それが味の無い水のようで 2/2
皆で談笑していたところ突然、何かが空間から吐き出された。
それと同時に目を瞑り手で覆う。当然、両目を両手で。
そろそろかなとは思っていたけど、さすがにタイミングまではわからない。イナバを見ていればわかるかななんて思っていだけど、それを見越されたのか、イナバもたった今、知ったような反応を見せていた。
「ひゃぁ」
水が撒かれたような音と、少女のような声が耳を打つ。
「おお、水の滴る良い戦士」
アリサさんの小さな悲鳴に続くように、サリアさんの称えるような声音が静かな部屋に響き渡った。
状況は予測できている。予測できているから、手を離すわけにも目を開けるわけにもいかない。
「随分な出迎えですね」
「え、どうして?」
こめかみをぴくぴくさせているのが見えるような声がイナバに向かっていけば、サリアさんの不思議そうな声が聞こえた。
「どうしてって……まあ、不甲斐ない戦いだったのか?」
「いえ、十分に褒められる戦いでしたよ。そうでなければ貴重な解毒薬は使いませんから」
凛さん達には不甲斐ない戦いを見せたアリサさんに、頭を冷やせと水をぶっかける対応をしたように映ったのだろう。しかし直後、イナバの言葉でそれは否定された。
貴重度合いはわからないけど、イナバが貴重というほどだからかなり貴重なのだろう。どこで取ってきたのかアダマンタイト・ゴーレムからのドロップ素材程度ならば、気軽に渡すのだから。
「む、これは解毒薬なのですか? ですが……なんというか……他に方法はなかったの、です、か……」
アリサさんのしぼんでいく声に、気づいてしまったのだろうと確信する。
きっと身体にかけられた液体に視線を向け、濡れた衣服を見て、それが思考に浸透して。そんな場面が容易に想像できたのだから。
「手が影に寄せられていることには気づきましたか?」
「え、ええ」
イナバの真面目な声に答えるのは、少しだけ恥ずかしそうな声。向きがこちらに寄ってきている気がしたけど、気のせいにしておこう。
「それは情報毒の一種で、広がります。その程度で防げたのは僥倖と言えますが、受けてしまった以上、自然完治は望めません」
「……まずは感謝します。ありがとうございました。ところで魔法や飲み薬では対応できなかったのですか?」
アリサさんも予想できているのだろう、それはほぼほぼ諦めたような声で問いかけられた。
イナバが貴重と宣言したのだから魔法では無理か、あるいは間に合わないのだろう。ぼくがいる場所で恥ずかしさを煽るような場面にしたのだから、飲み薬では十分な効果が得られなかったのだろう。
イナバはいたずら好きではあるけど、いたずらを必要としているけど、これはいたずらにならない。相手が悲しんでしまうのだから。
「浴びた場所に最も強い効力を与えるべきですからね。飲んで待っていたら皮膚"だけ"が引き寄せられて……なんて可能性もありますよ?」
ひぃ、という小さな悲鳴が聞こえてきた。
実際のところわざと剥がれるのを待って治すという手段も、剥いで治すという手段もありそうだ。浸透し引き寄せられた先とどっちがいいのか、皮膚だけならば魔法や薬で治せる可能性を考えれば選択肢は決まっている気がする。
「……ありがとうございます」
濡れ透けかもしれない状況だというのに、立ち上がって綺麗な礼をしたのが音でわかる。
きっと真面目というよりかは礼儀の問題。それを前にすれば恥ずかしさ程度は捻じ曲げられるのが彼女なのだろう。
「それで、その……どうしましょうか。このままでは宿にすら帰れないのですが」
だから直後の恥ずかしさ満点の声に笑いそうになった。
これが日本とイギリスの差だと。どちらが良いかと問われれば、迷うことなく"あなたの現状"だと答えてしまうのだから。
