、手を伸ばそうとしてしまった。
なんて危険なんだ。
袖口のボタンを外して、腕まくりした。
「お待たせ—」
「おー」
大きい盆の上には、乗せれるだけ乗せたって感じだった。
湯気が立ち昇るごはんとみそ汁、氷の入ったグラス、2リットルのお茶、箸、おしぼり。
もちろん、ごはんは山盛り。
絶妙なバランスで凛がそろりそろりと部屋に入ってきた。
迎えに行って、お茶とグラスを取った。
「サンキュー」
「乗せすぎだろ……」
「めんどかった。ばーちゃんもいけるって言うし」
「止めろよ」
「まーまー、早く食おうぜー」
二人で協力して、座卓に並べた。
俺が立膝のままお茶を注いで、凛の前にグラス置くと、おしぼりを差し出された。
「ありがとう」
小さく折りたたまれた白いタオル生地を受け取ると、おしぼりごと手を掴まれた。
視線を上げると、もう焦点が合わないくらいまで凜が近づいていた。
避ける前に唇の横に感触がした。
柔らかくて、温かかった。
唇だ、って認識したら、心臓が胸を突き上げた。
グラスに入った、氷が解けてカランと鳴った。
「凛ー! ソースとドレッシング忘れてるわよー!」
下からおばあちゃんの声が聞こた。
凛は顔を伏せて黙ったまま、足音を鳴らして、階段を降りていった。
凛とおばあちゃんがなにか話している声が聞こえた。
やっと動けるようになって、腰を下ろした。
お茶のペットボトルを置いて、手をおしぼりで拭うと、口の端を指先で触れた。
時間にすると一呼吸分もなかったと思う。
唇にも驚いたが、あの時凛の手は震えていた。
凛からしてきたのに。
名前を付けるには難しい感情がどっと流れて、背中がゾクリとした。
「そんな反応されたら、困るんだけど」
凛が入口で立っていた。
見られた! いつの間に。
困るってなんだ。俺の方が困ってる。
両手を後ろで組んだ。
「おかわりあるって」
「あ、うん。ありがとう」
俺の向いに座って、ソースとドレッシングを置いた。
「注がないの?」
俺のグラスを指さされた。
氷が解けて、底に水が溜まり始めていた。
「あ、うん」
おしぼりを置いて、グラスにお茶を注ごうとした。
見られている。
ペットボトルを持つ手に力が入って凹んだ。
お茶が注ぎ口から一気に飛び出して、グラスを通り越し、手とズボンを濡らした。
「冷たっ!」
急いでペットボトルを置いた。
「悠希、ほい!」
「サンキュ!」
おしぼりを投げられて、胸の前でキャッチした。
それでポタポタと手から落ちる雫を拭いた。
グラスも拭いて、卓上に置くと、もうおしぼりはぐっちょり濡れていた。
構わずそれでズボンも拭くと、かなりお茶を吸って色が濃くなってしまった。
おもらししたみたいだし、なにより冷たかった。
「最悪っ」
「落ち着けって」
「うっせー。誰のせいで」
「ふ~ん。そんなこと言うんだ」
凛が俺のグラスに並々お茶を注いで、差し出してきた。
感情が読めない笑みを見つめた。
グラスから一滴、水滴が落ちていった。




