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影魚 2/2

 何度かの食いつきを避けてみれば、あの1度を除いて衝撃をうけることはなかった。

 ただ1つ言えることは、後ろに護るべき地があれば滅びていただろうということ。それを考えれば悔しさに歯を食いしばるしかない。

 

「……"既に負けた"のですから、焦る必要はありませんね」

 

 女性は立ち止まり、手を握り込み、悔しさに溢れる声でそう呟いた。

 負けを認めてしまえば空転していた思考が一掃される。新たな思考が縛られることなく自由に動き出す。

 

「まずはヒントを探しましょう」

 

 言葉は思考に整理をつけるため。魔物にそれを理解することはできないのだから、口を噤む必要ない。

 

「まずあの2人の様子から容易く対処できたことは間違いない。それは知識さえあれば、弱いとはいえ同種の魔物相手を手玉に取ることができるということ。室内という狭い場所で少年を護りながら対処できたのならば、動かさない方法すらあるはず」

 

 街の内部に魔物が出るはずがないという先入観が邪魔をして、女性は"室内"という場所を失念していた。

 女性は少年の部屋を訪れたことはないが、兎の部屋は訪れたことがある。同じ階の連なる廊下に面しているのだから大きな差はないと予測をつけて考えを進める。

 18畳と1人で使うには少々広くありそうな部屋ではあったが、今の戦いのように動き回れるほど広くはない。女性ならば一足で端から端まで移動できる程度の距離だ。

 魔物の大きさはわからないが部屋よりは小さいだろう。仮に部屋の半分ほどの大きさだったとすればどうやって移動を制限したかだ。

 

 迫り来る影魚から離れつつ考えを進める。

 

 今回のように影が出現したと考えて、そこから移動させないようにした。炙ったというヒントから光を当て、有効そうなダメージは確認できたが……と、女性はそこまで考えて思考の隅に何かが引っかかるのを感じた。

 

「一字一句、思い出すのです。大丈夫、覚えているはずですから」

 

 迫る魔物から目を逸らすことなく、自分を落ち着けるための言葉を呟く。

 ……、……、……!

 

 あと少しで辿り着けたはずなのだが、魔物の強い咆哮により思考は強制的に中断された。それどころか思わず耳を塞ぎかけてしまったほどだ。

 しかたなくといった気持ちで魔物へと集中すれば、顔だけを出しているそれが空高く高くへ向かうように跳び上がっていた。

 これは1度だけ見た、女性が空高くで盾を掲げていた時の攻撃だ。

 しかし、なぜこれを今。そんなことを考えながらも魔物と地面に生まれた隙間を潜ろうとして――吹き飛ばされた。

 体当たりを避ける時は離れるよりもすれ違った方が、次の行動に繋げやすい。近接戦闘を主とする女性は普段通り、それに従っただけだったのだが結果は地面をえぐりながら砂煙をあげている。

 空を歩くことが危険と考えてすれ違わなかったのだが、それは功を成していたのかもしれないと思いつつ、地面に剣を突き刺して急制動かける。

 衝撃によるダメージは少ないのだが、それは盾の範囲内にいる間だけ。そこから少しでも出れば痛みに動けなくなる可能性すらある。そのため女性にとって盾の範囲から出ないことは最優先に考えるべきことなのだ。

 

 ようやく止まったところで顔を上げて魔物を確認してみれば、また潜る場面だった。

 そう、目前で。

 

「……そうでしたか」

 

 女性は1つの結論に辿り着いた。

 あれは影の魔物。魔物の影は、魔物自体でもある。

 空に浮かぶあれも影であれば、それによって発生した影もまた魔物である。

 だから影にぶつかってしまったのだ。女性の影が。

 

「……っ! 思い出しました!」

 

 少し興奮気味の声が、思考の隅で存在を主張していた記憶への到着を告げる。

『影に住み着いてきましたから』

 兎の影に住み着いた魔物。そこから逃さないように炙った。

 女性の中で1つの仮説が手を挙げる。

『実は1つの影にしか存在できないのではないか』と。

 

