鎌は常に首元に 2/2
「ところでこれって、詠唱はどうなるのかな?」
「詠唱が必要なのはメインとなる魔法、あなたが既に取得している風魔法だけです。最高の魔法をお願いしますね」
笑顔で告げられて、思わずドキリとしてしまう。この失敗することを考慮していないような、絶対に成功させると信じさせるような笑顔は卑怯だと思う。
その直後だったからか、それの気配を敏感に感じ取れたのかもしれない。
「っ!?」
人ならば誰でも感じ取れる、魔物の気配。これが感じ取れるから野生の動物や魔物とよく似た種族を間違って攻撃することはない。
それがなぜ、安全なはずの宿の部屋、入り口から感じられたのか。
一拍置いて気配が感じられた部屋の入り口を向いてみれば、小さく白い魔物が立っていた。人型で、赤い瞳がこちらを捉えていて。
怖くて怖くて瞳から目が離せなせず、身体は動いてくれない。感覚だけでいえばアダマンタイト・ゴーレムに並びそうなほど強い魔物。
ここに来たばかりの時のように尻もちをついて逃げようとしないだけマシではあるけれど――
「どういうつもりですか?」
「ぼくは足りないと判断したから、かな」
イナバちゃんの落ち着いた問いかけに、鈴のような声が答えた。
動いて、動いて。足手まといは……いや。
すぐ近くから感じた魔法の気配に、目の前の魔物が消え去った。正確には、魔物の気配が消え去った。
「ユウ、くん?」
「久しぶりだね」
朗らかな笑顔を向けてくるのは紛れもなく、ユウくん。美味しい料理を作ってくれて、膝枕をしてくれて、そしてそして……『一緒にいてくれないかな』と言った相手。
幼い子供に見えたから、とても戦えそうに思えなかったから、弱い私でもいないだけマシだと思えたから、傍にいようと告げた言葉。
「どうして、どうしてユウくんがいるの?」
頭が真っ白になる。真っ黒に染まる。そのどちらかわからない。
「なにを言っているのですか、サリア。私がいるのですから、当然召喚主のユウも残っているでしょう」
その言葉に思い違いをしていたと気づけた。
精霊召喚ならば召喚主がどれだけ離れようが、死んでしまおうが、残り続けられるのだ。大樹を護る最も有名な精霊が、主亡き今も存在しているように。
そう。イナバちゃんだけなら再召喚されることで、先に進んだユウくんのもとに行くことができると思っていた。だから逃げることを選び続けられた。
掲示板に1度だけ書かれた情報、その正否がわからない情報。
・2人以上がその場にいなければボスが出現しない
そこに"プレイヤー"という制限があったならば……私が閉じこもることでユウくんは挑戦することすらできずにログアウトを待つだけになってしまう。
「なんで、なんで残ってるって言ってくれなかったの?」
震える声で問いかける。
ずっと静かだった。ユウくんどころかイナバちゃんの声も聞こえなかった。
「サリアさんが、あなたが突破したのなら他の誰かと組んで挑もうとは思っていたよ」
私が待たれていた。なぜ。
「でもね、約束してしまったから」
必死に記憶を掘り起こすが、関係のありそうな約束は……あ。
「一緒に進もうって」
そう、この少年は言っていた。確かに言っていた。私が傍にいるために並べた言葉に対して、『一緒に進もう』と言ってくれていた。
あの森だけのものだと思っていたのに、そう判断してもおかしくないのに、それでも約束は続いていた。
私が突破していれば、あるいは挑戦して負けていれば、きっと機会があっても告げなかったのだろう、この少年は。
優しき少年は私とイナバちゃんの間に移動して座り、お皿に並んだお菓子へと手を伸ばす。そして包みを開けながら雑談をするような調子で口を開いた。
「ここで突破したとしてさ。3ヶ月後、あなたは笑っていられるのかな?」
身体がビクリと跳びはねたような気がした。心臓の鼓動が早まっていくのを感じる。身体が固まったように動かず、続く言葉を待つしかない中、思ってしまう。
どうしてその言葉が出てくるのか、と。
「どういう意味ですか、ユウ」
大丈夫、この場所に知っている人なんているはずがない。両親がこれの存在を知っていれば私に譲ってくれただろうし、それがなかったから残る1人が譲ってくれた。
「今回は問題なく突破できると思っているよ。イナバがそのつもりでいるのだから」
突破して、続く場所でもイナバちゃんやユウくん、凛ちゃんやアリサさんと楽しく過ごして。あらかじめ告げられていた3ヶ月を迎える。
目指す先はそこで間違いないはずだ。
「突破すれば姉さんと合流した凛さんが待っていると思うから、あなたと親しくなる人は増えるだろうね。今回のように引きこもることはないと思うから、街や旅先で知り合う人も多いと思う。その中から特別親しくなる相手もいるかもしれない」
もう部屋の中だけで過ごすなんてこりごりだ。諦めるために我慢してこもっていたのだから、その必要がなければ外を走り回りたい。たくさんの人と触れ合いたい。
「そして3ヶ月後、"終わりの時"。あなたは笑っていられる?」
そしておせんべいをパリッと。ここで問いかけは終わりだと告げるように。
