帰還
「大変だったね。コウガ」
自分の目の下を軽くつつきながら言ったネイルの労りに、
「とんだ任務だったよ」
と、大きなため息をついた。
目の下にナノマシン配合のガーゼを張ったコウガは、ぼんやりと目の前のモニターに見つめる。
南アメリカから中立国へ帰還したコウガは、ネイルが主任をしているコロニー管理施設を訪問していた。
ネイルの部屋は以前来たときより片付けられており、ガラクタと小さなタワーを作っていた本は壁に押しやられている。
ネイルの秘書であるアイラの堪忍袋の緒が切れ、掃除をしている様子が想像できる。
コウガの正面にはガラクタに隠されていた正面と左右に三面鏡のように開かれた大きなモニター。
モニターの前にタッチパネルのキーボード。そして立っているコウガの隣には、椅子に胡座をかいて座るネイル。
モニターにはよくわからない文字の羅列と、写真が表示されている。
「ネッド君の様子はどうだい?」
「やっさんの話では、部屋に引きこもっている」
「まぁ、そうなるよね。マナカのこともそうだけど、死を見過ぎた」
モニターから目を離さずに気遣うネイルの言葉に、コウガは当時のネッドを思い出す。
ヤスに支えられたネッドは打ちひしがれ、生気もないネッドは歩くのも精一杯だった。
顔も血の気が失せ、目も死んだ魚のようになっていた。
無事に合流したコウガは、その姿に——やはり、アマゾン地区で引き返させるべきだったと後悔した。
その後、ネッドはティナを迅速に逃がすため、特別に手配してもらった中立国専用の飛行機内でも塞ぎ込み、親友から託されたUSBを離さず、ずっと眺めていたのだ。
誰も声をかけられる雰囲気ではなかった。
第3コロニーに帰還した際も、アストロ・エクスプレスの社長であるブライヤや、上司である支店長のバラス、第1コロニーの代表であるデミオナスに迎えられても反応を示さなかった。
皆、急いで病院に担ぎ込まれ、カウンセリングを受けた。
各自、休暇をもらいアストロ・エクスプレスが所有する寮に戻ったが、ネッドの精神状態を考え、今はヤスの個人宅で静養している。
そんな状態のネッドにUSB渡され、願われた——今の自分ではこれを見る自信がない、タオの最後のメッセージを見てほしいと。
ネッドの願いを引き受けたコウガは、ネイルの所へ訪問しているのだ。
重いため息をつきながらも、コウガの頭の片隅にあるのはティナのことである。
片時もネッドから離れず、気落ちしているネッドに嬉しそうに寄り添っていた。
一言も話さず、不気味な存在だとコウガの警戒心が解けない。
そのティナは、今だネッドの傍を離れず、ヤスの自宅で一緒に預かってもらっている。
——これからどうなるのか。
深く考え込むコウガと解析を続けるネイルの静かな空間に、ノックが響いた。
ネイルの部屋にデミオナスと見知らぬ男性2人が入室してきた。
※※※※
毎晩、タオとマナカの夢を見る。走馬灯のようなゆらゆらとした思い出の夢だ。
勉学で結果を出せずに、母に背を背けられ泣くネッドに寄り添うタオ。
劣等生だった学生時代、孤独がちだった自分とゲームセンターなどで遊んだ放課後の一幕。
就職後の通信で見せた疲れた様子でも笑顔のタオ。
次はマナカだ。オレンジ色のつなぎを着て金色の短髪に寝癖がそのまま青い瞳を細めて、いたずらっ子のような笑みをしている。
南アメリカの荒野を走るトラックの助手席で、タブレット端末を真剣に見ているマナカ。
コウガが作ったカレーに苦笑いで、ネッドを見ているマナカ。
そして遺体袋で眠るマナカと母親に額を撃たれ、倒れるタオ。
「ごめん。ごめんなさい」
と叫ぶが、2人は何も言わず、じっと自分を見つめてくるところで飛び起きる。
額、背中にびっしょりと汗をかきながら、見えた風景はヤスの自宅の一室。
電気もつけていない部屋はティナが眠るベッドと、簡素なテーブル。
カチカチと壁かけの時計の音だけが響く。
時計の長針と短針は11時を指している。カーテンを閉めた窓からは、人口太陽の明るい光が微かに入ってきていた。
柔らかいカーペットに敷かれた布団の上で、ネッドはどくどくと早鐘を打つ心臓と荒い息遣いを整える。
『どうしたの? また悪夢?』
亡命任務の重要人物であったティナが起きたようだ。
言葉は発さず、念話で会話してくる。ネッドは心配そうな念話に小声で答えた。
「大丈夫だよ。もう悪夢にも慣れてきた」
正確にはわからないが悪夢にうなされ始めて、1週間近く経っている。同じ夢を見るのだから、ある程度慣れてくるものがあった。
