第四十二話「花瓶に咲く花 3」
レナータが、第二の失踪をしたと聞いた時、エミルは先日の花束を思い出した。
しおれ始めている花に、「記憶再演」の力は残っているのか。
そう危ぶんだが、迷っている時間はなかった。
大きな河にかかる橋の中程で、金色の短い髪を風に揺らしている女性が居る。
その女性は、欄干に手をかけ、身のこなしも軽く、その向こう側にある橋の出っ張りに足を置いた。
「レナータ!」と、エミルは呼びかける。「早まらないで!」
レナータは、良く知っている友達にでも会ったように、エミルに向けて笑みを浮かべた。
エミルが、相手を刺激しないように、一歩一歩と近づいて行くと、狭い足場の上で、レナータは、くるりと身を翻し、こう言う。
「私って、幸せ者だな。最期に、一番会いたい人に会えるなんて」
「あの……」と言って、エミルは口ごもり、こう述べた。「受け取っていただけましたか? 刺繍の……」
レナータは、悟り切ったように、静かな表情を浮かべる。
「ああ、やっぱり。貴方だったのね」
彼女はスカートの隠しから、青い花の刺繍がされたハンカチーフを、取り出した。
「もうね、私は、私じゃいられないの。二度も逃げ出してしまったから」
「それは、どう言う?」
エミルが問いかけると、レナータは口元に笑みを作ったまま言う。
「私、『賢い女性』に、護符を作ってもらった事があるの。
私が望んだのは、『戦う意志』を、心に宿す事。
私ね、親の権力で役をもらっているって、言われているの、知っていたの。
だから、その悪意に負けないように、戦うための意思が欲しかった。だけど、その護符との誓いを破って、二回も逃げ出した。
それでね、もう、私の心は、二つに分かれてしまったままなの。
真実を告げて、法を持って戦おうって言う心と、このまま逃げ出して、誰も私を知らない所へ、行ってしまおうって言う心に。
その二つの心の間で、疲れちゃったんだ。だから、もう、此処で終わりにする」
「待って……」と、言って、エミルは片手を伸ばした。
ふわりと、レナータの身が、背の方に傾ぐ。ハンカチーフが、ひらりと宙を舞う。エミルは、思わずその布を握りしめた。
「花束をありがとうね。エミル」
その言葉を最後に、レナータの姿は、濁った河面の中に飲み込まれて行った。
エミルは、ハンカチーフを握りしめたまま、店に戻った。
受付番をしていたルカが、「何があったんですか?」と聞いてくる。
エミルは黙って、作業台の上に、刺繍のハンカチーフを置いた。




