ex-if『英雄』03
軽快な打音が聞こえなくなった。雷が止んだ。空を覆う翼が落ちた。最期に大地を揺らす音が身体を揺らした。
「止まるな!」「止まらないでください!」
僅かな間だけ身体を止めてウミナリがいる方角を見ようとした皆々を、2つの声が動かす。皆は思い出したように目の前のアダマンタイト・ゴーレムへと視線を向け直し、1人も倒れることなく戦闘を再開した。
そこまでを確認して凛は再び考える。自分がどう動くべきかを。
ウミナリが倒れたことは明白で、隠すことすらできず広まってしまっている。その目で確認はしていないが、誰の口からも漏れ出ていないが、皆の動きが証明してしまった。
この場にいる大勢がそれを想像したのだと。
もし誰かの口から問われれば、誰も否定できないだろう。否定してくれる音はもう聞こえないのだから。
唯一の救いといえばいまだ動かないアダマンタイト・ゴーレムの壁。それはひとえにウミナリの"生存だけ"を伝えてくれている。そう、生存だけを。
ウミナリは負けたのだ。
ウミナリが消えればあの壁は外を向くだろう。その残された時間で外側の対処を終え、準備を整え……と、そこまで考えた凛は頭を振った。
疲れ切った身体で、疲弊した精神で、より多くの数を相手にできるかと考えれば首を横に振るしかない。今は余裕を見せている凛とて数体を相手にするのがやっとであり、ウミナリのように数十体を相手にしてはすぐに終わってしまうだろう。凛にはウミナリのような頑丈な身体がないのだから、避けきれなかった一撃で終わってしまうのだ。
そのうえ核を壊す手段がない。一応は試したのだが、核は刀を完全に拒んだ。斬れる斬れないではなく、刀が届かないのだからどうしようもない。
魔法組に任せようにも魔力が足りるのかという疑問が残ってしまう。
核を破壊するには大規模な魔法である必要があり、それは魔力を多量に消費すると聞いている。凛も魔法を教えてもらったので1つくらいは破壊できるかもしれないが、その直後には尻もちをつく有様だ。それならば魔法は使わずターゲットになり続けたほうが役に立てる。
1つ、また1つとゴーレム達が消えていくのを視界に収めながらも、どうすれば勝てるか思い浮かばない。一応は壁が動き出したら対応するために留まっているのだが、それもじきに必要なくなる。
そこで違う発想を求めて、優秀な親友ならばどうするかと考えてみた。
葵ならば徐々に数を減らして地道に勝ちに行くだろう。しかし……数を減らすだけの余裕はない。それが叶うならば凛が何かをしなくても勝てるはずだ。
翠ならば1度退き、準備を整えてから挑むだろう。退く程度の場所と僅かな時間はあるが……準備を整えるのは難しいかと別の考えに移る。
楓ならば……きっと思い浮かばないような方法で勝ってしまうのだろう。そう考え、凛は小さく笑ってしまった。
どうするかは思い浮かばないというのに勝つという結果は容易に想像できるのだから、面白いものだ。しかしここに楓はいない。凛だけがいる。
再び違う発想を求めて、ここに来て知り合った友人……とは違うが、なんだか気を許せる相手がどうするかを考えてみた。
一切の魔物に勝てない、チュートリアルのラビットにすら負けてしまった彼ならばどう戦うだろうか……などと、凛にはわかるはずもないのだ。
出会って数日の彼がどうするかなどわからない。当然だろう。
だから彼に訪ねた言葉を……思い出す。
『……凛さん』
『なんだい?』
『悩むのは良いけどさ、寝る前のベットの上とかにしたほうが良いよ?』
『……っ!? す、すまない!』
『まあ気にしていないから落ち着いて。それで、何を悩んでいるの?』
『……もし英雄が倒れた時、それでも先に進みたければ何をすれば良いのかとな』
『繰り返せばいいよ。目的地に辿り着くまで繰り返せば、そこが終着点になる』
『……よくわからないな』
『うんうん、それでいいと思うよ。これは理解してはいけない類の言葉だからね』
『それでも君は教えてくれるのだな』
『理解できないのなら教えてはいないかな? まあぼくはそろそろ出るね。ちょっと目を瞑っててくれると嬉しいな』
