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チェス盤の上で 2/x

 周囲の様子を見続けながら空中に文字を描きます。

 

『そういえば、その右手の指輪は――』

 

 伝えようとした言葉は飛び出したユウの身体が通過することで霧散します。もう役目は終えたので必要ありませんから。

 パサァ、と微かにそんな音がしましたが、目を瞑っている私には何も見えません。暗闇を眺める中、ユウに抱きかかえられている身体が再び大きく揺れたのを感じました。

 同時に抱きしめられている腕が両腕から片腕になったのを感触から予想します。

 

「イナバ、なんで目を瞑っているの?」

 

 静かで陽気そうでありながら、背筋が震えるような声が耳に届きました。穏やかな時間を"満喫するために"目を瞑っていたというのに、なぜ怒っているのやら。ああ、楽しいです。

 しかしながら、このままではユウの体力がなくなり少々望まない状況に陥る可能性がありますので、しぶしぶ、ゆっくりと目を開けて現状を確認します。

 私を抱きかかえたユウの身体は目を瞑る直前にいた場所からは移動しており、背もたれにしていた木から少しだけ離れた場所で立っていました。

 視線を周囲に向ければ特に変わった様子は見受けられません。木から飛び出したユウが着地したであろう場所、今の直前にいたであろう場所に透明なスライムがいる程度です。

 

「イナバ。あれが身体に触れたと思うのだけど問題はないかな?」

 

 透明なスライムをたしかに捉えているユウの視線。そこにいると確信している様子から推測します。

 きっと間に合わなかったのでしょうね、と。

 

『あれは装着品を溶かすスライムです。装着品以外であれば装着者どころか、衣服であろうと一切危害を加えない魔物です』

 

「溶かされたんだけど?」

 

 その言葉に視線をユウの腰辺りに向けてみれば、一箇所を手で抑えているではありませんか。

 手に隠された奥から覗く肌色はその箇所に衣服が存在しないことを示していますが、幸い左脇腹あたりが手でギリギリお負えない程度に溶けているだけなので行動に大きな問題はないでしょう。

 しかし手を離せばずり落ちてしまうかもしれません。両手が使えたほうがマシだと判断してユウの腕から抜け出します。

 

「驚いてないよね?」

 

 隠そうともしないひんやりとしたユウの声を背に受けながら、近くの木の枝に向かって跳びはねます。

 そして、その枝を足場に地面へと飛び跳ねればポキリと音を立てて枝が木から離れました。見事、着地したすぐそばに落ちてきた枝を手に取り、地面へと突き立てて引きずり始めます。

 その頃には視界の隅でユウがゆっくりと後ろへ足を動かし始めたのが見え、私が地面に線を引く中ユウのそれは速まっていき、ついには振り向いて駆け足へと移り変わりました。とうぜん左手は腰でスカートを抑えています。

 両手に持っている枝が折れないようにと注意しながらも、意識はユウから離しません。

 変わらず左手は腰部分に空いているだろう衣服の穴を塞いで、というよりかはスカートがずり落ちないように抑えており、時折スカートの各位置を抑えるように動く右手は心なしかひらめくスカートの動きを制御しているようにも思えます。

 そして、なんと顔が僅かに赤みをおびたのです。やりました。

 

「い、いなば。そろ、そろ……体力が……限界なんだけど……」

 

 少し期待しましたが、やはりこの子は体力がない。この様子ではあの子達も――そこで考えを区切り、空中に文字を描きます。息を切らしながらもフォームを崩さず、むしろ余裕すら感じさせる走りを見せるユウに見えるような位置へと。

 

『振り切るようにこちらへ』

 

 直後、こちらにむかって跳ぶユウの姿が見えました。

 私から付かず離れずの位置を走っていたのが幸いしたのでしょう。大した距離を跳んでいなくともすぐそばで見事な前転をする姿が見えました。

 その様子を横目に地面に手を当てれば、輝き始めた魔法陣が不可視の防壁で私達2人を囲み、あの子を追いかけ回していたスライム"達"を阻む城壁となります。

 透明なスライム達に着色すれば、さぞ面白い壁がみえることでしょう。

 

「あり、がとう……イナバ」

 

 いまだに乱れた息を整えるように肩を上下させているユウの姿を見て少し考えてしまいます。少し無茶をさせてしまったかもしれないと。

 確認と今後のためにもと面倒な作業を挟みましたが、はたしてこの子にここまでさせる価値があったのだろうかと。

 

 

「ごめんね、イナバ。ぼくに体力がなくて」

 

 そんな私の考えを察したのか、ユウは微笑んでそう言いました。

 そんなものは必要でしょうか。普通の生活をおくることができるのならば魔物から逃げるような体力は必要ないのです。

 魔物がいない、サリアが平和と称した世界から来た子供に、同年代の子供よりも遥かに弱い身体を持つ子供なら、ここまでできれば十分なのです。

 やはり出現直後に消滅させたほうが良かったのかも――

 

