ハメルの船
地球の半分ほどの大きさである赤錆色の惑星が、星の海にポツンと浮かんでいる。
赤褐色の惑星は火星だ。
マイケルが教えてくれた座標は火星の近くだった。
しかし、ハメルの子孫の形跡どころか、惑星と星以外にはなにも見当たらない。
「父さん。本当にここ?」
ネッドは父の指示通りに、ここまで飛んできた。
無駄足だったのだろうかと不安になり、後ろに座るマイケルへと振り返る。
疑いの眼差しに気づいたマイケルは、「大丈夫だ」と言うだけだ。もぞもぞと狭そうに身じろぎしている。
戦闘機を改造した宇宙船なのでコックピット内は縦に長く、横幅は狭くなっている。
ネッドを先頭にマイケル、ティナの順で縦一列に座っているが、ネッドより身長が高いマイケルは身を丸めて座っている状態だ。
パイロットスーツを着る時間も無かった。
ネッドはアストロ・エクスプレスの制服、マイケルはロングシャツとアーミーパンツに深緑の外套を羽織っている。
ティナもフリルをあしらったワンピースだ。
着の身着のまま、戦闘機に乗り込んでいるので安全性も心もとない。
もし、追手がきたら? ——戦闘になる可能性もある。
(戦闘機なんて、操ったことなんてない。どうする?)
もし、このまま何も現れず、時間だけが過ぎていったら? ——次はどこへ向かえばいいのか。
(社長とネイルさん。それにコウガさんの頑張りがすべて無駄になる可能性がある)
もし、もしと最悪な状況を考える。不安要素が多すぎる現状。
心配が積み重なり、焦りがでてきたネッドは無意識に右腕をさすってしまう。
そわそわしてしまうネッドとは違い、落ち着いているマイケルを恨みがましく見てしまった。
「座して待て。すぐに現れる」
マイケルは身をよじり、後ろに座っているティナに顔を向ける。
「今、呼んでいる最中だ」
「呼んでいる?」
ネッドは立ち上がり、最後尾の席を上から覗き込む。
ティナは祈るように目をつぶっていた。
「念話だ。ティナは船に居るハメルの子孫と念話をしている。迎えを頼んでいるんだ」
「迎え……」
「キューブを隠すための安全策だ」
マイケルの答えに、なるほどとネッドは思った。
ティナは鍵だった。宇宙を漂うハメルの子孫への道を開ける者。
(そりゃ、母さんは手放したくないはずだ。自ら連れ戻しに来るほどに)
統一国は結果を出さなければ即時解散の研究所が多い。そんな国でチームを任されるほど優秀な人だ。
おそらく、ティナには何かあると感づいていた。
だからこそ危険な記憶再生装置まで使って、調べていたのだ。
『もうすぐ来るよ』
念話でティナが伝えてきた。
ゆっくりと目を開けたティナは仕事をしたと言うようにニッコリと笑い、人差し指を何もない宇宙空間を指した。
ネッドはティナの指す先をフロントガラス越しに見る。
「何が? えっ? どういうこと?」
見えるのは火星と星の海だけだ。
「なにも……」
ネッドの言葉が続かなかった。
宇宙の景色がおかしいのだ。星の位置が微妙に狂っている。
「星が動いている?」
目を凝らしていなければ、わからないほどの違和感だ。
動かないはずの星が、微かに揺らめき動いている。
宇宙に溶けこんだ一枚のカーテンが揺らめくように。
『おかえり。ネッド』
脳裏に響くティナの言葉に呼応し、劇の開幕で緞帳がゆっくりと開かれていくように、宇宙が割れた。
(光学迷彩……)
ネッドは目を凝らし、その幕がはがれていく様を口を開けて見入っていた。
景色と同化するように張られていた幕が左右に消えていくと、現れたのは豪華客船を模した巨大な宇宙船。
ところどころ銀がはがれている船底。その側面には天使の羽の描かれている。
階段状に造られた3階建てのデッキと、その頂点に立つ1本のレーダーらしきアンテナ。
豪奢とまではいかないが、白と銀に彩られたシンプルで上品な造り。高等部時代にハッキングで目にした豪華客船の画像に近い。
「ネッド。あれがハメルの子孫の船。エターナルシップだ」
驚きで船を凝視していたネッドは、マイケルの言葉にではっと我に返った。
「ネッド。ぼさっとしてないで行くぞ」
「う……うん」
マイケルの指示で船底に向かい、はしごを下ろすように降りたタラップからハッチへ入った。
戦闘機から降りると船内は重力が効いており、グレーの壁で覆われたハッチの一画にある入口へ、ティナの案内で進む。
(普通の宇宙船と変わらない)
淡いオレンジの光に照らされた廊下を進む。
人の影も見当たらない廊下には、ブーンと低い音をたてる空調の音と自分たちの足音だけが廊下に響いている。
年季が入っている壁は凹みや破損された箇所は修理した形跡があったが、ちゃんと整備されていた。
ネッドは興味津々でそっと壁を触ってみる。
(アルミ合金? ステンレス銅? いや、チタン合金かな?)
