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ユウバリ 1/5

 1度目の訓練から帰ってきたばかり姉さんは、肩で息をしながらも呼吸を整えていた。

 

「……イナバ、なにかあったの?」

 

 そしてようやく落ち着いたのか、イナバを向いて不思議そうに問いかける。

 

「少しだけ。楓に勝った気分がして嬉しいです」

 

「え、知らない間に私が負けたの!?」

 

 姉さんの口に手を当てたわざとらしい反応を見て笑ってしまいそうになる。肩で息をしていたほど疲れているのだろうに、それでもこちらを優先してくれる。

 でもイナバがいたからこその余裕だと思えば、それを優先する相手は正しいのかもしれない。もしイナバがいなければ、その役目はサリアさんにお願いしていたはずだから。

 

「なに、楓が負けたのか。珍しいな」

 

「そもそも、私は、楓が負けたところを、見たことがない」

 

 息を整えきれいない葵さんが、途切れ途切れに問いかける。

 長く一緒にいる中で唯一、声をかけなかった翠さん、そして最近になって知り合った時雨さんはそんな余裕なく、息を整えている。地面に背を預けて。

 

「え、平和な世界で勝ち負けを気にするの?」

 

「子供のかけっこみたいなものですよ。楓達の場合は、ですが」

 

 そうであってほしいと願うように、イナバは答えた。

 姉さんに競う相手はたいてい負ける。姉さんが競う相手はたいてい負けない。

 でも、本当に大切な分岐点だけは"負けない"のが姉さんだろうか。

 

「それは羨ましい話ですね」

 

 皆をこの状態にした人物、アリサさんがそっけなくそう言った。

 まあこの人は、おかあさま以上に疲れてはいるだろうから、それもしかたない。まあ最近は、の話でもあるのだが。

 

「先程の戦いは見ていないのですが、どうでした?」

 

「……まあ、あの平和な世界に住んでいてこれだけ戦えれば十分なのでは」

 

 不思議そうに首を傾げ"かけた"アリサさんは、その考えを振り切ってイナバに答えた。

 

「アリサ、あなたはなんのための訓練をしているのですか?」

 

 一転して、イナバの声が厳しいものとなる。

 言葉もリズムもやんわりとしているのに、それだけが実感を与えてくるような、そんな声音だ。

 

「イナバ、これはゲームですよ。現実に魔物がいるサリアにはそれなりの評価を、現実が平和な楓達にはそれなりの評価をということです」

 

「……ああ、失礼しました。ですが、かの日本ならばゲームですら妥協は許されないのでは?」

 

 イナバの勘違いはアリサさんとイザナミ様の差、ということだろう。

 

「え゛……そうなのですか、楓」

 

 驚いたように振り向いたアリサさんに、姉さんは頷くことで答えとした。

 

「正確には領土を取り合う、他の世界や国と関わりがあるゲームだからだね。"第1陣"なのだから、知ることが求められているんだよ」

 

 第3陣ではなく、正確には3回目の第1陣。

 他の国はどうあれ、イザナミ様の認識はそうだと思っている。

 

「第1陣……? まあそういうことならば、もう少し厳しくしましょうか。はっきり言ってサリアとの差を不甲斐なく感じていたところですから。ええ、転がっている2人ですよ」

 

 いまだに息を整えきれていない、床に転がっている2人が身体をビクっと震わせた。

 

「あはは。でも私に体力で負けるのはマズイと思うよ。本当に」

 

 サリアさんが、言い難そうな雰囲気で追撃する。

 

「そんなだからお腹のお肉が気になるのでしょう。これを機に現実でも運動を始めてみては?」

 

 イナバのそんな言葉に、転がっている2人が再びびくっと震えた。

 実は葵さんと翠さんを見分ける方法の1つに、お肉のつき具合というものがある。普通の人が見て差を見分けられる程度ではないのだが、やはり差がある。

 そもそも気にするほどお肉はついていないのだが、女の子だからね。そのうえ凛さんや姉さんが隣りにいるのだから、気になってしまうのもしかたがない。

 

「た、体力だけならユウくんもじゃないか」

 

「時雨ちゃん」

 

 時雨さんの言葉に応えたのは、ぼくではなく姉さんだった。

 それはそれは神妙な声で、語り始める。

 

「ユウくんはね、昔からね、どれだけ食べても太ったことはないのよ」

 

「え……嘘、だよね?」

 

 時雨さんは合わせたように神妙な表情を浮かべて、そう呟いた。

 しかし、本当に言葉通り"信じたくない"と思っているのはもう1人のほう。甘いものが大好きな子。

 時雨さんは甘いものが好きなのではなく、食べることが好きなのでもなく、皆と一緒に食べられることが嬉しいのだから。その重なった時間こそが、笑顔の糧となるのだから。

 

「つまり、楓は太ったことがあるのか?」

 

「……ど、どうかしらね」

 

 凛さんの鋭い言葉に、姉さんはそっぽを向いた。

 むしろ成長期に体重計の針が動かないというのは、それはそれで悲しいものがある。

 

「どうであろうと、鍛えれば解決するではありませんか。ですので次の訓練といきましょう。私は今日1日しか時間がないので、少し急がなければなりません」

 

 明日はぼくとお昼寝だからね。しかたないね。

 

「アリサ、次の方針は?」

 

「凛と楓はこのまま私と戦いましょうか。残りは研磨することよりも、むしろ強みを尖らせたほうが良い気がしますね」

 

「では私が魔法でも教えておきましょう。最後に最初と同じ形式で確認ということでどうです?」

 

「それは助かります。2人相手であれば、もっと意識を割けますからね」

 

 そのやり取りにホッとした様子を見せたのはまだ床に転がっている2人。

 どちらの訓練のほうが楽なのかは、どうなのだろうか。

 

「2人とも、準備があれば待ちますよ」

 

「楓には私が用事があります。翠、お腹はいいですから凛の情報体を確認しておいてはどうですか」

 

 そう言い終えたイナバは姉さんに近づいていき、翠さんはすぐに起き上がって凛さんのもとへと移動した。少しゆっくりだったのはご愛嬌だ。

 

「ところで少年。時雨ではありませんが、体力は大丈夫なのですか?」

 

「"人が相手なら"足手まといにならない程度の動きはできるから安心してほしいかな」

 

「まあ領土戦に魔物は出てきませんから、今は問題ありせんね。それに体力は基礎、1日2日で急激につくものでもありません。現実で走り込みをしては?」

 

 アリサさんはお節介焼きで心配する幼馴染のような雰囲気で、他愛ない日常の会話のようにそう告げた。

 それがよかった。それでよかった。

 あとたった数百年ずれていれば、あの時代の誰かが踏み出せていれば。可能性はこまねいていたのに、どちらも妥協してしまった。それが最善だと信じ切って。

 

「これでも走り回っているんだけどね」

 

 ひっそりと"ぎりぎり"聞こえないように呟いておく。

 走り方は知っていても身につかない。動き方は知っていても身につかない。

 悲しいのか運が良かったのか、今になってみれば諦めていたからかもしれないと思い始めてきた。


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