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恐怖の先で 4/x

 目を開けてみれば夜闇に月が迎えてくれた。

 どうやら気絶してしまったらしい。それでも最後の言葉は都合よく忘れられず、はっきりと声まで思い出せる。今にも吐きそうだ。

 

「起きましたか」

 

 無意識に視界を逸していても、大きなあれの先から声が聞こえてしまえばそちらを意識してしまう。

 優しげで不安気で悲しそうな顔が、見えてしまう。

 

「あの子の言葉は間違っていなかった、ということでしたか。まあ疑ってはいませんでしたけど」

 

 イナバの他に気づいている人が、最低1人はいるということだろうか。まあイナバが気づけたのだから、遅かれ早かれ気づかれていたと思う。ボクは隠し通せるほど優秀ではないから。

 

「イナバの言葉ってさ、死ぬ時期を選ばせてくれるってこと、かな?」

 

「私にあなたを殺せというのですか?」

 

 その言葉に頷くことはできない。

 

「だったらなにさ」

 

「あなたを止められるという事実を」

 

 それがあの言葉に、『あなたは悪くないですから』という言葉にどう結びつくかわからない。

 

「人は、ですね。どうにもできない力を怖がるのですよ」

 

 月を見上げたイナバはそう呟いた。

 

「銃は避けられますし、持ち手は能力的に似通った人間です。戦車からは隠れられますし、いつかは囲いを開けて補給しなければなりません。戦闘機は同様のものを作れば落とせないこともありませんし、洞窟に逃げれば時間は稼げます。無人機であれば発信元を潰せばいいのです。ミサイルは撃ち落としてしまえばいいですし、発射させないことも、事前に爆破させることすらできるかもしれません」

 

 その慰めは止まらない。

 

「熊は銃ですら無力化できますし、サメは陸上からの攻撃で十分でしょう。ウイルスも病原菌もいずれは対策できますし、万能ナノマシンという空想が実現できる可能性もあります。隕石は悪意すらないですし、逸らせば法則通りに通り過ぎてくれるでしょう」

 

 頬を伝う暖かさが止まらない。

 

「それでも、それらは皆、知らない人から見れば恐怖でしかありません。離れている相手が突然、殺された。銃も弾く塊が動いて、それ以上の質量で押し潰してくる。大木を倒す獣がこちらに向かってくる。並ぶ牙が逃げられない速度で迫ってくる。突然、血を吐いて為す術なく失われた。見上げていたら寒さに包まれた」

 

 そこで言葉は区切られ、イナバの顔がこちらを向いた。

 

「1人のあなたは、どれが怖いですか?」

 

 赤い瞳が応えるまで逃さないと訴えてくるようで、目すら逸らせない。

 だから語られたすべてを思い出し、1つずつしっかり考え、すべてに結論を出した。そして逸らされなかった瞳を迎え撃つように吐き出す。

 

「どれも、怖くない」

 

 兵器はすべて当たらない。普通の動物など、兵器より脅威ではない。大病どころか風邪の1つ、体調不良の1度も起きたことがない。寒さの中でも死なないだろう。

 だから、核ミサイルが傍に落ちても死ぬことはないだろう。

 

「だからあなたは怖がるべきです。それがたった1つであっても、人は安心できるのですから」

 

 すっと視界が暗くなった。暖かな目隠しによって。

 

「今日はおやすみなさい。気を張り続けていては、心が壊れますよ」

 

 綺麗な音に――

 

 

 

『時雨ちゃん、遊ぼ~!』

 

『料理、下手だね』

 

『2等賞~! 2等賞!』

『景品がしょっぱいね』

 

『付き合ってください!』

 

『ほ、他の子が速かっただけだから』

 

『一緒に寝よう~』

 

 

 

 目を覚まして見れば、過去最高の朝陽がおはようと。こんなにすっきりとした朝は、何年ぶりだろうか。

 気づけば消えている枕に周囲を見渡そうと起きれば、毛布がずれ落ちた。それを大切に抱きしめて、改めて周囲を見渡そうとすれば鼻をくすぐる良い匂いが。

 この匂いは……焼き魚だろうか。

 

「おはようございます」

 

「おはよう」

 

 と、その声を聞いてビクッとしてしまう。

 自分の口から出た声なのはわかっているのだが、自分の声だと思えなかったから。

 そして思う、自分はこんな声が出せたんだなと。

 

「ピーマンは食べられますか?」

 

 どれだけ子供だと思っているのだろうか。

 

「だ、大丈夫だよ」

 

 大人でも苦手はあるのだから、子供の嫌いそうなものだからと聞かなくてもいいと思うのだ。

 

