影魚 1/2
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兎に誘われた陽が溢れる森の中。名だけしか知らない魔物の討伐を目指す女性が1人。
まずは魔物を探すことからと腰を撫でる長い金髪を揺らし、碧い瞳で抜けなく周囲を見渡していれば、すぐに顔の向きは固定される。
「隠れるタイプだと思っていたのですが……」
それは木々を取り込むような大きな影であった。
陽が差し込んでいるはずの場所に広がる真っ暗な『黒』であった。
呆れたような口ぶりとは違い、油断はしない。
女性は目前の影を注意深く見つめながらも、同時に手に持つ剣と盾を少しだけ強く握り込んでその存在を確認する。
魔物討伐に挑む装備といえば武器と鎧と。
女性も例に漏れず愛剣と愛盾は持っていたが、身体を纏うのは鎧と呼ぶには少々頼りないものだった。
その見た目は膝丈の純白なワンピースであり、特徴といえるものは左の胸部分に刺繍された梟のような動物だけだろうか。それも白色であり、見逃してしまうかもしれないものだ。
そして、その両手に夏の田舎にでも出かけるような衣服には似合わぬ剣と盾。
黄金色に輝く長剣と、白銀色に輝く盾。
それだけが彼女の装備だった。
「6は力押しでいけましたが、果たして」
そう呟いた女性が影に向かって剣を振り下ろせば、切っ先から光の刃が伸びて影を切り裂いた。
そのはずだった。
しかし光が消えても影は変わらぬ形を示している。
「まあ容易くはいきませんよね。あの兎娘が対価として認めたのですから、価値があるものに違いない」
これで終わるようならば価値はない。
ランク8というのは飾りであり、国を恐怖に陥れるような存在ではない。
むしろ勝てない存在に近いほうが価値があると彼女は思う。
それでも勝てる存在であれと彼女は願う。
「……とりあえず切り込んでみましょうか。私は深く考えるのが苦手なのです」
僅かに体を屈め、巨大な影へ向かって飛び出した。
まずは通り道で一斬り。斬り込んだことで速度を低下することは恐れず、むしろそうあれば楽だと考えながらの攻撃だったが、予想通り斬った感触はない。影どころか、それに覆われているはずの土の感触すらも。
そのことに落胆する暇もなく目的地の大木へ着地し、盾を僅か真上に放り投げつつ木の枝に捕まる。
さすがの彼女も不用心に、影に踏み入ることはしない。手を付けることもしない。触れることすらしない。最悪の場合は捨ててもよい、加護を受けた剣だけを触れさせた。
「……面倒なものはついていませんね。案外、脳筋な魔物なのでしょうか」
女性は剣を素早く眺め、悪影響に侵されていないことを確認する。
下位の魔物になるが、血が酸に似た特性を持っている魔物を見たことがある。聞いた話になるが、魔物の周囲で揺らめく陽炎が『火』をエンチャントしてくるらしい。
一見、有利に見えるエンチャントであっても、その魔物にとっては餌でしかない。それ以降の攻撃すべてが魔物を回復させてしまうことになる。
真っ暗な影が何を及ぼしてくるか予想もできないが、そういった可能性から確認しておく必要があった。
しかし何にも侵されないのならば、気兼ねなく殴ることもできる。
ひとまず安堵した女性は次の足場に飛び移ろうとして、直感的に来た方向へと跳んだ。全力で。
次の瞬間、彼女の後ろは影に覆われていた。真下から生えてきた魚の口のような影が、その一帯を飲み込んだのだ。
地面に着地した彼女が追随してきた盾を手に持ち振り返れば、魚の頭部分に光を当てたような"影が"天に向かって生えている景色だけが見えていた。
もし予定通りの木に跳び移っていればあれに飲み込まれていただろうと思えば、背に冷や汗を感じてしまう。
「ああ、それで"影魚"ですか」
あの魔物は影の海に潜む魚であると、結論づけた。
しかしわかってしまえば対処は容易い。けっして避けられない攻撃ではないし、飛び退く際に攻撃する余裕もある。
問題はどれほどの頻度で姿を現すかだが……まあ時間は十分にある。背後に護るべき場所もないのだから、死んでも問題のない訓練場なのだから、存分に待ち受けることができる。
再び影の海に沈みゆく魔物を見ながら、そんなことを考えていた。
甘かった。
自らを釣り餌にしておびき出せば、などという考えは慢心でしかなかった。
魔物の本体は斬り裂けたが、代わりに腕を飲まれた。身体にも衣服にも傷1つないが違和感を感じる。
間違いなく何かに侵されている。
「……さすがランク8といったところですか」
見上げた先では斬り裂いた部位が逆戻しのようにくっついていき、何事も無かったかのように影の海へと戻る魔物がいた。
十分に余裕を見たはずの攻撃タイミングは崩され、本体と考えていた魚の姿さえも間違いだったのかもしれない。そのうえ振り出しに戻っただけではなく、こちらはなにかの影響を受けている。
側近であり友でもある女性がランク7が限界ですと言っていたが、実は自分もそうかもしれないと思ってしまった。
そもそもランク7より上の魔物自体が珍しいのだ。
他の世界では国すら崩す可能性を秘めた魔物とさえ言われているのだから、そうそう現れるものでもない。しかし実際に相対してみれば国を崩すというのも納得できる何かがあった。僅かな時間で実感してしまった。
この盾に護られた身体に影響を与えるほどの侵食なのだから、一般人ではひとたまりもないだろう。
この大きさなのだから小さな街程度は飲み込めるだろう。
