予兆
一方その頃——。
佐藤が毎夜のストレス発散に訪れている【侵略型・ゴブリンダンジョン】の深部では、人間側の与知し得ない重くるしい空気が漂っていた。
玉座に鎮座するのは、圧倒的な体躯と凶悪な魔力を誇る【ゴブリンキング】。
そして、その傍らに立つのは美しい造形と高い知性を併せ持つ【ゴブリンプリンセス】であった。
『……キング。報告によれば、第一層の兵の数が飽和状態に達しています。このままでは魔素の供給が追いつかず、共喰いが始まりかねません』
プリンセスが鈴を転がすような透き通った声で忠言する。
現在、ダンジョン内では過剰な繁殖により、通常のゴブリンや1段階進化(アーチャー、メイジ、ウォーリア)が溢れかえっていた。
『ぬう……ならば、間引きを兼ねて弱き雑魚共を地上へ放出させればよかろう』
億劫そうに顎を撫でながら告げるキングに対し、プリンセスは即座に眉をひそめた。
『反対です! 地上へ溢れ出しの予兆を見せてはなりません! 我らの存在が人間側に警戒されれば、自衛隊の精鋭部隊が一斉に押し寄せてきます! 侵略を成功させる唯一の道は、予兆を完全に隠し、奇襲によって一気に拠点を制圧することです!』
プリンセスの主張は極めて理にかなっていた。
だが、キングの考えは違った。
『フン、青いなプリンセスよ。人間側が一向にこのダンジョンへ本格侵攻してこない現状こそ、我らにとっての好機。じっくりと時間をかけ、精鋭の兵士を厳選・育成し、盤石の陣容が整った上で踏みつぶせば良いのだ』
(キングの言う『精鋭を育てる』という方針自体は理解できる……。だが、地上に予兆を見せるリスクがあまりにも大きすぎる……!)
プリンセスは必死に食い下がるが、王の絶対的な権力の前には届かない。
『決定だ。雑魚の放出を行う』
『……っ』
プリンセスの知性と発言力を内心うっとうしく思っていたキングは、下劣なニタリ顔を浮かべ、彼女に命じた。
『……そうだ、プリンセス。貴様に「斥候」を命じる』
『なっ……私にですか!?』
『そうだ。どうせ処分する予定の雑魚共だ。お前が得意とするその「作戦」と「戦術」とやらで、この雑魚共を率いて地上付近を荒らしてこい。精鋭の準備が整うまでの時間稼ぎだ……ガハハハハッ!!』
キングの嘲笑が洞窟内に響き渡る。
実質的な左遷であり、捨て駒としての出撃命令であった。
『……承知いたしました、王よ』
プリンセスは静かに頭を下げたが、その瞳には冷たい決意の光が宿っていた。
——そう。ゴブリンキングも、プリンセスも、そして地上で調子に乗る田中も、まだ何も知らなかったのだ。
自分たちがこれから足を踏み入れようとしている「第一層」が、**毎夜バットをフルスイングして怪奇な狂喜に乱舞する社畜(佐藤)の『最高のストレス解消スポット』**と化しているという恐ろしい事実を……。




