日常
休み明け。
市役所の地球産ダンジョンでかすり傷を追い、準備不足を痛感した佐藤は、いつも通り白の衛生服に身を包んで製造ラインに立っていた。
非日常のダンジョンを体験し、レベルアップやステータスといったゲームのような力を手に入れた佐藤だったが——目の前に広がる現実は、何一つ変わっていなかった。
「あの……佐藤係長。次の作業、何すればいいですか?」
新人の鈴木が、手持ち無沙汰そうにポツリと聞いてくる。
「……鈴木君。朝礼で渡した本日の行程表、読んだか? 10時からは原料の計量と殺菌釜の準備って書いてあるだろ」
「あ、はい。でも指示されてないんで、待ってました」
(……指示待ち! 相変わらず『言われないと動かない』か……っ!)
佐藤がこめかみを押さえていると、今度は隣のラインからガチャンッ!! と不穏な金属音が響いた。
「おい田中! 何やってるんだ!?」
「え? 佐藤さん、こっちのほうが効率良いんで、手順飛ばして一気に加圧熱処理進めておきましたよ!」
「バカ野郎! それじゃ殺菌ムラが出て製品事故になるだろ! 勝手に工程を変えるなと言ったろ!」
「え〜、大丈夫っすよ。俺の勘だとこれでいけますって」
自分の勝手な解釈でラインをグチャグチャにする田中。佐藤の頭痛は増すばかりだった。
(はあぁ……。専属のプロ探索者になって、ダンジョンで無双して大金を稼ぎ、こんな会社さっさと辞めてやろうか……!)
一瞬、そんな魅力的な逃避行が頭をよぎる。しかし、自分のステータスウィンドウに浮かぶ【魔物使い】という不遇職の文字が、冷酷に現実を突きつけてきた。
(だめだ……俺のジョブは前衛適性の低い『魔物使い』。身体能力も下がる不遇職だ。専属探索者なんて夢のまた夢……結局、ここで社畜を続けるしかないんだ……)
さらに、先日の一件(ダンジョン放置トラブルで大騒ぎさせた件)以来、上司の大岩課長からの当たりが一段と激しくなっていた。
「おい佐藤ぉ! 現場の進捗が遅れてるぞ! お前の指導が甘いから鈴木も田中も動かんのだ! 全部お前の責任だからな! 今日の納品分、遅れたら分かってるんだろうな!?」
怒号を撒き散らして去っていく大岩課長。
ダンジョンで魔物を倒そうが、ステータスが上がろうが、会社という組織の中ではただのしがない中間管理職。佐藤は深い溜め息をついた。
昼休み。
佐藤は重い足取りで社員食堂へ向かい、定食の食券を買って一人席についた。
「お隣、よろしいかしら?」
トレーを持った白石係長が、通りがかりに声をかけてきた。
「あ、白石係長。どうぞ」
向かいの席に座った白石は、佐藤の左腕に巻かれた包帯を目ざとく見つけ、メガネの奥の目を細めた。
「その腕……週末、何かあったの?」
「あ、これですか……。実は休日、正式に市役所でダンジョン探索許可証を発行してもらいまして。地球産ダンジョンの第2層に行ってきたんです」
佐藤は声を潜め、レッサーウルフの素早さに翻弄されたこと、カウンターでなんとか倒したものの爪で引っかかれたこと、防具やリュックなどの準備不足を痛感したことを素直に明かした。
話を聞き終えた白石は、呆れたように小さく溜め息をついた。
「……あなた、案外脳筋なのね。作業服一枚で、バット一本持って第2層に突撃なんて……。知識も装備もなしで挑むなんて、自殺志願者か何かかしら?」
「うぐっ……仰る通りです。反省してます……」
苦笑いする佐藤。そのやり取りを、少し離れた席からじっと盗み聞きしている男がいた。
——田中だ。
(へぇ……ダンジョン探索ねぇ。あのオッサン、市役所で許可証もらってダンジョン行ってたのかよ。……つーか、あんな冴えない中年オッサンでも行けるなら、若い俺なら楽勝じゃね? 探索者になれば一獲千金で会社も辞められるしな)
田中は心の中で佐藤を猛烈に見下した。
『あのオッサンが大丈夫なら、俺ならもっと余裕だろ』
——そう確信した田中は、ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべ、自分のトレーを持って席を立っていった。




