それが味の無い水のようで 1/2
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皆がアルファ世界のゲームについて話していたところ、入り口から1人の少女が入ってきた。
腰を撫でる夜空のような黒髪、光を受けて輝く黒曜のような瞳。低めの身長とスレンダーな身体をした、部屋着のまま飛び出てきたようなその少女。
ぼくの姉、楓は入り口から一歩だけ足を踏み入れて立ち止まる。
「えっと……あの……ごめんなさい!」
もじもじしていたかと思えば、勢い良く謝罪の言葉を口にして、勢い良く頭を下げた。そして恐る恐ると言った様子でゆっくりと頭を上げる。
そこで少し視線をずらして皆の表情を眺めてみれば、一様にぽか~んという擬音が似合いそうながらもそれぞれが違う表情を浮かべていて、思わず笑ってしまうそうになった。
「すまないが、なんの話だ?」
「え……その……場の雰囲気を乱したりとか……そんな感じの……」
凛さんが苦笑いで問いかければ、顔の前で指をもじもじとさせる姉さんが答える。
「君が謝るべきなのはこの場に居ないイナバであって、私達ではない。違うか?」
「で、でも……場の雰囲気を見出したのは事実だし……なにより凛ちゃんの大切な時間を奪ってしまったから」
凛さんが優しく諭すように問いかければ、答える姉さんはどんどんと俯いていく。
悔しそうな悔しそうなその声は今にも泣き出しそうなほど子供らしく。身体を震わせる様子はなんとも幼く見えて。
「安心してくれ。私の時間は奪われていないし、大切なひとときも失われていない。だからまずはイナバに謝ってきて、あとは皆にご飯でも奢ってくれればいい。そうだろう?」
そう言った凛さんが皆を見渡せば、視線を受けた誰もが頷く。
「そうですよ楓。私が普段、楓に聞いてもらっている愚痴と大差ないものです。今回は私が楓にではなく、楓が私達に、というだけのこと。気にする必要はありません」
「うん。楓は私の相談を聞いてくれる。それと一緒」
「そうだよ、楓ちゃん。思春期なんだから感情を爆発させたい時もあるよ。私なんてしょっちゅうだし」
「むしろ、そんな一面を見えてより仲良くなれるって思ったかな。ボクは」
皆が口々に優しい言葉をかけてくれる中、何も言っていないのはぼくだけだろう。部屋の外で待機している彼女とは既に話し合った後だろうから。
「み、皆……。えっと、ありがとう」
皆の言葉を受けて顔を上げた姉さんは少しだけ迷った後、ぎこちない笑顔でお礼を告げた。
受ける側には慣れていても、放る側には慣れていない姉さんなら上出来な結果だろうか。
「ああ。もうすぐイナバが帰ってくるだろうから、謝ればこの件は解決だ。そうしたらアリサさんを待って昼食にしよう。奢ってくれるのだろう?」
「あはは、お手柔らかに。それとイナバにはもう会ったから、話し終わったから、あとはアリサさんを待つだけだね」
「おや、会っていたのか」
そこで情報アクセサリーにより表示された仮想ウィンドウに、通信の許可画面が映し出される。それに許可を出し、一番に一言だけ『終わったよ』と告げた。
「ただいま戻りました」
そうすればイナバがタイミング良く部屋に入ってきて、何事も無かったかのように、床にシートを引いて透明なボトルに入ったジュースを並べ始める。
「おかえり」
迎えの言葉を伝えてから並べられたジュースへと視線を移してみれば、色とりどりの液体が迎えてくれた。赤に透明に緑に黄に……ちょっと迂闊には取りたくないラインナップだ。
「内容は言いません。さあ、選んでください」
並べ終えたイナバが顔を上げ、にっこりした表情でそう言った。
「……食欲をそそらない色があるようだが?」
1つ、2つ、3つ……合計8個。アリサさんの分は別にあるはずだから、最後に残ったものをイナバではなく姉さんが飲むと考えて……どれが外れだろうか。