『あ、ああ』
イナバがどうやってか設置した部屋の中の個室での会話。凛は顔を真っ赤にしながらも、目を瞑り暗い中でその言葉の意味を考えていた。
結局、その夜も考えたが答えは出ていない。まさに今を恐れて聞いてしまった問いだというのに、今こそ答えが欲しいというのに、その答えは出ていない。
気になっていたのは繰り返しても目的地に辿り着けると言ってくれなかった箇所。終着点と別の言葉を使った意味。
周囲のアダマンタイト・ゴーレムが消え、残るアダマンタイト・ゴーレムへ向かう皆に合わせて移動する。壁と皆の間を遮り、他の他の皆と合流して戦い始めれば再び考え始めた。
繰り返す、繰り返す。何度もそれを呟き……最後の1体の核が見えた時、凛はついに到達してしまった。
ああ、そうか。英雄が倒れたのならば別の英雄が立てばいいのだと。それで英雄がいないという状況を英雄がいるという状況に置き換えられるのだから、それを繰り返せば進み続けられる。
それを理解した時、凛は鞘を握っていた手から力を抜き、存在を確認するように軽く握った。
「聞いて欲しい」
アダマンタイト・ゴーレムの壁だけが残る場所は静かで、凛の声がよく通る。
「あれらが動き出したら、私が突入して注意を引きつける」
凛に皆の視線が集まる。合流を繰り返して皆は一箇所に集まっていて、そのすべての目が凛へと向けられる。それらの瞳は決心の色と、恐怖の色で揺れている。皆を見渡した凛にはそう見えていた。
そこで微笑んだ凛は告げるのだ。
「その間、君達には生きていてほしい」
決心の色は揺れ、恐怖の色に希望が見えた。
「そうしてくれなければ今にも逃げてしまいそうなほど、私は弱い」
逃げて何が悪いのかと。そうしなければ死ぬだけだと。
あの竜人族が負けてしまったのだから、弱い自分達では敵うはずがないと。
「そしてもし私が倒れた時、君達に勝利を見せることができたのなら……君達の命を懸けて救ってほしい」
そう言った凛の浮かべた戦場の中央で健気に咲く花のようだった。
その場にいた誰もが、状況すら忘れて見惚れてしまうほど"望んでいた"ものだった。
その言葉が終えられると同時にゴーレム達が動き出した。まるで英雄の卵が割れるのを待っていたかのように、新たに生まれた脅威を認識したように。
皆の返答を待たずして少女は振り返る。そして飛び出すのだ、ゴーレム達の真っ只中に。
その豪腕が振るわれれば飛び散りそうな少女は、しかし躊躇することなく駆け出してゴーレムの壁の中に身を隠す。
大地が抉られる音が耳を打つ、金属が衝突し擦れる音に顔をしかめる。時折、きぃん、きぃんと今にも刀が折れそうな音が響き渡るが、それは終わらない。刀は折れていないと皆に告げるが如く。
そして皆が"約束通り"見守る中、壁の中から少女が飛び出してきた。その手には複数の核が握られていて、多くの者が放り投げられたそれを見上げる中、1つの魔法が撃ち抜いた。
誰が放った魔法かはわからない。それは天から落ちてきた雷だったのだから。それでもその1人は諦めることなく、備えていたことになる。たとえ即座に打ち出せる魔法だったとしても、皆の目には準備していたように映った。
その様子を見た凛は微かに笑い、再び壁の中に飛び込む。
それが何度か繰り返された時には頬に、顔に、手に傷が刻まれていたが致命傷とは思えぬ小さなもの。豪腕を避けることはできても、大地から跳ね上げられた石礫を避けるほどの余裕は無いと知れたものは少ない。
それが何度か繰り返された時には動きが鈍っていて、壁を超えた直後に足をもつれさえ転びそうになっていた。しかし転ぶことなく、再び核を放り投げて壁の中に戻っていく。
十数の核が減ったが、壁は変わらず存在する。その先に何体のアダマンタイト・ゴーレムが存在しているのか、それは倒れたウミナリと突入した凛しかわからないことだ。
誰もが徐々に動きの鈍っていく凛の姿を見て足を動かそうとしたが、それは拳を握り締めるだけで終えられる。あの中に入って戦える自信はなく、もし致命傷を受けてしまえばあの少女は助けてくれるだろう。助けてしまうだろうと思ってしまったのだから。
