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ナンバリング  作者: 桜音 寿
ハメルの子孫編
26/26

レイチェルとクルス

「君は優秀だけど、感情で損するね」


 眉を下げ、穏やかに笑う夫に言われたことを思い出し、無性に腹が立った。

 自然と足に力が入り、カツカツと苛立ったハイヒールの音が、大理石の廊下に響く。

 旧パナマ地区から旧アメリカ地区に戻ったレイチェルは、フロントの中心区にある代表官邸に来ていた。

 二分化戦争以前のアメリカ大統領官邸を模し、この国のエンブレムを貼り付けた建物は、修復を繰り返しながら、今まで復興のシンボルとして扱われる。

 等間隔の格子窓から入る太陽光が憎々しいほど廊下を輝かせ、あの汚らしい土地から帰ってきたことにホッとしたが、恐れもした。

 レイチェルの横を行き交う台形の体に蜘蛛のような足のドローンたち。警備兵の人材不足を補うように配備されている人型アンドロイド。

 天井にぶら下がる豪華なシャンデリアが、自分を嘲笑うかのように見下ろしている。

 レイチェルはなにもかもが憎らしく見えてしまう。

 先ほどまで、レイチェルはこの国の代表であり、師でもあるサワジと面会していたのだ。

 アンティーク調の落ち着いた代表室での空気は張り詰め、反論を許さない雰囲気だった。

 豪華な縁取りに、再生の象徴とされる鳳凰の装飾を施された机。

 その机の向こう側に、今では珍しい皮の椅子に座るサワジ。

 白髪頭、皺だらけの顔に鷲鼻。豪奢な机がいっそう大きく見えるほど小柄な体躯で、一見するとひ弱そうに見える。

 だが、黒い瞳で氷のような眼差しで見られ、レイチェルは震えが止まらなかった。


「申し訳ございません」

「奪還は失敗したか」


 下げた頭に振り注ぐ短い言葉で、師の落胆がわかる。

 ——期待を裏切ってしまった。

 ——見切りをつけられる。

 ——もう、後がない。


「君の願いで南アメリカから人員をよこし、警備を強化したにも関わらず。この結果か……」

「申し訳ございません。まさか、内部から裏切り者がでるとは思いもしませんでした」

「キューブへの道は今どこにいるのだ?」

「おそらく、中立国かと。アマゾン地区にある空港から医療専用で向かったのを確認しております」


 南アメリカに駐屯する軍人の報告では、統一国で働く中立国民の怪我人や病人を運ぶための専用機が飛び立った。

 おそらくその機体に、キューブへの道であるがティナも乗っているはず。


「そうか。統一国を出たか……。あちらの代表との会談を設ける。レイチェル、わかっているな」


 高齢者独特のしゃがれた声には、静かな脅しが混じっている。

 わかっている。今まで見てきたのだ。

 どうなるかは、わかっている。

 研究者としての道が閉ざされる。

 当時、遺伝子学のもっとも権威であると言われていたサワジ。

 その弟子として切磋琢磨した同期、先輩、後輩が精神を病み、この世を去る。

 もしくは、旧アメリカ地区の地から去って行った。

 サワジは厳しかった。言葉も態度も、心が折れそうなほどに。

 弟子たちの草臥(くたび)れた背中を見るたびに、ああはなるまいと必死に喰らいついてきたのだから。

 ——今度こそ失敗しない。

 いや、できないと手を握りしめてしまう。

 タオ・フェンを殺してしまったことを、後悔した。

 逃げたティナを取り戻すための口実に使えていたかも知れないのに。


「必ず取り戻せ。キューブへの道を」

「はい」


 捕食者のような黒い瞳で威圧してくるサワジに、頭を上げたレイチェルは視線を合わせられなかった。

 そのことを思い出すと、ぶるっと体が再び震えてしまい。

 とっさに、自分の腕をさすってしまう。

 ここまで来たのだ、引き返すことはできない。もう少しで私の研究が完成する。

 あとはキューブにあるであろう、ハメルの研究データを手に入れるだけだ。

 早く彼女を取り戻さねばと、足早に庁舎を去ろうとすると。


「やぁ。レイチェル君」


 レイチェルの背後から、嫌な声が聞こえた。

 耳障りのいい甘く低い声に思わず、ちっと舌打ちをしてしまう。

 レイチェルの同期であり、次期代表に立候補したクルス・サムジットだ。

 レイチェルは振り返り、クルスを睨みつけてしまった。

 赤褐色の髪はオールバックに整えられ、若い子たちが「いけおじ」とはしゃぐ、知的で整った容貌。

 大学時代に出会ったときより、色香を醸し出している。

 その色香を増しているのが、上品なオーダーメイドのダークネイビーのスーツの上に白衣。

 だらしがない彼でも、ここを庁舎とわかっているようで、きちんと身だしなみを整えている。

 彼の研究所の秘書に、選んでもらっているのだろう。彼はセンスが壊滅的だったはず。


「なにかしら。急いでいるのだけど」

「久しぶりに会ったのだから、少し話をしようじゃないか」


 胡散臭い笑みでレイチェルを誘うクルスに、ため息をつき「少しだけね」とため息交じりに答えた。


「選挙で忙しいんじゃないの?」

「そうでもないよ。秘書が優秀だから」


 食物遺伝子研究所の所長をしているのに、威厳がなく軽い男だ。

 だが、クルスは長年の食料問題を解決したと言ってもいい功績があった。

 統一国の北部、旧カナダ・アラスカでは1年の3分の1は雪に覆われ、南部の南アメリカは乾いた大地であり、作物なんて育てられない。

