じゃれあい 1/1
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「そうだ、記帳しよう」
真後ろから女性の声が聞こえる。それもそのはず、その女性『ローズ』さんの膝の上に座っているのだから。
背中が少し押され、両隣から伸びる腕が立て掛けてあった冊子を手に取った。
太陽のような橙色の表紙を開いてみれば白いページが姿を現したが、その中で3つだけ赤で埋まっている場所がある。自動翻訳から外れたそれらはきっと文字の塊であり、痛々しい赤ではなく生命力溢れるような赤で記されていた。
再び背中が押されて、左側の腕がテーブルに置かれていた赤色の筆を手に取る。
「どこにしようかな、と」
ローズさんはそんなことを言いながら既に描かれていた文字達を赤い毛先ですりすりと撫で回す。
「おや、あの娘からのプレゼントですか。それなのに3番目とはどういうことです?」
「ほら、あの娘は友人というよりも娘じゃないか。これはあの娘から送られた『友人帳』だ」
いずれは同じ舞台に立ってみせるからと、足りない今から記してある。そういうことなのだろう。
「どうしようかの~っと」
その声は、その動きはなんだか嬉しそうで。まるで誰かの反応を窺うように思えた。
「急かすわけではありませんが、そろそろイザナミ達が出てくるのでは?」
「む、もうそんな時間か」
声だけでわかる。今のイナバはいたずら兎の顔をしていることだろう。
それでも真面目なこの人には伝わっていない。いたずらは両者が楽しめてこそだから、失敗だ。
「とりあえず、ここにしておくかの」
右手で2個目から下が隠され、それがすっと下に移動する。そうすれば文字が追従するように移動したのか満たされていた場所に空白ができ、今度はそこに筆が走る。
さきほどまで紙面を撫でていたはずの筆だが、今は赤い軌跡を残していた。特殊な筆……ではなく、彼女の能力だろう。
それは数文字だけ書いたところで動きを止める。
「真名は……教えてくれんか」
「教えないね」
もしかしたらと聞かれた言葉を一刀両断する。
知りたければ調べればいい。イナバ相手にすらそれを貫いているのだから、教えようとは思えない。
「それでは『ユウ』だな」
当然のように知られていた名前を告げられ、筆は再び動き出し赤い軌跡を描いていく。
そしてきゅっと締められたそれは一瞬だけ輝きを放ち、他の文字達と同様に紙へと馴染んだように思えた。
「これでよし。いつでも湯に浸かりに来るといい。ただし同行者は事前に伝えてくれ」
そんな嬉しそうな声が降ってくる。
筆を置いた手が冊子を手に取り、それももとの位置へと戻していく。それを終えれば再びぼくのお腹の位置で手を交差させて、番台から外を眺める。
隣の椅子にはイナバが座っていて、来るかもしれない待ち人の来訪を待つだけの時間。きっとこの時間がこのうえなく愛おしいのだろう。
今回はそこにぼくが加わっただけ。一歩、間違えばこんな未来もあるのかもしれない。
からから、ぴしゃ。
静かな時間を満喫していれば、女と描かれた垂れ幕の方から扉を開ける音が聞こえた。
そちらを向いてみれば綺麗な黒髪を腰まで流している女性の、吸い込まれるような黒い瞳と目があった。そして嬉しそうな微笑みが向けられて、次の瞬間には崩れ去る。というか消え去った。
「どういうつもりかしら、ローズ」
番台の真正面、玄関側から聞こえたその声は、最近になってよく聞くようになった声。日本で多くの人が神やイザナミと呼ぶ、その人のもの。
「友を膝に乗せて問題が?」
声のしたそちらに向き直れば、こめかみをピクピクとさせている美波さんがいた。その手に槍を持って。
海色と沼色を混ぜたような色のその槍は珍しい形をしている。柄の先端が円の皿で終えられて、その先に槍先が3本、取り付けられているような形状をしており、槍先よりも柄の方が太いのだ。
「いつ友になったのよ」
「今しがただ。今や記帳も済ませたほどの友よ」
美波さんの問いかけに、ローズさんが満足気に告げる。
「……それならいいわ。よもや可愛いから連れ帰り束縛しようとしているのかと思ったものだから」
「ははは、よもや私のほうが"先"であったかな?」
「ははは」
美波さんのこめかみは再びぴくぴくしているが、笑顔のままだ。
どうして知っていたのか、ここまで予想できたのかは知らないけど、イナバはここまで予想していたのだろう。だから意地っ張りの彼女に、美波さんが出てくると"束縛"を告げた。
まあ気づいても気づかなくても、彼女は結局このやり取りを求めていたのだろうと思う。
