⑫
1週間後。
1日の終わりのHRの時間。
俺は恐怖の中間テスト発表に試合前のような緊張感を抱いていた。
「テスト範囲配るぞー。文系理系それぞれ注意して確認するようにー」
担任が窓際の一番前、凛から順に先頭から配り始めた。
俺は一番後ろの席で、前の女子、坂元からプリントを受け取った。
左からざっと目を通した。
ちょっと待て、範囲が広すぎる。
あれ?初見の文字が多いぞ。数列入ってるよな……
ゆっくりと隣の本城の横顔を見た。
小麦色を通り越すくらい日焼けしていて、目はばっちり二重で、ちょっとエキゾチックな雰囲気を持っていた。
外国にルーツがあるかと思いきや、全くないらしい。
さっとプリントに目を通すと、プリントフォルダに紙を挟み込んでいた。
長いまつ毛が揺れて、やっと瞳がこっちに向いた。
「なに?」
「余裕?」
「微妙 ちょっとムズくなったよな」
「絶対嘘だろ」
「中野は?」
「……お察し」
「ふぁいとぉ」
最近流行ってるゆるキャラが大きく入ったフォルダを大事そうに机の中に仕舞い込んだ。
本城の励ましと一緒で、間の抜けたような顔をしていた。
「本城……」
「なに?」
「いや、神様、仏様、本城様! 教えてください!」
「俺?!」
机の中に手を入れたまま、不思議そうな顔で俺を見た。
俺はヘドバンかってくらい、頭を振った。
「中野って、」
「赤点ギリ」
「あー、そうなんだ」
今年から同じクラスになったから、知らなかったんだろうけど、地味に抉られた。
優しい視線が痛い。頷かないでくれ。
テニ部にもいるだろ、そんなヤツ。
「一人は?」
「無理無理! 絶対無理!」
もう一度握りこんでいるプリントを眺めて、目尻が下がった。
俺も初めから頼む気は全然なかった。
寝そうだけど、頑張ろうとは思ったんだ。
でも、これを見ると撃沈する未来しか見えない。
絶対に赤点を回避して、部活参加しないといけない。
ただでさえ、時間が足りなくて悩んでるのに。
「いいけど……栗栖は? 仲いいじゃん」
「凛?! いや、ちょっと……」
声、裏返ったじゃん。なんでそんなこと言うんだ。
凛は頬杖ついてホワイトボードを見ていた。
余裕そうじゃないか。なんだこいつら。
実は、1年の時は凛の家で毎回ウェイトダウンしそうなほど熱血指導を受けていた。
今回もそのつもりだった。
でも、二人きりで勉強してたらおかしくなりそうな気がして……
俺じゃない。凛が。
具体的に想像しそうになって、急いで振り払って本城の顔だけを見た。
白目が黄色く焼けていた。
「……なんかヤバそうじゃない?」
「全然! ヤバくない。うん。全然!」
頬がヒクってしたような気がしたけど、気のせいだよな?
「中野ーうるさいぞー!」
「さーせんっ!」
先生、今、めっちゃ大事な話してるから。後にして。
マジ人生かかってるから。
食い気味に返事した。
「テニ部で集まるんだけど……ちょっと確認するわ。明日からになるかもだけど」
「本城!!」
「中野ー!」
「さーせんっ!」
本城に抱き着きそうになった。
担任の叫び声がなかったら、行ってたかもしれない。
危ない。危ない。
ちょっと浮いている腰を下ろした。
本城が何かに隠れるように、屈んで机に身体を乗せた。
「なんか、栗栖に睨まれてるんだけど」
「うぇっ?!」
本城の緊張感のある囁きに、変な声がでた。
確かに、後頭部に刺さってるような気がした。
ゆっくり首を回すと、凛の鋭い目と合った。
凍った。
心臓が止まったのかと思った。
胸に手を置いて、壊れたブリキ人形のように、首を戻した。
俺も身体を伏せた。
坂元、もっと背筋を伸ばして、凛の視線をどうにかブロックしてくれ。
「めっちゃ怖いんだけど。なにあれ?」
「いやー、なんだろうねー、ハハッ」
小指が当たって、テスト範囲が俺と本城の間にヒラリと落ちてしまった。
本城が先に動いて、拾って差し出してくれた。
俺は受け取って、そのまま机に仕舞った。
「栗栖ってさ、中野とだけ仲いいよな」
「え゛?! そんなことないって」
「バレ部でもそんなん?」
「……違う。たぶん」
「その間はなに?」
本城が声を潜めたまま笑い始めた。
「まー、いろいろあるよな。どこの部も」
「ハハッ」
よかった。流してくれて。
追究されたら、ボロが出てたかもしれない。
やっぱり、本城は神だった。
自分の顔がどうなっているかはわからないが、絶対変な顔になってる。
みんなが一斉に席を立って、俺らも遅れて立ち上がった。
「「さよならー」」
頭を下げて、「らー」だけ合わせて言った。
