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「今日はこのくらいでやめておくか」
時計を見ると、21時を回っていた。ダンジョンに入ったのがたしか19時頃だから、2時間ぶっ通しでダンジョン内研修を行っていたことになる。
ちなみにダンジョン研修は、資格を持つ組合員によって定期的に開催されている。
市役所の職員が研修を受ける義務はないのだが、研修内容が更新されるたびDVDが送られてくるのでチェックはしていた。今年の更新事項を含め、一通り教えられたはずだ。
「……分かんない単語がその場で調べられないのは結構困りますね」
「スマホ中毒者はこれだから。あー、有料だがダンジョン関連の単語が入った辞書アプリなんてのもあるぞ。ほら」
スマホを操作し彼女に見せようとしたが、よほど疲れたのか座り込んだまま手を振られた。
女子の体力を意識して行うべきだったろうか。だがステータス補正があるのでダンジョン内は外ほど疲れないはずだが――
「切原さん、体力おばけですね」
「……そりゃたぶんステータス補正だ。レベル1のハルと違って、レベル55あるからな」
「55……って昔は高かったんですか?」
「昔は、な。今は別に中堅くらいだろ」
「みたいですねぇ、私がよく見てる配信者、レベル140とかですし」
「……140ってーと、トワイスとかヴィーナスとかか?」
「トワイスさんです。っていうか切原さん、配信者に詳しいですね。結構見てるんですか?」
「まぁ、有名どころはな。配信者に変なブーム作られてそれに影響された新人が無茶するのを止めるのも俺の仕事だからな」
「……まっじめー。ちなみに切原さんが個人的に推してる配信者とか居ます?」
「んー、しいて言えばモトとかスバルだが……」
「結構地味なとこ選びますね。あー、でもそういえばそのへん、切原さんと同期くらいになるんですかね?」
スポーツドリンクを一気飲みしたハルに、「あぁ」と頷きで返した。
スバルはともかく、モトという名の探索者は俺と同い年、現役時代から交流があり俺と違って引退しないまま探索者を続けている男だ。
彼も『物理耐性』を突破する手段を持たないが、元からサポートを主としたスタイルの探索者だったため、環境が変わってもダンジョンに潜り続けることが出来たのである。
「ちなみに、スバルさんみたいのが好みだったりするんですか?」
「……違う」
「あっやしいなー」
俺を揶揄う時だけやけに元気になるハルの接触を避けるよう離れ、昔を思い出す。
スバルは探索者としての知り合いではない。中学くらいまで祖父の道場に通っていた、3つほど下の女性だ。彼女が探索者になったのは遅く、大学に入ってからだったか。
『物理耐性』の洗礼を受けず探索者になった彼女は、今となっては歴10年を超すベテランに育っている。総合格闘技の技術を存分に使い、殴り魔法師ブームの火付け役となったとまで言われている。
「まーでも、近くにRIKKA様みたいな美人さん居たらそっち系に靡きますよね」
「…………」
確かにスバルはライカのような大人しい美人タイプでなく、めっちゃ動く人懐っこい小動物って感じだったが、比較するのも失礼なのでそこはノーコメントで。
「あー、そういえばRIKKA――ライカが会っても良いって言ってたぞ」
「え!? 昨日の今日でもう連絡取ったんですか!? そんな気軽な関係なんですか!?」
よほど衝撃的だったか、いきなり立ち上がって飛んできたハルをなんとか受け止め再び地面に置いて返す。
「……住んでるとこも近いからな。ただファンとプライベートで会うのはマネージャーに止められてるらしくて、昔の友達の子供とかって言い訳が必要になるらしいが」
「え、そんなの同級生の婚約者とかで良くないですか?」
「俺いつ婚約した!?」
「したようなものじゃないですか? 婚約って紙じゃない心の関係なので」
「そう……そうだったか……!?」
駄目だ。分からん。俺にはイマドキの女子高生の感覚が全然分からん。もう感性干からびたオッサンだからなのか? もう若者と対等な目線で話すことが出来ないのか?