 旧アメリカ地区は北部や南部と違って、最先端の都市に発展している。

 二分化戦争終結後、旧アメリカは復興の中心になったため、どこもかしこもビル群だ。

 もちろんフロント外の都市部で、農業工場で製造していたが、限られた食材、量しか生産されなかった。

 それは畜産、漁業(養殖)も同様で、それでは旧アメリカ地区以外を賄うことは難しかった。

 その長年の悩みをクルスは大学卒業と同時に解決したのだ。


 クルスが22歳のときである。

 クルスはゲノム編集で病気に強く、寒さ暑さに強くなるように品種改良し、稚魚や鳥、牛、豚なども同じように改良。

 遺伝子組み換えで、新たな品種も生み出していた。

 そして中立国に輸出し、中立国のコロニーで育てもらい、輸入するという流れを作った。

 だが、この案は一筋縄ではいかなかっただろう。

 ナンバリングと非能力者が共存する中立国。その国に嫌悪し、特にナンバリングを嫌う者、反対する者は多い。

 その者たちを説き伏せ、国外に協力を嫌うサワジを説得させたのだ。

 統一国に利益があるから許可したのだろう。


 それから20年ほど経たち今では旧ブラジル地区を経由し、南部、中央である旧アメリカ地区。そして北部に十分な量と様々な食材が行き渡るようになった。

 しかし、問題も出てきた。

 元々、税や貧困問題もあったのだが、今の政府のやり方ではいけないと、国に反発する者も出てきたのだ。

 クルスは反発する国民の信頼を集め、今回の立候補に繋がった——立候補できるまで成果をだしたということだ。

 近々、北部と南部でも農業を始めると話していた気がするとレイチェルがぼんやりと考えていると。


「その傷、どうしたんだい」


 クルスが自分の頬を指しているが、レイチェルの頬の傷をことを言っているのだ。

 息子に発砲された傷だ。


「なんでもないわ。ちょっと切っただけ」


 誤魔化すレイチェルの答えに、「ふーん」と興味ないような返事をしてきた。


「そうそう聞いたかい? 防衛壁の話」


 クルスにそう問われ、レイチェルは腕を組みながら答えた。


「衛星兵器を使うなんて、反乱軍に対してやりすぎだと思うけどね」


 さも、そう思っていますと態度に出しながら、もう少しで彼女を取り戻せそうだったのにと頭の片隅で考えてしまう。

 反乱軍に向けて撃たれた太く赤い一筋の線の攻撃は、宇宙にあるコロニーからだった。

 軍が衛星兵器など使用したから、取り戻し損ねたのだ。

 そもそも、タオ・フェンが彼女を連れて逃亡したからだ。

 その事柄にレイチェルは無性に腹が立ち、指で腕を軽く叩いてしまう。


「レイチェル君。どうしたんだい? もしかして疲れているのかい? それはすまない」


 気遣う振りをしながらも、一方的にクルスはまだ話を続ける。


「君の研究施設から、また人がいなくなったのだろう。どこも人手不足だね」


 レイチェルの研究室はサワジの後ろ盾を得ている。激しく結果を求められ、脱落していく者も多い。


「食料問題が解決しても、人口減少がこの国の次の問題よ。時間がない。厳しい状況に耐えられない者はしかたないわ」


 今、この国は少子化という人口減少の問題に直面している。

 いつ頃からだろうか。1度は増えた人口が減ってきているのだ。

 レイチェルが初等部の頃に政府が発表し、それから遺伝子研究に政府は国税を多く割り振るようになり、今までも盛んだった研究が一段と過熱したのだ。

 レイチェルも国の為と、その道を突き進んできた。

 ——時間がない。人口減少は止まらないのに、結果がだせない。

 悔しい気持ちがふつふつと湧き出る。


「もういい? 私、忙しいからこれで」


 レイチェルは踵を返し、クルスに背を向け歩き始めた。

 これ以上、無駄な話はしたくなかった。

 足早に去るレイチェルをクルスは意味深げに見ていた。


 そのことも知らずに、大統領官邸を出たレイチェルは、ティナを取り戻すためにどうすべきか考えながら歩く。

 レイチェルの心情のような薄暗い曇り空の下、立ち並ぶ飲食店の排気口からは料理する際にでる臭い匂いもしない。

 不快感を消した排気システムで清潔な空気を保った道で、行き交う人とぶつかっても気にせず歩く。

 自宅に向かう途中で、ふと誰も遊んでいない寂しげな公園が目に入った。

 自動で揺れるブランコに、小さなトロッコ。花壇では清掃ドローンが腕を伸ばし、器用に花を植えている。

 夫である失踪したマイケルと幼いネッドが遊んでいた公園であることを思い出す。

 ——そういえば、あの場にネッドがいた。

 最後に見たのは彼の卒業式だ。

 中立国で就職という恥ずかしい結果に、式が行われている会場で肩身の狭い思いをした。

 再び姿を見たときはタオ・フェンと共に居ることに内心では驚き、しかも銃を向けられ発砲してきた。

 こうなれば、もう私の子供ではない。

 ——そう、私の子供ではないのだ。

 ——腹を痛めて産んだ子じゃない。

 ネッドに期待していたのは本当だ。だからこそ、絶望した。

 私の研究を引き継いでくれるかもと。結果をだし、血がつながらなくても私の子だと思わせてくれると。

 しかし結果をだすこともなく。私の前から姿を消し、そして敵対してきた。

 だから、私の子ではない。

 ——利用してやる。

 使えるものはなんでも利用してやる——私の研究の結果のために。

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