恐怖の先で 1/x
膝丈ほどの草の絨毯が足を包み込む。視線を上げればどこまでも続くそれと、さらに上に青空が。別に草原だけではないみたいだが、近くはそんな感じだ。
だからだろうか、次の瞬間に変わってしまった光景に驚きを隠せなかった。
周囲から一切の景色を隠す土色で流動している壁。鼓膜を破るような大きな音。強めの風に尻もちをついてしまう。
「……え?」
思わず口から漏れた疑問の声もしかたがないだろう。
草原なんてなかった。捲れた土が、空覆う土煙が、ボクのいる場所だけを残して広がっていたのだから。
そう、小さな小さなボクの領域。尻もちをついたそこだけが、草原でいてくれた。
仲間達のために話をしてくれて、お昼を奢ってくれて、破格の掛け金を用意してくれて、直前には心配までしてくれたはずの女性。ログアウトさせてしまえば負けと告げたその人が、間違いなく必殺の攻撃を放ってきた。
それが意味することはなにか。
「やはりあなたは」
嫌だ、聞きたくない。
そう思い耳を塞ごうとしても、震える腕は言うことを聞いてくれない。少しだけ残っている草を強く掴むだけだ。
「絶対的な幸運の持ち主ですね?」
最も聞きたくない言葉が耳に届く。
現実世界ですら「おかしい」と濁されていたその言葉が、他人の口から。
「違う!」
思わず吐き出せば
「情報体でも、魔法でもありません」
即座に切り捨てられる。
「は、初めに貰った情報体で」
「魔法も情報体も、感知できるのですよ」
ボクの傍から動かず全体を見渡せていた彼女なら、できそうだと思ってしまえば否定の言葉が出てこない。
なにか……なにか……。
「先程のは隠蔽の魔法や情報体を消しず飛ばすための攻撃です」
簡単に思いつく逃げ道が潰される。
頭の中をかき回そうとするが、まるで霧を混ぜようとしているみたいに纏まらない。
「まあ、この程度で終わるなら……」
そんな悲しそうな呟きとともに、周囲に橙色で揺らめくなにかが複数出現した。いや、複数なんて甘い言葉はいらない。周囲を埋め尽くすように、それが浮かんでいる。
ボクに見えている場所だけでこれなのだ、きっと後ろも、どこもかしこも埋め尽くされているのだろう。
それらが消えたと思えば、少し熱い風が頬を、全身を撫でる。
透き通った青い塊も、茶色の塊も、先が見通せる空色の球体も、何も見えなかったその時も、すべてが小さな余波だけを残して消えていく。
白い光が周囲を満たす。草がピンと立った。草が萎れるように倒れ込んだ。スッキリとした気がする。少しゾワッとした気がする。
数え切れない程の槍が地面を刺した。幾筋もの切れ目が地面に刻まれた。ポトッポトッと音だけが聞こえた。何も起こらず時が過ぎた。
普通なら、ボク程度の実力しかもたないものならば、幾程の数が死んでいったかわからない脅威が通り過ぎていった。
ボクだけを残して。
怖くて顔をあげられない。ずっとずっと、残った場所を眺めていた。
「まあ、こんな楽に終わるとは思っていませんでした」
そう言い終わればパチッと指を鳴らすような音が響く。まるで手品の始まりを告げるが如く。
視界で茶色が蠢き、緑が蠢き、気づけばもとの草原が広がっているような気がした。少なくとも、視界の中には"元"が戻ってきていた。
夢、だと思い込むには迫力がありすぎた。
それでもここは魔法や未知の技術が溢れるゲームの中。幻術、という可能性は否定できない。したくない。
「怖かった、ですよね」
隣から、そんな言葉が聞こえてきた。とても気づかうような、今にも泣きそうな声で。
そちらを向いてみれば、兎の耳を生やした、白い髪と赤い瞳が特徴的なスタイルの良い女性が1人。そう、試合開始直前まで見ていたイナバと変わらぬ姿をした女性が1人いた。
「……まあ見ていてわかったでしょう。私がリーダーとして参加した時点で、あなた方の勝ち目はありませんでした」
それは先程までの出来事が現実だと告げられたようで。
「参加を申し込んだ時点では、今回の決勝にあたる試合以外に参加するつもりは無かったのですよ。だって、ずるいと思うでしょう?」
