不思議な噂話 1/1
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通称『始まりの街』のとある建物のとある一室。少しの棚に大きめの机と椅子だけがあるその場所には2人の女性だけがいた。
「長様、少しお耳に入れたい噂が」
机の前に立つ女性はそう言って綺麗に腰を折り頭を下げる。
金髪の髪は肩下で揺れ、翡翠色の瞳は床を向き。頭頂から覗く髪と同色の狐のような耳を、己が長と認めた相手に向け。最後に髪と同色の狐のようなもふもふとした尻尾が僅かに持ち上げる。
「おぬしが確認もせず、噂程度でとは珍しいのう」
金髪の女性に応えたのは机を挟んで反対側の椅子に座る少女のような存在。
闇夜のような黒い髪と黒い瞳。身体を包むのも真っ黒な着物。そして小学生程度の座高をした女性は、先に赤い下駄を覗かせた足を宙に放り投げている。
しかしながら、金髪の女性と比較してすら永い時を生きている彼女を少女と呼ぶものは、少なくともこの場所にはいない。
「私では少々確認が難しく思いまして」
「ぬしが難しいとはのう」
黒髪の長は足をゆらゆらと揺らして、世間話のような雰囲気で問い返した。
そんな様子を感じ取ってか一瞬だけ口を噤みかけた金髪の女性だが、すぐに口を開く。これはこの方にとって重要な事だろうからと。どのような想いがあっても隠すべきではないと。
「人間界にて、勇者が魔王に成ったと」
「詳しく聞かせい」
金髪の女性の言葉を聞いた黒髪の長は雰囲気を一転させ、厳かなものへと変えた。
その一言にすら恐怖を感じられるそれだが、目の前で報告を始める女性は躓くことなく口を開く。
「本当に小耳に挟んだ程度でして、これ以上は。ですが秘匿されるはずの勇者の存在を知っているのであれば調べる価値はあるかと」
「当然、美波は教えぬだろうな。まず勇者が誰だか私も知らんから、他の界長に聞いてものう……」
黒髪の長はそう言って、自らの手で開き閉じを繰り返す扇子を見つめる。
それが数度、繰り返された時、金髪の女性が口を開く。
「酒呑様や天狐様に聞いてみますか?」
黒髪の長はその言葉を聞いて扇子を動かす手を止め女性に視線を移したが、すぐに首を振った。
「天狐に聞いても真実かわからん。酒呑に聞くには、残念だが良い酒がないのう」
「私から天狐様に聞きましょうか?」
「かまわんて。私怨ならば私が調べるのが当然、あとは任せい。ぬしはその噂を届けてくれただけで十分じゃて」
厳かな雰囲気から一転、穏やかな雰囲気となった黒髪の長は情報をもたらしてくれた部下に柔らかな言葉を送った。
「そうですか。それでも調べますけどね」
しかし黒髪の長の言葉を飲み込んだ金髪の女性は淡々と否を突きつける。
それを聞き終えた黒髪の長が嬉しそうに微笑んだ。まるで予定調和と言わんばかりに合間なく。
「すまんのう。ところでその噂を発していたのは誰じゃ? そこから何かわかるかも知れぬからの」
「はい、可愛い少女でした」
にっこりとそう答えた金髪の女性を見て、黒髪の長は呆れた表情を浮かべた。
「ぬしのう……もう少し何かあるじゃろ?」
「あれ……」
「ぬ、どうした?」
自分でも驚いたというような顔の金髪の女性に対して、黒髪の長は違和感を感じて間を置かず声をかけた。
「いえ、思い出せないのです。たしかに可愛い少女だったと思うんですが、特徴が何1つ思い出せないのです」
「おいおい、まさかぬしが化かされたと? 幻想に対する耐性は私よりも上だろうて」
首を傾げた金髪の女性を見て、黒髪の長は焦りが混じったような驚きを露わにする。
狐という種族もあるが、それを抜きにしても圧倒的な耐性を持っていると評価していた。その彼女が化かされたのだから、黒髪の長であれば間違いなく騙される。
それこそ、よほど相性が良くない限りは。
「いえ……そもそも何も認識していないような、そんな感じです」
手で顎を触れて考え込んでいた金髪の女性はそう結論を出した。納得してはいないが、それが一番近いという結論を。
「場所は?」
「共通領域サカフィの露店道です」
はっきりと覚えているが、その少女に関する部分だけがはっきりしない。靄がかかっているというよりかは、靄で作られていると言ったほうがしっくりくるような感覚が金髪の女性を襲っていた。