さらさらとした手触りに、ほのかに冷たい金属の感触。
カリキュラムで習った初期のコロニーの材質に似ている。
今では考えられない物だ。
技術開発で、かつては混合不能だった金属が混ぜ合わせられるようになった。
今では宇宙船とコロニーは宇宙環境にもっとも適応された金属が使われている。
(時代を感じる)
感慨深げに壁を触っているネッドの腕を掴んだティナは『早く』と急かしてきた。
『こっちだよ』
「ちょっと落ち着いて」
生まれ育った船に帰ってきて嬉しいのか。
ティナは白銀の長い髪を背中で揺らしながら、小走りぎみに歩き、念話で鼻歌を口ずさんでいる。
ティナのペースで足をもつれさせながら歩くネッドに、後ろからマイケルに声をかけられた。
しかも、声を潜めてだ。
「ネッド。気をつけておけ」
船を降りてから、マイケルはなぜか周りを警戒をしていた。
気づかなかったが天井には監視カメラが埋め込まれていた。
マイケルはその監視カメラを探るように目だけを動かし、口を噤んだ。
——なにを気をつければいいんだ?
理解できなかったネッドは足を止め、曖昧に頷くしかできなかった。
急かすティナに腕を引っ張られ続けたネッドが向かったのは、廊下を抜けた先に広がるホールであった。
半円形のホールはオレンジ色が煌々と優しく光る3つのシャンデリアがぶら下がり、クリーム色をした絨毯がシャンデリアの光に淡く染められている。
シンプルな外観とは違い、彫刻を施された柱など内装は豪奢だ。まるで身分の高い者が乗る客船の内部。
そして中央から左右に伸びる緩やかな曲線をした階段には、たくさんの人が待っていた。
階段の先の踊り場まで道を作るように並んだ人たちは、全員が神父の服に似たものを着ている。
同じ白い服で統一された人たちに、ネッドは少し恐怖を感じた。
(なんだか、違和感が……)
髪型や肌の色に差異があるもの、面立ちが似ている。コピーとまではいかないが、眺めていると同じ顔に見えるのだ。
厳かな雰囲気を纏い、朗らかに微笑んでいるが、作り物の仮面を被っているような印象も受けた。
「この船を管理するハメルの子孫たちだ」
マイケルが紹介してくれた瞬間。
「おかえりなさいませ。ティナ様。ネッド様」
そう言って、一斉に腰を曲げ、頭を下げるハメルの子孫たち。
一糸乱れぬ動きに驚き、ネッドは腰が引けてしまう。
「は、初めまして……ネッドです」
ネッドはしどろもどろで、挨拶をしてしまう。
まるで高貴な者のような扱い。今までこんな扱いをされたのは初めてで、顔がひきつってしまう。
助けを求めるようにティナを見るが、慣れているのかニコニコと『ただいま、みんな』と念話で、元気に叫んでいる。
「ただいまではありません。ティナ」
1人の女性がネッドとティナの前に歩み出てきた。
ふくよかな彼女は困った表情で怒っている。
『ネッドを連れて帰って来たから、許して』
と、顔の前で両手を合わせて苦笑いをしたティナだが、女性の怒りは収まらないようだ。
わなわなと体を震わせている。
「ふざけないで。心臓が止まる思いだったんですよ。感情のまま飛び出し、2年も連絡してこない。そんなことでネッド様を守れるのですか!」
相当、心配したんだろう。怒りながら女性の目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
女性の止まらない説教に、涙目になっているティナに、ネッドは苦笑いしてしまった。
次にネッドへ向いた彼女は、暖かく包み込むような笑顔で柔和な態度に変わった。
「よくお帰りになられました。私はイザベル。ティナの世話係を務めています」
(あぁ。だからティナがなついているのか)
第3コロニーでは警戒心をむき出し、ネッド以外を拒否していたティナの親しい態度に納得した。
「初めまして。ネッドです」
