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いっぱんじん してん 6/x

「そうだ、忘れてた。右手かして?」

 

「うん」

 

 直前の言葉の意味を考えていたからか、特に気にせず右手を差し出す。

 彼の両手がその中から人差し指を握れば、一筋の赤い線が見えた。怖くて見てはいなかったが、皮膚が切れた箇所だと実感できる。

 そしてぱく、ぺろぺろ、ちゅぽっと。

 

「……も、もう驚かないからね」

 

 驚きを表に出さない代わりに心臓はバクバクと高鳴っている。耳が良い彼には聞こえているかもしれないと、そう思えばさらにそれは加速して。

 

「赤くなった顔と表情にも思いきり出てるけど、一応は治療行為だからね。もう痛くない?」

 

 その言葉を聞いて顔を手で確認したくなったが、それよりも後半の言葉に意識が傾いた。

 指先に意識を向けてみれば痛みはまったくなく、返却された指先を見てみれば赤い筋は消えている。他のことに意識をとられて痛みなんて感じていなかったけど、たしかに痛みは消えていた。

 

「え、どうやったの!?」

 

「ほら、傷口は舐めれば治るっていうからさ?」

 

「いや、聞いたことないけど……そうなの?」

 

 傷口は綺麗な水で洗って、必要ならば消毒。それから薬を塗って絆創膏やガーゼなどで覆う。それくらいしか知らなかったけど、そのどれもない状況での、昔の知恵だろうか。

 

「迷信だよ?」

 

「……君はいたずら好きだったね」

 

 この場合はからかい好きなのかもしれないが。

 

「ううん、嘘じゃないよ。ぼくも最初は驚いたんだけど、小さな傷なら舐めれば治せるんだ。誰でもじゃなくて、ぼくはだけどね」

 

「それって、特別な力ってこと?」

 

「どうかな。少なくともぼくの周りではぼく1人だったね。だからって、舐めてなんて言ってくる人は少なかったけど」

 

 それは、まあ、そうだろう。

 でも、この子は反応を見て楽しむために舐めてた気がする。仲の良い子に限ればだけど。

 

「昔は好きで、途中で嫌いになって、今は好きな能力だよ」

 

「え、それってやっぱり――」

 

 そこまで言ってから失敗したと、両手で口を塞いだ。

 嫌いになったのだから、何かあったのは当然なのに、それが気になって聞いたのだから気づいてなかったはずはないのに、なにを聞いているのだろうか。

 

「違うよ。誰も怖がったりはしなかった。唯一、ぼく以外はね」

 

「……どうして怖かったのか聞いてもいい?」

 

 一瞬だけ躊躇したが、ここは踏み込むべきだと直感が告げていた。

 この子はボクに傷をつけられる以外にも、かけがえのない存在になってくれるような気がして。それを求めるならボク側からも、もっと知っておくべきだと思って。

 

「これがきっかけになってしまったのかと思ってしまって。違うって理解してたはずなのに……なにか、不幸をぶつけるなにかが欲しかったんだと思う」

 

 見た目とはかけ離れた、小学生どころか高校生がしてすら似合わない達観した顔を変えたくて再び口を開く。

 

「……じゃあさ、どうして好きになれたの?」

 

「1つは便利だから。ほら、こんな容姿だからね?」

 

 ああ、聞きたくない内容だったと思った。聞かなければよかったと思った。

 無邪気に無計画な行動だと思ってたからこそのドキドキ感があると思うのだ。

 ……まあ、意図的であってもドキドキしないかは別なのだが。

 聞かされてもがっかりしないあたり、本当に便利な能力なのだろう。うん。

 

「あと1つは最近のことなんだ。もしかしたら、なんて思えたから」

 

「……」

 

 その嬉しそうで楽しそうでありながら、願うような表情に見惚れてしまった。

 計算されていない、自然と溢れた表情だと、そうであってほしいと願えるような……憧れる表情だった。

 

「あ……まあ、いいかな?」

 

 空を見上げた彼がそんなことを呟いたのが見えたが、心を通り抜けていく。それほどまでに先程の表情が大好きだった。大好きになってしまった。

 なんとなく、ボクだけのもののようで。

 