しかし影から出てくるまでは何もできない。影から出てきても対処できない。ただ迫りくる影を認め、逃げ切るしか手段はないのだろうか。
女性は訓練で良かったと思いながらも、次の対策を考える。
ゆっくりと移動する影を注視しながら合わせて移動すること数分、腕の違和感の正体がわかった。
影に寄せられている。僅かだが影に、おそらくその中に寄せられている。
飲み込まれた先に何があるかわからないが一瞬、飲み込まれただけですらこれなのだ。寄せられる中心へと到達すればどうなってしまうのだろうか。
多少の重力ならば耐えられるし逃れられるのだが、この魔物からも逃れられるとは思っていない。
なにより逃げることはできない。本来ならば後ろには護るべき場所があるのだから。
だから最低でも自分1人で足止め可能な、最終的には彼女以外でも安定して撃破できるだけの情報と戦略を得ておきたい。
あとは……
「ふふ」
直前の会話を思い出して笑ってしまう。
あれは焼いたら香ばしい匂いがするらしいので、勝者へ振る舞う肴としてもいいかもしれない。
まあそのためにはドロップ条件を満たさなければいけないが、それが叶うほどの対応ができるようになればいい。そこまでしてようやく、安心して暮らすことができるのかもしれない。
「……焼く、ですか」
もう1つ、そのやり取りで倒し方のヒントは得られていた。
少しではなく意味がわからないが、部屋に置いておける程度のランプで倒せるらしい。つまりランプで焼くことができるのだ。
そこまで考えたところで女性は口元に笑みを浮かべた。
仮に光に弱いのであれば、自分は相性が良いのではないかと。
まだ窮地にすら陥っていないのに折れそうになっていた心を昂ぶらせ、支えていく。
友がいないどころか誰もいない状況、ここまで不安が強くなるとは思ってもみなかったと思えば、遥か昔を思い出して小さく笑う。
「これを倒すことで慢心を払拭したことにしましょうか」
そして「まずは」と呟き、身体を一回転させるように剣を振るった。
そのままでは何も斬れなかったはずのそれも、剣の切っ先から伸びた光の刃があれば付近一帯、もしかしたら森全体へと切断の脅威を与える。
そして僅かな時間が経過すれば、その脅威が事実であるというように視界中の木々が次々と倒れていった。
「木々は飲み込まれない、ですか」
とうぜん影魚のうえに存在する木々も倒れていったが女性のように飲まれることはなく、下にあるはずの地面へとその側面を触れさせるだけ。
飲み込まれる条件があるのか、飲む相手を振り分けているのか。
女性はおそらく後者だろうと予測をつける。
それもそのはず、木々の一部はもともと影の上にあったのだから。切り離されたからといって変わるものでもないだろう。
「まあ、これで遮るものはなくなりましたね」
にやりと笑った女性は腰を落とし、次の瞬間には空高くに跳び上がっていた。
そして大地に広がる影と太陽の間に、掲げるようにして盾を持ち上げる。
「***************」
口から放たれた言葉は自動翻訳されないもの。
魔法詠唱と似た意味合いを持つ儀式の一種ともいえるそれは、訳すとすれば『依代の剣よ、我が身に光の力を授けたまえ』だろうか。
女性自身が意味合いをよく理解していない。与えられたものをそのまま使っているにすぎないのだから。
「さあ、美味しく焼けなさい」
その言葉とともに女性の掲げる盾から虹のようなベールが広がる。
そして影すらも超えて空を覆い、降り注ぐ太陽の光を変色させた。
突然、空気が大きく振動した。狼の遠吠えを思わせるそれは大地から、正確には影から発せられている。
影のところどころから煙をあげている様子からも考えて、初めて影響のあるダメージを与えられたのだろう。
そこまで考えた女性が身構えれば、予想通り影から顔を出した魚が煙に負けずと空を目指して伸びてくる。2度の食いつきをよりも速いそれに対して、女性は"地上と同じように"後ろへ飛びのいて対応した。
目の前に魚の目が迫ってくる。大きな体も迫ってくる。それでも女性に触れることはできない。
最高点で空を食べた魚はそのまま降下していく。
その際に女性はようやく魔物の全身を見ることができたのだが、顔だけでなく全身が魚であった。本当に大きく黒いだけの魚。魚のシルエットである。
そして攻撃の空振りに僅かな時間を見つけて地上へと視線を向ければ、影が小さくなっていた。倒れる木々の影は存在せず、あるのは魚の影と女性の影だけ。
それを見て影に所有権のようなものがあり、所有権のない影を自在に取り込むのだろうかと考えを及ばせていたところで――女性は吹き飛んだ。
理解が追いつかなくとも身体に刻まれた経験が対応する。
空を踏み、空を掴み、遠くへ離れようとする身体をその場に留めおく。盾の範囲から出ないようにと。
どうにか勢いを止め、酸素を取り戻すように息を吸い込む。
同時に魔物の姿を視線を巡らせれば、大地の影に再び潜む様子だけが見えた。
女性の思考が空転する。
確かに避けたはず。それでも衝撃を受け、吹き飛ばされ。
直前の様子を思い出そうにも、そんな時間はない。
影魚は再び海面に姿を現しており、距離は先程よりも近い。すぐさま避けに移らなければ避けられないどころか、あの真っ暗闇だけが広がる口に飲み込まれてしまう。
だから再び後方に跳び、迫る口からなんとか逃れ……今度はなんともなかった。
着"空"しても足を止めず、さらにさらにと離れていく。今、判明していることは近寄れば攻撃を受けたという事実だけだ。