「そんなにかしこまらないでください。覚えていないでしょうけど、私はあなたが連れ出されるまでお世話をしていたんですよ」
ほほほと笑う彼女は、ほんの一瞬、目を細めてネッドの背後に立っているマイケルを一瞥する。
ネッドの体にぞっと怖気が走った。まるで憎んでいるような視線だった。
『イザベル。ネッドが助けてくれたんだよ』
イザベルの視線に気づかなかったのか、ティナが嬉しそうな声で伝えている。
あまりにも雰囲気にそぐわぬ声音だ。
「助けてくれた?」
『うん。ネッドに会いに行ったら、捕まってしまったんだけどね。でもネッドが助けてくれたの。かっこよかったんだよ』
興奮しているティナになんという記憶の改ざんだと、ネッドは慌ててしまう。
ティナの記憶から消去されているようだが、研究室から連れ出したのはタオだ。自分ではない。
イザベルも驚き、ネッドとティナを交互に見ている。
「ち、違うよ。タオだよ。僕は親友の逃亡に手助けしただけだ」
『そうだったっけ? まぁいいや。私はネッドが帰って来ただけで嬉しいから』
頬を染め、興奮したティナにネッドは呆れてしまう。
ネッド以外はどうでもいいといったティナの態度は感じていたが、ここまでとは思わなかった。
イザベルの混乱した様子とティナの興奮状態に、誤解を解かなくてはと慌てるネッドは、どう言葉にすればいいか困ってしまう。
そのとき、静観していたマイケルが口を開いた。
「イザベル、守り人に会いたい。今はあの部屋か?」
マイケルの問いに、イザベルは冷たく答えた。
「えぇ。しかし、体調がすぐれないようです。面会はできますが、無理をさせないようにお願いします」
マイケルのことを不快に思っているのを隠さない態度だ。
イザベルのそんな態度を気にしてないのか、マイケルは「そうか」と深刻な表情で頷いた。
「ネッド。行くぞ」
(鋼の心臓を持っている)
2人のやり取りを聞いていたネッドは肝を冷やす思いをし、マイケルの案内で階段を進んで行く。
階段の端で頭を下げて続けているハメルの子孫たちから、嫌な視線をひしひしと感じた。
今まで生きてきて感じたことのない不快なもの——殺意と疑いであった。
鈍いネッドでもわかるほどだ。
頭を下げているが、目はこちらを窺うように向いている。
ふと、薄い金の長い髪を1つくくりにしているブルーの目をした男性と視線がかち合った。
若く見えるがネッドより年上だろう。スラリとした面立ちで優男のようだが、その印象とは反対に睨みつけるような目。
初対面はずなのに、一方的に憎まれているのがわかる。
ネッドは心臓が凍り付くほどの視線を背に、早足で階段を上り切り、マイケルの後に続いて左に続く廊下を進んで行く。
振り返ると完全にハメルの子孫の姿は見えなくなった。安心したネッドは大きく息を吐いた。
前を歩くマイケルは、歩みも止めず背中を見せたまま言った。
「だから、気をつけろと言っただろう」
「そんなこと言われても、ピンとこないよ。いきなり殺意を向けられると思わなかった」
「それは私のせいだろうな。今、ハメルの子孫は2つの派閥に別れている」
「派閥?」
「自分たちの存在を完璧に消したいと思っている隠蔽派と、存在を公にしたい解放派だ。ティナが地上に降りたのも解放派がそそのかしたのだろう」
「キューブの存在を守る為に、過去のデータを消去してまで旅立ったのに。そんな危険なこと……」
「時の進みは願いや想いを変えてしまうということだ」
そう言ったマイケルは歩みを止めた。それに伴ってネッドも止まる。
目の前にはツタが絡まり合った彫刻を施し、扉と壁のつなぎ目が赤く光る扉。その扉にマイケルは手を当てた。
指紋認証だろうか。赤く光っていたつなぎ目が青色に変わる。
重い音を響かせながら開く扉から、廊下の淡いオレンジの照明とは違い、目が眩むほどの白い光が漏れてきた。
「ここは限られた者だけが入れる部屋だ。今代の守り人がお前を待っている」