「そうだ。お願いを聞いてもらうのだから対価を払わないとね。なにがほしい? 現実のことでもいいよ」

 

「……」

 

「あれ、時雨さん?」

 

 気づけば彼の顔が大きく見えていた。それはもう、視界を埋め尽くすほどに。

 

「あひゃひょ?」

 

「お願いを聞いてもらうのだから、対価を払うよって。現実のことでもいいよって」

 

 顔が熱い気がする。

 もう計算づくで誘導されててもいいやって、そう思えてくる。でも『時雨ちゃんは流されやすいから、気をつけて』と、友達の声が聞こえてきたのでなんとか意識を戻すことができた。

 大丈夫、ボクは冷静になれる。ちょろくな『時雨ちゃんって、ちょろいよね』……そんな言葉は思い出さなくていいのに。

 でも"大切に"特別扱いされて、優しくされればしかたないと思う。

 それがひとときのことであっても、ひとときはちょろくあってもいいと思う。ボクであってもずっとちょろくあったりはしないのだから。

 

「じゃあ、イナバが言ってたお昼寝がいいかな。お昼寝のあとのイナバは、なんだか機嫌が良い気がするから」

 

 正確には機嫌が良い時になにかあったのかと聞いたら、お昼寝をしたと言われたのだが。

 

「欲がないね。もっと別のなにかでもいいんだよ? ぼくから持ちかける時は、結構なんでもするよ?」

 

 念押しのように問いかけられれば、なんだかもったいない気がしてきた。

 

「現実のことでもいいんだよ?」

 

 ゲームの中の頼みごとに現実を持ち出すあたり、もしかしたら今回の件は相当に大事なのかもしれない。

 ならばこそ、だ。夢なんか見たくない。

 

「じゃあボクと結婚してくれる?」

 

 なんてね、と続けようとすれば

 

「いいよ」

 

 と遮られた。それも笑顔で。

 絶対に断るか、少なくとも悩む内容で有耶無耶にして、達成した後から頼み事の難易度に合わせて頼もうと考えてみればこれだ。

 もういやだ、帰って寝たい。

 

「きみは楓ちゃんが一番なんだろう?」

 

「たしかに姉さんを一番に考えるけど、それと結婚は重ねられるよね」

 

 つまり楓ちゃんとボクが同時に危険にならない限りは、一番でいられるのかもしれない。

 ……いやいや、つい納得してしまいそうになったが違う。

 会って1月も過ごしていない相手からの求婚なんて、即答で受けるはずがない。そこにからかうのが好きなこの子とくれば、答えは絞れてくる。

 つまりボクが取り下げることを前提にしているのだろう。

 

「ぼくは伴侶を大切にするよ? それこそ、世界を相手にしても味方でいてあげられる。あなたが姉さんを排することさえしなければ、たとえ害を与えたとしても問題ない。もし世界が姉さんを排除しようと動き始めても、世界を捨ててくれるのなら一緒にいられる」

 

 ……本当に取り下げることを前提にしているのだろうか。

 空を見て、人差し指を振りながら語っているその姿からは本当しか感じ取れない。

 と、背筋に冷たい汗が流れるのを感じながら別の結論に辿り着いた。辿り着いてしまった。

 

「もしかしてさ、昔に会ったことがある?」

 

 ボクが覚えていないだけで、昔に会ったことがある可能性。

 彼の節々の言葉から、ボクを知りすぎている様子から、それは十分にあり得るものだと思っている。

 

「アバターってさ、結構、自由に変えられるんだよ?」

 

 彼は蠱惑に笑いながらそう言ってきた。

 それが示す内容は、身近な誰かである可能性。ずっとずっと考えないようにしていたけど、その可能性は忘れていない。

 でも、それならどうして。

 それに……目の前の純粋な彼が、あの中の誰かだとは思いたくない。

 

「違う。今、近くにいる誰とも違う」

 

「うん、そうだよ」

 

 蠱惑さが消えた、嬉しそうな表情でそう告げてきた。

 

