歩んだ先に 3/3
暗い部屋の中、カーテンを開ければ月の光が差し込む幻想的なベットの上。パジャマに着替えたうさ耳少女が座り、ぼくを待っている。
「イナバ、凜さんになにか教えたの?」
隣に座りながら他愛ない話を振ってみれば
「魔法を1つ。あの子はどこでも勇者になれそうですね」
月明かりを浴びる顔が嬉しそうに微笑む。
「どうかな。彼女の強さは英雄のそれと遜色ないから」
「軍師もいますから王として国家を築けるかもしれませんが、それはおそらく破綻するでしょう。ならばきっと、あの子は勇者なのです」
虚空を見上げたイナバが嬉しそうに語る。
ぼくもそう思う。凛さんは英雄になりきれない、勇者に進むのだろうと。
問題は壁を超えられるかどうかだけど、きっと超えて見せてくれる。3人で。
それにしても、もっと話してはいたいけど、こうして並んで夜闇を眺める静かな時間も心地が良い。
だから静かに窓の先の夜空を見上げる少女の隣で口を開くか開かまいか、足を揺らして考えているだけで時間が過ぎていく。
「……サリアは、なにを抱えているのでしょうか」
少女がふいに口を開く。
「カマキリに怯えていたかと思えば、遥か格上のスノーマンズには躊躇なく立ち向かった。いえ、正確にはスノーマンズを見ても怯まずに行動できていた」
カマキリとはサリアさんを始めてみた時に彼女が戦っていた、大きなカマキリだろう。スノーマンズはチェスゲームでサリアさんが戦った魔物だろうか。
「そして私が単独行動すようとすれば心配して着いてきたにもかかわらず、魔物と戦うことは恐れていました」
そこで僅かな間が置かれ、言葉は続けられる。
「凛の問題は楓に任せるべきでしょう。それだけの猶予はあるように感じられました」
それは楓という人物を信頼していると感じさせる、自然な声。その向く先はここで召喚されたばかりのイナバは会ったことがないはずの、ぼくの姉。
「ですが、サリアは危ない感じがしました。悠長に構え、自然に歩むことを待っていては、気づけば消えているような、諦めているような。そんな危うさが」
静かに語るイナバの声には、少しだけ悔しさが感じ取れる。きっとほとんどの人が気づいてあげられないであろう程度の悔しさが。
「しかし私にはどうすればいいのかわかりません。新たな力を得たはずのサリアが何を怖がっているのか、問題の核となるはずのそれがわかりません。救うと決めて駆け出したはずなのに、声を聞き届けてしまったのに」
イナバの言葉だからだろうか、その言葉に少し苛立ちを感じる。いや、悔しさなのかもしれない。
「私は……傲慢だったのでしょうか?」
月が隠れたのか部屋を闇夜が満たす。月明かりに輝いた少女はおらず、道を失いそうな少女だけがいる。
その事実に違和感を感じながら、それでも放って置けず。
立ち上がってイナバに向き合う。
「イナバ」
そして両手でやや俯いていた顔を上向かせ、肌で呼吸を感じられるほどに顔を寄せ、その綺麗な赤い瞳を覗き込んだ。
「あのまま放っておけばサリアさんは"死んでいた"。今はこの場で生きることを望んでいる。君は間違いなく彼女を沼からすくいあげた。ぼくはその行いが、君にとって間違っているとは思わない」
まっすぐに見つめ返してくる赤い瞳に負けないように、言葉を紡ぐ。
「それでも、沼の前に立ったままの少女を見送る行為は間違っていると思う。君がそれを望んでいないのだから」
赤い瞳が潤み、ひとすじの涙を流した。それでも言葉を止めることはしない。
「どうせ救いなんて自己満足以外のなにものでもないのだから、君の好きにすればいい。救われたと認めるのは彼女なのだから」
「……あなたは本当にずるい」
ふふっと嬉しそうに笑った目の前の少女は、ようやく今を見てくれた気がした。
「長らく忘れていたことを思い出しました。そうでした、私は満面の笑みを咲かせられればそれでよかった。"望んだ通り"に救われている必要など、なかったのです」
まるで自分に言い聞かせるようなそれを聞いていれば、ふいに身体が抱きしめられた。
暖かく、心地よく、なにより安心できる。この腕の中ならばあらゆる不安など寄りつけないような、そんなふうに思えてしまう。
「できれば、あなたも普通であってほしかったのですが。しかしながら、そうであれば私は泣いていたでしょう。1人寂しく」
嬉しそうで、同時に悲しそうでもある、そんな声。
普通であれば得られなかったであろう"素敵な"声。
「だから私は結論づけます」
再び変え尾を出した月明かりがイナバを照らせば、流れる銀髪がまるで太陽に照らされた月のように輝いているように思えた。
