⑬
ぐいぐい腕を引っ張られて、指先の感覚が怪しくなってきた。
なんでこんなに怒るのか分からない。
ただ、本城に勉強を教えてもらおうとしただけなのに。
凛が大股でずんずん進むから、同じ制服を着たヤツらをどんどん抜いていく。
俺らの剣幕に、道は勝手に開いていく。
モーゼじゃないし、そんな珍しいもんじゃない。見ないでくれ。
明日、噂とかになってなかったらいいな。絶対ケンカしてたって思われてる。
「凛、逃げないから離して」
「信用できな」
バッサリ切り捨てるように言い切られた。
さすがに、ちょっとイラっとした。
凛についていってたけど、足を踏ん張って、思いっきり腕を振った。
離してくれないって思ってたけど、案外あっさり腕が離れた。
ジンジンと指先に血が通い始めた。
もう片手で掴まれていたところを撫でた。
「そんな怒ることか?」
「……」
凛がゆっくり振り返って顔が見えた。
怖い顔してると思っていた。
絶対睨まれるって。
でも目に飛び込んできたのは、膜が張った瞳だった。
ぼんやりとした明りに照らされて、キラリと光っていた。
息が止まった。
「なんで俺を頼らない?」
「それは、悪いなって……」
「俺が一度でも、迷惑だって言ったことあるか?」
入学して、知り合ったばかりの頃から面倒を見てくれてた。
厳しかったけど、一度も迷惑とは言われたことはなかった。
唇が重すぎて、返事ができない。
遂に膜が決壊して、涙が凛の頬に落ちた。
「俺は、お前と一緒にいたい。ちょっとでも側にいたい」
凛が黙って、制服の袖口で目元を乱暴に拭った。
「俺が迷惑か?」
鼻をすする音を聞くと、鳥肌が立って背中がじっとりした。
ふと背後から無数の足音が近づいてきてることに気が付いた。
今度は、俺が袖口のボタンを握りこむように凛の制服を掴んだ。
くいッと引っ張ると、黙ってついてきた。
凛が泣いてるのを他のヤツらに見られたくなかった。どうしても。
気になって、後ろに首を回すと、凛は顔を伏せていた。
駅の光が目に入ると、歩幅を大きくして、何人も抜いた。
駅のホームについても、電車の中でも絶対に離さなかった。
車窓に映る自分の目と合って、握る手が震えていたのは、気のせいだと思う。
最寄り駅に着いて、近くの公園に入った。
明かりがあんまりなくて、暗かった。
滑り台の前で、凛のもう片方の袖口を握った。
ぐっちょり濡れていて、指がしっとりした。
凛の顔は伏せられたままだった。
何台もの車が、公園を照らして通り過ぎていった。
勢いでここに来てしまった。
なにも思い浮かばない。
凛もしゃべらないし……
「凛。」
凛の顔が見えた。
右目から一粒涙が零れて、吸い寄せられるようにそれを頬で吸った。
しょっぱかった。
凛も逃げないし、俺は唇を頬に押し付けた。
凛の頬は冷たかった。
唇で温めて、離した。
「……なんで?」
目には、もう膜が張ってなかった。
唇が開いたままで、白い歯が覗いていた。
「直感。」
「……なにそれ。」
俺もなにそれって思った。
凛に泣いて欲しくなくて、身体が勝手に動いた。
両手の力が抜けて、掌の中から凛の制服が離れていった。
濡れて光っている目元が気になって、人差し指で拭った。
凛の目が細められた。
「嫌だったか?」
「……さぁ?」
凛は逃げなかった。
そのまま続けた。
「お前、変わったな。」
俺の人差し指が、凛の右の目尻で止まった。
潤んだ瞳に俺が映っていた。
驚いたような顔。
「……そうか?」
「自覚なしか。悪魔みたいだぞ」
「……」
「離れていく気? 頷かせてみろって言ってたのに。」
腕が鉛をつけられたように重くなって、落ちた。
「離れる気はない。」
「そこは即答なんだ。じゃ、なんで?」
「……ごめん。」
凛が前髪を乱暴にかいた。
長い前髪が目を隠した。
「正直、凛のこと、好きかわかんない」
「ここまでしといて?」
「それは、身体が勝手に……俺も訳わかんなくて、困ってる。」
「もう好きだろソレ。」
ぐっと胸が詰まった。
長い沈黙が俺と凛の間に落ちた。
自分でもびっくりするくらい慎重になってた。
軽い気持ちで決めてもいいはずなのに、どんどん頑なになっていく。
じっと見ていたら気になって、凛の前髪を摘まんで左右に分けた。
さっきよりはマシくらいにしかならなかった。
「なぁ、もう一回泣いたら、ちゅーしていい?」
目をぱちくりさせた。
なんて言った? 幻聴か?