それを見せつけ、納得させるつもりだった……とは思えない。実際に出るつもりはなかったと言っているのだから。
「それじゃあ、その力で殺せないボクはもっとずるいじゃないか……」
思わず漏らしてしまった。長年、隠してきた本音を。
「その程度でずるいとか言っているようでしたら、2陣の上位から上を見たら卒倒しますよ。そもそも、あなたのそれは傷つける類の力じゃない。放っておけば誤差にすらなれないものです」
その言葉を聞いて、胸の奥にあったモヤッとした何かが少しだけ晴れた。
言葉だけならなんとでも言えるという人がいるが、それは言葉だけではなく声にされているのだ。メールなどの文字ではなく、目の前で、その人の声で語られたそれは、間違いなく"言葉だけ"ではない。
だってイナバの言葉は"それが当然"と感じさせるものだったのだから。……あと、少しの優しさも。
「目の前にいてより恐怖するのはどちらか。間違いなく私でしょう?」
力だけを見ればそうなのだが……それでは守るために配備してある兵器も怖いと言っているようなものではないのだろうか。
そもそも人は、自分の力ではどうにもできない脅威が怖いのではないのだろうか。それこそ構造がわかっているような兵器ではなく、未知の力が。どうすれば対処できるか知っている兵器ではなく、対処のしかたがわからない神罰にも似た何かが。
「少し故郷の話をしましょうか」
穏やかで懐かしむような表情を浮かべたイナバがそう言った。
「日本はどんな感じですか?」
あたかも自分の故郷を語るような雰囲気からの、実はこちらの故郷を語れという言葉。思わず笑いそうになって、口を開く。
「平和な国だよ。外敵もなく、技術も発展してて、笑顔が多くて、それこそ世界すべてが求めた到達点みたいな国」
世界で最も安全な国であり、世界で最も危険な国とはどこの誰が言ったのだったか。2回、起こった世界規模の大戦においても完全な中立を保ち、その片方を終結させた国。
そして、神の居られる国。
「料理が美味しいのは知っていますが、他はどうですか。学校や、娯楽や、地方都市などの状況や」
「学校は競い合いだけど、まあ健全な競い合いだよ。上を落とすような競い合いじゃなくて、どちらが上に行けるかみたいな、ゲームで競う感じの」
落とし合うゲームならその通りに上を目指すから、定められた競い方で上を目指すが正しいのだろうか。
「娯楽は……まあ色々あるよ。最先端はVRMMO……これがそうなんだけど、それ以外だと少し技術レベルが落ちた感じかな。体験できないけけど体験しておくべくものを学ぶ場所として最適だから国が推奨してる」
防災訓練や震災訓練や、サバイバルや無人島30日ツアーとか。弓道や剣道や水泳の自宅練習や、乗馬やダイビングや。
エッチなのもあるらしいけど、ボクは知らない。18歳以下だから接続なんてできなかったし。
「地方は……どうだろう。ボクのとこも地方だけど、別に首都以外と比べて不足があるとは思わないね。首都だけは別格というか、神様がおられる場所だから多くてもしかたがないっていうか」
実際に国を護ってくれてる、護った事実のある神様だから、参拝者が多い。直接神様を見られるわけじゃないけど、それでも多い。
まあ神様を見たいなら将棋会館に顔を出してればそのうち会えるらしいけど、ボクにはそこまでの興味は無かった。
「……そうですか。ちなみに神はこれに参加しているのですか?」
「知るわけないじゃないか」
一般人のボクが、最重要であるはずの神様の動向なんて。
「まあ参加しているでしょう。ところでアルファ世界の人族は時雨の国と似た容姿が多いのですか?」
「うん?」
似た容姿というだけなら少なくはないけど、それがすべてってほどは……と、そこまで悩んでから問いの焦点が違っていたことに気づいた。
「ああ、アルファ世界からの参加者は日本人だけらしいから、それかな。もっと容姿に幅はあるよ」
1回目の終了後にアンケートがあるらしいから、最も安全な国が確かめろということだと思う。世界の国すべてにおいて、明確な敵がいないのは日本だけだから。