椅子を机に入れながら、リュックを背負った。
「本城! よろしく頼んだ!」
「おう! 後で連絡する」
手を振りながら、さっさと教室を出た。
テスト期間中でも、普通に練習はある。
進学クラスは体育館から遠い。
早歩きなのは、凛のせいじゃない。いつものこと。
凛が後ろから来て、俺の横に並んだ。
なんか言われるかなと思ったけど、なにも言われなかった。
ちらっと顔を見たけど、ピリついた雰囲気の真顔だった。
真顔でもイケメンだな。くそっ。
他のクラスからも一斉に出てきて、廊下が人でいっぱいになった。
曲がって、階段に差し掛かった。
前が詰まって強制的にゆっくり降りるハメになった。
「怖いんだけど」
「練習前だから」
俺が集中してないみたいじゃん。
凛が怖すぎるだけだから。むしろやる気しかないから。
前のヤツに歩調を合わせて、一段一段足を下ろした。
駆け下りたい。 すぐにでもボールに触れたい。
衝動を隠すように、階段の手すりを握った。
俺は、やる。
スイッチを入れた。
練習が終わって、ミーティングも早々に解散になった。
帰り際、コーチに笑顔で「わかってるよな?」って肩を叩かれて、震えあがった。
なぜ俺だけに言うんだ。コーチ。
ちなみにコーチは日本史の先生。
そう言うなら、100点満点のテストで100問以上出題するのやめてほしい。
気の抜けたような声で返事すると、体育館に笑い声が響いた。
俺で遊ぶのやめて!
「凛、頼んだぞ!」
「はい!」
凛も肩を叩かれて、胸を張って返事していた。
だから、お前は俺のなんなんだ。
笑い声が盛り上がった。
「お前ら早く帰れ!」
「はい! 失礼します。」
身体をくの字に折ってから、体育館を後にした。
外から見た体育館は、オレンジ色の光が漏れていて暖かそうだった。
端から徐々に暗くなっていって、その光が消えた。
寂しい気持ちになった。
校門を過ぎても、凛の雰囲気はこないだの練習試合と一緒だった。
魔王みたいで、緊張感を保ったままだった。
どうせ煙に巻かれるから、なんもしゃべる気がおこらなかった。
スマホを上着のポケットから出した。
本城からのメッセージは、まだ来ていなかった。
テニ部何時まで練習してんだ。
学校に振り返ってテニスコートのライトスタンドを見上げた。
光はまだ煌々と点いていて、細かい虫が群がっていた。
スマホに目を落とす途中で、凛の目が俺を捕まえた。
「忘れ物?」
「違う」
「今日から俺んち来る?」
「あー……今回からは大丈夫」
「は?」
そう、なるよな。
空気が重すぎて、若干息がしづらくなった。
背中からぶわっと頭のてっぺんに震えが走った。
「どうにかする」
「どうやって?」
え、尋問?!
刑事さんもびっくりするくらいの圧力なんですけど。
凛が電柱の光の下で、足を止めた。
置いて行きたかったけど、できなかった。
凛の顔に光が当たってなくて、いよいよ魔王そのもののようだった。
「今日は一人で」
「なら、いつも通りしたらいいじゃん」
「あ、いや……迷惑かなって」
「今更?!」
一歩距離を詰められた。
俺は、同じ分だけ下がった。
パーソナルスペースって大事だから。うん。
「逃げるな」
一気に距離を詰められて、地面を蹴ったのに間に合わなかった。
俺の瞬発力が悪いんじゃない。凛が異常。
肘の下を凛が掴んだ。
血がせき止められる感覚がした。
「逃げてない。勉強ちゃんとする」
「うち来たって、ごちゃごちゃ言って、なかなかしないじゃん。すぐ寝ようとするし」
「うっ……」
一撃が重すぎる。
本当のことだけに耳がもげたのかと思った。
パクパクと音は出ないけど、口が動いた。
「ほら、いくぞ」
「……明日からはいいから」
「は? なんで?」
耳の横で叫ばれて、鼓膜が震えた。
首が傾いて、キーンって奥の方から高い音が聞こえた。
「テニ部の集まりに参加するかもしれないから」
「HR楽しそうにしてたのソレ?」
「いや、別に楽しくはないけど……」
肘の下は、制服がシワシワになりそうなくらい凛の指が沈んでいた。
こりゃ血も止まるはずだなって、妙に納得した。
違う、違う、離してくれ。
「で?」
「でって?」
「それって、大丈夫なのか?」
「……そこで頑張るしかない」
「俺じゃダメなのか?」
恋愛ドラマとかでよく聞くようなフレーズに、頭がこんがらがった。
勉強の話だよな。うん、そう。絶対そう。
「ダメじゃないけど……」
「なら、いいよな?」
全然よくない。
赤点のイメージが頭の中で過っていった。