さっきまでの重い空気が吹っ飛んでいった。
冗談かと思ったけど凛のまっすぐな視線が刺さって、顎が引いた。
ガチのヤツだ。
「いや、それは……」
「さっき、直感でしたんだろ?」
「……」
「ワンチャンわかるかもよ?」
凛の顔から腕を下ろした。
公園のフェンスの向こうで、スーツを着たおじさんが通り過ぎているのが見えた。
通り過ぎるのを目線で追った。
「外はちょっと……」
「……それって」
「え?」
「それって、いいってこと?」
「……ん?」
凛がきつねにつままれたみたいな顔をしてて、理解が追い付かなかった。
ふと、思い返した。
俺、嫌だとは言わなかったような……?
と、いうことは……?
首の後ろから熱が上がってきて、頭の先まで熱くなった。
絶対に顔が真っ赤になってる。
首を筋が張るまで右に振った。
「ちょっと待って! 一瞬で涙出すから!」
「やめろ! 泣かんでいい!」
「悠希から手出して来たんじゃん!」
「出してねーよ!」
「あ! 見て見て! 涙出た!」
「怖っ!」
確かに涙が目尻から落ちていた。
こんな簡単に泣けるなんて、俳優になれるんじゃね?
まさか、さっきも……? いやいや、ガチ泣きだったって。たぶん。
凛が両腕を伸ばしてきたから、寸のところで飛び退いた。
凛の腕が空を切って、自身を抱いた。
湿度高めの目で睨まれた。
いや、普通に怖いって。
俺の頬が引きつるのが分かった。
「家着いたら、いい?」
「しないしない!」
顔の前で手を振った。
凛の目が本気すぎた。
そんな目で見ないで欲しい。
心臓が苦しくなるから。落ち着いてくれ、心臓。
「なんでも、挑戦したほうがいーぜ」
「それ、必要?」
「絶対必要」
言い切られた。
これ以上話してたら、言いくるめられそうだった。
俺の奥歯がぎりって鳴った。
「赤点!」
「は? 赤点?」
「赤点取りそう……」
「どんな想像してんの?」
「ぐっ……」
「まぁ、いっか。早くいこーぜっ」
強引に手を握られた。
しかも、指を絡めて。
逃げようと指を動かしたけど、小さく凛が「赤点。」なんて低い声で言うから大人しく握られた。
なんだ、この手。無駄にあったかいし。
っていうか、まだ返事してない! 俺!
凛が鼻歌を歌いながら、つないだ手をブンブン振って歩き始めた。
楽しそうな凛に俺は無抵抗でついていった。
「その鼻歌やめろよ」
「なんで? 悠希が好きな曲じゃん」
遠足の時に聞いてた、アニメのOPだった。
「そうだけど、嫌」
「いろいろ頑張ろうな?」
「……」
「返事は?」
「ハイ」
圧が強すぎる。
いろいろってなに?
勉強だけで終わらないような気がするのは、俺だけでしょうか?
頭痛がする。なんでこうなった。
歩幅を合わせて、公園を出た。
早歩きなのは、凛のせい。
上着のポケットが震えた気がしたけど、あえてスマホは見なかった。
公園からしばらく歩いて、分かれ道まで出た。
当たり前のように凛の家の方に引っ張られた。無言で。
珍しく、凛の手が湿っていた。
つられるように俺も湿っていって、拭いたい衝動にかられた。
俺がお願いしても、絡む指を解いてくれなさそうだなって思った。
だから凛から言うかなって期待したけど、なにも言わなかった。
空を見上げると、月が流れの早い雲に隠れていた。
指先で、自分の唇をなぞった。
かさついていたから、唇を舐めた。