タオが撃たれた後の記憶は朧気で、気がついたら統一国から中立国に帰ってきていた。
なすがまま、ヤスの自宅でお世話になっている。
当初、ネッドは断っていた。
しかし、ネッドの傍を離れたがらないティナを寮の部屋に入れること。ネッドを1人できないとのヤスの訴えがあったのだ。
お世話になっているのに申し訳ないが、この部屋に閉じこもる生活が続いている。
出された食事も進まず、ヤスに心配されているのはわかる。
思い通りに体が動かないのだ。
申し訳ない。タオの両親に顔向けできない。タオを約束を守れなかった自分が許せない。
コウガに亡命者を一緒に守ると豪語して、関わったのにタオを守れなかった。
その思いがずっと頭から離れない。
『ネッド。タオのことは残念だったけど、私は番のあなたと居れて嬉しい。だから元気出して』
父親の残した資料データのハメルの子孫であるらしいティナは、亡命任務で救出したときからネッドのことを「番」と言ってくる。
しかもネッド以外は興味ないのか、ヤスとは念話をしている様子はない。
タオのことも気にしていないようで、残念と言う口調は心底どうでもいい感じだ。
「タオのことを簡単に残念と言ってほしくない」
少しきつめの口調で責めてしまった。
ティナは申し訳なさそうな声で『ごめん』と伝えてきた。
『ねぇネッド。ここに居るのがつらいなら、ホームに帰ろう。地球やコロニーはネッドにとって良くないよ。それにホームが本来のあなたの居場所なのだから』
ティナはそういつも言ってくるが、ネッドにはわからない。
「僕の居場所は中立国だよ。今は休暇中だけど、仕事に復帰するし、そんな簡単に離れることはできない。それにホームってなに?」
『ホームはホームだよ。家って意味。私はあなたを取り戻すために、そこから来たの。あの国のネッドの家にも行ったんだよ。でもネッドは居なくて、女の人に見つかって、ネッドを返して言ったら捕まった。そこまでしてあなたに会いたかったの』
実家まで行くという行動力は大胆だと思うが、幼い頃の記憶をほじくり返しても、ネッドはティナと会ったことはない。
ネッドの傍を離れず、ずっと「会いたかった」と「帰ろう」と言ってくるティナをどう相手すればいいか困ってしまう。
「会いに来てくれたのに申し訳ないけど。君のこと本当に知らないんだ」
『なんで! 思い出してよ! お願い。お願いだから』
ヤスの世話になり始めてから、ずっとこの調子だ。
泣きそうなティナの言い分に、ネッドはなんの反応も返せない。
『ホームへ一緒に帰ったら。怖いことから。悲しいことからも私が守ってあげるから、思い出さなくてもいいから。帰ろう』
ベットから降りてきたティナは、ネッドを抱きしめる。
『ようやく会えたんだもん。帰ったらホームのみんなも嬉しくて、受け入れてくれる。危ない任務も、危険なこともないんだよ』
ティナはよほどホームという所にネッドと一緒に帰りたのだろう。そればかりを言っている。
ネッドはそれを鬱陶しいとも思ってしまう。
「ごめん。何も聞きたくない。今はそっとしてほしい」
ネッドは掛け布団に深く潜り込んだ。
——なにもかも拒絶したい。
暗い1人の空間は自分を罰しているようで、誰からも自分の存在を消しているようにも感じ、なぜか心地がよい。
じっと暗いところに閉じこもっていると、ドアの向こう側から声が聞こえてきた。
「ネッドは?」
「相変わらずだ。飯も食わず、あの子と一緒に閉じこもっている」
コウガとヤスの声だ。
事務的な会話に、ネッドは息を押し殺し、身を縮こまってしまう。
ノックとドアを開ける音。そして、布団に近づいて来る足音が聞こえてくる。
「おい。出てこい」
有無を言わせないコウガの声、その声から庇うように誰かが布団に覆いかぶさる。
重くもなく、軽くもない重さはティナだ。
「お前は出ていけ。ネッドに話がある」
ティナを警戒するような言い方に、ピリピリする空気がネッドにも伝わってくる。
その空気に耐えられず、もそもそと掛け布団から顔を出すと、コウガとティナが睨み合っている。
「やっと出てきたか」
ふっと肩を落としたコウガの正面のは、ネッドに寄り添うように座り、猛烈に警戒するティナの姿があった。
コウガはティナに出ていけと顎で促す。
ティナはむすっとしていたがコウガの容赦ない睨みに負け、ネッドをちらりと見て部屋を出ていく。