「だから、そんな泣きそうな顔をしないで。どうしても無理だと思ってしまったら、助けを求めていいんだよ」

 

「ボク、そんなに泣きそうな顔をしているのかな?」

 

 自分では普段通りのつもりだった。

 それでも今や昔を思い出してしまえば、泣きたくもなってくる。

 世界を対面に見ても隣りにいてくれるという彼の言葉にすがりつきたくなる。

 

「ずっと泣きそうだったよ。でも泣けなくて、だから無理やり笑ってた。この子達といる時間は楽しい、夢のようだって」

 

「むり、やり?」

 

 問い返すしかなかった。

 この子達がフェリ達なのか、楓ちゃんたちかはわからない。それでも一緒にいる時間は嘘偽りなく楽しかったのだから。

 

「もし現実で会おうって言われたら、会えるの? あなたの居場所を特定することなんて簡単だし、世界を超える方法だってあるんだよ?」

 

「……会う?」

 

 一緒にいる時間が楽しいのなら、あの場所に来られても楽しいはずだ。

 でも、皆があの場所に来たところを想像したら……泣き叫ぶだろう。『どうして来たの!』って。

 

 ああ、だめだだめだ。止まらない。

 ずっと我慢していた涙が止まらない。

 

 ボクはあそこから離れられたから、楽しかったんだ。

 

「だからまずは、遠くから眺めてみるのも悪くないと思うよ。場所は覚えているよね?」

 

 滲む視界の奥から聞こえてきた言葉。思い出したのは温泉で聞いた、1つの場所。

 やけに記憶に残っていた、兎の国。

 

「夢の中にだって縁はある。外から続く気持ちもある。夢の中の友達が、現実では他人とは限らないんだよ」

 

「で、でも……」

 

「それとあまり彼女達を甘く見ないほうがいいよ。誰も彼もが鋭くて、容赦がない。あなたが泣いたままだったら絶対に乗り込むって思ってる」

 

 乗り込まれるのと逃げ込むのと、どちらがマシなのだろか。

 ……ううん、そもそもボクに選択肢なんてない。イナバとの次が迎えられるとしたら、彼女達の場所からだろう。

 

「もしさ、楓ちゃん達が手を取ってくれなかったら……君が手を取ってくれるの?」

 

「自慢の姉さんだから心配しなくてもいいよ」

 

 そう言った彼は悲しそうに笑った。

 そこで手を取るようなら、既に助けているとでも言うように。

 

「じゃあさ、最後に1つだけ聞かせて。どうして、ここまでしておきながら他人に任せるの」

 

 イナバが手を出したから、彼も手を出してきた。

 楓ちゃん達が来てしまうから、ボクを動かした。

 あと1歩で解決しそうなのに、その1歩だけを踏み出さないように思えて。

 

「それは最高ではないから。ぼくにとっては最善でもいいことだけど、あなたにとっては最高でなくてはならない、とっても大事なことだから」

 

 胸の突き刺さるその言葉。ぼんやりしているボクでもすぐに理解できたその言葉。

 なんのことはない。どこまでも相手のことを考えた結果の行動だったのだ。

 ああ、ずるい。本当にずるい。

 

「それと、有耶無耶にしてもいいけど終わるまでには考えておいてね。ボクは君が失敗しないと確信しているから任せたんだよ?」

 

 どこまでが彼の想定していた通り道だったのだろうか。

 彼はけっして弱くない。むしろ、イナバよりも強いかもしれない。

 

「でも、約束の証に口づけしてもいいんだよ?」

 

 小悪魔のような唇が、そんな音を置いていく。

 次の瞬間には彼はいなくなっていて、代わりに訓練場の部屋と転がる4人と、余裕そうなアリサさんがいた。

 

「……時雨、少年にからかわれましたか? 顔が真っ赤ですよ」

 

 アリサさんから気の毒そうな顔と慰めるような声を向けられて、早く帰って寝てしまいたいと思ってしまう。

 疲れたし、誰にも気取られたくないし、なにより他の何かで上書きされたくない。いつか思い出して顔を赤くして、かわかわれたいと思っている。

 誰にって、それは当然……2人だけの秘密の時間だからね。


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