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イナバ 1/2

 部屋に備えつけられたベットで眠る弟を眺めていれば、ここ数日抱えていた不安が和らいだ。

 この子は大丈夫だと知っているのに、理解しているのに、感情が追いつかない。危ないかもしれないと警鐘を鳴らしてしまう。姉ばかであればと時折、願ってしまう。

 

「楓、夜ご飯だ。良い匂いがするぞ?」

 

 部屋の外から聞き慣れた少女の声が聞こえた。そこで情報アクセサリーによる拡張感覚を利用して表示されている時計を確認して、既に月が輝く時間だと気づくことができた。

 ……弟を眺めていたら夜になっていた、少しまずいのではないだろうか。

 

「今、行くね」

 

 とりあえず返事をして、目の前で眠り弟の身体を揺らす。

 寝起きの良すぎる子だから、熟睡していてもこれだけで十分なのだ。

 

「ん……イナバ?」

 

 と、漏れ出た言葉に驚きを覚えた。最長でも7日前に出会ったばかりの名前が出てきたのだから、しかたのないことだろう。しかし、それよりも私ではなく他の誰かであったことが驚きであり、そのうえこの状況で、だ。

 

「じゃなくて姉さんだね。まだ疲れがとれてないのかも」

 

 起き上がり目を擦るユウがそんなことを口にする。

 あの時以降、私の傍以外では熟睡しない子だ。7日間とはいえ未知の世界で過ごしたから疲れがたまっていたのだろうかと考えたが、すぐに否定する。私が過ごした7日間から考えれば疲れが溜まる場面などないのだから。

 つまり私が知らない何かが、この子に疲れをためさせたのだ。

 

「……姉さん、気になるのならイナバに聞けばいいよ」

 

 嬉しそうな表情を浮かべて、そう言われた。

 表情や行動に出ていただろうか、とは考えない。その意味はない。だから必要なことを考える。

 "気になるの"はどちらなのか、だ。

 この子との関係についてか、あるいは料理を振る舞った時の反応についてか。

 ……まあ、それは2人になってから決めればいい。相手の顔を見て、聞きたいほうを聞けばいい。

 

「まだ疲れてるユウくんが、夜しっかり寝てくれるのなら安心して聞きに行けるかな」

 

「そのつもりだから安心して」

 

 ユウはにっこりと笑ってそう答えた。これはあれだ、確実に行けと言っているのだ。逃げ道なんて残さないぞと。

 

「それはそうと、夜ご飯みたいだよ?」

 

「なに作ったんだろうね」

 

 楽しそうに語る様子を見て、やっぱり話は聞いておくべきだと思った。この子にイナバは"必要"なんだと確信した。少なくとも、今は。

 

「凛ちゃんが良い匂いって言ってたから、楽しみだよ」

 

 それだけを言い残して部屋を出れば、凛ちゃんの言っていた通りとても良い匂いが漂っていた。なんだか甘そうな、作りての性格をそのまま表したような匂いが。

 

 

 

 最後の1人、ユウがテーブルを囲んだところで、イナバちゃんが両手にお皿を乗せてやってきた。良い匂いとともに。

 

「1人1皿です。熱いうちにどうぞ」

 

 そう言って置かれたお皿の上には、白い生地をお日様の色で彩ったような料理。生地で作られたお皿にの中に、網目状の蓋が乗っているようにも見えるそれは、ホールパイだろうか。

 まずは私と翠ちゃんの前に。続いて葵ちゃんとサリアちゃんの前に。最後にユウの前ともう1箇所。そこに料理人が座ることで皆が料理に手を伸ばし始めた。もちろん食前の言葉は忘れずに。

 

「これは……アップルパイですか?」

 

 事前に並べられていたナイフをフォークを使い、同様に準備されていた小皿に1ピースを切り分けた翠ちゃんの問いかけ。似た果物が多い中、見慣れた林檎であると翠ちゃんは判断したようだ。

 私も倣って1ピースを切り分けてみれば、香ばしく甘い匂いが溢れ出し食欲を刺激してくる。よく知った仲なのでかぶりついても何も言われないだろうけど、普段からそんな食べ方はしていない。それにサリアちゃんに妙な印象を与えたくない。

 

「まあ……アップルパイですか。アルファ世界のスーパーで売っているような林檎ではありませんけど」

 

 現地の、この世界の食材ということだろう。中から覗く太陽を濃縮したような果実はずっしりとしていて、とても食べごたえがありそうだ。

 

「美味しいな」

 

 最も早く切り分け、最も早く口に運んだ凛ちゃんが呟く。ああ見えてもお嬢様、そのうえ刃物の扱いが上手いから綺麗に切り分け、綺麗に食べている。

 料理によって食べ方を変える凛ちゃんが丁寧に食べたのだから、それが見合ったということだろうか。私としてはテーブルの真ん中に置かれたものをイナバちゃんが切り分けて、手掴みで食べるのが最も良い食べ方であるような気がしてならない。