イナバちゃんが差し伸べてくれた分岐点。続く可能性の道。3ヶ月後というその終わりで、私はきっと笑っていられるはずだ。
笑ってログアウトの時……『さようなら』って。そしてあなた達はきっと……そう、きっと『またね』って返すんだろうね。1回で終わりのテストプレイではないのだから。
「さ、サリア?」
イナバちゃんの戸惑ったような声が聞こえた。表情を見ようにも、視界が滲んでいて、自分の足だけが映っていて、確認できない。
「ユウ、説明してください」
「ぼくが言うことではないよ」
再びパリッと音が鳴る。これで私が告げる以外に、イナバちゃんが答えを知ることはないだろう。
どうして、どうしてこのタイミングで聞いてきたのだろうか。今まさに決戦に挑もうという、この時に。これでは詠唱の途中でいらないことを考えてしまうかもしれない。いや、絶対に考えてしまうだろう。
この道は後悔を強めるだけじゃないかって。
とりあえず否定しようとしても、嗚咽ばかりで言葉は出てこない。
とりあえずなんて許さないといわんばかりに。
パリッ、パリッ、と一定間隔で鳴る音だけがこの場を満たす。時折リズムが乱れるのは、新しいお菓子へと手を伸ばす間だろうか。
今は放っておけばいいような考えが心を過ぎった時、鼓動が強まった。
その手を伸ばす先がなくなった時、それまでに私がなにかしらの応えを示せなかったら……どうなるのだろうかと。お菓子の残量は残り時間ではないのかと。
下を向いているだけの私を残し、2人は行ってしまうのではないかと。
イナバちゃんは私にトドメを頼んでくれたけど、きっと1人でもアダマンタイト・ゴーレムを倒すことができる気がする。チェスゲームで誰も確認できなかったボスを倒したのはきっと彼女なのだろうから。
それではなぜ、なんて考えない。過程はどうあれ、差し伸べられた手を握ったのだから。
……そう、握ったのは私なのか。だから怖いのか。いつ離されるかもわからないから。
「むぅ」
静かな湖面を打つように、イナバちゃんのふてくされた声が聞こえた。それに続いて床を踏む小さな音も。
「まあ、落ち着いたら来てください。それに整理をつけることは間違いなく必要なのでしょうから、中途半端に終わらせないように」
それを、避けに視界を滲ませるような言葉だけを残してドアを開ける音が聞こえた。そしてパタンと。
「本当はイナバにも伝えておいてほしかったのだけどね。あの子はそう簡単に手を離さないから」
たった数日前に出会ったはずなのに、その言葉は長年連れ添った2人のように聞こえた。
だからかもしれない、それを羨ましいと思ったのかもしれない。自然と口が開く。
「私ね、ログアウトしたらすぐに死んじゃうんだ。ログインがあと数分でも遅れたら危なかったかもって自分でもわかってる」
1度、開けられた門は容易く閉じることはできない。閉じようと思わない。
「だから、これは最後の時間なの。笑って逝くために、あの子がくれた猶予なの」
言葉にしながら思う。でもなにかが足りなくて、そう自覚させられて。
「でも、今のままだと最後に悔し涙を流すって、たとえイナバちゃんが先に連れて行ってくれても、そうなるって」
だから答えをちょうだいと、そこで口を閉ざす。
「……きっと探し続けるって、探し続けてくれるって思ったからじゃないかな」
曖昧なその言葉が心を突き刺した。すべてを言われなくてもわかってしまった。
最後が笑顔であれば次もログインしないはずがない。最後が泣き顔であれば現実になにかを抱えている。どちらにしても次を、あるいは何度かログインしなかった時点で『異常』だと判断されてしまう。
少なくとも、情報がない状態で心の深層を当ててきたこの子には。
そうなればどうなるか。きっとイナバちゃんは探してくれる。現実世界まで来たすらも。
それが無理だって知っていても、きっと彼女は止まらない。無理を覆してでも探し出そうとしてくれる。
そう、私に思わせてしまった。
だから最後に悔し涙を流すんだって、そう思っていたのかもしれない。
「ねえ、お願いがあるの。私にできることならなんでもするから、聞いてほしいの」
真実の一言を。
「うん、盛大にぶちまけるといい。ぼくが伝えよう」
「もしかしたら、君が責められるかもしれない。どうして黙っていたのかって。イナバちゃんも凛ちゃんもアリサさんも優しいから、もしかしたら」
私だったら、言ってしまうのだろうな。弱くても、力届かずとも、少しくらい役に立てたかもしれない。いや、立ちたかったと。
「それは聞き出せなかった人達の責だよ。だから心配しなくてもいい」
確かにその通りだ。
「じゃあ、お願い。『私の、サリアの物語は完結した』、そう伝えてくれるかな」
きっと、凛とした声で告げられた。そこに思い残すことがないように。
「大丈夫、任されたよ」
その言葉を聞き終えた瞬間、憑き物が落ちたように心が軽くなった。
うん。これなら残りの時間を楽しめるし、最後も笑顔で別れられる。
目をぐしぐしと拭い前を向けば、こちらを見つめて嬉しそうに微笑む少年がいた。まあいなかったら誰に話を聞いてもらっていたのかということになるが。