「大丈夫」

 

 そんな言葉とともに暖かな感触が私を包みます。

 

「イナバの判断はきっと間違っていない。事実ぼくは被害を受けてないし、あの魔物達も足止めできた。その先も、まだ何かあるんだよね。それなら得ばっかりじゃないか」

 

 弾むような、嬉しそうな声で。

 なんで、こう……本当にずるいですね。

 たしかにユウの衣服と体力以外に被害はないですし、そのおかげで貴重な高ランクの魔物の情報体が収集できます。このあと、この世界を歩くというのなら資金が必要となるでしょうから、どうしても足りなかった時に足しになればと思い確保しようと考えていました。

 でも、それだけなのです。

 どうしても資金が必要ならば、この子に囮のような役割をさせない方法もあったのです。それでもこの子ならできると考えて、実際にできて、それが嬉しくて。

 そう、どうしてもこの子があの子であると"認めたくて"。私の選択は間違っていなかったと、信じたくて。

 

「ところでイナバ、あの魔物って倒せないの?」

 

 くるっと私をスライム壁に向けたユウが尋ねてきました。

 半分が地面に埋まっている球状の障壁の地上部分、そのすべてを覆う程度はいるでしょうか。今回はそれなりの量が出現しましたが、それでも今、障壁を解除したところでユウが素っ裸になる程度であり、少し待てば消滅していくでしょう。覆われていても呼吸はできますので死ぬことはありません。

 多少、それ以降の行動に制限がつきそうですが、解決することも十分に可能でしょう。

 それでは倒せるかどうか、です。

 

 そもそも、この魔物は強くありません。少し特殊な方法が必要になりますが、それこそサリアですら倒せます。

 しかし、それでも強力な魔物であり危険度の高い高ランクに位置づけられていた魔物でもあります。それはなぜか、単純に脅威となりえるからです。

 まず1つ、離れた位置にいた魔物を把握できていたユウですら接近され纏わりつかれたこと。そしてもう1つ、装着品を溶かすという無二の能力。それが脅威のすべてといえます。

 このスライムは突然現れます。

 空間から染み出してくるように、兆候すらなくすぐそばに出現するのです。海の中であろうと、溶岩の中であろうと、宇宙空間であろうと。

 そして今回は衣服を溶かすことしかしていませんが、このスライムが溶かすのは装着品です。

 布であろうと、金属であろうと、ダイヤであろうと、木材であろうと、魔法金属であろうと、魔法繊維であろうと、情報物質であろうと、武器や防具、兵装を溶かされるのです。

 その場所で行動するために必要なものですら溶かすため、即死と同等の働きをすることすらあります。

 このたった2つの特徴が、『服だけを溶かす都合の良いスライム』を高ランクに引き上げているのです。逆にいえば何も装着していない状態……たとえば裸であれば無害な存在です。

 そのため装備を必要としない強力な身体や固有能力を持つ種族であれば、たいした脅威とはなりえません。

 

 ここで今回の状況にあてはめてみましょう。

 ユウは魔物と戦うのに必要な装備を持たず、私は可愛い兎なので装備がない。唯一の例外として情報アクセサリーは溶かされません。スライムが進化していなければ、の話ですが。

 そのため悪くともユウが恥かしい思いをするだけの存在となります。

 それではなぜ、私はユウを走らせたのか。私ではなくユウを狙わせていたのか。その答えを空中に描きます。

 

『一定時間、狙われた状態を維持しないと情報体が回収できないのです』

 

 別に魔法陣を描く時間を稼いでもらったのではありません。あれに追いかけられていても魔法陣程度は描くことができます。

 最初に食べられた装着品の主であるユウが狙われ続けていることが必要だったので、逃げてもらっていたのです。

 

「……ねえ、もしかして服の端っこでもよかったんじゃないかな?」

 

 再びくるっと回された私を、笑顔のユウが待ち構えていました。

 そこまで説明したつもりはないのですが、相変わらず察しが良い。たしかにスライムを蹴り飛ばして落下位置を変える程度のことはできたでしょう。

 しかし、それは身体が自由な状況での話です。

 

『抱きしめられていて動けなかったのですよ』

 

「う……」

 

 勝ちました。ぐうの音もでないとはこのことでしょうか。空中に描かれた文字を見たユウは続く言葉を紡げない様子です。

 ですが、まあ、たとえば私を抱きしめていたのが他の誰かなら……きっと……。

 

「どこかで服を買えるといいな……」

 

 再びくるっと回された私の背後から、そんな呟きが聞こえてきました。少し恥ずかしそうに、僅かに嬉しそうに。

 その様子を見て思うのです。パンツとスカートを再展開できることは黙っておきましょう、と。

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