そもそも、これが日本だけの技術である可能性もある。
神様だけに頼ることなく、人としての強さ……というか技術力も磨いているから、神様がいなくても世界最高峰であることに違いはない。
まあそれも、神様が護ってくれていたから培えた土台ともいえるのだけど。
「もてますか?」
「そうだね。昔はそれなりに――」
っと、なんてことを聞くのだろうか。
「もてないよ」
と告げ終えれば、イナバの手が頭を撫でてくれた。
それが心地良くて、ついどうでもよくなってしまう。今なんて忘れて、今を生きていたいと願ってしまう。でも今は確実に終わるのだから、願ってもしかたのないことだ。
「……時雨、このアバターの能力がどうやって決まっているか知っていますか?」
「知らないけど?」
そこまで調べる余裕は無かった。まず今を楽しみたかったから。現実をから切り離された、今を。
「知らないならいいです。とりあえず情報体の発動状態を感知できる人材は稀なので、情報体の力と言っておけば問題ありませんから」
言われれば気になってしまうけど、それは今よりも優先することじゃない。
どこかで聞ける機会があったのなら聞く、くらいでいい。
「そういえば、あの仲間達と試練を突破したのですか?」
言葉が来るとともに暖かい手が逃げて残念に思いながらも、口を開く。
「うん。少し遅めだったけど、リーダーが他の人達が挑んだ時の情報から倒し方を考えてくれて。無傷なのは私しかいなかったけど、なんとか勝てた」
まさか時間経過で停止するとは思わなかった。
あちらの世界のオリハルコン・ゴーレムは違うみたいだけど、こちらは試練用に弱くしてあったのだと思う。
「イナバ達はどうだったの?」
「サリア……一緒にいた緑色の髪の子がトドメをさしました。その時、私はユウに抱き抱えられていただけです」
その答えに驚いてしまった。まさか、一番ドジっぽそうなあの子が倒したなんて思わなかったから。
それにイナバが抱きかかえられていただけで何もしていなかったなんて思わなかった。先程、見たイナバの力があればすぐに終わる相手のはずなのに。
「イナバは、見ていたの?」
「私は最大エネルギー量が少ないですからね。どうして今、休んでいると思いますか?」
いたずら小娘のような笑顔が、してやったりと告げているようで楽しそうに見える。
まあエネルギーがすっからかんの状態でもイナバに勝てるとは思えないけど。
「さて、と」
ペシン、と。額に心地良い衝撃が走れば、イナバが左手を戻しながら立ち上がった。休憩は終わりということだろう。
「ねえ、聞いてもいい?」
こちらも立ち上がりながら問いかける。続きを始める前にはっきりとさせておかなければならない。
「どうして、こんなことをするかですか?」
「うん。確認だけならもう終わったよね」
ボクのあれを確認したいだけなら、もう終わりでいい。どうせ勝てないのだからボクから降参してもいい。報酬はお昼ご飯で十分だ。
「私は勝ちに来たのです」
それだけを言い残して、イナバの姿がパッと消えた。空気中に溶け込むように消えるとか、どこかに繋がる穴に入るとか、そんな経過もなく、いきなり。
姿を隠しただけでないことは足元の草を見ればわかるが、それしかわからない。だからいないものとして考えるべきだろうか。
と、そんなことを考えている間にも敵がやって来る。目の前の地面から、何かが湧き出してくる。
それは土色で、ボクよりも少しだけ小さな人の形となり、それでも人ではないと確信できる楕円形でパーツのない顔がこちらを見つめる。
まるで街の近くで見たパペットという魔物だが、きっと違うのだろう。周囲に液体状の水溜りや、草を薙ぎ倒す竜巻も出てきたのだから。
パペットが同時に生成された槍で突き刺そうとすれば、それは顔の横を通り過ぎる。
水溜りが足元に移動しようとすれば蒸発していき、それすらボクを避けるように流れていく。
竜巻に囲まれるが、そよ風しか感じない。近くの草はバラバラに切り刻まれているのに。
そんな中で考える。イナバの目的はなんだろうかと。
既に赤みを魅せる雲を眺めながら。