だから誰もが"約束"を建前に動けずにいた。エルフ族と獣人族狼種の青年2人を除いて。
その2人だけは違った。1人は既に動いていて、1人は自らの意思で待っている。
今動き出せば、皆が動き出してしまう。しかし今は勝機ではないと、直感がそう告げていると。なにより戦士の意思は尊重されるべきなのだと。
20を超える核が消えていった頃、変化が訪れた。
凛が壁の中から出てきた事は同じなのだが、吹き飛ばされて出てきたのだ。口から血を吐き、地面に倒れたまま、それでも刀は離さずに。
それを追うように1体のゴーレムが壁の中から姿を現す。まるで部隊の長が通るかのごとく、ゴーレムの壁が開いたようにも見えるその光景に皆の足が動きかけた。
「止まってください!」
それに静止をかけたのはエルフ族の青年だった。
違ったもう1人、獣人族狼種の青年ですら動き出そうとしていたのに、彼だけは静止をかけた。そして足元から石を拾い投げたのだ。まるで結界の有無を調べるように放物線を描かせながら。
……石はある地点を超えた時、真下に落下した。その光景を見た皆が説明を求めるように、エルフ族の青年に視線を向けたが答えは首を横に振るだけ。
そんなやり取りがあってもゴーレムの足は止まっていない。1歩、また1歩と倒れたままの凛に近寄ってきている。
それは愚鈍なのか、警戒しているのか。遅い歩みが生み出した時間は凛に立ち上がる力を与えていた。皆が再び視線を向けた時、凛は鞘を杖に立ち上がっていた。
片手に刀を、片手で鞘を。視線の先にゴーレムを捉え――
目が霞む。身体がふらつく。姿勢が定まらない。
それでも後ろに人の、仲間の命を感じる。ゆえに倒れることは許されない。
ぼやけた視界の中で刀も通らぬ鋼鉄の巨人が腕を振り上げる。
そうだ、動く必要はない。
「闇夜に灯りを」
その言葉は唯一『技』と呼ばれる秘奥の準備。
震える心すら静かな湖面に書き換えるキーワード。
鋼鉄の腕が"ゆっくりと"迫ってくる。
足はあと数歩だけの力があればいい。腕はあと一振りに全力を込めよ。
地面から鞘を離し、刀を鞘にしまい、普段通りに構える。
鋼鉄の腕が間近まで迫る。
一歩踏み込み刀を振り抜く。一歩踏み込み刀をしまう。
後ろからの轟音を聞き、身体の力が抜けた。思うのだ、全力を尽くせたのだから悔いはないと。
だから、もし現実に戻ったら……1人、夜空を見上げて涙を流そう。また勇者になれなかったと心に刻むために。
皆が勇む心を抑えて見守る中、ゴーレムはそのままの姿で消えていく。
ただ1人で立ち向かった少女はそれを確認したかのように、振り向くことすらなく地面に倒れた。
獣人族狼種の青年がエルフ族の青年を見れば、彼は頷いた。
「嬢ちゃんは倒れた! 魔物がいないアルファ世界の人族が、街を滅ぼすと言われる魔物を数多く倒してだ! 俺たちは何をしていた!?」
声が張り上げられる。
「入れば負けると思って、嬢ちゃんの建前にすがって逃げてたんじゃねえか!?」
俯くものは少なくない。
ゴーレムへ滾る視線を注ぐものは少なくない。
「嬢ちゃんがたしかに勝利を見せてくれたが、約束なんかかんけえねぇ! 英雄2人が目を覚ました時、俺達が勝利を見せるんだよ!」
獣人族狼種の青年はそう言い、力強く腕を振り上げた。
追随する腕は遥か多く、重なる声は大地を揺らす。
そう、彼の待ち望んでいた勝機である。
「今ここで戦えなくて、現実では戦えるというのですか」
それは俯く者達の耳を打つ。
「今ここで逃げて、現実では街を捨てるのですか?」
熱狂と轟音の中だというのに、その静かな声は俯く者達を逃さない。
「そうならないために我らはこの世界に来たと思っていたのですが、違うのですか?」
腕を振り上げたものも、声を張り上げたものも逃さない。波に乗るだけなど許されない。
「今、立ち上がれなくて、いつ立ち上がれるのですか?」
2つの声が皆に"後悔"を与える。