「あそこか~……。アリサは違うとして、まさか白精霊のところか? いや、美波と仲が良かったからないかのう? 他に誰かおらなんだのか?」
金髪の女性はその問いに対し、記憶を鮮明に思い出すためにじっくりと考えてから口を開く。
「ちょうど路地を見た時に聞いたのですが、往来は活発であれど他の者は見聞きしていなかった様子でした。少女も1人でしたし」
「ぬし、独り言を噂と判断したのか?」
「何を言っているのですか? あれはどう考えても噂……あれ、独り言?」
今まで冷静さを保っていた金髪の女性も、ついに頭を抱えて悩みだした。
自分1人で完結する思考ならば違和感はなかったのだが、黒髪の長の問いを聞いていけば違和感しか存在しないとわかったのだから。
「……上位のサトリか?」
「いえ、私は最上位のサトリ相手でも認識間違いを起こしませんでしたよ?」
金髪の女性は混乱したままの頭で、ただ事実だけを答えた。
「あやつらは全力を隠すぞ。それに最上位のサトリといえば天狐が化かされたことが有名だが?」
「私は天狐様よりも幻想耐性が上でして……」
そう言った金髪の女性は、あははと苦そうに笑う。
「そうだったのか。まあこの仮想世界はいまだ多くが未知の領域。私等が知らぬことも多かろうて。ぬしが見たそれも少女どころか人型ですらなかったのかもしれんな」
ここで終わりだと告げるような黒髪の長の様子と言葉に
「……妖族に敵対する相手でしょうか?」
金髪の女性は不安そうな表情を浮かべて問いかけた。
「気にするな。それが事実であれかまわぬこと。その判断は私がくだすものだからの」
長の様子を見て取り乱していた頭の中を真っ白にできた金髪の女性は、部屋に入った時と変わらぬ様子で口を開く。
「不安定な情報を申し訳ありません」
そして、それだけを告げて深く頭を下げた。
これは謝罪ではなく、感心。改めてその偉大さを実感したことに対する礼。
「ぬしが認識できなかった情報をもたらす相手、それも良い情報になろう。それとぬしはここで手を引いておけ。残りは私が調べておくからの」
そう言われ"頭を撫でられれば"、それ以上、踏み込むことはしない。
何度も繰り返されてきたそれは評価なのだ。行いに対して終了と良し悪しを告げる行為なのだ。
「はい」
だから金髪の女性が口にできるのはそれだけだった。
それでもいつも通り頬は緩んでいて、それを見た黒髪の長も少しだけ微笑む。
「それでは失礼します、大天狗様」
顔を上げて宙に浮く黒髪の長『大天狗』にお辞儀をし、振り返ってドアへと足を進める。
「金狐、今日は下の者に経験を積ませてやれ」
ドアを閉める直前、金髪の女性『金弧』にはそんな言葉が聞こえた。
つまりは今日は休めと言っているのだが、これは聞こえなかったと言えば従う必要はない。それは過去に大天狗自身がそう宣言した。
同じ場所に在らぬ時の言葉なぞ、私の言葉ではないかもしれぬと。
そしてどちらの選択をしても大天狗は変わらず迎えてくれる。だから下の者はつい頑張って、次は指示として『休め』と声に出されることも多い。
(まあ大半の尻拭いは私がするのですが)
金狐は失敗した多くの結果を思い出し、つい小さく笑ってしまった。
誰もが"今の"金狐のように適切な判断ができるというわけではない。ゆえに失敗も多く、その尻拭いはうえの役目でもある。それができなければ"うえ"など務まらない。
強いだけでなく憧れにもなれる者こそが、"うえ"である。
と、金狐は考えていても当然、定まったものではない。ゆえに他人に押し付けたりはしないが、あの天狐ですら当てはまっているのだから間違ってはいないだろうと思ってはいる。
(それにしても、今日のお暇は何をしましょうかね)
自室へと足を進めながら金狐は考えを巡らせる。
今の間で既に指示は出し終えている。この世界に来た時、情報アクセサリー万歳と思ったものだ。なにせ念話を使えない離れた位置にいる相手にすら言葉を伝えられるのだから。
(……そうだ。新しくできた領土の長に会ってきましょうか。なんでも美波さんのお気に入りらしいですから、繋がりを持っておくのは悪くない。そのあとにお気に入りのあの店でご飯にしましょう)
そう決めた金狐は部屋へと戻り、ラフな格好へと着替える。
そして目的地へ向けて領土館の門を跨いだ。