 それでも今はナイフとフォークを使って適量を口に運ぶ。それが用意されているということは、それを使った食べ方が求められているということだから。

 

「……」

 

 言葉にできなかった。調理の上手さもあるし、素材の良さもあるだろう。しかしなにより、私の料理に足りない"それ"が詰まっていた。

 つまり私の料理の上位互換だ。完全敗北だ。

 

「85点くらい?」

 

 皆が言葉なく美味しさを噛み締めている中、そんな言葉が通り抜けた。言葉だけで見れば評価をくだしている、それも中々良い評価のものだが、実際に聞いていれば違うとわかる。

 その声音が、問いているのだ。料理人自身が85点だと思っているのだろうと。

 

「いえ、70点あればいいでしょう。腕が落ちましたかね」

 

 答えるのはフォークを食べている……ではなく、口に入れたままで不満そうな表情を浮かべたイナバちゃん。

 

「とっても美味しいよ?」

 

 サリアちゃんがそう言い、首を傾げて不思議そうにイナバちゃんを見つめる。

 私も同意見だ、というよりもこれで70点はやめてほしい。日本であれば多くの料理人が包丁を捨てるかもしれない。まあ捨ててしまったのならその程度の思いだったということだろうけど。

 

「理由があったとはいえ、食材集めで手を抜くことになりましたから。それに半日なのです、良くて75点が限界でしょう」

 

 後半の言葉……1日あればより良いものが作れた、という意味ではないだろう。既に知り合っていた3人はともかく、私と翠ちゃんと葵ちゃんが"出会って半日"なのだ。相手の細かな好みを把握しなければ100点などつけられない、ということかもしれない。

 それになにより、召喚されて7日目であるはずの彼女をして『腕が落ちた』とはどういうことだろうか。

 従魔には召喚時に知識が与えられるとは聞いているが、その中に熟練の技術があったと考えるべき……ではないだろう。彼女はそんな言い方をしない。きっと。

 

「自らに厳しいのだな」

 

「できるはずのことができていない、それは集中しきれていなかったということですから。まあ私の舌のほうに問題が生じていればその限りではありませんけど……いえ、それでも体調管理を疎かにしているので減点ですか?」

 

 それならば、イナバちゃんの120点はどこにあるのだろうか。できることができて100点。できることとは、どこまでを示しているのだろうか。

 もしかしなくても"想定できる最高"が100点なのではないだろうか。

 

「これで満足していない?」

 

「いえ、あなた達の笑顔が何よりの満足です。過程と結果は切り離して考えますからね」

 

 葵ちゃんの質問に対して、イナバちゃんは嬉しそうに微笑んで答えた。

 過程は自分の満足であり、結果は対象の満足である。もとより味ではなく皆の笑顔を求めていたと考えれば、70点に納得できるかもしれない。料理人が包丁を拾い直すかもしれない。

 

「イナバ、ぼくは95点をあげるよ?」

 

「100点はくれないのですね」

 

「ほら、頂上は見せてあげないから」

 

 後半は置いておいて、ユウの95点に反応してしまった、驚いてしまった。そちらを見ることまではしなかったが、食べる手を止めてしまった。一瞬を超えて。

 あの子の95点が何を意味するのか、皆にはわからないだろう。そしてそれは、召喚直後に与えられている知識としては行き過ぎているものだと断言できる。

 ああ、聞きたいことが増えてしまった。それでもこれは聞くべきではないのだろう。きっと、話してくれるまで、私が知れるまで待つべきなのだろう。

 

「ところで楓、あなたの感想がほしいです」

 

 求められているのは勝負の判定じゃない。きっと、単純に"私の"想いが欲しいのだ。心からのそれが欲しいのだ。

 

「とっても美味しいよ、イナバ」

 

 溢れ出るがままを言葉にしたら、この有様。

 皆が驚いていて、イナバちゃんが一瞬だけ表情を険しくして、ユウくんも驚いていて。いったいなにがこれを巻き起こしたのか。

 

「あれ、皆どうしたの?」

 

「楓、気づいていないのですか?」

 

 翠ちゃんの言葉を聞き、想定される内容を考えてみて、そっと頬に手をやった。

 ……これは何に対する"あと"なのか。

 

「きっと美味しすぎたんだよ。技量に関係なく、ぴったりと当てはまる料理……それをイナバが引き当てたんだと思う」

 

「そうであれば、嬉しいことですね。存分に堪能してください」

 

 きっとこれは、話題の矛先を変えるだけの言葉。2人とも一口目で堪能できたことを理解しているはずだから。

 それを示すように皆は過去に食べた料理を次々に口にしている。その中には私が振る舞った料理もあって、思わず頬が緩んでしまう。

 そんな光景を見ながら、続く一口を味わうためにフォークを動かす。


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