2人の英雄に頼りすぎていたという後悔と、鍛えにきたはずの世界で逃げようとしていたという後悔を。
熱狂はやみ、静かな闘志だけが満ち溢れている。誰の合図もなく、皆は足を進め始める。もう止まらない、その足を。
「嬢ちゃんを救うぞ! 着いてこい!」
「お嬢さんに明日を渡すのです。いきますよ」
2つの号令を境に皆の口から熱い想いが溢れ出す。耳を塞ぎたくなるような轟音に、心地良い想いに戦況は移り変わる。
そこに敗戦はなく、勝利への道だけが見えていた。
空へ昇る粒子が完全に消え去った草原のど真ん中。2人だけのその空間。黒髪の少女は目を開けた。
「……ここは?」
少女が身体を起こし周囲を見渡せば、心地よい風が吹く草原が広がっていて、空を眺める青色の髪をした青年が1人いるだけだった。
「気づいたか。どうやら私等が知らぬ間に、戦いは終わっていたらしいぞ」
青年が答えれば、少女の視界に仮想ウィンドウが表示されとある文章が映し出される。
「……そうか」
それを読み終えた少女は迷うことなく指を動かし、ようやく自分の身体へと目をやった。
手に刻まれていた細かな裂傷は消えており、お腹を触っても痛みすら感じない。あれだけのダメージを負ったというのに、内臓を損傷していてもおかしくない衝撃だったというのに、それらの痕跡は衣服を含めてすら見当たらない。
そしてゴーレム達の中に倒れていた青年を見てみれば、少女と同様に傷1つすら見当たらない。胸を赤く染めていた傷は消えていて、腕や足、身体のいたる箇所に刻まれていた痛々しい鱗の破損も、破れた皮膚も見当たらない。
「残り1分程度……少し聞いてもいいだろうか?」
そう呟いた青年は、ようやく少女へと顔を向ける。
「5分の間を埋めてくれるのなら、どんどん聞いてくれ」
儚げな笑顔を見て、青年は一瞬だけ躊躇したが出てしまった言葉は戻らない。諦めてすぐさま口を開いた。
「……そうだな、魔法を扱う奇異な個体がいなかっただろうか?」
少しだけ考える様子を見せたウミナリはそう問いかけた。
自分が倒れたあとどうなったかは他の者達に聞けばいい。ただ残っていたのが2人という状況から、アダマンタイトすらも斬り裂くこの少女の実力から、倒したのならこの少女だと思ったのだ。
「身体が重くなってはいたが……あれが魔法だとしてもどの個体かはわからなかったな。私達の世界には魔法がなく、私にはその才能がなかった。ただ自分ができることを、敵を斬っていただけだよ」
その答えを聞いてもウミナリの疑問は解決しなかった。
魔法が存在する世界の刀が、魔法が存在しない世界の刀に劣っているとは思っていない。やはり情報体という未知の力による結果かとも考えたのだが、あの場の誰がアダマンタイト・ゴーレムに斬撃で立ち向かったのか。情報体という力にそのような力があれば刀以外の斬撃武器、剣や槍などで挑むものがいてもおかしくはなかったはずだ。
既知の知識が打撃や魔法を選ばせたと考えれば納得はいくが……と、ウミナリは再び頭を悩ませる。
「やはり、わからぬな。答えてくれて感謝する、アルファ世界の英雄殿よ」
ウミナリの告げた"英雄"はどのような意味だったのか。凛はそれを問いそうになったが、直前にしてウミナリの姿が消えてしまった。
「……まあ挑み戦った者のことだろうな」
凛はウミナリが消えた空間から空へと視線を移す。
「1人では泣いてしまいそうだ。私はまた……負けたのだな」
そう呟いた少女はこの空間にただ1人。残る3人は街の中。
それでも彼女を見る眼はたしかに存在していた。その呟きも、悔しそうな表情も、一筋の涙も……その眼に収まり記憶へと刻まれる。
そして5分が経過し、最後の1人は姿を消した。そこに敗者はおらず、いきついた先には勝者しか存在しない。
この話で特別編『if『英雄』』は終了となります。
第3章は既に書き終えていますので見直し・修正が完了次第、投稿を始めますが……ちょっと4章の筆が上機嫌なので、それが落ち着くまでは後回しになると思います。
一応、約束の区切りとなる4章なので登場人物が動いてくれる時に書きたいのです。ご了承ください。