「飯も食っていないんだって、やっさんが心配していたぞ」
ティナが出ていった姿を確認したコウガは、呆れたように言った。
その姿に申し訳なさが込み上げてくる。
「すみません。食欲がなくて……」
「お前に頼まれていたUSBの中身がわかった」
タオが最後に残したものを頼んでいたことを思い出す。
「そうですか。ありがとうございます」
弱弱しい返事になってしまった。
ネッドの尻込みしているのがわかったコウガは「見ないつもりか?」と、聞いてくる。
見たい。しかし見る勇気がでない。
いつまでも動かないネッドに痺れをきらしたコウガは、念動力でネッドを簀巻きした。
「いつまでそうしているつもりだ」
コウガの目線まで持ち上げられたネッドは、目を逸らしてしまった。
「見たかったから、俺にUSBを渡したんじゃないのか?」
「見たいです。……でも」
「でも?」
沈黙。気まずい雰囲気が、二人の間に漂う。
「お前は生きている。閉じこもっていても、亡くなった命は帰ってこない」
「わかっています」
「わかっているなら、なおのことだ。親友がお前を頼り、残したものをお前は見なければならない。それに、お前を連れてくるように頼まれている」
簀巻きにしたネッドをコウガは強制的に部屋から出した。
1週間ほどの閉じこもりはあっけなく、コウガの念動力にこじ開けられた。
空色のパーカーとジーンズに着替えたネッドは、強制的にネイルと訪問者が待つ管理施設へ向かっている。
久しぶりの第3コロニーの風景は変わらない。
街を2分化する傾斜の緩い坂である三車線の中央道路。
その道路の傾斜に沿うように段々畑のように建ち並ぶひびが入ったコンクリートの建物。電光板、錆が入った街灯。
人工太陽に照らされ、鈍く輝くモノレールは軋んだ音を立てて、縦に細長く伸びる街の上空を周回する様子は懐かしく感じる。
コウガが運転する自動車の開け放たれた窓からは、すこし埃臭い風が入ってくる。
後部座席に座るネッドの隣に座っているティナは、人形のように可愛くレースがついたピンクのワンピースを着ているにもかかわらず、コウガを睨んでいる。
ティナもコウガに呼ばれ、付いてきているのだ。それが無くてもついて来る様子だった。
自動車は中央道路の下ってアンダーエリアへ向かう道中、見慣れないトラックが並走し、追い越していく。
反対車線でも同じような光景が目に入る。中央道路はトラックで埋め尽くされている。
「なにかあったのですか?」
ネッドはバックミラー越しに、コウガを見る。
「俺にもわからん。お前を連れて来いと言われただけだ」
ネッドに一瞥もくれず、コウガはそこから管理施設まで無言を貫いた。
アンダーエリアは重要な施設が密集し、多数の警備兵が待機している。
物々しい雰囲気のくねくねとした曲がり角が多い迷路のような道を走り、背の高い塀に囲まれた管理施設が見えてくる。
「関係車両入口」と書かれたプレートがある扉の無い門をくぐり、ドーム型の屋根をそのまま広げた建物を囲むように広がる庭。
ここは主任のネイルを筆頭に、変人たちの巣窟であるコロニー管理施設だ。
照明が煌々と輝き、白い壁に囲まれた駐車場は、コウガは首のバーコードを見せ、警備兵のタブレットに読み込ませた。
ネッドも同じように身分証明カードを提示し、そのまま駐車場の隅にある重厚なガラスの自動扉から進んでいった。
ティナに関しては連絡してあったのか、すんなり通してくれた。
コウガを追い、自動ドアの先へ進む。
白の床と壁に囲まれた廊下をまっすぐ歩くと大きなホールへと至り、赤い絨毯が敷かれた床の丸い形をしたホールの中央にある螺旋階段を上り、ネイルの部屋を目指す。
以前、配達で訪れたときと同じように、所々に武器や落とし穴が隠されている廊下には誰もおらず静かだ。
久しぶりに訪れたネイルの部屋へ入るのは緊張する。
ネッドを待っている人物が誰なのか?——ネッドには母親とタオ以外に、親しい間柄の人物は思いつかない。
勝手知ったる様子で入って行くコウガに続く。
ネイルの部屋は綺麗になっており、部屋の奥には三面鏡のようなモニターの前で、にこやかに微笑んでいるネイル。
その前に置かれている綺麗に整頓されたネイルの机。
机の手前に置かれたローテーブル。その周りに1人用のソファーと、ローテーブルを挟んで向かい合うように置かれた3人掛けのソファーが2つ。
その1つに見慣れない人物と、第1コロニーの代表のデミオナス。
そして、父親の面影のある人物が座っていた。




