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温泉 4/4

 からからからから、ぴしゃ。

 今度は寝ぼけていない頭で音を受け取った。おそらく予想していた来客が到着したのだろう。

 

「おや、兎の主殿も呼ばれていた……なぜ兎殿がこちらへ?」

 

 湯けむりの奥から現れたのは身体の一部が鮮やかな青色をした鱗に包まれた、立派な尻尾と翼を持つ人物。最初のチェスゲームで一緒だった竜人族の青年。

 その時と変わらぬ様子でも服装は違い、今は腰にタオルを巻いている。

 後半の若干、震える声を聞いて視線を追ってみれば、そこには湯桶に張られたお湯に浸かる真っ白な兎がいた。

 気づけば抱きしめてくれていた暖かさは消えていたし、背を受けてくれるのもも固い感触に変わっていたからイナバが移動したのは知っていたけど、まさか桶風呂とは。

 桶に被さるようなタオルが身体を隠しているとはいっても女性の身体。人族しかいないアルファ世界なら可愛い兎で問題なかったかもしれないけど、他の世界ではこの反応が普通なのだろう。

 

「従魔が召喚主の近くにいるのは当然だと思いませんか?」

 

「精霊魔法とは違う、人と変わらぬ自我を有していると聞き及んでいますが?」

 

 視線を交わす2人の間の言葉が途切れた。

 一見、譲ってくれそうな性格をしている彼でも、秩序の種族としては譲れないのだろう。

 

「管理人さんが見逃しているのだから、あなたも見逃して欲しいな」

 

「……そうであったな。しかし男女で垂れ幕が分かれていたのだから、そのようなルールだと思ったのだが……違うのだろうか?」

 

 納得した様子の彼は足を進め、ゆっくりと湯船へ入りながら尋ねてきた。

 

「申し訳ありません。私が我が儘を言ってこちらに入る許可をもらいました。あなたの判断は間違っていませんので、安心してください」

 

 そう言ったイナバは器用にタオルで身体を隠しながら、桶の上に立ってペコリと頭を下げた。そして再び桶の湯に浸かる体勢へと戻る。

 

「そうであったか。私も長の紹介で今日初めて来たのでな、ルールを把握していないのだ」

 

「ここはそういう面倒なことは気にしなくていいですよ。『相手を傷つけない』という1つのルールさえ守っておけば、喧嘩しようがいちゃつこうが自由です」

 

 友と入るための温泉。

 だから相手を傷つけるなどありえなく、自由でいればいい。

 

「大雑把な。だが、それもいい」

 

 竜人族の青年は満足そうに、溜まっていた何かを吐くようにそう言った。

 色々と疲れていたのだろう。だから、ここを紹介されたのだろう。

 

「エルフの彼とは仲良くしていますか?」

 

「話してみれば師匠が知り合いだったようでな。あちらでも会ってみることになった」

 

「それはそれは」

 

 イナバは口元に手をやり、楽しそうに笑う。

 旅先での出会いにも似たような何かが居所へ繋がる。違う世界で生まれた者達には得られないそれが、"酷く"輝いて見える。

 

「そうだ、兎の主殿に聞きたいことがあったのだが……かまわないか?」

 

 イナバに向いていた顔がこちらを向き、少しだけ心配そうに問いてきた。

 長い話ではないのだろうけど、彼にはぼく達がいつから浸かっていたかなんてわからない。そのうえひ弱そうなぼくだからこそ、気にかけてくれたのだろう。

 

「まだのぼせないからね、大丈夫だよ」

 

「そうであるか。それならば途中であっても退席してくれて構わないから聞いてほしい」

 

 竜人族の青年はそこで改めてぼくの顔色を見てくる。

 ……もしかしたら、ちょっと顔色が赤いのかもしれない。まあ肌が白いこともあってより赤く見えるだけだよ、多分ね。

 

「アルファ世界の者達と交流していて思うのだが、名前を無警戒に教えているのが気になっている。何度か問いかけたこともあるのだが、皆それが普通だと答えるのだ。むしろ、なぜこちらが隠すのかと」

 

「それが常識だからってこともあるけど……相手をより知るためにも、相手をより呼ぶためにも名前は知りたいでしょう?」

 

 なにより名前を呼んでほしい相手ほど、知っていて貰いたい。

 

「それではなぜ、貴方達は名乗らなかったのだ? そこがずっと疑問だった」

 

 最初に出会ったアルファ世界の住人がぼくだからこその疑問。

 でも、その答えは1つ前の答えに含まれている。とても口に出して言えないような答えが。

 

「私が常識を教えていたからですよ。あのような状況でしたから、別の常識など考えるよりも今の問題を解決すべきだと判断しました」

 

 どうやって答えようかと考え始めれば、間もなくイナバが答えてくれた。

 

「そうであったのか。やはり貴方達は特別だと考えておいたほうが良さそうだな」

 

「その程度で特別と考えるのはやめておいたほうがいいですよ。前の参加者……1陣と2陣でしたか。その方達を前にすれば、吹けば飛ぶ程度のものですから」

 

「たしかに。我らが里の長でさえ2陣の最上位に食い込めなかったようだからな。まったく、世界は広いものだ」

 

 竜人族の青年は笑いながら満足そうにそう語った。

 自らの種族の長が届かぬというのに笑えるとは、どうにも面白い青年だと思う。まあいずれ超える壁の高さなど関係ないのかもしれない。

 

「それは2陣の上位に食い込めたということ。誇っても良いことですよ」

 

「なに。世界最高の種族と謳われていようとその程度だったと気を引き締め直しただけだ」

 

 これが差なのだろう。もう1つの竜人族との差なのだろう。

 機会はあったはずなのに、長だけは変われたというのに。その差が楽しくてつい笑ってしまう。

 

「む、おかしかっただろうか?」

 

「同じ名を持つ種族なのに、どこで差がついたのかなって思ったら、ついね」

 

 その言葉を告げれば、竜人族の青年が顔を歪めた。

 

「よもや同じなの種族があのような者達だとは……。あれがすべてで無いことを願いたい」

 

「どこでもイレギュラーは発生しますよ。貴方達の種族にもあちらに寄った存在がいるでしょう?」

 

「まあ、否定はしない」

 

 どのような善にも1粒の悪は要る。

 それは決して恒久的に排除してはならない要素の1つ。恒久的に排除できない要素の1つ。

 ただ願うなら、"そんな"悪も幸せであれ。

 

「イナバ、そろそろ上がろうか。長湯をしてしまうと姉さんが飛び込んでくるから」

 

「それは……もしかして、のぼせて助けられたことがありますか?」

 

「……気のせいだよ」

 

 昔々、ずっと昔に何度か。

 静かなお風呂は考えるのに適しているから、つい長湯してしまう時がある。

 

 イナバの桶を手繰り寄せ、抱えて湯船から外に出る。

 

「それではお先に失礼するね……そうだ」

 

 そこで振り向いて竜人族の青年へと向く。

 

「ぼくの名前はユウだよ」

 

「私はイナバです」

 

 それだけを言い残して浴場を後にする。

 彼になら名を呼んでもらっても嬉しいと思えたから。

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