イナバ 2/2
月明かりに照らされて眠る弟を背に部屋を出る。最新の注意を払ってドアを静かに閉めれば闇が満たす廊下が続く。
節電なのか、雰囲気のためなのかはわからないが、この宿は夜を照明で照らさない。窓もないのに差し込む月明かりがあるのだから必要ないのだろう。
防音が行き届いた部屋の中には届かないと知りながらも、ひっそりと歩みを進めて1階へ。そして宿泊者全員に開放されている中庭に繋がる扉へと手をかけた。
広くも狭くもなく、整えられた芝が敷き詰められた中央の端ともいえる場所にあるベンチ。そこに座る1人の少女。
月明かりに照らされた白髪は夜闇の中にあろうと見失うことなく、狂気を秘めた月のように赤い瞳は何もないはずの中央を眺めている。その手に持つ透明なコップは口に運ばれ、続いてベンチの横に置かれた小さなテーブル……というよりも小物置きに置かれた。
適当に切り取っても絵になるだろう場面に息を呑むことなく、足を進める。大地の柔らかな感触が拒絶を否定してくれるようで心地良い。
「良い子は眠る時間ですよ」
「私が良い子なわけないでしょ」
とは言ったものの時刻は深夜2時を過ぎている。15歳が起きている時間としても少し遅い。
「まあ良い子だから起きている時間でもあります。隣にどうぞ」
「ええ」
勧められるがまま隣に腰を下ろす。少し硬い木の感触が、異世界であっても同じ、あるいは似た部分があると伝えてくれるようだ。
「何を飲みますか?」
「気が引き締まる1杯を」
そう答えてから少しだけ間を置き、私の傍にも小物置きが出現した。そして上に置かれているのは透き通った赤い飲み物はぶどうジュースだろうか。
イナバの言葉を待つという建前のもと、静かな時間を堪能していても進まない。少し経過したところで飲み物へ口をつけてみれば非常に甘かったが、すっと抜けるものだった。
たしかにこれは予想外で気が引き締まる。
「イナバ、私の料理を食べた時さ……がっかりしたでしょ?」
「……まあ間違ってはいません。そうであっても美味しかったのは事実は変わりません」
こちらを向いたイナバが、少しだけ考えて答えてくれる。
まあがっかりされたのはすぐにわかった。なにしろ2回目だから。
「動きに出てましたか?」
「あの言葉は2回目だから」
幼い頃のユウに、あの出来事の前のユウに言われた一言。まるで天才にあぐらをかくなと言われたような一言。
「ああ、伝わってしまいましたか」
「『一流のレストランの料理と比較しても劣らないと思えるほどに美味しかった』っていうのは、その方向でしか比較できないっていうこと。褒められているのはわかるけど、同時に足りていないってことだから」
褒め言葉なんて『美味しい』、それだけで十分なのだから。着飾るのは他の思惑があってのことだから。
「まあ技術はあって困るものではありません。多いだけ手札が増えますからね」
「ありがとう」
足りなくとも無駄ではないと、そう言ってくれているのだろう。
それに技術が決定的に欠けていれば、それこそ泥団子を振る舞われても最高には届かない。片方が高ければ良いというものではないのだから。それでもどちらか片方を選べと言われたのなら、私に足りないほうを選びたい。
「ところでイナバ、どうしてアップルパイだったの?」
「一般的に考えて夜ご飯に不適当、という意味ですか?」
「ええ」
「この世界でいくら太ろうが、甘みを摂取しようが、ログアウトすれば元通り。好きなものを好きなだけ食べていい、それこそ現実世界で我慢している人達には楽園のような場所。なのでその時間帯に不適当など無いとは思いませんか?」
私は太らない体質だから我慢していないけど理解はできる。甘味の誘惑は強いものだし、好きな人に良く見てもらいたいというのもわかるから。
それでも今の日本では過剰に食べても太らない料理が多いから我慢なんてそれこそ"過剰を過ぎる"のだけど……他の世界の人達を指しているのだろうか。
「別に否定するつもりはないわよ。ただ理由が知りたかっただけ。私の知らない常識を知りたかっただけ」
「まあ、そうでしょうねぇ」
これだ。出会って半日なのに知り尽くされているような感覚、これが知りたい。言葉だけの、上澄みだけの言葉ではないと思っているからこそ、知りたい。
「楓、学校はどうです? モテるのでは?」
なぜその話題を出したのか。
「まあユウくんと似た容姿なんだからモテるわよ。凛ちゃんなんて女子にもモテる」
翠ちゃんも、葵ちゃんもそれなりにモテる。私と凛ちゃんが、こういってはあれだけど異常なほどモテるから比較には出さなかっただけだ。まあ私は八方美人をしているから、狙い通りとはいえるのだけど。
ただ、告白された回数で言えば葵ちゃんが圧倒している。私と凛ちゃんは結局、偶像でしかないのだろう。
「良い子はいますか?」
「……可愛い男の子を紹介してほしいの?」