「子供を盾にするなんて、どうかと思うわよ?」
「子供に槍を向けるなど、どうかと思うぞ」
こんなに楽しそうな美波さんを見たのは初めてかも知れない。そう思えば自然と頬が緩んでくる。
「……なにやってるんですか、美波」
このままにらみ合って膠着状態に入るかとも思ったけど、新たな声によって2人の力が抜けたのがわかる。
そちらに視線を向けてみれば浴衣を着て片手にフルーツ牛乳を持ったアリサさんが、2人に呆れ顔を向けていた。
「……時間切れ、ということね。今日は引き分けにしておいてあげるわ」
「どう見ても汝の負けであろう」
視界に隅に諦めた表情と、にやりとした表情が見える気がする。
しかし、それよりぼくも飲み物がほしい。男湯には置いてなかったはずだ。
「えっと、初めましてですね。アルファ世界のアリサです。本日は良いお湯をいただき、ありがとうございます」
そう言ったアリサさんが綺麗にお辞儀する。
「ああ、初めましてだな。エプシロン世界のローズだ」
軽く頭を下げたその姿にはイザナミ様に見せたような無邪気さはなく、あげられたその顔には見守るような微笑みがあった。
彼女は区切られた線のあちら側。唯一、あの冊子の一番下の名を持つ人物だけが境界線の上……とまではいかず、そこに足をかけていて両方の顔を向けられるのだろう。
「かたっくるしい挨拶はやめておいてください。アリサは別として、ここは本来、互いを知らずとも同じ湯で語る場所ですから」
そう言ったイナバの視線はアリサさんがいましがた出てきた場所、女の垂れ幕へと向けられていた。その言葉を聞いてか、6人の少女が垂れ幕を割って出てくる。
そのうち5人が口を開くべきか開かないべきかと佇む中、1人の少女が口を開く。
「それじゃあ、お言葉に甘えて。私が楓。そちらから見て右に凛ちゃん、翠ちゃん、葵ちゃん、時雨ちゃん、サリアちゃんよ。良いお湯をありがとう、ローズさん」
「ほう、これはこれは。お嬢さん方、私はローズ。エプシロンのローズだ。飲み物はどうだったかぜひ聞かせて欲しいな」
そう言ってローズさんは"おもちゃを見つけた大人"のように笑う。それでも慈愛に満ちたような笑顔に見えるのは、彼女の性格ゆえだろう。
「お、美味しかったです」
「私としてはもう少し種類がほしいかと。味はとても良かったです」
「暖かいのもほしいけど、美味しかった」
「私は満足できた」
「あれは中に持って入って飲んでも良かったのかな?」
真っ先に時雨さん。そして翠さん、葵さん、凛さん、サリアさんの順で答えが紡がれた。
時雨さんとサリアさんは別として、他の3人は姉さんを見て対応を決めたように思える。普段から頼りきるのはよくないと思うけど、こういう大切な場面で信じ合える仲なのはとても羨ましいかもしれない。
「いや、中では冷える飲み物は提供しかねるよ。熱燗なども準備しているが、まあ未成年ばかりだったからね」
「あら、未成年に見えるほど若く見えるってこと?」
「まあ歳にしては若く見えるな。ああ、歳にしてはな」
再び2人は笑顔で睨み合う。それを見て姉さんとサリアさんを除く全員が、おどおどした様子を見せ始めた。
一応は日本の神を相手に挑発しているようなものだから、恐怖があるのだろう。それほどに"実際にあったお伽噺"は恐怖を心に刻む。
「じゃれあいは次の機会に、2人きりの時にでもしてください。後ろの子達が怖がっていますよ」
イナバが放ったその言葉でイザナミ様がしまったという表情を浮かべた。しかしそれも一瞬のこと、すぐに笑顔を浮かべて後ろに振り返る。
「本気じゃないから安心してちょうだい。私もこの街でどんぱちするほど恐れ知らずじゃないから」
そしてうふふ、と笑い話であることを示すように袖で口を隠す。
世界の国々に勝てたとしても、それはアルファ世界に限った話。異世界も含まれるここでは上もいるということだろう。たとえ届かなくても数がいれば届くこともある。
それに、この街という居場所は失いたくないものだろうから。
「いざ「それであなたは自己紹介をしてくれないの?」」
時雨さんの言葉を遮るようにイザナミ様が告げた。
その視線の先はぼくの横に座る少女か、あるいはぼく自身か。きっと答えるのならばどちらでもいいのだろう。
「初めまして、日本の神イザナミ。私は今回のゲームで、隣りに座るユウに召喚されたイナバです」
立ち上がったイナバはそう言い終え、綺麗にお辞儀をした。
「初めまして、私は美波よ」
そこで一旦区切ったイザナミ様は軽くお辞儀をし、再び口を開く。
「神とは言われているけど、たいしたことはないわ。それよりも気になることがあるのだけど」
