笑顔の続きを 1/1
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時雨さんが真っ赤な顔を晒す傍、イナバの横へと移動していた。
じっと見つめてくるイナバの視線が気になってしかたない。
「サリアではなく、時雨を向かわせるのですか?」
「うん。だから必要な魔法を教えてあげてね」
聞いてほしかったことを聞いてくれないのはイナバだからだろう。
お互い意地っ張りなのだ。
「……やはり知っていたのですね」
少し待てば、観念したような声が聞こえてきた。それはもう悔しそうに。
バレないなんて思っていたのだろうか。幾重の時間と仲間を経て気づかれなかったとしても、ぼく相手に気づかれないと思っていたのだろうか。
「四葉の時に焦ったのが原因か、あるいはお人好しの蜂が要因でしょうか」
「そのどちらもなくても、ぼくから逃れられるなんて思わないで。それは時雨さんのあれとは比較にならない、手に負えない問題なんだから」
「ですが知ったところでどうなるものでもないでしょう」
反論できない。
イナバの言葉そのままに、どうしようもないからだ。
「甘く見ないで。すべてを投げ捨てれば、どうにかできる」
「楓よりも優先できますか? できないでしょう?」
イナバの微かに震える声が、彼女の驚きを知らせてくれる。
なんとかできるなんて思ってもいなかったのだろうけど……これが2人だけの時間ならと思わずにはいられない。そうすれば素直な驚いた表情も見せてくれただろうから。
「それは姉さんが求めれば、そちらを選べるということだよ」
「私が望みませんので、しなくていいです。それよりももっと楽しいこと……時雨への対価について話しましょうか」
無理をして笑った表情が心を揺らしてくる。楽しい内容に違いはないのだろうけど、心は足を止めているのがわかってしまう。
ああ、もう。イナバの知っているぼくがなにをしてしまったのか、予想できてしまった。今のぼくが考えても間違っていなかったと言い切れる手段だけど、目の前いる少女は間違いだったと笑っている。
久しぶりに思い切り泣きたい気分だけど、誰の胸の中でも泣くことはできない。
ああ、泣かせてくれるお嫁さんがほしい。
「最初のほうは見れていませんが予想はできます。つまりからかうなら後の内容だけで十分ということ」
予想を超えてぼくの反応が良かったのか、足を止めていたイナバの心が動いたのがわかる。
あれ待って、顔が赤くなったりしていないだろうか。イナバを聞きすぎていてあちらまで意識を割いていなかったけど、姉さんがにやにやしてるからマズイ気がする。
「やはり可能性はあったのですね。喜ばしいことです」
だからこそ、本当に嬉しそうな微笑みが苦かった。
自分でもよくわからないそれがもどかしかった。
「ぼくは心の底からの告白以外は絶対に受けないよ」
だからつい、隠していた本音を吐き出してしまった。
一切の妥協は許さない。最高しか認めない。
"両者にとって"最高になる形でしか、認めない。
「時雨では不満ですか?」
悲しそうなイナバの瞳に返す言葉が出てこない。
「……ごめんね。あの子の胸では泣けないや」
ようやく絞り出せたのはそれだけだった。
どちらにしても、見捨てたということはそういうことなのだ。
「では楓しかいませんが、それは望まないのでしょう?」
本当に彼女は。何も知らないようですべてを知っている。
2人しか知らないことを、さも当然のように前提としている。
「……ねえ、姉さんのことどこまで知ってるの?」
「……私はあなたほど完璧に逸らせないので、ここでは言いたくないのですか」
けっして漏れてはいけない真実。
本来ならば中庭で聞くべき内容。
「ぼくがすべて逸らすから」
信じてと。
「……まあ、それでは」
それでも彼女はさらに近寄ってきて、耳元に口を寄せて呟いた。
予想通りの内容を。
「……あなたの知っている姉さんは、やっぱり失敗したんだね。その結果が今の世界なんだね」
「っ!」
予想が確信に変わっていく。
きっと今のぼくも同じことをするだろう。
「……、……」
口を開け、引き下がって、再び口を開け。
イナバは何も言ってくれない。
このままでは姉さんにすべてを委ねた結果しか訪れない。
おそらく、イナバの記憶と同じように。
悲しい時間が流れていく。
皆は"ぼく達2人なんかいなかったかのように"、各々の訓練を始めるための空間へと飛んでいった。なんの疑いもなく。
「……次は簡単に隠れられるなんて、思わないでください。私の眼はあなたをけっして見逃しませんし、死んでしまっても蘇生できます」
後悔に塗れた、一筋の涙が語っている。
"次の前"では見つけられなかったと。死なせてしまったのだと。
「あんな笑顔は、要りません」
「……ふふ、ふふふふ」
ああ、馬鹿らしい。
やっぱり姉さんは正解を選んでいた。さすが自慢の姉さんとしかいいようがない。
ただ力が足りなかった。時間が足りなかった。
だから涙の正解しか選べなかった。
「……なにがおかしいのですか」
「ばかだなって」
「人を追い求め続けることは、愚かなことですか」
「イナバ、かかんで」
この状況と雰囲気であっても素直にかがんでくれるのが、なんともイナバらしい。
本当にイナバの知るぼくは馬鹿だった。いや、普通の男の子だった。
だから、近づいてきた頬にそっと口づけをする。
「っ!?」
たったこれだけで笑顔を続かせられたのに、別の子に気があるふりをしてイナバに恋心を実感させようとしていた。
「あなたは優旗という旗に、夢を見すぎていたんだ。勇者は完璧じゃない」
目の前で赤い頬に手を当てて、困惑した表情を浮かべている少女が愛おしい。
幾重数多に知っていた恋すら投げ捨てて、今のこれが恋だと自慢できる。
『から』の状態で出会えていたらと、イナバの知るぼくに嫉妬してしまいそうだ。
「ずっと1人の想いを追い求めた結果が、今の日本だよ。とってもとっても綺麗に汚れている、素敵な場所だよ」
そう言いながらくるりと回って背を見せて。
少し離れてくるっと振り返り。
「そこで一緒に、遊んでみない?」
そう言って手を差し出した。
心臓が自然にばくばくと高鳴っている。
顔は絶対に真っ赤だろうけど、まあそれがいい。
「……素直に『"大"好きです』とは言えないのですか、いじっぱり」
不満げな笑顔でそう呟く彼女に対して
「ごめんね。今のイナバはそんなに好きじゃないや。出会って数日で大好きですとか、ちょろいにもほどがある。そんな相手、ぼくなら好きになれない」
雰囲気をぶち壊すような言葉を投げかける。
ぼくも勇者に夢を見るのはやめようと思う。夢を見ていた結果が一筋の涙ならば、幻想として捨て去りたいから。
「……それもそうですか」
残念そうに納得した様子の彼女はこちらに歩み寄ってきて、そっと手を握ってくれた。
姉さんと同じ道を辿るかもしれいないのは怖いけど、もっと良い先が見られるかもしれない。そう思えば震える足も前に踏み出せる。
「あなたはぼくを救ってくれるの?」
「ええ。そのために、あなたの笑顔のために世界を戻したのですから」
目の前の少女は、ようやくぼくだけの笑顔を見せてくれた。