「正解であったと」
永い永い時の結論。1つの選択ではなく、歩いてきた道のりが正しかったと告げるような、そんな声。
「そうして完結した日誌は閉じられ、飾られ、次なる真っ白な日誌へとペンを移すのです。"未知の"物語を綴るために」
日誌が示す意味はきっと、旅の同行者。隣を歩く者。決して次の主人公ではなく、作者でもなく、物語に介入しつつも綴る存在。
「しかし今はペンを置いてランプを消して、まだ見ぬ明日を闇夜に浮かぶ月として描くのです。つまり疲れました、眠たいです」
ぼくを抱きしめたままのイナバは後ろに倒れ込み、当然それに抵抗するだけの力はなく、抵抗する理由もなく。
器用に身体の向きを変えてぼくを解放してみれば、並んで眠る体勢に。
そこに突然、出現したタオルケットがふわりとかけられれば逃げ場はなく。
「寝相は良い方だと聞いていますが、なにかしてしまったらごめんなさい」
そっと右手を握られて。
「それではおやすみなさい。またあした」
まるで言い慣れているような、普段通りといった様子で告げられた言葉は、きっと願われた言葉だったのだろうか。
とりあえず昼間にあれだけ眠ってしまったので眠たくはない。それでも語る相手は夢の中にいて、安らかな寝顔を浮かべている。無警戒に。
なにも覚えていない、知らないぼくを前にどうしてここまで信頼できるのか。
"違う"と理解したはずなのにどうして、なんて思わない。自分自信がそうなのだから。
天窓から見える空を見上げれば、月が地を照らしている。行く先が不安な闇夜の中でも、月が出ていれば人は安心して道を歩めるかもしれない。
太陽無き夜であっても。
イナバの手を握ったまま、再びベットへと腰かけた。そしてたった1人の聞き手にだけ聞こえる音を紡ぐ。
そこに言葉は必要なく、ただ1人を癒やすだけの音があればいい。
イナバの安らかな寝顔を見ていると、つい考えてしまう。
"本当の"ゲームだったはずの世界で、この子は純粋に過ごしていた。そこからあの言葉が出てくるなんて思えない。
そうであれば、ぼくの知らないもう1つの物語が間に存在していて、それは世界を戻した救世主達も覚えていられなかった1つであって……。
この『ベアリアスワールド・オンライン』は何度目のゲームなのだろうか。少なくともぼくの知っている1つ目は勇者の素質の開花を促すだけの、"本当の"ゲームだったはずだ。
でも、その1つにスキル……というよりかは才能の追加・付け替えシステムが存在していて、それは特定のキー動作を行うことで熟練……とはいかなくても、本来は扱えるはずのない魔法や技術を扱うことができたし、基礎能力を向上させることすらできた。
これは開始時に説明を受けた情報体の特徴と似ていると思う。だから考えてしまう。
もしかしたらあれは情報体を模したシステムだったのではないかと。
ただ、そうすれば誰も知らなかったそれを、ゲームの中とはいえ実装していたのは誰だったのかという疑問が浮かんでくる。
今のこの街限定になるけど、どの世界から来た人達も情報体を知らないと言っている。それは戦うのが得意な人も、考えるのが得意な人も、種族関係なく。
そのうえ神であったあの人ですら知らなかった。
唯一知っていたのは、ぼくの目の前で眠る可愛い少女だけ。まああの時は兎の姿だったけ。
……まあアルファ世界に存在しないはずの魔法が存在する世界がいくつもあったのだから、情報体が存在している世界があっても不思議じゃない。
この街で知っていたという話を聞かない理由も、色々な理由から秘匿している可能性や、たまたま知っている世界の全員がこの場所に割り当てられなかった可能性もある。
……うん、違うかな。アルファ世界だよね、きっと。
ああもう、難しいことは考えずにイナバをぎゅっと抱きしめて眠ってしまいたい。そうすればなにか、きっと……なんてね。イナバが語らないのだから、それは必要のないことだと思う。あるいは語らないことに意味があるのだと思う。
「やっと見つけました」
と、ふいに聞こえた小さな寝言が胸を貫く。
心の底から安心して眠っていることを示すだろう、その言葉。たかだか100年程度では語れないだろう一言。
感じられた重さに左手の指輪を見つめて……強く首を横に振る。
いつか時がきたら話してくれるだろうなんて甘い考えは持っていないけど、いつか自分の言葉で聞きたいと、知りたいという考えは持っているから。
途切れた子守唄を再び紡ぎ始め、少女の寝顔を堪能することにしよう。当然、写真は残しておくけどね。
これでお愛顧だよ、イナバ。