 影から影に移ることはできても、それは何かしらの条件がある。

 光によって影が炙られる、つまり消滅していく。

 最後まで逃げ道が無ければ消え去るだけ。

 

 まあそれがわかったところで良い案などないのだが、1歩でも前進できたというのは心に光を灯してくれる。

 ついでに思い出した『少し膨れた』という言葉は忘れておく。女性の目に映るあれが"少し"というのならば、あれ以上に膨れ上がるということだ。そして、それを知っているということだ。

 そこまで考えてしまった女性は頭を振って考えを1つ振り落とし、仮説へと思考を戻す。

 戻そうとするが、戻らない。いや、次の案が出なかったから別の話題に移っていたのだと女性は気づいた。

 

 影魚は影に潜り出てこない。あれが出てきて、もう1度あの攻撃を行うまでに考え終えなければならない。

 こんな時に相談できる相手がいればと泣き言を吐きたくなるが、吐いたところで誰も来てはくれないだろう。

 何か会話にヒントがなかったか思い出そうとしてみるが、なにも気づくことはできない。

 それでは目の前の魔物からと意識を"より"向けても、変わらず影に潜ったままだ。

 猶予があるのは嬉しいがと思った女性は直後、後ろに飛ぼうとしたが一瞬だけ遅かった。

 気づけば再び身体が吹き飛んでいた。

 

 1度、2度、3度……何度も身体に衝撃が走る。

 まずい、まずいと思考が埋まっていくのを感じる。

 

 たしかに決定打となるダメージは受けないが、不動で受けられるわけではない。

 上に逃げようと横に跳ぼうと前に進もうと影と影が接触する限りは衝撃を受け続けるだろう。そして相手は超巨大な影を持つ魔物なのだ。

 だから逃げられない。

 当然、助けてくれる仲間はいない。そもそも今の状況を解決できる仲間がいないかもしれない。

 

 と、同時に女性は別の焦りも感じていた。

 たしかに決定打となるダメージは受けないが、ダメージを負わないわけではない。たとえ1のダメージであろうと、どんどん蓄積していくのだ。

 盾の加護により常時回復しているとはいえ、女性はその限界を知らない。それでもエネルギーを消費していることは知っているので、いつかは最後がくるのだろう。

 

 そこまで思考が埋まれば、1歩2歩と死が近づいてくるのを実感する。

 突然の理不尽な死ではないく、突然な当然の死でもなく、当然なゆったりとした死。それは迫ってくる脅威を待つしかない、恐怖に身体を震わせる死。

 

 そこまで思考を埋められた女性は、つい笑ってしまった。

 やけに冷静になった頭が直前のやり取りを、それも今の状況で思い出しても無駄な部分を思い出す。そして思うのだ。

 

『ああ、違うな』と。

 求めていたのはあちらであり、これではないと。

 

 僅かな時間を笑って過ごした女性は盾を強く握る。そして呟くのだ。舌を噛みそうな状況であっても呟くのだ。

 

「アイギス」と。

 

 小さく強い呟きに盾は答える。

 人のみも隠せぬ大きさの盾は、迫る闇を振り払うように身体を輝かせた。入り組んだ裏路地にすら一片の影も許さぬように、照らすべき天から影作る雲を取り払うように。

 

 女性の身体を襲っていた衝撃の連打が消える。

 痛む身体をなんとか動かして立ち上がってみれば、綺麗な……とは言い難いが、自然な影だけが存在する森だった場所が広がっていた。

 

「ははは。やっぱり相性は最高でしたか」

 

 なにせ対策も何も思いつかなかった状況から生き残れたのだから。

 勝ち負けでいえば『負け』なのだが、生き残れたことを考えれば負けではない。現実であれば負けだが、訓練であれば勝ちだろう。

 

「まあ、せっかく少年とのお昼寝を諦めたのですから、情報程度は持って帰らないと」

 

 そう言い清々しく笑う女性は、直後に動きを止めた。表情を笑顔のまま固めた。

 そして呟くのだ。

 

「負けていれば……いえ、さすがにあちらは冗談でしょう」

 

 女性が浮かべた表情を見られたものは誰もいない。

 1人だけの戦場の、ただ1人の勝者なのだから。


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