「あなたの眼鏡に叶った女性はいましたか?」
私の返答に対して、イナバちゃんは即座に切り替えしてきた。そこまで言われれば流石に理解できる。
「いない」
「凛や翠も?」
「そう」
葵ちゃんを省いた理由はわからないけど、あの2人でも足りない。そもそも地方の一学校程度で見つかるとも思っていない。凛ちゃんや翠ちゃんや葵ちゃん、茜に風華ちゃんでも足りないのだから、日本中探しても見つからないかもとは考えているけど。
「凛で足りなければ、そちら方面では日本中を探してもいないのではないでしょうか。少なくとも、空きではないでしょう」
その通りだと思う。『空き』であるという一点も難しい。
「まあ焦らないことですね」
最終手段もあるから、そこまで焦っていない。むしろ見つからないでと思っているのかもしれないけど、そちらはまだ否定しておきたい。
「さて、と。内緒話をしましょうか」
そう言って立ち上がるイナバちゃん。
「汝は秘して黙する者なり。見届け人の望みを払い、満足させるものなり」
綺麗な声で紡がれたそれは、きっと詠唱だろう。
一見変わったように見えない周囲だが、確かに結界のような区切りが発生した。中にいて発生を予想できたから、なんとかわかる。
「これでユウにはどうにもできないでしょう」
「きっと筒抜けだと思うけど?」
聞こえなかろうが、見えなかろうが、関係はない。
「ここから先は干渉できないという意味です。まあできた時点で認められているようなものですけど」
と、イナバちゃんは知っているみたいだ。もしかして召喚された者は、召喚した者を知ることができるのだろうか。あるいは対価がそれなのか。
まあそれをイナバちゃんが知っているとわかっただけでも大収穫だ。
「さて、これを見てください」
座ったイナバちゃんがどこからともなく出した1枚の紙、それが2人の間に置かれた。
「領土獲得戦?」
読んだままを声に出したが、まあ領土獲得戦である。
詳細を読んでいけば、街の外……とは違う場所に広大な……とはいかないまでの領土が手に入るらしい。正確には領土長としての権利だろうか。
第1・2陣、私達よりも前にログインしていた人達の一部が獲得しているとは聞いたことがある。知り合いにも何人か獲得者がいる。
「これに出ろってこと?」
できれば避けたいことである。逃げ場を得られるというのは嬉しいが、それに伴うリスクが大きい。今に不自由がないのなら、きっと得るべきではない重荷だと思うから。
「私を導く兎だと信じてくれるのなら」
イナバの素兎。私の家系に少しだけ関係がありそうな程度の逸話。
理屈では断るべきだとわかっている。だが、ユウに好かれているこの子の頼みを聞き入れることには意味がある。
それになにより
「わかった、出る」
私がこの子を気にっているのだ。凛ちゃんや、翠ちゃんが同じ提案をしてきても同じ答えを返しただろう。
「ありがとうございます」
しかし、引き受けたと言うのにそこまで嬉しくなさそうに微笑むイナバちゃん。まるで断ってほしかったとでもいうように。
「……私はあなたに"辛さ"を与えるかもしれません。望まれなかった未来へ導くかもしれません」
その辛そうな声が、雰囲気が、事実を予感させる。それでも身体が震えることはない。
「それでも私は、あなた達の笑顔が見たい。心の底から溢れ出すような、堰き止めようとも思わない笑顔が見たい」
その言葉は不自然に途切れ、一言足りないように思えた。それはきっと告げられない一言。心の中だけで決意させる一言。
だから私がそれを埋めよう。
「それくらいの未来を叶えずして、ユウの姉はできないから」
「……」
唖然とした表情でこちらを見つめるイナバちゃん。そして「くくく」と笑い始めた。
「やはり、あなたはそうでなくては」
と腕を、身体を引き寄せられた。正確にはベンチのうえに倒れさせられて、頭を膝の上に持っていかれた。
「それでも、まずは疲れをとってください。頑張りすぎです、あなたは」
その心地良さに心を奪われる。
「凛でも翠でも、葵でも気づけない。だから私が知っておきましょう」
今度はわかる、頬に暖かな水が流れようとしたことが。まあ重力には勝てないから、頬には行けなかったのだけど。
「ねえ、イナバって呼んでもいい?」
腕で涙を隠し、上を向く。真っ暗なのに、明るい。
「ええ、あなたにはそう呼んで欲しい」
「じゃあイナバ」
良く知っている人がいてくれることが、どれだけ幸運だろうか。
ああ、久しぶりに泣いた気がする。
「優勝が目的ではないんだよね?」
「そうですが……領土主には"特権"がありますから、得て不便ということはないでしょう。問題は場所、隣接している領土ですね」
領土持ちはログイン期間に1度以上、領土を奪い合える領土戦を強制させられると聞いている。ただ領土を失うだけでなく、領土にある"何か"を奪われてしまうのだ。
そう、人も奪える。
