恐怖の先で 2/x
気づけば月が浮かんでいたが、すぐに雲に隠れてしまった。
ログアウトすれば毎夜見ることになるだろうそれだけど、今は綺麗だと感じられる。この美しさに慣れてしまえば、それは終わりの時かも知れない。
カサっと、草の擦れる音が聞こえた。そちらに視線を向けてみれば、闇夜の中でも目立つ女性が立っている。
「お疲れ様」
「この程度では疲れませんよ」
言葉通り疲れを感じられない声と表情が彼女に余裕を見せてくる。そもそもこの程度で疲れていては、魔物がいる世界では暮らしていけないのかもしれない。
「夜は眠りたいですか?」
「夜……そうだったね。夜は眠るものだよ」
ぼんやりとした思考で適当に返す。
夜といえば、既に終わっている時間だと思っていた。皆のもとに帰って祝勝会か、残念会か、とちらかを行っているのだと考えていた。
たかだかボクとの試合、まさかここまで長引くとは思ってなかったのだから。
「まあ精神的に追いつめたいわけではないので、眠ってください。明日の朝、適当な時間にこちらから開始します」
そう、なにかをしているのはあちらだけ。こちらはただ、座って考えるだけ。むしろ、もう考えていないのかもしれない。
と、そんなことを考えながらぼけ~っとしていれば、美味しそうな匂いが漂ってきた。直感的に顔を上げてイナバを見てみれば、宙に浮いた鍋が1つ。
耳を澄ませてみれば風音にまぎれて、ことことと熱しているような音が聞こえてきた。当然、火は見えない。
そして即座にぐぅ~と鳴るお腹。
こんな状況だというのに熱くなった顔に、夜風が涼しい。
「だから準備はいいですかと聞いたのですが」
呆れたような声が俯いたままの耳に届く。
まさか対戦相手に頂戴などとは言えないだろう。それもこちらの準備不足を事前に指摘してもらっておきながら、それでも余裕満々に準備しなかったのだから。
ぐぅ~と追撃が鳴る。もう聞きたくない。
「まあ夜までに終わらせられなかったのはこちらの落ち度です。どうぞ」
暖かな空気が流れて気がした。良い匂いが近づいてきたとわかる。
顔を上げてみれば野菜たっぷりのスープが、鍋ごと突き出されていた。当然のようにこちらに持ち手があり、イナバ側はといえば支えているはずの手は存在しない。
コトンと鍋の中に木製のスプーンが、トスンと鍋の下に小さなテーブルが現れる。
「情報体って便利だね」
「魔法でもできますけどね」
どうせなら置いてくれればと思いながらも、宙に浮かぶ鍋の持ち手を持って、いつの間にか鍋敷きの敷いてあったテーブルに置く。
そしてスプーンを持ってスープだけを一口分を掬い、湯気立ちのぼるそれをふーふーしてから口の中へ。
「美味しい……」
ただのお湯かと思えばしっかりと味がついていた。寒い夜にぴったりの、芯から暖まるような美味しさが身体に染み渡る。
というか、良く見てみればポトフじゃないのかな、これは。
「やっぱり自分で作ると微妙ですね」
間の前の鍋に突き入れられたスプーンが消えたと思えば、そんな言葉が聞こえてきた。
今しがたの『美味しい』という言葉が聞こえなかったのだろうか。
「楓の鍋が食べたいです」
「誰それ」
手で受け皿を作り、スプーンを動かしながら問いかける。
「私達側にいたぺったんこです」
いい度胸だとは思うけど、しっかりと伝わった。魔法使いなのに前線に出てきて、それでも十分な動きができていた黒髪の……腰まであるストレートの黒髪のあの子だろう。
それでも可愛さとかっこよさと近寄りやすさを感じられる、胸以外は憧れるプロポーションなのだ。あれで不満を漏らすのならボクにわけてくれと思う。胸はあげないけど。
「料理までできるんだ」
容姿が良くて運動もできて、料理までできる。頭も良ければ"ボクの考えた最強のお嫁さん"じゃないか。
「毎日、夜ご飯を作って欲しいものです」
「ぶっ」
口が空で、スプーンの中が鍋に戻るだけでよかった。
「イナバ、女の子だよね?」
「夜ご飯を作ってもらうのに性別は関係ありません。それに、あの子の伴侶にはもっと相応しい誰かがいます」
意味を理解し誤解されると予想できていて、それでもそのまま言葉にするのかと、少しおかしく思った。ボクならどう伝えただろうか。
「……明日はボクが作ろうか?」
つい、口から出てしまった言葉。『やっぱり自分で作ると微妙』という言葉から連想してしまった、自分でなければいいのではという考え。
それを即座に撤回する。
「ごめん、作れなかった」