「ええ、アルファ世界では見ない色かもしれませんね」
楽しそうに笑う顔よりも、弾んだ声から機嫌の良さがわかる。
この子がこんなにも嬉しそうにしてくれるのなら、ぼくも弱音を吐いてみたり、悩みを相談してみたりしようか……なんて。
「透明がマシな気がしますが……悩みます」
「……うん、私は青の飲み物を選ぶわ」
先陣を切ったのはサリアさん。伸ばされた手に青色の液体が入ったボトルが掴まれ、口に運ばれ添えられ……喉が動く。
「……美味しい!」
「まあ、この街で販売されているものですからね」
その言葉が皆に安堵の様子を与えたように見えた。それを証明するように皆が次々と手を伸ばす。
「なんだ、美味しいじゃないか」
「不思議な色合いに躊躇しましたが、特徴的な味というわけではないのですね」
「美味しい」
「見た目に反してスッキリしてるかな。うん、美味しい」
これで残るは3つ。
透明なものと、カラフルなものと、白いもの。
透明なものは境目すら見えず、本当に液体が入っているのか疑わしい。
カラフルなものは蛍光色で混ざり合っていない、様々な色の液体。
白いものは唯一、普通に見える。
さて、どれを選んだものか。
「私は最後でいいから」
不思議な液体達に視線を向けていれば、姉さんのそんな言葉が聞こえてきた。予想通りのそれに対して、こちらも用意していた言葉を放り投げる。
「じゃあ次はイナバだね」
「私が買ってきたものなので自分で選んでも楽しみがないのですが……そうだ。ユウが私のものも選んでください。それで解決ですね」
顎に手を当てて悩んでいたイナバが、名案を思いついたと言わんばかりにそう言った。
「じゃあ白いものをぼくが。透明なものをイナバに」
そう告げながら2つのボトルを手に取り、片方をイナバへと渡す。
これは姉さんの運試し。残されたそれが姉さんの気持ちを大きく左右する。イナバはそんなことを告げたはずだから。
「……これは牛乳?」
少しだけ恐る恐る、ごくごくと飲んでみれば飲みなれた牛乳のような味がした。
「あなたは平然と大当たりを引きますね」
イナバがジト目を向けてきて、そんなことを言う。
普通の牛乳にしか思えないが、どうやら大当たりらしい。くじ運の悪いぼくには珍しい結果だ。
「ちなみにこれが外れとも言うべき水です」
イナバがボトルを口につけて離した後、答えを示されてみれば後悔しかなかった。そう。まるであの子の生き方そのものを示しているようで。
だから、そんな後悔に少しだけでも抗ってみたいと思ってしまう。
「本当に? こっちもあげるから少し分けて」
「別にかまいませんが……本当に水ですよ?」
不思議そうな表情を浮かべたイナバがボトルを差し出してくる。代わりのボトルを渡して、それを受け取り、2つを交換する。
「……水だね。でもアルファのものよりも美味しい気がする」
「この街は良い位置にありますからね」
渡した牛乳を飲むイナバを見て、少しだけ心が落ち着いた。
きっとこれは自己満足なのだろう。それでも必要な自己満足なのだろう。
「……大当たりってどんな味なの? 少しくれないかな?」
「いいですが、ユウと間接キスですよ」
「……へ?」
イナバの返答に呆気な声で答えた時雨さんは、みるみる顔を赤くしていく。
普通の範囲内とはいえ、少々行き過ぎた反応だと思う。それでも純粋で、きっと誰もが欲しがってしまう反応の1つなのかもしれない。
「時雨さんは純粋だね」
「ち、違うよ! それにボクほど捻くれた子はそうそういないはずさ!」
そう言い終えた時雨さんはぷいっと顔を逸した。
無知という透明ではなく、真っ黒であろうと真っ白であろうと染まらない色。完全な褒め言葉のつもりで言ったのだけど、伝わらないことも予想できていた。