「まあ日本所属の領土が増えるかどうかでしかないので、どうせ隣接している場所は日本の領土ですよ」
「どうして?」
出場するつもりはなかったけど、それが調べない理由にはならない。だから知っている、そこまでの情報は出ていなかったはずだ。
「参加者の最後の1組が私ですので、どこが出場するかはすべて判明しています。その中にですね……まあ日本のお偉いさんが手を回したような組があったのですよ」
そこが欲しいから、あるいは安全に領土を増やせるから切り札を参加させたということだろうか。
「なので2回だけ、私が出ます。ずっこい真似をするのですから、ずっこく対応しましょう」
「ぷぷっ」
つい吹き出してしまった。イナバに似合わない『ずっこい』と『ずっこく』がツボにはまったからしかたない。
「……」
「ごめんごめん」
イナバからジト目を向けられて、笑いを止めるように謝罪を口にする。
それにしても、やっぱりこの子は優しい子だ。きっと食材を買うためのお金を使って参加申し込みをしたのだろう。制限として第3陣、つまり私達と同じタイミングで始めたことと、足切りとしてかなり高めの参加費用が設定されていたから。
そろそろ涙も止まった頃だろうと腕を退かしてみれば
「ひゃん!?」
大きなたわわが2つあったから揉んでみた。いや、イナバの顔が隠れてしまっていたのだ。
「おっきいねぇ」
なんで私の好みの娘はおっきい娘ばかりなのか。もしかして潜在的におっきいを求めているのではないだろうか。
「楓、そこまで疲れていたのですね……」
心の底から心配するような声が降ってきた。
まあ私の疲れを見破れるのはユウただ1人だったから、その1人も限界までは見守ってくれるのだから、危なかったのは間違っていないと思う。
それに今の状況で私が"弱さ"を見せるのはまずいのだ。皆が弱っているのだから、まずいのだ。
「……明日は1日、休憩しましょう。凛にはサリアを任せればいいでしょうし、翠には餌を放り投げておきます。葵とユウは2人でショッピングでも行ってもらいましょうか」
「領土獲得戦の準備は?」
「翠が餌で刀を作るでしょうから、それで十分かと」
餌は情報体に関する情報だろうか。まあ翠ちゃんが作った刀を凛ちゃんが持てば強い。うん、強い。
「そもそもわかっているのでしょう、あなたと凛は第3陣において最上位にいます」
竜人族、妖族、精霊と妖精族とか、強い種族はいっぱいいる。その中でも個人として強い人もいる。どうにも優勝できるというイメージが湧いてこない。
あ、だからか。
「イナバ、あれを見せてくれてよかったの?」
「あれ……ああ、"詠唱"ですか。無詠唱に辿り着けたのなら問題ありません。そもそも数日で無詠唱とは、他の世界の人達が聞けば卒倒しますよ?」
できたのだからしかたがない。そもそも無詠唱は適正でも才能でもなく、知識だ。それを理解できれば自然と言葉を生み出せ、無詠唱に到れる。
でも他人から聞いても無詠唱には辿り着けない気がする。だから結局は才能なのかもしれない。
少し視線を横に逸らせば、輝く月と散りばめられた星々が視界に映る。
こんなゆったりとした空間は、いつ以来だろうか。
「楓。私はじゃんけんでユウに勝てました。5回勝負です」
もう驚かない。この子がお嫁さんでいいんじゃないだろうか。
「私でも1回しか勝てたことないのに」
「……ちょっと悔しいです」
5回勝負で勝てた、つまり3回は勝っているはずなのに、どうして悔しいのだろうか。誇らしげに、嬉しそうに言ったということは負け試合ではなかったと思うけど。
なんだか誇らしく悔しい気がするので、もう1度、揉んでおこう。そう思って手を伸ばせば、掴まれてしまった。そのままゆっくりと置かれ、置いたその手が私の頭を撫でる。
「楓。一応、聞いておきますが……成長は止まっていませんよね?」
ちょっと視線が追えない。どこを見ていったか、少し問いただしたい。
「私は、ね」
いつだったか言われたことがある。女らしさをユウに吸われたんじゃないか、と。もちろん冗談としてだが、納得してしまったのだ。私が。
真隣に"容姿が瓜二つ"の双子の弟がいて、私から見ても可愛いと思えたのだからしかたがない。逆に私があの子から男の子を奪った可能性すら考えた。無意味に。
「まあ成長の停止……というか、変動の停滞は起こり得ることです。珍しいことですが、知られていないだけでアルファ世界でも確認されていると思います」
「え……」
私が知っているのは老化の停止だけ。"成長しない"例は知らない。
「だから、もう少し時代が進めば"普通"に加わることができるはずです。安心してください」
その言葉を聞いて、憑き物が1つ落ちた気がした。
目指す場所への橋が、また1つ架かったように思えた。
「イナバは、ずるいね」
「いたずら兎ですから」
夜空に笑顔が輝く。綺麗な、綺麗な笑顔が。