「そうですか」

 

 どう考えても苦手だと伝わりそうなのに、それでも近くに置いてあるテーブルの上にはそれの姿が。というか焼き魚がない。

 

「魚は?」

 

「良い匂いだったでしょう。焼いてしまいました」

 

 起きる前に焼き終えてしまった、かと思って見えない魚に首を傾げていれば、焼いてからアイテムボックスに収納しましたと丁寧な解説を受ける。匂いだけ残すのは酷いと思う。

 

「そうだ、時雨」

 

「なに?」

 

 ずずずっと座ったまま草原の上を移動してテーブルの近くまで寄ったところで、イナバの声にそちらを向く。

 

「手を見せてください」

 

「はい?」

 

 疑問に思いながらも手を差し出せば、薬指の先にチクリと衝撃が走った。

 思わず手を引いてしまってそこを見てみれば、赤い液体が僅かにだが衝撃――痛みが走った場所を、傷口を覆っていた。

 

「え……」

 

 実は自分の血は見たことがない。

 出ないことがおかしい時期もあって病院に連れて行かれたことすらある。まあ当然のように健康体だったのだが。

 

「痛かったですか?」

 

 そう言い終えるや、チュパッと傷口を、指を咥えるイナバ。

 あわわ、あわわとしていたら指が出てきて、赤い液体は消えていた。それどころか、小さな傷口も見受けられない。

 

「舐めれば治るなんて言葉を広めたのは誰ですかね。まあ簡単に発生する情報体なので便利に使わせていただきますけど」

 

 そう言ったイナバはボクの指から視線を動かして

 

「さて、と」

 

 赤い瞳が、ボクの瞳を見つめてくる。その様子には一切の遊びがなく、真剣そのものに思えた。

 

「続けますか?」

 

「……どうして、傷を負えたのかな?」

 

 自分が落とした包丁ですら不自然に足を避けたというのに、自らが持つ裁縫の針すら避けたというのに、どうして彼女の針は刺さったのか。

 

「秘密に決まっているでしょう。こんな誰が覗いているかもわからない場所で、あなたの弱点を晒せというのですか?」

 

「え……覗けるの?」

 

「街システムを経由すれば、おそらく覗けます。まああとが怖いのですが、それでも可能ではあると言っておきましょう」

 

 この数日間、どんな表情をしていただろうか。

 イナバと2人きりという前提があったので、もしかしたら相当に恥ずかしい表情や動きをしていたかもしれない。そう考えると、急に恥ずかしさが浮かび上がってくる。

 

「どちらにしても、教えるつもりはありません。私以外は、たとえあなた自身であっても知る必要はありません」

 

 その言葉を聞けば、もう無理だった。きっと見せられない表情をしていると思う。

 

「それでも完全ではない可能性もありますから、油断しないでください。あなたはもう、死ねるのです」

 

「……うん」

 

 一瞬で静まり返った心を感じて、姿勢を正して頷く。

 イナバが、1人が出来たのだから、誰でもできる可能性はあるのだ。今はイナバしか知らないだけで、いつかは誰でも知っているかもしれないのだ。

 

「それはなにより。それと可能性の話ですが、きっとあなたの幸運は周囲も守っているのです」

 

「……それは無いよ」

 

 そうであれば、あんな事故が何度も起こったりしないだろう。

 

「最後まで聞いてください。おそらく上限があり、それを超えた危険だけが起こるのです。それでもあなた自身を守る幸運を超えていなければ、あなただけが残ってしまう。その差が、小さくないのでしょう」

 

 昔を思い出してみれば、あれらの事故以外では不幸を見なかった気がする。

 

「どうして、そう思ったの?」

 

「人にとって魔物は脅威でしかありません。それがあなたの周りだけ出現しない、それでも上位のものは出現できた。良く思うには十分な理由でしょう?」

 

 そこでニコっと笑うイナバが、とても綺麗に見えた。容姿じゃなくて、その笑顔が綺麗に思えた。

 なぜ出会ったばかりのボクにここまでしてくれたのかはわからないけど、それでも結果は変わらない。

 私は『救われた』。

 

「イナバ」

 

 だから応えよう。可能な限り。

 

「ありがとう」

 

 きっと世界最高の笑みを浮かべていたに違いない。

 他の誰にも見せない、救ってくれた彼女のためだけの笑顔。過去最高で、未来でも最高であって欲しい笑顔。

 今はなにもできないけど、それならば感謝だけは最高のものを用意したかった。自己満足だ。

 それでも、それが間違いでなかったとわかる。

 

「ええ、どういたしまして」

 

 イナバがとても嬉しそうに微笑んだのだから。

 

 

 

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