「これホントに押したら倒せそうですね」
「倒すな」
「いやでも、言い訳なら本当にそれが一番良いですよ。昔馴染みが結婚するからって外で会ってご飯食べるくらい、普通じゃないですか。芸能人にとっても普通かは分かりませんけど……」
「でもなぁ……」
ハルのことだから、たぶんライカに会った時にもこんなノリのままなのだろう。いやでも、もしかしたらファンが過ぎて殊勝になるのかもしれない。そうなってくれ頼むから。
「ダンジョンの話NGなら、切原さんと個人的な関係ってことにするのが一番ですよ」
「……そんな気もするが」
「じゃ、そんな感じで行きましょう! よし帰りましょう予定はいつ入れますか!? 今日ですか明日ですか!?」
「流石にそんな早くは無理じゃないか? とりあえずいつでも空いてるって言っておくよ。じゃ、歩けるか?」
「無理です。おんぶして下さい」
「さっきめっちゃ飛び跳ねてたろ」
「幻覚です」
ちなみに、ステータス補正があり外と感覚が違うからってダンジョン内ではしゃぎすぎると、普通に筋肉痛とかのフィードバックは外に出てからやってくる。
ハルは中学から部活に入っていないらしいので、その体力は中年男性並みだ。若いから回復は早いだろうが、まぁ次にダンジョンに入るのは数日置いてからの方がいいだろう。
しばらく待っていても本当に立ち上がりそうにないので溜息交じりに手を差し出すと、「ん」と両手を上げて抱っこのポーズをされた。……いや流石にそれはまずいだろ。
「背負うくらいなら良い。だが前は駄目だ」
「切原さんならお姫様抱っこくらい出来ますよね?」
「……出来るだろうが、それはそれだ。俺は知らん奴に女子高生を抱き抱えているとこ写真撮られて拡散されて炎上したくはない」
「んー、なら仕方ないですね」
そう言うとハルは普通に立ち上がった――と思ったら高速で背中側に回り込み、しがみついて来た。あ、はい、背負えってことですね。
しかし、尻に手を当てず背負うってどうすれば良いんだ? なんて葛藤していると、ぐいぐいと胸を押し当て「まーだーでーすーかー」なんて催促が後ろから飛んでくる。
「……痴漢って訴えんなよ」
「訴えるつもりなら、裸見られた時にしてます」
「……それもそうか」
仕方ないので尻に手を添え、ぐいと背中で背負いあげた。「おぉー」なんて声が聞こえる。
――駄目だ。なんか全身柔らかい。
胸も腕も腹も尻も触れるとこ柔らかいんだが、本当に同じ人類なのか? 女子高生、ほんのり人肌温度のスライムとかだったりしないか?
俺が人生で触れ合ってきた人類、大体筋肉ムキムキのガッチガチだったりしたので、こう柔らかい人間をどうすれば良いのか全然分からん。落としたら潰れちゃいそうだ。
「んふふー」
「……暴れるなよ、暴れたら落とす」
「はいはーい、切原号、しゅっぱーつ」
「行きますよ……」
低階層ではあるが広い川崎ダンジョン、それも人に見られないようかなり奥に進んでから研修をしていたので、外に出るのに少々時間を必要とした。
帰り道で何度もモンスターに遭遇し、図らずも『邪視』の試運転になったのだが、俺のビルドに『邪視』の組み合わせは、格下相手だとまさしく無双であった。
『物理耐性』がないだけでこんなに楽だったのかと思い出しながら、道中のモンスターはハルを背負ったまま手を使わず、サッカーボールのように蹴っ飛ばして進んでいく。
23時以降は18歳未満の外出に保護者の同伴や場所によっては許可が必要なので、条例に引っかからないためにも彼女をとっとと家に送り届けてやらなければならない。
そうなると、移動時間や帰ってから夕飯を作る時間を考慮するとこれから平日にダンジョンに潜るのは中々難しい。今後ダンジョンに潜るスケジュールをどうするか話しながらダンジョンの外に出た時には、もう22時近くになってしまっていた。
「すまない、思ったより遅くなったな」
「いえいえ、お母さんいつも寝るの夜中の3時くらいなので、ちょっと夕飯遅れても気にしませんよ」
「いやハルがだよ。食べてすぐ寝られるのか?」
「んー、あ、それなら別に私が寝るまで家で待っていてくれても構いませんよ? なんなら添い寝でも」
「俺が眠いから置いたら帰る」
「えー、ご飯食べてってくださいよー」
ダンジョンの外に出たのにも関わらず背中から降りようとしないハルを車に放り込み、昨日より若干外の目が気にならないことに安堵しつつも車を走らせる。
途中でスーパーに寄りたいと言われたが、「パパ活にしか見えなそうだから嫌だ」と言うと、「いや私ジャージだし親子にしか見えませんよ」とさらっと返され、たじろいだ。
こういうとこ思ったよりドライなんだよなと笑えてきて、一緒に深夜まで営業しているスーパーで買い物を済ませ帰宅すると、家でハルの母が缶チューハイを飲みながら待っていた。
帰りが遅くなることは事前に伝えていたから、コンビニで酒を買っていたのだという。
結局晩酌に付き合わされているうちにハルの手料理が振舞われたので二日連続でご相伴にあずかり、帰宅すると充実感からかあっという間に眠ってしまった。
――あぁ、こんな生活も悪くないなぁ。そんな風に思いながら、また、次の日がやってくる。