「かんせつきす?」
「魔力渡しのようなものです」
「ああ~……やっぱり時雨ちゃんは可愛いな~」
イナバの言葉で理解できたのか、サリアさんはそう言いながら両手を頬に当てて破顔した。
まあ"純粋"に憧れる気持ちはわかってしまう。ぼくも純粋な少女に心を揺らされてしまっているのだから。
普通の幸せを生きるなら"行き過ぎた純粋"なんて害にしかならないのだけど、時雨さんはどちらに足を進めるだろうか。いくら素質が強くてもたった1つの出来事があれば傾けることはできてしまうから、まだどちらにも進むことができてしまう。
「そ、それよりも楓ちゃんがまだ飲んでない……ね……」
姉さんが手に持つ、カラフルな液体が詰まったボトルを見てしまえば、言葉もたたらを踏もうというものだ。
「か、楓ちゃん。無理しなくていいからね?」
一転、時雨さんは直前の言葉を翻し、言葉と動きで静止を伝えた。
でも姉さんが躊躇している理由はそれじゃない。イナバが用意したものなのだから、危険かどうかなんて考えていない。味が酷かろうが飲み干すだろう。
「ううん、飲むよ。飲むから」
心配してくれた時雨さんに、姉さんの辛そうな笑顔が向けられる。
イナバも凛さんも静かに見守るだけ。翠さんも葵さんも心配そうに見守るだけ。
「それはきっと、一番の大当たりだよ」
イナバは1つ、嘘にも似た誘導をした。
そしてイナバの性格を考えれば、姉さんが手に持つあれに大当たりなどという評価をつけるはずがない。あれの評価は"未評価"あるいは"上出来"だろうか。
驚いたような表情を浮かべた姉さんがこちらを見てきたので笑顔を返しておく。
絶対に言わないが、姉さんとイナバのやり取りに混ざりたかったのだ。まあ絶対に言わないが。
「……ああ、そういうこと」
姉さんの驚愕もひとときのこと。すぐに納得したような様子で呟き、ボトルを口に触れさせる。そして喉を動かせば――当然のように笑顔が咲いた。
「美味しい」
ああ、杜撰で素敵な占いだ。
ぼくにはできない、輝くものだ。
「え、美味しいの? ……って、あれ。色が変わってる?」
その言葉に、ボトルへと視線を向けてみればたしかに色が変わっていた。
赤にも橙にも、黄色にも見える、まあ姉さんにピッタリともいえる色に。
「シャッフルジュース?」
「いえ、固定です。初めて口をつけた相手に合わせて色や味を変える、まあ宴会芸の道具ですか」
一瞬だけ照れ隠しかと思ったけど、イナバの様子を見る限り本当に宴会芸用の道具として作ったものだとわかった。まあ笑顔を生むという意味合いにおいてはどちらも違いはないのかもしれない。
「それは楽しそうだな。ちなみに何味だったんだい?」
「……内緒」
凛さんの興味深そうな問いに、姉さんは僅かな間を置いてそう言った。微かに、子供らしく笑いながら。
ああ、もう本当にずるい。出会って2ヶ月も経過していないというのに、たとえ何かしらの知識を持ったままだったとしても、あれを引き出せるなんて……さすがとしか言いようがない。
だから惜しくなってしまう。なぜ3ヶ月しかないのかと。
だからちょっとずるを考えてしまった。3ヶ月を引き延ばそうと。途切れ目すら許さず引き延ばそうと。
「……そうか」
凛さんは納得したような、諦めたように目を伏せて呟き
「ちなみにどこに売っているんだい?」
普段通りの声音でイナバに問いかけた。
「……もう無いです。ええ、これが最後で無くなりました」
「もしかして露店のものだったか。それは残念だ」
そう言った凛さんは言葉とは裏腹に気にしていない様子で話を終えたように見えるが、内心は言葉通りに項垂れているのだろう。
本当にもやもやする。くすんだ純粋は。それも悪意のないくすみかただから、より一層。
でもぼくはなにもできない。"最善なんて要らない"から。




