第四十話「花瓶に咲く花 1」
エミルの仕事場には、一時期、花束を花瓶にさしたものがあった。
「ご主人は、花を飾る趣味があるのか」と思ったルカは、その花の手入れをしながら、次の花が飾られるのを待っていた。
しかし、最初の花がしおれてしまった後は、次の花は登場しない。
「ご主人。新しい花は飾らないんですか?」と、ルカは悪気なく聞く。
「ああ」とだけ答えて、硝子の花瓶を、戸棚の一番下に仕舞ったエミルは、少し悲しげだった。
五月十日に、エミルは二十六歳になった。
彼の誕生日を知っているのは、ファルベと、新しい住まいになった、劇場の持主達だけだ。
「エミル。オーナーの娘さんが、呼んでるぞ」と、バルタザールに呼び出され、階下に降りて行くと、十七、八、と見える娘さんは、顔を紅潮させ、エミルに花束を差し出してきた。
「お誕生日。まだ早いけど、おめでとうございます」と、その女性は言う。
「あ。ああ、はい。ありがとうございます」と応じて、エミルは花束を受け取った。
その後、美しい金髪を持った娘さんは、小さくカーテシーをし、その場を去った。
オーナーの娘さんも、役者を務めており、常駐している劇団員の一人として、舞台に上がっている。
彼女の名は、レナータと言う。
金色の髪とアースアイの見目は美しく、演技は上手い方だが、「親の権力で役をもらっている」と、陰口を叩かれる事もあった。
実際の所、舞台に立った時は親の勧めがあったらしいが、劇団長に認められて役をもらったのは、彼女の実力であろうと、エミルには見えた。
レナータについては、もっと残酷な事を言っている悪口が存在したが、エミルは敢えて、それを本人に伝えようとはしなかった。
花束を店に持って行ったエミルは、折角だから、この花をハンカチーフに刺繍しようと思い立った。
それを、オーナーの娘さんに「お返し」すれば、丁度良い。
そんなわけで、エミルは唯の白いハンカチーフを、刺繍用の木枠に嵌め込んだ。
エミルが刺繍を始めた数日後。レナータが失踪した。
つい昨日、劇団での練習を終えた彼女は、その当日に家には帰らなかった。
劇団員達は、それを面白おかしく噂にしている。
特に、ディーターと名乗る劇団員が広めている噂は、悪質だった。
「レナータは俺に気があったんだ。四六時中、こっちを見ている視線を感じた。不細工な癖に粘着質。気味の悪い女だぜ」との事である。
レナータの失踪と噂は、衣装の繕いを頼みに来た劇団員から、エミルの耳に聞かされた。