よく考えてみればおにぎりとカップ麺くらいしか作った覚えがない。いや、冷凍食品と他のインスタント食品も作れたはずだ。
「あなたと私は試合の途中なのですよ? 理解しているのですか?」
暗闇だからか、表情が読めない。声音は変わらない。
言葉だけを聞けば、それをイナバが言うのかと思ってしまう。しかしイナバのそれは余裕の現れだと、考えすら纏まらないボクには過ぎた行為だとは理解している。
そもそも、ボクはなぜ勝負を続けているのだろうか。
「冷めますよ」
その言葉に再起動してスプーンを進める。こんなに美味しいのに冷めてはもったいない、考えるのは眠る時でいい。
『ありがとう、時雨ちゃん』
『あ、ありがとう』
『なんで、なんでお前だけ無事なんだ!』
『あの子が、ほら……例の死神の』
『……あっちで遊ぼ』
『ち、近づかないで!』
『ごめんね、ごめんね……』
鼓膜を震わせる爆音が朝を知らせてくれた。
いっその事、記憶も飛ばしてくれればいいのにと思う。そうすればこの世界だけでは、楽しく過ごせるのだから。
「おはようございます」
「良い目覚ましだね」
笑顔でそう言っておく。
はっきりとした目で辺りを見渡してみれば、まだ薄暗い中にクレーターが広がっていた。吹き飛び具合が最初と同じように見えるから、同じ攻撃なのだろうか。
と、周囲を観察していたところ身体がブルッと震える。まだ朝、それも草原だった場所のど真ん中、そのうえ強風が通り過ぎたのだから寒くて当然だろう。
「朝はパン派ですか、ご飯派ですか?」
イナバがそう言いながら片手を振れば、大気を侵食していた土埃が吹き飛ばされた。そして再び巻き戻るように、草が生い茂った草原が戻ってくる。
まるで1日目の始まりと同じように。
「お、おにぎりなら作れるよ?」
何を言っているのだろうか、この口は。
「米と鍋を渡せばいいのですか?」
「炊かれたお米とラップフィルムと、ほぐした鮭と梅干しと海苔が欲しいかな」
できれば梅干しは種を抜いておいて欲しいが、それは贅沢というものだ。
「……包丁は使えますよね?」
「1回だけ使ったことがあるけど、もう使うなって言われた」
材料はしっかりと切れていたし、振り回したりもしてないし、周りに当ててもいない。今のボクから見ても十分に及第点だったが、それでも使うなと言われた。ボクの料理スキルが低いのは、これが原因ではないだろうか。
「そうですか」
なんだか嬉しそうに微笑んだイナバは、言葉を続ける。
「それでは携帯食料にしましょう。私も予想が甘かったかもしれません」
想像以上に料理ができないと、そう言いたいのだろうか。事実なだけに反論はできない。
「どうぞ」
イナバから手渡されたのは大きな緑色の葉っぱに包まれた四角い物体。受け取ったそれを慎重に開けてみれば、中からはサンドイッチが出てきた。ハムに卵に見たことない野菜と、よく見るタイプのようだ。
「ありがとう。いただきます」
膝の上に包みだった葉っぱのお皿を置き、三角を1つ手に取って口に運ぶ。
……なんだか、美味しくないような……いや、昨日のポトフよりも美味しくないだけで、十分に美味しいのはわかる。それでも昨日のあれを食べた後だからか、少しだけ足りないように思えてしまうのだ。
「やはり、美味しいですね」
草原に腰を下ろし、ボクと同じように膝の上に葉のお皿を広げているイナバも同じものを食べている。それでも昨日の不満げな表情と違い嬉しそうに、美味しそうに食べている。
ボクとは真逆の感想になるが、もしかして違う誰かが作ったものだろうか。
「そっちは誰が作ったの?」
「両方とも楓ですよ。包みは私ですが」
当たりと外れがあるのだろうか。イナバが料理もうまいと言っていた楓ちゃんの料理だけども、いや、だからこそ少し拍子抜けに感じてしまう。
まあ味覚の差、なのだろう。
「数日でここまで美味しくなるとは、やはり楓ですね」
もう一口食べたイナバが、そう呟いた。『やはり楓』の意味はわからないが、数日前はここまで美味しくなかったらしい。美味しくなってこれならば、もしかしたら私でも勝てた可能性があったのだろうか。
そんな妄想を思い浮かべながら、もう一口を口に入れる。よくよく味わってみれば十分どころか私のおにぎりなど比較にならないほど美味しく、あの店の料理と比べられる味かもしれない。
やはり昨日のポトフが美味しすぎたのだと結論を出しながらも、妄想が崩れ落ちていくのを見送る。