まあ何も知らない、知ろうとしない、知っても何もできない民達には関係のない話であり、民達から見れば日本だと答えてくれるのだろう。
そう、頂点が望んだままに。
「というか少年。手で目を塞ぐ余裕があったのなら振り向いて外に出ていってくれると嬉しかったのですけど?」
ああ、ついに矛先がこちらに向いてしまった。
「こんなたのし……楽しそうな場面を聴き逃したくなかったから。ね?」
さすがに音が遮断されていては聴けないから。
「ね? ではありません。それに言い直そうとしたのに、そのままを言わないでください」
言い直そうとしたところも含めて1つのやり取りなのだから、言い直すなんてしない。そこは無駄ではなく、意味を持っているのだから。
「そういえばアリサさん、いつもと服装が違いますね」
魔物と戦いに行く前の服装だと、真っ白な貫頭衣だった。凛さん達が魔物と戦いに場所を転移する前はおしゃれな気がする真っ白なワンピースだった。
衣服などに無頓着なら気づかないかもしれない程度の差ではあるけど、凛さんが見逃すとは思えない。この世界なら、特に。
「これは戦闘用です。それよりも、どうしましょうか」
アリサさんは続くかもしれない質問をバッサリと断ち切るようにあっさりと告げ、話題を戻す。
まあ姉さんなら胸のワンポイント等から能力に辿り着けてしまうかもしれないのだから、しかたがないだろう。仲の良い相手だからとはいえ、仲が良い相手だからこそ、知っていてほしくないこともある。
そう。イナバも、ぼくも。
「う~ん、冒険譚の1ページみたいで憧れるな。強敵を倒して"無事"、帰ってきた戦士にポーションをぶっかけて。アリサさん、かっこいい」
あの日、彼女が語った王は何度、それを経験したのだろうか。
苦戦苦難を超えて帰ってきた冒険者だからこそ、心が踊る。勝てて当たり前、いつも通り過ぎる窮地など喜ばれるだけに過ぎない。
そして当たり前になった時、悩むのだろう。失くなった時、焦るのだろう。
「私は恥ずかしいのですが?」
まあサリアさんの世界の常識が、アルファ世界に通用するとは限らない。それにかっこいいと恥ずかしいは消しあわず、重なる状態なのだ。
「ぷぷっ」
「な、なぜ笑うのですか、少年!」
イナバと姉さんの、小さく楽しそうな笑い声が聞こえた。
姉さんはとっくの昔に知っているし、イナバが知らないはずはない。だから今のアリサさんに、日常に混ざれるアリサさんが嬉しくて、"それが"楽しくて笑ったのだろう。
この2人は本当によく似ている。
「いや、清潔魔法を使えばいいのになって」
「しかし、それでは解毒薬が消えてしまうかもしれません。よく知らない症状ですから油断はできないのです」
これが理解度の差だろう。
姉さんとぼくはイナバをよく知っているから、それが必要のない躊躇であると思っている。アリサさんはイナバをよく知らないから、明かされた知識を一部、読み取れていない。
「いえ。ぶっかけた時点で完治ですよ、完治。情報毒は干渉し難いですが、干渉さえできれば即座に治ります」
イナバが行ったことは解毒薬を患部に触れさせただけ。それ以外に何も行っていないのなら、それで十分な結果が得られるということだ。
不十分ならば忠告したり、動きを縛ったり、魔法を使えなくしたりと、なにかしらの動きが加わっていただろう。
「……それを始めに言ってほしかったです。少年、目を開けてもいいですよ」
予想通りの言葉に目を開けて手を退けてみれば、魔物を倒しに行く直前とあまり変わらぬアリサさんが、少しだけ耳を赤くしてこちらを見ていた。床はびっしょりだけど。
差といえば衣服のところどころが裂けている点だろうか。濡れ透けはダメで、僅かな部分とはいえ素肌が見えているこれは大丈夫なところに、アリサさんの恥ずかしさに対する認識が窺える気がした。