「イザナミ様。それはイナバに聞くべきことではありませんよね」
イザナミ様の言葉を受け入れようとしていたイナバを止めるように、そう告げた。
イナバとの約束通り、煩わしい背景を切り取るために。
「……たしかにそうね。聞くべき相手はイナバちゃんではなくて、ローズかしら」
少しだけこちらを見つめたイザナミ様は諦めたように口を開いた。
そのローズさんが答えてくれないと知っているからこそ、皆がいるこの場で聞こうとしたのだろうから。
「ところでローズさん。どうしてユウが膝の上に座っているんですか?」
イザナミ様の問いが一段落ついたと判断した姉さんの質問は、イザナミ様が槍を向ける前に聞くべきことだったと思うものだ。
「友となったのでな」
「っ! ユウを友と認めたの?」
ローズさんの答えに反応したのは質問した姉さんではなく、イザナミ様。
その驚きの表情が疑問を含むものに変われば、ローズさんから答えが告げられる。
「記帳も行った友だ。私がそれだけの価値を認めた」
最初に告げたはずのそれを繰り返す。
「……そう。それはとても嬉しいわ」
少しだけローズさんの目を見つめたイザナミ様は自然な笑顔を浮かべてそう言った。
それを見えたのはローズさんと、その友と認められた2人だけ。後ろの皆は見えていない。
だから知れないのだろう、彼女がこれほどまでに自然と笑えることを。その笑顔がとてもとても美しく愛おしいものであるということを。
「なんだ、良い笑顔ができるではないですか」
隣で小さく呟かれた言葉はイザナミ様には届かないだろう。
だから聞こえた2人だけが、釣られて嬉しそうに微笑む。
「たしか私を含めて3人しか記帳してないっていってたわよね。だったら4人目、ということになるのかしら?」
「そうなるな。まさかこの短期間にこれほど増えるとは思ってもいなかった。やはり世界は広く、面白いものだな」
たしかに世界は広く面白い。ぼくも今ならそう思える。いや、実感できる。
それを与えてくれた少女へと視線を向けてみれば、その少女はローズさんを心配そうに見ていた。多くの人を騙せるほどの表情の仮面にその事実を隠して。
でも甘いと言わざる得ない。
ぼくに気づかれるのは前提で動いていると思うけど、もう1人だけ気づけてしまっている。きっとそれは予想していなかった人物で、当然そうあるべき人物。
だからイナバが気づけない。それほどにローズさんと、新たな友であるイザナミ様に集中しているのだから。
「そうね」
同意するように自然と呟いたイザナミ様は、ここではない時間を見ているように虚空に視線を向けていた。
それをいつか誰かに話すことはあるのだろうか。それとも胸の内にしまったままにしてしまうのだろうか。
「まあ今日のところは帰るわ。領土長って面倒なのよ」
「それは汝が面倒にしているだけでだろうに。まあ、疲れたらいつでも来るといい。私はここで待っているよ」
「ええ、そうさせてもらうわ。それじゃあ、またね」
「ああ、またな」
軽く手を振りあったイザナミ様は玄関へと足を進め、その姿を消した。
なぜか同行者のアリサさんを残して。
「……あなた達は私の知らない美波を知っているのですね」
小さく呟かれたそれは誰に届いたのだろうか。
その言葉がイザナミ様の、美波さんの『友』の意味を重くする。
「さて、そこで固まっておる汝らも、もう帰るのであろう? 友たちどちらかの同行という制限がついてしまうが、いつでも来るといい。先程の案は早速取り入れさせてもらうから、次は楽しみにしておるとよいぞ」
そう告げたローズさんはふふっと不敵に笑う。
そうすればそれが合図となったように皆が動き出した。
「そうしたら私も帰りますか。ほら、ユウを離しなさい」
「嫌だと言ったら?」
「そのまま帰るだけですが」
きっとつまらないといった表情を浮かべているであろうローズさんが、しぶしぶぼくを抱きかかえる手を離した。
実際のところイナバはぼくを拘束する趣味はないし、そんな性格でもないので言葉通りそのまま帰るだろう。ローズさんはそれがわかるからこそ、手を離すしかなかった。
うん、常識がある人だから。
「それじゃあ、また来るね」
番台を出て振り向いて、それだけを告げて。ペコリとお辞儀をして静かに出ていった皆に続き、イナバと並んで外に出る。
本当はもう少しだけ話していてもよかったのだけど、それこそ何日か泊まりで話していてもよかったのだけど、タイミングが悪かった。
イナバに手伝ってもらうのだから妥協は許せないし、なにより時間があまりない。
だから、また今度ゆっくりと話しにこよう。イナバと2人で。