まあ、そんな姿を見ても本心から恥ずかしがってはあげられない。演技でよければ2人以外にはばれない程度のものができるだろうけど、それは必要とされていない。
「どうでしたか、アリサ」
「あれが街中に出たらと考えれば……震えますね」
そう言ったアリサさんは言葉通り、身体を震わせる。
実際に出たのだが、ここはアリサさんなりの考慮だろう。イナバが色々と隠していると、実力が高すぎると知られないようにと、そんな。
「らん……いえ、貴重な体験をありがとうございます」
やはりというか、アリサさんは綺麗なお辞儀を行う。ここに認識の違いが現れてしまう。
まあイナバが贈った相手はアリサさん個人なのだから、アリサさんがどう利用しようと好きにすればいいと思っている。
「昼寝は惜しかったですね」
「そうで……いえ、即断したはずですが?」
残念そうな顔の前半から、キリッとした後半はずるいと思う。今にも笑ってしまいそうなほどに。
「ええ、そうだった気がします。とりあえず忘れぬ内に情報をまとめることをお勧めしましょう」
「おっと、そうですね。新鮮な感覚を書き留めねば」
そう言ったアリサさんは部屋の隅に移動して座り、何もない空間を眺めながら指でなぞり始めた。
「さて、もうお昼をかなり過ぎていますから、帰ってご飯にしましょう」
「え、もうお昼過ぎてたの!?」
その言葉からも、姉さんには珍しく時間を把握していなかったことがわかる。
だから姉さんを1人にはしておけない。誰かが傍にいなかったら、ずっと落ち込んでいてしまう。何も食べずに、眠ることもせずに。
「あ、私には気にせず帰り昼食を食べてきてください」
アリサさんはそう言いながら姉さんに視線を向け、再び視線を戻して指を動かし始めた。
「まあ振り返りは大事だからな。楓、帰って準備をしていよう」
「いえ、あなた達も振り返ってください。食事の準備は私とユウで行います」
「むむ、たしかにその通りだ。ならば甘えさせてもらおうか」
凛さんがそう言えば皆が次々に同意を示し、部屋の外へと出ていく。
「じゃあぼくは残るから。姉さん、イナバとお昼ご飯をお願いね?」
「え、残るの?」
「この状態のアリサさんを1人で残すのも、ね」
「う~ん……まあいっか。じゃあイナバ、帰りましょう」
姉さんはそれだけを告げ、イナバの手を取って部屋の外へと移動し始める。
イナバも引かれる手に抵抗することなく足を進め、部屋を出る直前でこちらを振り向いて
「……まあ、それもいいですか」
そう呟いた。少しだけ困り顔で。
ずるかったかもしれないとは思うけど、結果は変わらない。イナバが折れてくれるから。
「少年、私は1人で大丈夫です。ここは安全なはずですし、そもそも襲われたところで返り討ちにできます」
「あいのこくはくのために残ったとは考えてくれないの?」
少しだけ声を震わせ、背を向けたまま問いかけてみる。
「こんな場所で?」
「2人きりの隔離された空間。1歩、外に出れば人々が往来する場所であり、足を進めればイナバや姉さんが待っている場所しかない。誰にも聞かれたくない告白をするなら、貴方だけに聞いてほしい言葉を伝えるのなら最適な場所だと思うよ」
嘘偽りなく、ここは大切な言葉を伝えるのに適した場所だ。
もっとも、最高の場所だとは思わないけど。
「……私は、あなたがよくわかりません」
止まった指と悲しそうな声が、俯いた彼女の気持ちを伝えてくるように思える。
赤い耳と高ぶったような声が、今の彼女の感情を伝えてくるようだ。
「では、誰ならわかるの?」
「……きっと誰もわからないのでしょうね。無駄な質問でした」
僅かに黙ったアリサさんはそう答えを出した。
そして普段通りの雰囲気に戻り、再び視線の先に集中して指を動かす。




